「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
へブル 11章 1節
へブル 11章 1節
毎日聖書を読み、メッセージを聞いて、わかっているつもりでおりながら、なかなか信じ切って、
すべてをゆだねきれない私たちです。このみ言葉にあるように。
また、ルカ 22:42 で「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」このように言われているように。
イエスの御父への絶対的な信頼を忘れることなく、今日も心にしっかりと止めてて歩んで行きたいものです。
また、「信仰」とは、自分が願っているものを何回も自分の心に言い聞かせて、
それがかなえられることを神に押し付けることではありません。そうではなく、神が言われたこと、
また神が願っておられることを、そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑問も提示せず「しかり」と納得し、
確信することなのです。その目に見えないことが自分の中で体験されていることになります。
天において、信仰によって歩んだ人が報いを受けるのですが、それが私たちの希望です。
したがって、望んでいると言っても、私たちが望んでいるのではなく、
むしろ神が私たちにすがってほしいと願っておられる事柄を指しています。
ローマ 14:22
「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。
自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。」
へブル 10:39
「しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。」
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