「 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
マタイ 11章 28節
ここでの「重荷」は、自分を喜ばせようとする重荷です。私たちが、何とかして自分を喜ばせようとしても、満ち足りる事がなく、いつも不安です。
現代は、「自己」という言葉が好きです。「自己実現」「自己尊厳」「自己啓発」など、自分を喜ばせようとする考えが中心になっています。けれども、現代はまた同時に、心の豊かさを求めています。逆に言うと、現代人は心が満たされいていないのです。この矛盾を抱えているわけは、自分を喜ばそうとしているところに起因しています。
人生の現実は不条理に満ちており、人は不条理に負けて、挫折する。しかし、そのどうにもならない不条理の現実の中で、イエスを信じてすべてを任せ、身を投じていくことで救いが与えられる。
私たち一人一人に与えておられる重荷を最もよく知っておられる方です。他の人はあまりにも自分に合わない重荷を負わせようとするかもしれません。しかし、イエス様の与えられる命令は、いわゆる重荷にはならないのです。
だから 信仰の創始者であり、完成者であるイエスにいつも目を注いで、主の「くびきを負うことの心地よさを、楽しさを、麗しさを」日々経験していきたいと思います。
1ヨハネ5:3
「神を愛する事は、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」
「つかれしものよ きてやすめ」とやさしくイエスまねかせたもう ……… 聖歌 222 より
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