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どんなにヘタクソでも、そこにいる誰かがやりつづけないと回らなくなる仕事というものがあるのだ。
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専門家の仕事は一定水準以上のことができないなら、しないほうがいい。外科手術も…相手に致命的な損害を与えてしまうからだ。
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だけど、素人仕事は違う。ヘタクソでも皿洗いはできる。
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ケアってそういうことなのだ。なんらかの脆弱性を抱えて人には、さまざまなニーズが発生している。誰かがそれに対して臨機応変に対処しなくてはいけない。だから僕は麦茶もつくるし、床にこぼれてしまった沖縄そばの残骸を雑巾で拭き取る。
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依存は本質的な営みなのだ。弱った時に、誰かに頼る。ケアしてもらう。あるいは、弱った人のお世話をする、ケアをする。それらは僕らの本能だ。
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ケアはセラピーより古い。
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幼稚園でも小学校でも、「自分のことは自分でしましょう」と言われて、それができると「お利口さん」と褒められる。自立していろいろなことを自己責任でやっていける人が、この社会を構成している。
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だから、そうやって自立しているものの価値は見えやすい。
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依存労働は見えにくい。おじいさんにおばあさんの価値は見えにくく、おばあさん自身も「あたしゃね、芝を取らないで、洗濯しているだけなんで」と思いやすい。
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まわりを見渡してみてほしい。依存労働の社会的評価は確かに低い。小児科医の給料は高いけど、保育士の給料は安い。…僕もまたセラピーの方が、ケアの仕事よりカッコいいし、価値が高いと思っていたからだ。
ここだ。ここに僕は傷ついていた。
<ミーティング案内>
日時
2019年5月26日(日)13:30〜14:30
2019年6月30日(日)13:30〜14:30
場所
クロスパル高槻4F研修室
対象
摂食障害の本人さん、ご家族、支援者の方
内容
分かち合い
直接会場へいらしてください。
待ってるよ〜(^^)