性の棚卸しをしていて
2回目であらためて気づいたのは
今私が知っていることをあの頃
もし、知っていたら
そして相手もそれを知っていたら
起こらなかったかもしれへんし
いや、やっぱりおんなじことが起こるんやろけど
でも起こったことの受け止め方は確実にに変わってた。
起こった出来事に
今
私は
名前をつけることが出来ます。
1回目の棚卸しでは、名前はつけられへんかった。
ほんま、教育やこれ
私だけが知ってても役に立たん
公教育の役割は
ものごとに名前を与えることと
それ以上に
その名前を他者と
共有
できるようになることや
生きるために必要な道具です
今日一日