他力本願について、トミシンさんが本当の意味を
教えてくれました。
「本人の力(自力)以外の本人目に見えない大いなる力、
そのはからいに身を委ねることを意味しています。
決して、他人を当てにする意味ではないんですね。」
(トミシンさんのコメントより)
詳しくはトミシンさんのHPに投稿があります。
Cross-cultural Show Time
http://office-tomishin.at.webry.info/
「未来とは予測するものはなく選びとるものである」
だと思う一方で、
「人間にはそれぞれ運命があり大いなる力や、そのはからいに
身をゆだねる、その力への惧れを持つ」
という考えは、結構、しっくりきます。
「大いなる力」とか「そのはからい」はあると思う。
たとえば、私たちの力のおよばないことは、
私たちの人生には必ず起こりますよね。
私は、ひとりめの息子を予定日に亡くしました。
定期健診にいく十数時間前に、
臍の緒が首に偶然まきついて死亡したわが子は、
もし前々日に産んでいたら助かっていました。
当時、私は、神を罵りました。
「私たち夫婦と息子が何をしたのか」と。
「10000人にひとりの出来事」
だという説明なんて、
何のなぐさめにもなりませんでしたよ。
しかし、よくよく考えるとですね、
10000人にひとりどころか、
もっと凄い不運や不条理に見舞われる人が
世界中に満ちているんですよ。
生まれた国が違うだけで死んでいく子供たち、
戦争や紛争で死んでいく人たち。
私たちが見舞われた不幸は、
よく考えると世界中で毎日、いえ、毎秒起こっていることと
同じでした。
だから、私は、それをあたりまえに起こること、
運命だと受け入れました。
それでも立ち直るのには、長い長い時間が必要でしたが。
VEフランクルの「それでも人生にイエスと言う」
などを読み、とりあえず、
自分の人生に「イエス」と言い生きてきました。
最近は生きている息子たちのことで忙しく、
なくなった息子のことは、寝る前などに考えます。
彼の10ヶ月間の「生」はなんだったのか?
それに意味はあったのか?
私は彼のためにいま、何ができるだろうか?
その答えはまだ出ません。
せいぜい「精一杯生きる」「息子たちをしっかり育てる」
「アンタのことは忘れないでアンタの分まで生きるよ」
っていうぐらいでしょうか?
息子は天国で私のこの結論を苦笑してみているかもしれません。
そんなわけで、とりあえず私は自分の人生に「イエス」を言ったので、
その結論にしたがって前に進んでいます。
そしてまあ、みなさんと同じように、いろいろ悩みながら
学びながら気づきながら生きる中で、
「本人の力(自力)以外の本人目に見えない大いなる力、
そのはからい」を感じることはやはり、あります。
考える、努力する、工夫する、でもその先はどうなるかは
神のみぞ知る。
努力したから必ず上手くいくことなんか決してない。
かといって、努力しなかったら、その結果を神に委ねることすら
できなくなる。
難しいテーマですが、継続して考えていきたいと思います。
トミシンさん、有難うございました!
英語できない帰国子女(しかも外交官の娘)ですが、
異文化交流興味あります。
引越し終わって落ち着いたら、また英語の勉強はじめますから
その切は宜しくお願いもうしあげます。
「環境情報を世界に発信」とか言いながら、
パスポートも持っていないし、10年間飛行機にも
乗っていません!!(爆)
教えてくれました。
「本人の力(自力)以外の本人目に見えない大いなる力、
そのはからいに身を委ねることを意味しています。
決して、他人を当てにする意味ではないんですね。」
(トミシンさんのコメントより)
詳しくはトミシンさんのHPに投稿があります。
Cross-cultural Show Time
http://office-tomishin.at.webry.info/
「未来とは予測するものはなく選びとるものである」
だと思う一方で、
「人間にはそれぞれ運命があり大いなる力や、そのはからいに
身をゆだねる、その力への惧れを持つ」
という考えは、結構、しっくりきます。
「大いなる力」とか「そのはからい」はあると思う。
たとえば、私たちの力のおよばないことは、
私たちの人生には必ず起こりますよね。
私は、ひとりめの息子を予定日に亡くしました。
定期健診にいく十数時間前に、
臍の緒が首に偶然まきついて死亡したわが子は、
もし前々日に産んでいたら助かっていました。
当時、私は、神を罵りました。
「私たち夫婦と息子が何をしたのか」と。
「10000人にひとりの出来事」
だという説明なんて、
何のなぐさめにもなりませんでしたよ。
しかし、よくよく考えるとですね、
10000人にひとりどころか、
もっと凄い不運や不条理に見舞われる人が
世界中に満ちているんですよ。
生まれた国が違うだけで死んでいく子供たち、
戦争や紛争で死んでいく人たち。
私たちが見舞われた不幸は、
よく考えると世界中で毎日、いえ、毎秒起こっていることと
同じでした。
だから、私は、それをあたりまえに起こること、
運命だと受け入れました。
それでも立ち直るのには、長い長い時間が必要でしたが。
VEフランクルの「それでも人生にイエスと言う」
などを読み、とりあえず、
自分の人生に「イエス」と言い生きてきました。
最近は生きている息子たちのことで忙しく、
なくなった息子のことは、寝る前などに考えます。
彼の10ヶ月間の「生」はなんだったのか?
それに意味はあったのか?
私は彼のためにいま、何ができるだろうか?
その答えはまだ出ません。
せいぜい「精一杯生きる」「息子たちをしっかり育てる」
「アンタのことは忘れないでアンタの分まで生きるよ」
っていうぐらいでしょうか?
息子は天国で私のこの結論を苦笑してみているかもしれません。
そんなわけで、とりあえず私は自分の人生に「イエス」を言ったので、
その結論にしたがって前に進んでいます。
そしてまあ、みなさんと同じように、いろいろ悩みながら
学びながら気づきながら生きる中で、
「本人の力(自力)以外の本人目に見えない大いなる力、
そのはからい」を感じることはやはり、あります。
考える、努力する、工夫する、でもその先はどうなるかは
神のみぞ知る。
努力したから必ず上手くいくことなんか決してない。
かといって、努力しなかったら、その結果を神に委ねることすら
できなくなる。
難しいテーマですが、継続して考えていきたいと思います。
トミシンさん、有難うございました!
英語できない帰国子女(しかも外交官の娘)ですが、
異文化交流興味あります。
引越し終わって落ち着いたら、また英語の勉強はじめますから
その切は宜しくお願いもうしあげます。
「環境情報を世界に発信」とか言いながら、
パスポートも持っていないし、10年間飛行機にも
乗っていません!!(爆)