以前、知り合いの家が競売に出て一家崩壊したとき、
「家なんて、ただのいれもので住んでいる家族が大切なのに」
と思いました。
その考えは今でも変わりません。
いま、我が家は2LDKの狭いマンションに四人で住んでいるけれど、
家族は笑い、楽しみ、助け合って幸せに暮らしています。
長男の学校のことがなければ、このままだったかもしれません。
しかし、私は一生で一度の買い物を「再び」しました。
これまで何度も書いている通り、
この家捜しは、ここで書けないことも含めて
ドラマチックな展開をしました。
今でも本当に飽きないし勉強になります。
関係者の方々にはあらためて感謝。
サブプライムローンの頃、そしてその後、
支払い能力を超えたローンを組ませる人たちや、
おカネにとりつかれた世界を心底悲しく思いました。
テレビのドキュメンタリーで、
アメリカの住宅やサブプライム関連のコマーシャルを観て、
吐き気すら覚えました。
そして住宅ローンの怖さをいまもなお感じています。
「借りれる額」は「返せる額」ではない。
幸い私の周りには、私が背伸びをしないよう
注意してくれる人たちばかりでした。
それでも緊張はしましたが(苦笑)
さて、そんなドキドキの中、隙間から、
「家政婦はみた」状態で、日本の住宅・不動産業界の
普段着の姿を垣間見ることができて面白かったです。
(ごくごく一部ですが)
そして、日本の住宅・不動産業界もまた、アメリカと同じく
魑魅魍魎がいたるところにいると思いました。
しかし、その一方でこの業界が、欠陥住宅問題、阪神大震災、
耐震偽装などを経て、学んできたこと、
心ある姿をさまざまな場面で感じました。
正と負、泣き笑い双方を垣間見ながら、今思うのは、
やはり「中身あっての容器」としての「家」の存在です。
家という建物そのものが人間を幸せになんかしない。
どんなに豪華な家に住んでいても不幸せな人たちはたくさんいるし
(ヒルズ族とか?)
逆に家なんかなくても幸せな人たちは存在します。
結局、これもまた、私たち自身の努力や心がけだと思います。
今日はこれから、家の完成状況を見物しに行きます。
私はこの家で家族を幸せにすることが出来るだろうか、
自分が幸せな人生をおくることが出来るだろうかと考えながら。
「家なんて、ただのいれもので住んでいる家族が大切なのに」
と思いました。
その考えは今でも変わりません。
いま、我が家は2LDKの狭いマンションに四人で住んでいるけれど、
家族は笑い、楽しみ、助け合って幸せに暮らしています。
長男の学校のことがなければ、このままだったかもしれません。
しかし、私は一生で一度の買い物を「再び」しました。
これまで何度も書いている通り、
この家捜しは、ここで書けないことも含めて
ドラマチックな展開をしました。
今でも本当に飽きないし勉強になります。
関係者の方々にはあらためて感謝。
サブプライムローンの頃、そしてその後、
支払い能力を超えたローンを組ませる人たちや、
おカネにとりつかれた世界を心底悲しく思いました。
テレビのドキュメンタリーで、
アメリカの住宅やサブプライム関連のコマーシャルを観て、
吐き気すら覚えました。
そして住宅ローンの怖さをいまもなお感じています。
「借りれる額」は「返せる額」ではない。
幸い私の周りには、私が背伸びをしないよう
注意してくれる人たちばかりでした。
それでも緊張はしましたが(苦笑)
さて、そんなドキドキの中、隙間から、
「家政婦はみた」状態で、日本の住宅・不動産業界の
普段着の姿を垣間見ることができて面白かったです。
(ごくごく一部ですが)
そして、日本の住宅・不動産業界もまた、アメリカと同じく
魑魅魍魎がいたるところにいると思いました。
しかし、その一方でこの業界が、欠陥住宅問題、阪神大震災、
耐震偽装などを経て、学んできたこと、
心ある姿をさまざまな場面で感じました。
正と負、泣き笑い双方を垣間見ながら、今思うのは、
やはり「中身あっての容器」としての「家」の存在です。
家という建物そのものが人間を幸せになんかしない。
どんなに豪華な家に住んでいても不幸せな人たちはたくさんいるし
(ヒルズ族とか?)
逆に家なんかなくても幸せな人たちは存在します。
結局、これもまた、私たち自身の努力や心がけだと思います。
今日はこれから、家の完成状況を見物しに行きます。
私はこの家で家族を幸せにすることが出来るだろうか、
自分が幸せな人生をおくることが出来るだろうかと考えながら。