谷村さんと堀内さんのハモりに興奮!ちょっと恥ずかしく思っていたら、会場はもっと盛り上がっていた!
気が遠くなるような長い年月を超えて、
大切に守られて、愛されてきた京都・奈良の文化財たち。
有名なものでなくても、
人々が色々なものを大切にしているのが
いたるところで感じられます。
たいした知識もない、素人の私に、こんなことを
語る資格などないかもしれないけれど、
「繋がる」「続ける」「懐かしさ」「畏れ」…。
さまざまな言葉が浮かびました。
そして、「持続可能性」「サスティナビリティ」を
考える上でのヒントもいたるところにありました。
そして、2009年の終わりに祈らずにはいられません。
かけがえのないこの宝物や、地球という宝物そのものが、
気が遠くなるような時代を超えて、
これからも未来に残りますように。
大切に守られて、愛されてきた京都・奈良の文化財たち。
有名なものでなくても、
人々が色々なものを大切にしているのが
いたるところで感じられます。
たいした知識もない、素人の私に、こんなことを
語る資格などないかもしれないけれど、
「繋がる」「続ける」「懐かしさ」「畏れ」…。
さまざまな言葉が浮かびました。
そして、「持続可能性」「サスティナビリティ」を
考える上でのヒントもいたるところにありました。
そして、2009年の終わりに祈らずにはいられません。
かけがえのないこの宝物や、地球という宝物そのものが、
気が遠くなるような時代を超えて、
これからも未来に残りますように。
が本当に降りそうな寒~っい!夜。
レミオロマンの叫びが胸に染みます。
奈良で除夜の鐘を聞きながら家族で年を越します~。
(後日談。奈良で雪は降りませんでしたが、
新幹線から雪景色を堪能。次男にとっては生まれてはじめての
「雪」でした)
レミオロマンの叫びが胸に染みます。
奈良で除夜の鐘を聞きながら家族で年を越します~。
(後日談。奈良で雪は降りませんでしたが、
新幹線から雪景色を堪能。次男にとっては生まれてはじめての
「雪」でした)
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ボランティアの原稿は残り一本。書いてくれた仲間に感謝です。
真面目にネットカフェを捜しはじめました。(^^;
(このblogは携帯から投稿しています。アクセス権等の関係からいまこの携帯でボランティアの活動はできない)
紅白はEXILE→AKB48と、大人数系。
EXILEはやはりもっとゆっくり観たいし聴きたいかんじ。AKB48は、秋山さんのしたたかさを感じずにはいられません。
真面目にネットカフェを捜しはじめました。(^^;
(このblogは携帯から投稿しています。アクセス権等の関係からいまこの携帯でボランティアの活動はできない)
紅白はEXILE→AKB48と、大人数系。
EXILEはやはりもっとゆっくり観たいし聴きたいかんじ。AKB48は、秋山さんのしたたかさを感じずにはいられません。
世界に日本の良さを伝えたい!
などと言いながら、実は生まれて初めて金閣寺に来ました。
ピカピカぶりとか、いろんな説明に、
外人さん以上に激しく反応、
今までこれを観ないで日本人をやってきた自分に、
動揺すらおぼえました。
ここだけの話ですが、
まともに京都に来たのすら初めてです(爆)。
「日本人としてあるまじきことだ」と旦那。
ちなみに修学旅行はタイの日本人学校だったから、プーケット島。
(かと言ってタイの文化に精通しているわけではありませんが・苦笑)
話がちょっと飛びますが、金閣寺をみながらいつも考えていることを
また考えたので少し書きます。
「国際的であることは、自国の文化の理解なくしてはありえない」。
と自戒をこめて、あらためて思いました。
また、歴史は勿論のこと地理的なこと、風土、宗教はじめ、
様々な素養がないと相手を理解することを、こちらを理解して
もらうこともできない。
ただ英語が出来ればいいってことではないってこと。
もうひとつ思ったのは、これは「はるかなる絆」をみていて
こちらもあらためて思ったことなのですが(こちらも自戒をこめて)
「わかろうとすること」は大切。
でも、言語は勿論のこと、歴史も文化も違う人たちを
「私はわかった」とか「理解している」とか、
ましてや、●●人は●●的安直な決めつけをしては
いけないと強く思いました。
などと言いながら、実は生まれて初めて金閣寺に来ました。
ピカピカぶりとか、いろんな説明に、
外人さん以上に激しく反応、
今までこれを観ないで日本人をやってきた自分に、
動揺すらおぼえました。
ここだけの話ですが、
まともに京都に来たのすら初めてです(爆)。
「日本人としてあるまじきことだ」と旦那。
ちなみに修学旅行はタイの日本人学校だったから、プーケット島。
(かと言ってタイの文化に精通しているわけではありませんが・苦笑)
話がちょっと飛びますが、金閣寺をみながらいつも考えていることを
また考えたので少し書きます。
「国際的であることは、自国の文化の理解なくしてはありえない」。
と自戒をこめて、あらためて思いました。
また、歴史は勿論のこと地理的なこと、風土、宗教はじめ、
様々な素養がないと相手を理解することを、こちらを理解して
もらうこともできない。
ただ英語が出来ればいいってことではないってこと。
もうひとつ思ったのは、これは「はるかなる絆」をみていて
こちらもあらためて思ったことなのですが(こちらも自戒をこめて)
「わかろうとすること」は大切。
でも、言語は勿論のこと、歴史も文化も違う人たちを
「私はわかった」とか「理解している」とか、
ましてや、●●人は●●的安直な決めつけをしては
いけないと強く思いました。