僕には、人生の師匠がいます。
いつだか日記に書いたかも知れませんね。
奇しくもその人は、僕が最も食えない暗黒時代に、
ドラコン競技で出会った人です。
彼が1級建築士で個人事業主だった事から、
実に2年に亘って様々な現場仕事を僕に与えてくれました。
当時彼のお仲間からは「この人の現場はマジでキツいぞ」と言われており、
内心、素人に毛が生えた程度の自分に務まるのか不安しかありませんでした。
しかしだからこそ、腕っこきのプロが集まる中で足手まといになってはならぬと決め、
人の3倍働くつもりで必死に働かせて頂きました。
その甲斐あって、一時は後継者にと師匠から光栄なお話しを頂いたのですが、
易々とお受けするワケにはいかなかった。
何故なら、師匠はそれこそ生まれた時から建築に惚れ込み、
物心ついた頃には実家のご家業を手伝っておられたほどの、
言うなれば建築のサラブレッド。
大学で建築を学び、さらにはそこを首席で卒業され、
市役所の建築部門で活躍するだけでは物足りず、
ついには若くして小さな事業所を独力で立ち上げた。
「役所時代の給料の、少なくとも倍を稼ぎ続けてやるから!」と
ご家族を説得しての敢行だったそうだ。
事実今もなお毎年連続で、倍どころか時によっては10倍もの年収を叩き出している。
更には過去に一度、医者から「生きているのが奇跡」と
言われるほどの致命傷を現場作業中に負っている。
一度だけ、その余りに痛々しい大きな傷跡を見せて頂いた事がある。
僕が彼の立場なら、恐らく縮み上がってしまって引退したであろう傷だ。
にも関わらず、そこからも10数年一切無借金で、そしてたった一人で、
その道を戦い抜いて来られた男だ。見事としか言えない。
僕の中にあった、まさに「男の理想像」だ。
気付いた頃には、僕はその人を名前で呼ぶことがなくなった。
「師匠!」と、どこであっても誰がいても、そう素直に呼ぶようになっていた。
もちろん、今も。
そんな師匠の命の結晶とも言える事業を、
僕ごときでは担えるわけがないとハッキリ分かっていた。
だからこそ身に余る光栄な申し出を頂いた時、喜びながらもお断りした。
そして同時に、貴方から頂いた恩情には自分の道で野望を遂げ、必ず応えますと宣言した。
師匠は「そうかぃ」と一言だけ発し、太い眉を躍らせて笑った。
どこか寂しそうだったけれど、でも僕の言葉を信じて笑ってくれた。
ここ2年ほど忙し過ぎて、久しく会いに行けていない。
師匠はきっとそれを察してくれてはいるのだろうけれど、随分と不義理をしてしまった。
今なら会いに行っても良いかな、と時折思ったりもするけれど、
きっと師匠は「道の途中、腹八分目で会いにきやがって!」と僕を叱る事だろう。
思えば、貴方がいてくれたから僕はどん底から這い上がれた。
貴方がその生き様を見せてくれたから、僕は誰にも属さずにデカイ野望を目標に据えた。
貴方のような男に、僕もなりたいと思ったからだ。
終生、それを言葉にして告げる事はないだろうけれど。
師匠に感謝。
もうすぐ不出来な弟子が、貴方に恩返しをしに行きます。
いつだか日記に書いたかも知れませんね。
奇しくもその人は、僕が最も食えない暗黒時代に、
ドラコン競技で出会った人です。
彼が1級建築士で個人事業主だった事から、
実に2年に亘って様々な現場仕事を僕に与えてくれました。
当時彼のお仲間からは「この人の現場はマジでキツいぞ」と言われており、
内心、素人に毛が生えた程度の自分に務まるのか不安しかありませんでした。
しかしだからこそ、腕っこきのプロが集まる中で足手まといになってはならぬと決め、
人の3倍働くつもりで必死に働かせて頂きました。
その甲斐あって、一時は後継者にと師匠から光栄なお話しを頂いたのですが、
易々とお受けするワケにはいかなかった。
何故なら、師匠はそれこそ生まれた時から建築に惚れ込み、
物心ついた頃には実家のご家業を手伝っておられたほどの、
言うなれば建築のサラブレッド。
大学で建築を学び、さらにはそこを首席で卒業され、
市役所の建築部門で活躍するだけでは物足りず、
ついには若くして小さな事業所を独力で立ち上げた。
「役所時代の給料の、少なくとも倍を稼ぎ続けてやるから!」と
ご家族を説得しての敢行だったそうだ。
事実今もなお毎年連続で、倍どころか時によっては10倍もの年収を叩き出している。
更には過去に一度、医者から「生きているのが奇跡」と
言われるほどの致命傷を現場作業中に負っている。
一度だけ、その余りに痛々しい大きな傷跡を見せて頂いた事がある。
僕が彼の立場なら、恐らく縮み上がってしまって引退したであろう傷だ。
にも関わらず、そこからも10数年一切無借金で、そしてたった一人で、
その道を戦い抜いて来られた男だ。見事としか言えない。
僕の中にあった、まさに「男の理想像」だ。
気付いた頃には、僕はその人を名前で呼ぶことがなくなった。
「師匠!」と、どこであっても誰がいても、そう素直に呼ぶようになっていた。
もちろん、今も。
そんな師匠の命の結晶とも言える事業を、
僕ごときでは担えるわけがないとハッキリ分かっていた。
だからこそ身に余る光栄な申し出を頂いた時、喜びながらもお断りした。
そして同時に、貴方から頂いた恩情には自分の道で野望を遂げ、必ず応えますと宣言した。
師匠は「そうかぃ」と一言だけ発し、太い眉を躍らせて笑った。
どこか寂しそうだったけれど、でも僕の言葉を信じて笑ってくれた。
ここ2年ほど忙し過ぎて、久しく会いに行けていない。
師匠はきっとそれを察してくれてはいるのだろうけれど、随分と不義理をしてしまった。
今なら会いに行っても良いかな、と時折思ったりもするけれど、
きっと師匠は「道の途中、腹八分目で会いにきやがって!」と僕を叱る事だろう。
思えば、貴方がいてくれたから僕はどん底から這い上がれた。
貴方がその生き様を見せてくれたから、僕は誰にも属さずにデカイ野望を目標に据えた。
貴方のような男に、僕もなりたいと思ったからだ。
終生、それを言葉にして告げる事はないだろうけれど。
師匠に感謝。
もうすぐ不出来な弟子が、貴方に恩返しをしに行きます。