一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

進化をやめた生き物

2018-02-17 22:21:45 | 日記
何がまともで、何が正しくて、何が美しいかなんて興味がない。

そんなものは分からないからだ。

自分以外の生き物が、自分と同じ価値観で、同じ色で温度で景色を共有している訳がないからだ

だから、そんなものに興味がない。

そんなものに興じてしまえば、

水掛け論や平行線になるのは目に見えていて、そんなものは時間とエネルギーの無駄だ。

だけど、その無駄を好む奴らがいる。

いつまで経っても地べたに座って、そこから動こうともしない奴らがいる。


「進化」ってなんだろう?

少なくとも、生まれ出でてから死ぬまでずっと、労を惜しんでその場に座して動かず、

そのままの状態で成せるものではない事は確かだ。

費やした時間とエネルギーに比例して結果を得られるものではないが、

大なり小なり、己の命を手向けて得られるハズだ。「進化」ってやつは。


進化・前進を生まれた時から諦めた生き物たち。

この40年、嫌気が差すほどその姿を見せつけられた。

ほとんどの人の形をした生き物がそうだったとも言える。

そして、彼らは必ずこう言う。

「自分たちこそが多数派であり、自分たちこそが正しいのだ」と。

ならば正解者たる君らに言おう。

進化を諦めたものは、滅びる定めにあるのが摂理だと。

それを「正解」と嘯くのなら、一体僕らは何をしに生まれてきたというんだ?


「勝負の世界」という言葉がある。

何と勝負するのか?

他者と比較してばかりいる事が、果たして勝負か?

己が納得できないのに、他者に勝ったところで何になる?

優しく殴ってもらえるようにと相手に期待して、何が勝負だ?

結果、己の意に反してボコボコにやられたなら、相手を糾弾する。

それが一体何の勝負だ?


おふざけが過ぎる。

戦うのは、己とだけ。

弱い己に勝った時に、眼前に広がる景色。

それを知らずに、勝負を語る生き物が多すぎる。

生まれた時から進化を諦めた臆病者に得られるものなど、ポテチのカケラくらいのモノだ。



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