「人間にとって成熟とは何か」
という曽根綾子さんの本を読みました。
作品の内容に関してのレビューはさておいて、
僕が常々考えている事と少し重なったので興味を持った。
著者は「成熟」という表現を便宜上用いていますが、
詰まる所、「成長」と簡便に言い換える事が出来よう。
僕はそれほど多くの人間が「成熟」してこの世を後にするとは思っていないので。
どこまで行っても人は未熟で、その未熟の中でどれだけの成長・気付きを得られるか。
それが本当に大切だと常に思っています。
他人の拙い言動を見て「あの人は未熟だ」と断ずるのは比較的容易です。
重要なのは、それを見て自分が「出来る気になって」しまってはいないか、という事ではないのだろうか。
自分も未熟者の一員なのだから、他人を見下して終わっていては余りにお粗末。
人のふり見て、ではないけれどそれを反面教師にするなり、
何某かの教材にする事がいつだって出来る筈なんだ。
残念な事に僕の住む土地はとてもじゃないがモラルのある土地ではない。
心無い人間、それも60にも70にもなった所謂「老人」が、
鬼に憑りつかれたような形相で人に仇を売って歩いてる。
そんな小さな町です。
正直、「長年生きてその有様かよ」と唾棄したくなりますが、
出来るだけ、そんな人間を見た時には自分に当てはめて考えるようにしています。
出来ているかどうか、は現段階では然したる問題ではなく、
それをするとしないとでは、雲泥の差があると感じたからです。
ある身内(と呼ぶにも吐き気がする人間たち)を見てから。
人間は考える葦である、と偉い人は言いました。
言い換えるなら、人は考える事を辞めた時、人でなくなるんですな。
僕はその言葉を一面でそう受け止めています。
未熟者なりの成長。
バカがバカでなくなる為の第一歩は
まず「考える」ことだと思います。
成長とは何か、を。