一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

真意

2013-01-09 01:03:58 | 日記

「物事に遅すぎるという事はない」

そんな言葉があります。


しかし僕は、この言葉を「成功者の戯言」だと思って生きていました。
または自己の人生に満足をしている「隠遁者の寝言」だとも思ったりした事もあります。
何故なら、どこか他人事のように聞こえたから。



人間は、どこか利己的で
ともすれば自身の安泰が確保されたならば
他者の苦悩、絶望、悲哀を余所に無責任な綺麗事を並べ、悦に入る傾向があるのだ、と。

長い間そう思って生きてきました。

成功や安泰を得た事がない僕ですが、でもそれらを得た暁には僕もそうなるかも知れないと
少なからず思っていたからです。



結局の処、そういった人間の本質は否めない部分であると、今でもそれは思っています。

当然の事だけど、みんな自分が「主人公」なのだから、究極は自分に纏わる物事にしか視野を持たない。
全ての人がそうではないかも知れないけれど、そういう人が社会を為しているのも
悲しいけれど事実なんだろうな、と思います。今も。


ただ、物事に遅すぎるという事はない、という言葉…
その言葉を、まだ未完の今でも「そうかも知れない」と感じるようになりました。


ドラコンに出会った当初も、不安や周囲の声から
ずっとその言葉を鵜呑みにする事が出来ないでいました。


しかしそれは、ドップリとその道に足を浸ける事に二の足を踏んでいたからに過ぎず、
覚悟が全く不足していたから、そして結果として目に見える景色が変わらなかったからに他ならない。


勇気は、無謀と背中合わせです。きっと。
僕にはその表裏一体の勇気も無謀も、理解出来ていなかった。
だから覚悟も何も出来なかったんだと思います。



母が僕にある言葉を言った時、その思いはより複雑になった。

「もっと早くにその才能を開花させていたら良かったんだろうな…」と。


事実もう若くない僕ですし、若い内にドラコンに限らず可能性を見出し、
チャレンジし続けていればまた違った人生を得ていたのかも知れない。
それは否めない事実だと痛切に感じました。

だけど、きっと今この出会いを得た事そのものに、何等かの意味があると思いました。

虚勢だったと思います。空元気だったとも思います。
無理にでもそう思い込まなければ、僕の自我を保つ事が出来なかった。
後悔と焦燥感で気が狂ってしまっていたと今にして思います。


でも今では、それらすら通り過ぎたと本気で思う。


若かった頃の僕では到底行き着く事が出来なかった位置にいる事、
そして、若かった自分が経た悪路こそが、今の結論に至らせて、気付かせてくれた事。

それが良く分かったからです。


でもそれは、単純に「打ち込める何か」を見つけたから得た気付きでは決してなかったと思います。
打ち込むものを見つけ、そしてそれに乾坤一擲の一手を打つ覚悟を決め、
目標を高く設定し、それを実現するための努力にまた「打ち込む」。


そういった一連のプロセス、言うなれば「腹を決める過程」。

自分の目で、耳で、直感で、何を守り何を捨て、何を対価に差し出すかという
ジレンマと向き合って逃げず、戦う覚悟を決める切迫感を通過したからこそ思えたのだと心底学びました。


勿論、それが正解かどうかなんて分からない。

以前の僕はその「分からない」という不安感に怖じて、理由にして、逃げていました。

だけど正解なんて、最期の瞬間を迎えるまで誰にも分からない事だ。それに気付きました。


生涯最盛期。
これは、僕のチッポケな虚勢とプライドが作った、
当初は悲壮感に満ち満ちた、それこそ「戯言」です。


でも今は本気でそう思える。

少ないながらも実績を得たから?
小さいながらも希望の光が見えたから?
可能性があると感じたから…?

どうも、そのどれでもないようです。
不安や苦悩や絶望、それらとは今も仲良く寄り添っていますし
あんな常軌を逸した飛距離を叩き出すモンスターたちに敵う可能性など、今も見出せていません。


ただ確かに存在するのは、それらの不安材料を自分のレシピで調理し、
自分の身体、年齢、境遇を副菜としてそれらも頂き、涙流しながら無理矢理飲み込んで
青筋立てながら「こりゃ美味い!」と虚勢を張って来た経緯。

そうして今、自分がまだ立ってる姿を見て
これが自分の人生だから、どこまでも行こうと思いました。
それがどこか、面白いとさえ思えるタフさを自画自賛ですが持てたから。


夢を見つけられた事だけでも僥倖なのに、自分はそれを追い掛けさせて貰っている。

過ぎたる果報だと思います。


誰かがどうだから
何かがこうだから
時代はそうだから


色んな比較思考を持ってしまいそうになる。

でも自分の人生を生きてるのは自分で、
誰かのマネ事をして生きる訳にもいかないと思っているのなら
もう何を迷う事があるのだろう。


今の僕は、昔の僕と大きく変わった。

少なくとも一つ、180度変わった部分。


それが「物事に遅すぎるという事はない」という言葉に対する心構え。


きっとこの言葉を生み出した人は、
過去、僕が嘲笑していたような綺麗事人間ではなくて、
血涙を流しながら道を切り開いた人なんだろうと思います。


今では最も愛しい言葉です。

















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