L-1グランプリ決勝大会が目的で訪れた沖縄。
中々休みも取れなければ金も掛かる為、滅多に来れる場所ではない訳で(汗)
今回やっと叶った沖縄来訪、L-1以外に僕にはもう一つ目的があった。
ずっと訪れたかった場所。
フライトの時間を十分考慮に入れて、そこに行ってきました。
それは「ひめゆりの塔」そして「しらうめの塔」
第二次大戦、沖縄での惨劇。
資料や文献などで見知っていても、それは僕の五感に何も残さない。
この足を運び、目で見て、手で触れて、心で感じて、そして
亡くなった方々へ、直に鎮魂の祈りを捧げたかった。
小雨が降り始める中、入口で売っている慰霊の花束を購入し、献花台へお供えした。
沖縄らしい、ハイビスカスを始めとする鮮やかな花々。
多くの参拝者が、それらたくさんの花を手向けていました。
ここで詳細を書くには、あまりにも悲しく、凄まじいばかりに惨く、
そして70年前の事とは思えない生々しさをそこかしこに残している場所でした。
だから僕如きが云々書きません、
是非多くの方に実際にここを訪れて頂きたい、
目の当たりにして頂きたいです。
平和が良いのは誰にでも分かっている事。
だけど、余りにもその「平和」という言葉が軽くなってやしませんか。
「戦争」という言葉が、文字だけのものになってやしませんか。
上っ面だけの「絆」やら「友愛」やらで、過去に起きた惨劇と
現実に山積している問題から目を曇らせ、安直な未来をおぼろげなイメージで
生半可に絵空事として描いてやしませんか。
ここを訪れて、そして祈りを捧げ、帰路に就く頃
小雨は大粒の雨と変わって、慰霊碑を濡らしていました。
生きるという事は、生かされているという事であると同時に
「生きたかった方々」の道を歩かせて貰っているという事。
あそこで亡くなった方が遺した言葉が一つ、
自分の心の奥深くに突き刺さりました。
陽の光を遮る空襲の雨の中、そして陽の光の差さぬ深い塹壕の中、
生き抜こうとした方が、亡くなる前に遺した言葉。
「陽の光の下を、大手を振って歩きたい」
生きようと思った。
生易しい言葉ではなく、土を啜ってでも生きようと思った。
沖縄
ただ温かく、優しいだけの島ではありません。
戦時に於いては惨劇の地とされ
今に至っては政争の具にされ、
そこかしこに艦砲射撃の跡を残した海岸、
優しいながらもどこか寂しげに揺れる草花を、
訪れる方にはどうか心の目で、それらを見てほしいと思った。