叔母の逝去から数日。
母の事が心配で今日、実家に電話した。
実の妹に先立たれたのだから、気丈なあの人でもきっと
気落ちしているに違いないと思ったので…。
昨日遠方から葬儀を終えて帰った両親は、声の調子からも疲労具合が窺えた。
特に母の方はそれが顕著だった。
バカ息子が何を声掛けすれば良いのか思い付かないでいると、
母が口火を切ってくれた。
「若いモンに先立たれるのはやはり辛い」
「親より先には逝くな、とくれぐれも言っておく」
叔母は母より9歳も年下だったから
母からすれば本当に青天の霹靂だったのだろう。
それだけにショックも大きかったに違いない。
先の「親より先には逝くな」というセリフは、
父親の口癖でもあり、普段なんだかんだといがみ合ってるあの二人も、
やはり芯の部分では全く同じでブレがないな、と思った。
その母からの厳命に、僕の兄貴は「今んトコ、死ぬ予定はない」と答えたそうで。
兄貴らしい、ヒネたブラックジョークだなと思いながら
母を慮って兄貴も電話していた事を同時に知る。
そういう処、やっぱり兄弟なんだな。
ただ、母からの厳命とは言え、
人の一生、況してや生きるの死ぬのという命題に関しては
僕は常日頃…いやさ、ともすれば毎日毎時間考え、生きてる変なヤツだから
「鋭意努力はするけども、死ぬときゃ勘弁してくれよ」と答えた。
何も生み出さず、何も成し遂げず、
親孝行もせず、嫁孝行もせず、兄弟や友にも何の恩返しも出来ていない今、
当然くたばってたまるか、という思いは強い。
でも一寸先、どうなるかというこの世界で
確たる自信もなければ、軽口で親を安心させるユーモアもない。
だから、言いました。
今まで世話になった人へ、返さなきゃならん借りが多すぎる。
その借りを返す為にこなすべき課題が、また山ほどある。
だから、それを全部やり切った後にくたばるようにするから
アンタがたは、それを見届けてから俺より少しだけ先に行ってくれりゃ良い。と。
僕はホントにバカだから、言葉を全部吐かなきゃ気が済まない。
兄貴のように一言でサラッといけない。
でも思った。
考えてみればこの30数年、僕は必ず誰かに「生かして」貰って来た。
育み守ってくれた両親は勿論の事ながら、
傷付きヘバっていた時に支えてくれた友、
病んで蹲っていた時に助けてくれた仲間、
苦楽を共にしてきた嫁。
どんな場面を見返してみても、僕は必ず受動的に生きてきた。
それらの強力な支援者の庇護の下、守られながら生きてきた。
自分でゼロから何かを生み出し、そこに城を築き、多くの人の為に生き、愛された叔母とは
対極の位置にいる、つまりは良い歳こいてクソガキのような人生を歩み、
それで「生きた」と勘違いしていたんだと思う。
叔母の生前の話を母から聞かされ、頭を打たれた気持ちになった。
「休む暇さえなく働く」とよく言うが、それどころか叔母は
「傷を手で抑える暇もなく動き続けた」のだと思った。
亡くなる3週間前まで車イスに乗りながらも働き、
襲いくる激痛に耐え、とうとう臥す間もなくこの世を去った。
そんな見事な生き様を見せた人の血が、僕のこの身体にも一滴でも流れている。
だとするならば、今の生き方では叔母に合わせる顔がない。
恥ずかしくて、申し訳なくて。
今出来る事は限られてるかも知れない。
でもその出来る事に、果たして命を賭けて挑めているか。
誰かに「やらせて貰って」はいないか。
年齢的にももう折り返しだ。
残された時間がどれだけあるかは分からないけど、
これからの人生、今までの逆を生きていきたい。
生かして貰う日々から、誰かを生かしていく人生へ転換していこう。
文字通り、命の限り「尽くせ」るのなら、これが本望だ。