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マリアヨハンナさんのブログ

♪昨日は 今日のために・・・今日は 明日のために・・・♪
♪人々の愛、出逢い、支え合い、未来の平和と幸福を願って♪

Astor Piazzolla - Milonga del Angel (Audio + Sheet Music) [Piano Solo]

2017年10月21日 | 人生

Astor Piazzolla - Milonga del Angel (Audio + Sheet Music) [Piano Solo]

今の私の心を表しているような、音楽としてこの曲を選んだ。

今、高校の後輩が生死の間をさまよっている。

ここ数年の間に精神的につながっている友人となった。 つい、先週もFacebookに投稿した内容に対してメッセージを送ってくれた。 自分の持っている限りの能力を惜しみなく使って、人々に奉仕をしている。 私の生活を応援してくれている、と同時に、私も彼女の生活を応援している。 本当に出来る限りのことをして、人々を支える人になっている彼女の生き方は、私と共鳴して、お互いに励みになってきた。その彼女がもしかすると、私よりもずっと若いのにとても重い病気になって、一瞬のうちに意識不明の状態になったという連絡が入った。

もし、出来ることなら、奇跡でも起きて、また一緒に励まし合っていきたい。

 

残念ながら、早い一生を全うして、天使と共に天国にいらっしゃいました。今日は葬儀ミサに参列。 母校の教職員、シスター方、在籍中のお嬢さんのお友達、同期生、卒業生、教え子、合唱団関係者、教会関係者。彼女が活動していたあらゆるところから、彼女の御霊の為に祈りに集まりました。 彼女らしい葬儀になりました。

 


風に立つライオン/さだまさし

2017年10月11日 | 人生

風に立つライオン/さだまさし

懐かしいシスターに会いに、友人と3人で行った。

そこで、昔話とともにシスターから伺ったお話と新聞の切り抜き「風に立つライオン基金」について分かち合った。

さだまさしが35歳の時に作曲した曲のもとになった実話が映画化され、さらに、その主人公になられた医師のような苦しむ人々を助けるボランティアを支えるために基金を作ったという記事(2017年10月2日毎日新聞)。

歌も知らなかったし映画も見てないので、これから見ようと思う。

 

画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、室内

お土産のお花を修道院の聖堂に飾って写真を送って下さった。

 

 


どんな人生にしたいか

2017年07月29日 | 人生

長年、高齢の知人とのお付き合いが多いので色々と考えます。

 30年前にこの地に引っ越した時に入ったママさんコーラス。平均年齢63歳でした。とっても明るくって、元気で活動的な皆様の中で30代始めの私は、当然、最年少。 母と同じ世代の皆様とは、どういうわけか一緒にいると居心地が良かったのです。本当に大事にしてもらいました。そのかわり、事務的な事や音取り練習テープ作成などで出来ることは引き受けていました。 対外的な演奏活動も結構あって、年数回は、あちこちへと連れて行ってもらいました。 とても世話好きな方が多くって、優しくて、お互いに本当に助け合って…。 私は持病の酷い貧血があり、幼児~高校までの子育ての真っ最中だったので、やっと活動について行ってました。私もこんな風に年を取っていきたいなと思いながら。

 それから、25年在籍。年を追うごとに一人、また一人とお世話になった先輩たちが天国に召されて行きました。

 同じ教会に所属していた方で、私が誘ってママさんコーラスに入った方が、難病のために次第に体が麻痺していく中、毎週の練習に車で送迎をするようになりました。コーラスの皆様は、子どもがいなくってもお世話をしてもらえていいわねぇと話され、子どもと同じ敷地内に住んでいても、具合が悪くても見てもらえないのをこぼしていらっしゃる方もいました。

へぇ。そうなのかしら?と思いつつ、彼女にはご家族がいらっしゃらないこともあって、教会の信徒で代わるがわる見舞い、ご聖体奉仕をされていた方と一緒にお宅に行くようにもなりました。

 更に、麻痺が進み、自宅(都営住宅)では、とても介護が追い付かなくなったので老人施設に入ることになり、月1回ほど施設に伺っていました。あちらの施設、こちらの施設と初めのうちはショートステイをして。そのうちにやっと常時在籍できる特養が見つかり、安心しました。

 とうとう、麻痺が全身に回り、誤嚥性肺炎を起こして入院。もう、駄目かなと思っていましたら、幸い命を取り留め、親族(姪)の判断で胃瘻をすることになりました。 施設では、その前に清掃などをいい加減にしていたことを思い出し、週1回行って、様子を見つつ、施設の方には細かいお願いや相談などをさせていただきました。姪御さんはお仕事と持病の治療とかでほとんどいらしてなかったので。それから、約1年、意識がない状態で命を繋いでいました。話すことは全くできませんでしたが、お顔をゆがめているのをみて、苦しいのだなと思いました。毎週通ったせいかわかりませんが、施設では、手厚い介護・看護をして下さっていましたが、本当にこれでご本人は喜んでいるのかしらと首をかしげました。

 最初の施設は、ご本人はあまり気に入っていなかったようでしたので、元々本人がご希望されていた施設に引っ越し出来た時には良かったなと思いました。出会ったケアマネジャーさんや、支援センターの担当の方に恵まれて、次の施設の施設長は、以前の所属教会の親しい方でしたので、お祈りを自由にすることもでき、最後まで丁寧に彼女を看ていてもらえました。


 次にお世話をすることになった方は、やはり聖体奉仕にもう一人の方と伺っていた方で、ご主人は10年ほど前に施設に入ったばかりの1か月ほどで帰天。 相談役や聖体奉仕されてた方も、ご本人が80代の高齢となったために、私が交代して奉仕させていただくことになりました。お子様もご親族もいらっしゃらなかった為に、教会信徒・関係者以外は訪ねる方もなかったのです。 ご本人は10年前に患ったクモ膜下出血で少し認知症があったので、お話もあまりうまくできないのですが、意識ははっきりされていて、施設の中庭のお花の世話や大好きな絵を描いたりされて過ごしていました。ただ、認知症があったので、ご主人が生前に「成年後見人」として司法書士を契約を交わしていたので、細かい相談は司法書士さんとしつつ、見守りをさせていただいていました。教会の他の方と、新年、降誕祝日、復活祭、被昇天などの主なお祝い日と死者の日には、車で送迎をして付き添い、ミサにお連れしていました。

 そのうちに、以前に患った癌が再発し88年の生涯を閉じられました。結局、親族に変わって教会での葬儀、納骨までを司法書士さんとの仲介役と家族に成り代わってさせていただきました。


 さて、この方の相談とお世話を元々されていた方は、このご夫婦をみていて、ご自分たちの先行きを心配され、重い持病もあったために、早くに自宅を処分して、高齢者施設の自立棟に入所されました。家事などが段々と出来なくなってきていたこともあり、病院通いに専念されていました。

 その中で、未信者だった夫人も受洗にお導きすることが出来、さらに、精神的に落ち込んでいらしたご主人とも、当初は、聖体奉仕をさせていただいていたのが、月1回、平日のミサに送迎するようになりました。夫人は、高齢婦人の集まりにも参加されるようになって、しばらく安心していたのですが、今年になって、夫人の病気から、ご主人の負担が増し、夫人も認知症が少しずつ進行、そのストレスからご主人も体調不良に…。真面目なご主人は手抜きをして生きることがお出来にならないのだなと…感じます。

 「もう、神様からお呼びがあってもいいのですけれど…。」なんてことを、毎回、言っていらっしゃいます。「子どもがいないから…」と不安も口にして。


 一つ年上の89歳の主人の母と、実家の母は、体調不良は「歳なんだから仕方がないの。何とか、ガマン出来るから大丈夫よ!」と言って、無理しないでという私たちの言葉を背に、毎日、掃除や買い物に電車やバスに乗って出かけて、日々をそれなりに楽しんでいるように見えます。

 いつ、どうなるかなんて、誰にも分らないのです。

子供がいても、全く、親に関心がない人もいっぱいいます。世話もしてない方もいます。

 もう一かたは、ご主人が10年位病気で入退院を繰り返し、何回も危篤と言われて、連絡を受けて、主任神父様に病者の秘跡をお願いし、持ち直して、ただひたすら看病をされていました。お二人のお嬢様も信者でしたが、奥様だけは未信者でした。ご主人の帰天をきっかけに、毎週金曜日ミサにお連れするようになり、とうとう、昨年のクリスマスにお嬢様の見守る中、受洗をされました。 以降も金曜日のミサと、月2回の神父様の講座(ランチ付き)、月1回の高齢婦人の会にも参加して、楽しく信仰の道を歩んでいらっしゃいます。お嬢様達も代わる代わるにお母様を見守りされています。

 さらに、もう一方。昨年、ご主人が帰天。ご主人の葬儀も打ち合わせと司祭との間の仲立ちをさせていただいたのですが、息子さんとお嬢様がいらっしゃるのですが、息子さんのご家族(妻と子)とは疎遠に。ご本人には思い当たるところがない為、苦しんでいらっしゃいます。お嬢様は、障害がおありなので、あまり、細かい頼みごとができないということ。そんな中、腕を骨折されて入院。ほぼ毎週お見舞いに伺いました。 家事が大変なようすで、少し、相談に乗りながら、私にできることはさせていただこうと思っています。

 さらに、別の91歳の方。お嬢さまお二人が先に他界されて、失意の中で暮らしています。 お孫さんと暮らしているのですが、お仕事が忙しくて、あまりお話もする機会がないと…。 一応、その前の方と同じように葬儀までをよろしくと依頼されています。


 同居する義母も何とか元気でいるのと、実家の母も私達にはなるべく迷惑かけたくないと、頑張っているので、こんな風に他の方のお世話が出来ています。神様が、私の役目を慮って、そのように取り計らってくださっているのかなと思っています。


 高齢になって、人生が目の前に終わろうとしている時に、いったいどんな風にしていたらいいのかと、考えさせられます。 また、どのようにお手伝いができるのかとも…。

 年齢が来たから考えることなのかなとも考えます。

 しかし、小中高で同級だった友人が、早い人は10代で、30代、40代、50代ですでに他界しています。 また、友人のご主人たちも40代、50代で早世されています。 実は、私の父も47歳でクモ膜下出血になり、治療もまだ確立されていなかったために早い一生を終えました。

 人生の終わりがいつ来るなんて誰も判らないと思うのです。

 長生きをされているから、心の準備が万端整っている(できる)ということもありません。

 じゃあ、その時が来る(来た)時の為に何ができるのでしょうか?

 長生きした方は、「もう充分社会の為に働いて来たからもうこれ以上は何もすることがない」と思ってもいいのでしょうか?

 長寿であったことは、取り敢えず感謝して、その先は健康(何も体調に問題がない状態)でいることだけに専念するというのには無理があるのではないでしょうか? 真に健康な人なんていないと思えます。 それだけを重要視するよりも、どんな風に生活していけたら充実できるのかという方法を見つけて欲しいと思うのです。

 では、どんな心構えで生きて行ったらよいのでしょうか?

 高齢者施設に入ったことを、「牢獄」と捉える方もいるようです。そのようにマイナスに捉えずに、”修道院に入った”と思ってはいかがでしょうか? 自分のためだけでなく、周りの人、自分の為に心と時間を使ってくださる人々の為に、社会の秩序や世界の平和のためにひたすら「祈る」ことも一つの生き方ではないでしょうか?

 今年の初めに亡くなった90代のある方(男性)は、度々、教会の資料をお送りする度にご丁寧に返信をくださるのですが、「周りは全く知らない土地で、車がないと何処も行けないし、何処に何があるかもわからない監獄のような所」(老人施設)に入れられて、何もすることもなくて・・・とこぼしていました。

 私は、その度に「修道院みたいに、お祈りに専念出来ていいですね。」とちょっと嫌味だったかもしれない手紙を送ったりしました。

 3食昼寝付きで、リクレーションもして、花見など外出を皆でして…。そんなことが出来るだけでも、幸せなことなのではないかと思うのですが…。家族がいなくても、気を配って下さる方がいるなんて素晴らしいと!

 何気に思うのは、海外の紛争の地で”着物も、食べ物も、住むところもない人々”のことを思い出してしまうのです。 いつ、爆弾が降って命が脅かされるか判らない人々のことを・・・。 さらに、生きながらえても、障害や病気に苦しんでいる人のことを・・・。

 「今日はこんな悪いことがあった!」とマイナスなことを数えて生きるよりも、「今日はこんな素敵なことがあった!」、「いつもよりこんなに体調が良かった!」とプラスの事を数えて生きてはいかがですか?…とある方にはお話しました。

 さあ、あなたなら、どんな生き方をしたいと思いますか?

どんな生き方をしたら、考え方をしたら、本当に充実した人生を送れると思いますか?



高齢者施設で亡くなられた方

2016年04月21日 | 人生

ここ数年間、見守りをさせていただいていた所属教会の高齢の婦人が亡くなられた。
88年の生涯であった。
彼女の永遠の安息をこころから祈ります。

10数年前にくも膜下出血で倒れるまでは、御本人がしたいと思っていたことをすべてなさっていただろうと思われる素敵な老後を過ごされていた。
私は、この地に越してきた時に所属した最初の教会(今は閉鎖されてしまいましたが)で、毎週行われていた婦人による手芸の作成グループに2歳の息子と顔を出し、幼稚園に息子が行くまですっかり常連になった。

主にバザーの作品を製作していたが、時に、侍者服、初聖体の頭飾りなどを皆で作り方を教わりながら作っていた。
昼時になると、皆で持ち寄った食べ物を出して、ちょっとしたパーティになっていた。

彼女は、その中でも、とりわけリーダー的な存在の方でした。

油絵、陶芸、手芸など、なんでもなさって、とりわけ油絵は素晴らしかった。
時折、東京都美術館にも展示なさっていたり、個展もなさったり。

ご主人とお二人で暮らしていたが、彼女が闘病生活に入ってまもなく、病気になって、共倒れにならないうちにと近所の有料老人ホームに入られた。
ところが、1カ月余りでご主人は他界。
彼女は、一人っきりに。
しかも、くも膜下出血の後遺症で言語障害、軽い認知障害などもあり、頭で思っていることがすぐに言葉に出てこないなど・・・。
それでも、見守りに伺った時には読んでいる聖書は指で後を追って声を出して一緒に読まれたり、ご聖体の拝領後は、静かにしばらくお祈りをされ、私が持っていたお菓子には感激して下さり、さらに、御自分の冷蔵庫の中からお菓子や飲み物を出して勧めて下さる。
昔の婦人の集まりを思い出した。

スムースな会話は成り立たなかったが、こちらが話していることは判っているらしく、「いいですか?」、「判りますか?」と確認すると、頷いて見せたり、「大丈夫」、「そうそう」と行って下さった。
月1回程度のお見舞い。年間に他のお二人の方と共同で、5回程度は祝日や追悼ミサにお連れして、帰りには食事をして帰るのが常だった。
もっと頻繁に伺えれば良かったのだけれど、なかなか、自分の生活も慌ただしくって思うように伺えず申し訳ないと思っていた。

今日は、彼女の葬儀が行われた。
とても、素晴らしい神父様の司式に心温まる内容。
すべての参列者が信者さんで、いかにも教会らしい葬儀だったとどの方も感激して帰られた。

会葬御礼のかわりとして、帰天記念カードを彼女の絵を使って作り、皆様に配布させていただいた。
カードを作りながら、絵を見ていろいろと思い祈った。
   


ただ、今回の高齢者施設の対応には驚いた。
高齢者施設なので、亡くなられる方がいらっしゃるのは当然なのに、一日たりとも安置させていただけないのだ。
亡くなった当日に、「本日の夜9時までにご遺体を搬出して欲しい」と言われてしまった。
以前に、やはり、長年親しかった高齢の方が亡くなった時には、公的補助のある養護老人ホームであったが、御遺体を1日安置して、取り敢えずお別れが出来るような場所に移してくださった。
また、私が、以前に音楽(歌)の伴奏のお手伝いさせていただいた老人ホームでは、安置する場所がちゃんとあった。
今回のところは、仮にも高級といわれているかなりな高額な有料老人ホーム。
死んだとわかったら、看る価値がないという訳なのか?
そして、御遺体の搬出の為に葬儀屋さんが来たら、夕食時間なので、入居の皆様が食事に出てくる前に見えないように早く出してほしいと言われてしまった。
なんとも悲しい限り。
やっぱり、営業だけなんだと・・・。
老人ホームを選ぶ時には、そのへんも見極めたいところ。

事情があって、火葬は明日行う。
神父様はご予定があって行かれないので、代わりに信徒だけでお祈りをさせていただく。
葬儀のしおりを持って、事前に目を通し、やることを頭に入れて(先輩からのアドヴァイス)置かないといけない。

遺品の中からいくつかの写真と手書きと思われる絵葉書を発見。一緒に棺に入れさせていただきます。
  


遺品の整理をしている。
引き取ってくださるご親族がいらっしゃらないので処分するしかない。
一番親しかったはずの方も「いらない」と言われたので、彼女を想いながら、写真の一つ一つ、スケッチブックを一つずつはがし、バラしている。
もう天国で神様の元で幸せになられているのだろう。
そう思うとホッとする。ただひたすら彼女の為に祈る。そして、昔お世話になった神父様や、信徒の方々の顔を思い起こす。
納骨の日まで、御遺骨は教会で預かってくださった。
写真は持ち帰ったが、一番状態が悪くなってからのものだったので、アルバムの中から、素敵なプリントを見つけてこれと入れ替えた。
いかにも絵を描かれていた彼女らしい感じになった。

❀お知らせ❀

追悼ミサ・納骨(埋葬)日程:2016年7月2日(土) 午前11時

  カトリック府中墓地聖堂、納骨堂

関町教会主任司祭稲川保明神父様の司式で追悼、納骨ミサと式が行われました。写真と一緒に光子さんが書かれた絵のカードを神父様が置いてくださいました。 御花は信徒のお花屋さんがとても良い御花を準備してくださり教会から運びました。 参列者は6名(後見人山崎司法書士、堀江夫妻、小林さん、松倉さん、伊集院)でしたが、神父様の心をこめた祈願で、ご主人一様の追悼も一緒にしていただきました。墓地全体も綺麗に改修工事がされて庭園風になり、”こみち”(関町教会管理墓地)も同時に改修されていました。 石屋さんのご配慮でご主人様の隣に骨壷を置いていただけました。無事に埋葬ができてホッとしたと同時に感謝でいっぱいです。

 


すべてに感謝~太陽に~雨に~家族に~友人知人に~

2016年03月05日 | 人生
自然は驚異に満ちている。
人がどんなに手をかけても、たとえかけなくても、あるがままにそこにある。

人の力を過信すれば、自然は驚異的な力を持って破壊する。
人が愛情を注げば、自然はその愛に応えてくれる。

しかし、
人が何もしなくても、自然はそのままそこにある。

自然にとって、太陽も雨も必要なもの。
その恵みに感謝をしたい。
ただ、その自然を侮ってはいけない。
また、人も努力を怠ってはいけない。
感謝をしつつ、最大限にその恵みを生かせるように考えて活用しよう!!




今年も大した手入れもしないのに自然が目覚めました。
我が家の白モクレンは、ここに引っ越してきた28年前に義母といっしょに買ってきて植えたものです。
まだ、2メートルくらいの高さの細い木でしたが、今では、屋根を超すくらい大きく毎年伸びて、幹も数十センチメートルになります。
毎年、今頃になると白い花が一杯咲きます。
花が咲き終わるとすぐに枝を短く刈ってしまいます。
勿論自力で・・・。
梯子に登って・・・。
それでも毎年3メートル以上に枝が伸びていきます。
夏は、大きな枝と葉っぱが広い木陰をつくって暑さを防いでくれます。
涼しい風がそこを通りぬけます。




先週の終わりにカエルの声が♪グワッ!グワッ!と聞こえるようになりました。
庭の主みたいになったガマガエル(体長15cmくらい)がいます。
昨日、庭にカップルを見つけました。
隣のお宅の庭に池があるので、そこで卵を産むようです。
我が家の庭には、生ごみを地面に穴を掘って埋めるので、餌になる虫がいっぱいいます。
息子が庭で観察したら、もう一カップルいたようです。
昨年は、6匹見かけました。



 

21日に所属する合唱団「鯨」の演奏会があります。
ちらしをクリックすると拡大できます。
このところ納得した演奏が出来てないのが残念。
数年前のモーツアルト「レクイエム」のように100%以上の心に残る深い祈りに包まれた演奏にしたいのですが・・・。


大成功裏に・・・
直前まで心配していた、Virgo Virgine のアカペラの音程が下がることもなく、第1曲目から祈りに包まれた黒岩音楽が展開されました。
午前中のゲネプロで、黒岩先生が今週はちょうど《聖週間》といって、キリストが十字架に張り付けにされたことを記念する典礼暦であること、また、金曜日《聖金曜日》がこのスタバトマーテルで歌われている部分に当たるということなどのお話がありました。
そのことを思いながら、ゲネプロがはじまりました。

2回のオケ合わせでは、オケの音に合唱が負けているなと皆で話していましたが、最後の黒岩先生の優しいご指導には、合唱が入るところなどは音を二周りくらい押さえて演奏をしてというお話が・・・。
流石にプロ。当日は、ちょうどいうぐらいの音量に調整されていました。

私はと言うと、暗譜をほぼしていたのですけれど、直前まで先生の細かい指示があって、楽譜はほとんど外しつつも、間違えないようにとチラチラと見ながら、3階の席に案内した友人や知人のことも思いながら、そちらに向かって顔をあげて歌いました。
やっぱり、間違えて歌った部分や出が曖昧な部分があって、次回への反省になりました。
また、今年は、花粉症まっただ中の演奏会で、喉や声の調子が良くなくって、声が出づらいので、前日までチャンと綺麗に歌えるのか心配でした。
幸い、当日は、高音部分も何とか出るようになってホッとしました。
音量はいつもほど出ませんでしたけど・・・。
会場の真ん中にキリストの十字架とその道行の映像を思い描いて、祈りつつ歌えました。
終曲のAmenは、本当に美しい盛り上がりでした。
歌うんだ!!という意気込みではなくって、神様にゆだねる想いで天に向かって訴えかけたような思いでした。
鳴りやまぬ拍手に、その思いが伝わったんだなと思いました。
友人たちからも絶賛する言葉がすぐにメールで帰ってきました。
中には、「胸が一杯になった」、「涙がでそうになった」、「涙が流れてきた」などという言葉まで・・・。
いい祈りに満ちた演奏が出来て良かったなと思いました。

鯨には、何人かのキリスト教徒がいますが、ほとんどは信仰を持っているわけではなく、黒岩先生の音楽に心酔して一緒に音楽づくりをしようと言うメンバーが多いのです。
演奏会後には、そのメンバーになりたいと言って入団される方が多くいます。
きっと、この後もそんな方が入団されるのではないかと思います。