生花当番でした。グラジオラス、ユリ、バラ、オンシジウム、紫おんに庭の葉らん等を足しました。
今週は予定がいっぱい詰まっています。
29日大学の同窓会支部の会議、30日聖歌隊練習、1日大学(短大)100周年(40周年)記念行事参加、2日《死者の日》ミサのオルガン当番、同日に追悼祈願に参加する高齢者の方2人を送迎、3日高校の文化祭に同窓生として参加、4日恩人の追悼「歌で送る会」参加。
生きて活動をしていれば、多くの方たちと知り合い、学び、助け合っている事をつくづく感じます。 いろいろなことがあります。 いいこともたくさんあります。 もちろん、嫌なことも・・・。 でも、不思議と嫌なことって忘れちゃいます。 いいことばかり思い出されます。 そして、一緒に過ごしてこられたことに感謝でいっぱいになります。
人は何時か死にます。 それが何時になるかなんてわかりません。 ただ、のんべんだらりと日々の過ぎるのを待つという生き方もあるでしょう。 けれど、”生きているんだ”ということを実感できるのは、何かしら他の人々と共に、手を取り合って活動をしている時のように思います。 ちょっと、覚悟がいるのは、必ずどこかでぶつかり合ったり、いやな思いをするかもしれないということです。 自分が犠牲になってしまうかもしれないことも・・・。 それでも、殻に閉じこもって、家の中にいて、傍観だけをして生きるよりも意義があると思います。 自分自身が成長できます。 特に、嫌だなっと思うことや、自分が犠牲になって働かされてしまったことのほうが、より成長できると思います。 多くの知識や対処法も知ることもできます。 さらに、それらの知識を他の人に伝えて助けてあげることもできます。 それにより、さらに他の方が感謝して下さることも・・・・・。
亡くなった父方の祖母が良く歌を詠んでは(朝日歌壇にも良く入選)、短冊などに書いていました。 幼い子どもの頃に目にして何度も言われた中に、『人という字を良く見れば、支へられたり、支へたり』とありました。 人という字を分解すると、長い”ノ”と短い”丶”が支え合って文字が出来ている。 人と人は、お互いに支え合って、助け合って生きていくんだよ・・・・・って。 子どもの時には良くわからなかったが、そういうもんなんだと思って生きてきました。 結構、お嬢様でわがままな”おばあちゃま”だったらしいけれど、世の中のことをしみじみと思いながら、長年、一人で91歳まで仙人のように生きていました。 父は、祖母が亡くなった同じ年に後を追うように47歳でくも膜下出血が原因で亡くなりました。
父が早く亡くなったので、長女の私は、なんだか責任を持って母と高校生の弟が社会に出るまでは支えなくてはと思い、肩ひじ張って頑張って生きました。 弟が社会に出たら、今度は好きな音楽(大学受験が弟の高校受験と重なったので短大英語科に行ったので)を勉強したいと専門学校に行ったり、ヤマハの指導者グレード試験の勉強をしたり、職場の合唱団のボイストレーニングにのめりこんだり・・・。 大学に編入したり。
会社の人はいい人が多かったけれど、一番身近にいた一回り年上の女性先輩には虐められました。 口が達者な方で、自分の言いたいことだけ、自分の側からの一面的に見た感想、しかも自分にとって都合の悪いことや面白くないことだけを、毎日のように浴びせかけられました。 よほど私が良くないみたいなことを言われて、一時期周りの目がとっても気になりました。 そのうち、ノイローゼの一歩手前で、会社に行くのが嫌になりました。 朝、会社の建物が見えると、胃が急にキリキリと痛み出して、当社拒否みたいな感じになりました。 近くでそれを見ていた男性の先輩が、「なんだか、姑みたいだねぇ。すごいねぇ。」「○○ちゃんも頑張ってね」なんてそっと応援してくれました。 同期も気遣ってくれました。
自分に自信が持てなくなり、どうして対処したらいいのか分からなくなって、知り合いの修道女に話したら、系列大学の心理学のカウンセリング(卒業生のための)をしている姪御さんを紹介してもらいました。 数か月そこに通って、「自律訓練」とかいうのをしました。 私の症状はとても軽い方で、話を聞いてもらうだけで気が楽になりました。「自律訓練」というのは、自分の心をリラックスさせるために、テープを聞きながら、嘘発見器と同じ原理の機械に手を置いて、それを繰り返すことによって、緊張状態をなくしていくものでした。
でも、そのお姉さまがあまりに大声で赤筋立てて叫んだりするので、周りの方に迷惑かかって申し訳ないと思って、上司に素直に理由を言って移動を願い出ました。 「前任者からは、聞いていたけれど、君の方から特に申し出がなかったので、様子を見ていたんだ」って言われました。 結局、同じ部内なら好きなところにどこに行ってもいいって言われたので、中の良い友達がいるところに移動させてもらいました。
この時に経験したことは、後々まで一番役に立ちました。 なによりも、いつでもリラックスできるようになりました。 私の場合は、なんと「お祈り(主の祈り、天使祝詞)」している時が一番リラックス状態になりました。 当たり前といえば当たり前。 子どもの頃から祈っていたのに、こんなに効果があったなんて・・・。 そして、後で行った大学で心理学の勉強をたくさんしたきっかけもこの事があったから。 精神的な病気のほかに、人格的な異常や障害などのある人のことも知ることが出来ました。 そういう人たちがどんなふうに物を捉えて、どのように理由付けをし、考えるか等々。 世の中の多くの人が一番悩みに思うことって、「人間関係」なんですね。 その時にどのように対処できたかによって、一つの経験として通り過ぎる事が出来る人もいれば、さらに坩堝にはまって、ノイローゼになり、やがてはうつ状態になり、ひきこもりにも・・・。
私の場合は運が良かったのかもしれません。 知り合いがたくさんいて、すぐに助けてくれる知人友人が多かったです。 私自身も自分の中だけで溜め込まない性格だったので、いろいろな方法を試して、解消できました。 で、この結果、同じように悩みを持っている人たちの話し相手や、心から共感して解消方法を伝える事ができました。 自分が体験していない人が、いくら「こうしたら~ああしたら~」っていうよりも、同じ体験をした人の言葉の方がより役に立つんだなって思います。 いまでもちょっと心残りなのは、職場にいた短大の後輩が人間関係で悩んでいて、何気に声を掛けられたのに、その時は、それほど深刻なものとは知らず何も出来なかったことです。 この後輩は自殺をしてしまったというのです。
カウンセリングに行くっていうのは、当時は、とっても話しにくいことでした。 でも、軽いうちに行った方が良いとよくわかりました。 カウンセリングといっても、結局、同年代の方だったので、おしゃべりしにお茶しに行っていたみたいでした。 母校の歴史の本(70年史?)とかを紹介してもらい、借りて読みました。 それが、遠因(見えない糸)かどうかわかりませんが、創立100周年募金委員というのを5年前に頼まれて今月いっぱいでお役が終わります。 母校の先生方や卒業生には、本当にお世話になっていますし、今後もお世話になります。
学んできた音楽も、今も、私の支えになっています。 15年くらいは、家で近所の子どもたちに教えていました。 並行して、教会では、オルガン奉仕を25年くらいしています。聖歌隊も・・・。 コーラスも50年以上しています。 その音楽を通して知り合った人々ともず~とお付き合いをさせていただいています。
全てしてきたことは、何も無駄になっていません。 生きているということの証しだと思います。 そして、目に見えない力が何時も助けて下さっていると思います。 これを「神」か「霊」か「亡くなった親族、知人、恩人の魂」かわかりませんが、いつも見守っていてくれることを強く感じながら生きています。
人間だから失敗もあります。 間違いもあります。 肝心なことは、私自身が、自分の得する為だけに生きているのではないと堂々と言える生き方をしていること。 素直な思いで、周りとのバランスを考えて、祈りつつ生きていれば、必ず道が開けると判りました。