主のご降誕おめでとうございます
今年の関町教会のクリスマス(25日日中ミサ)「子どもとともに捧げるミサ」のあとにサプライズがありました。
「aidennsetu2011.WMA」をダウンロード 「teiseijidai2011.WMA」をダウンロード
ミサ後の青年達グループ「愛伝説」、中高生「テイセイジダイ」?の初のバンドのライブコンサート。今後の成長が楽しみです。
最後の「まるまる・もりもり」の歌とダンスに子どもも大人も大いに盛り上がりました。
主のご降誕おめでとうございます
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11月27日(日)から待降節に入りました。キリスト教会では、新しい年の始まりです。
待降節とは、
「二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第1の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、週末におけるキリストの第2の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この2つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになってくる」(典礼暦年と典礼歴に関する一般原則 39)。
「待降節は、11月30日、もしくは、それに近い主日の「前晩の祈り」に始まり、主の降誕の「前晩の祈り」の前に終了する。」(同40)。
「待降節の主日は、待降節第1、第2、第3、第4主日と呼ぶ」(同11)。
「12月17日から2日にに至る週日は、一層直接に主の降誕の準備に向けられている」(同42)。
世間では、11月半ばくらいから、クリスマス飾りがちらほら見える。11月下旬になると、駅前やら、商店の店先には、それは丹念に飾り付けが行われている。キリスト教徒でもないのにすごいな~と思う。 商業主義のなせる業か・・・
ところで、クリスマスがいつかはみんな知っている。でも、いつまでなのかは知らなかったりする。かくいう私も、典礼の奉仕をするまで詳しく理解してはいなかった。幼児のころから教会に通っていたのにもかかわらず・・・。多分、話は聞いていたのだけれども、言葉が難しすぎたのか、それほど重要なこととも思っていなかった。ただただ、クリスマスの行事が待ち遠しかった。 カトリックの学校では、「クリスマス・キャロル(歌)の練習」、「クリスマス・ウィッシング」の準備と練習、「クリスマス・セール」の準備、etc.
中学生以上になると、クリスマス前に「黙想会」があって、どこぞの神父さまがやって来て、聖書やキリストのこと、聖人や聖家族、各自の生活の在り方などについてのお話しがあって、そのあと、互いに言葉を交わさずに、各自で聖書を読んだり、学校の敷地内を物思いにふけりながら散策【黙想】したり・・・。 高校生になると、希望者がクリスマスの前日に黙想会に参加して、一晩「寄宿舎」にお泊まりして(通学生の私にはとっても魅力的な経験)、静かなお聖堂で本当の「クリスマス=キリストのミサ」に与った。 どういうわけか、私はこの静かなクリスマスがとっても好きで、卒業後に入った修道女会の学生寮でも毎年行われた黙想会とクリスマスに参加した。 社会人になっても、同じ職場の同期入社の友人や後輩も誘って”真夜中のミサ”に与った。 何もはっきりと理由があったわけでなく、なんとなく行かないといけないような気がしていた。 静かな時間を過ごす(祈る)ことがとても心地よかった。
この間、クラシック・ギターの先生から、スペインにいた時にクリスマスの頃に居たけれど、日本と違ってとっても静かだったと話していた。 キリスト教や教会についての知識がなかったので、何が何だか分からなかったので、とってももったいないことをしたとも・・・。
キリストがこの世につかわされたのは、私たちの≪罪≫を代わりに負って、「救い」へと導くためであること。旧約時代に、神がアブラハムと約束されたように・・・。決して、華々しくお祝いをするのではなく、ただ、それを神に感謝して祈り、自ら人間としての罪を思い廻らし、清い心に戻ってクリスマスを迎えたい・・・
そうそう、子どものころからプレゼント好きだった私は、みんなに喜んでもらえることを思いながら、今年はこんなクリスマスの準備の飾りをしました。 今も、お世話になった皆様に、プレゼントを何にしようかとあれこれ考え中★★★
バラの花の模様がいっぱいの大きなロウソクなんです。クリスマスに火を燈そうと話しています。どんな感じになるのか楽しみ