マリアヨハンナさんのブログ

♪昨日は 今日のために・・・今日は 明日のために・・・♪
♪人々の愛、出逢い、支え合い、未来の平和と幸福を願って♪

友人の突然の死を知って

2023年01月09日 | 人生

人の命が突然来ることは知っていたが・・・

2022年も多くの知り合いが亡くなった(帰天した)。

コロナ禍にあって、2020年5月から”🌸ふと思いたって”、教会に来られなくなった高齢信徒のお宅に、教会の資料や毎週のミサの「説教メモ」、司祭が出す「信徒の皆さんへの手紙」などをお届けしていた。

とても残念なことに、2022年中に3人の方が帰天された。しかも、本当に突然に・・・。

🌸ふと思い立って・・・というのは、

以前に見守りをしていた故下田喜昭さんが、旧田無教会時代(2000年閉鎖)から、長年教会から離れていらした方々のお宅に、毎週、主日ミサの「聖書と典礼」リーフレットや委員会のお知らせ、スケジュールなどを、一軒ずつ回ってポスティングや手渡しされていらした。ご希望のある方には神父様から託された「ご聖体」を持って奉仕をされていらした。

その方々の中には、再び教会へと足を運ばれる方もいらした。

また、家族に信徒がいない方や一人暮らしのの方の場合は、葬儀のお手伝いから納骨までをされていた。他にも、病気の種類が良くわからない方のためには、専門病院にまで自費で付き添われ、適切な診断をしてもらって、介護支援の手続きなどもされていた。高齢者施設を探して入れて差し上げたり、入院時はお見舞いにも行き、状況に応じては司法書士を探して「成年後見人」になっていただく手続きまでも補助されていた。

ご自身が身体が不自由になってきている時に、私にその役目を託したいということで、一緒に皆様のお宅を廻るようになった。

結局、ご自身の時までも頼みたいとのことであったので、ご夫妻にお子様がいらっしゃらなかったこと、また、自宅が我が家から徒歩50歩と近所でもあったのでお引き受けした。

「思い立った」のは、それまで、毎週伺っていた方以外にも、西東京市内の高齢の方々へもお届けすることにしたのである。当初は15軒ほど。市内の東西南北の端っこまで行くことになったが、コロナ太りが酷く運動不足を感じていたので、丁度いい運動にもなった。半年位で一部の方は、教会へ時々行かれるようになったので、お届けを免除していただいたが、皆様、それぞれ教会との繋がりを感じられたと喜んで下さっていた。

私は、教会活動中止となった後も、葬儀のオルガン(聖歌)奉仕、受付当番などに加え、下田さんがコロナ前に亡くなられたので、その、納骨などの準備や連絡で、度々教会へと足を運んでいた。新車購入のために祝福をしていただいたり・・・

毎週のミサの説教メモは、それまで通り出されていることを知って、これを皆さんにお届けしたらどうかなと・・・ご迷惑と思われる方もいるだろうか?とも思い迷ったが、祈り乍らポスティングをしていた。

その方々の中の3人が、2022年中に亡くなった。本当に突然。最後の方は12月24日の夜に倒れられたという。葬儀は28日行われた。勿論、葬儀にはオルガン、聖歌奉仕をさせて頂いた。

その他にも、50代で亡くなられた方は中学2年生の息子さんを残されて・・・帰天。

皆さんとの、教会での思い出を感じながら、考えながら新年を迎えた。

正月2日の日に、電話が入った、年賀状を受け取った友人のご主人からだったが、なんと、2020年の12月に友人が亡くなっていたのだ。66歳。朝6時半のラジオ体操に行き、介護ヘルパーの仕事に行き、息子さんが自宅に戻るのを送って駅に行った帰りに、道で倒れたとのこと。

友人の中では、一番身体が強そうだったのに・・・。その年の夏頃に電話で話したが、コロナ禍でも依頼を受けたら介護ヘルパーの仕事に行っているというので、無理をしないでねと切ったことを覚えている。

人の命は判らない。私の父も、国体にも出たことがあるマラソン選手だった。47歳の若さで亡くなった。

兎に角、皆さんのためにも祈ろう。

 

 


四旬節に入った

2021年02月24日 | 人生

 世の中は本当に色んな人がいる。立場が違うと見方も違うと頭で分かっても、ああ、ヤッパリ完璧はないのだと・・・。

 余命半年と言われた母。本人は自覚もなく、ひたすら与えられた命を一生懸命に生きようと、私達に迷惑をかけないようにと考えて、どうにかこうにか弱った脚のリハビリをして、すっかり固くなって落ちた筋肉を柔らかくして、歩行器を使って歩けるようになった。ボケないようにと、好きな短歌を詠み、日々行われるケアをノートに書き留め、窓から見える景色をスケッチして、痺れる手を少しでも忘れていられるように編み物をして・・・。すごいな~と感心する。

 でも、立場の違う看護師からは、こんなに元気なら「ホスピス」なんかに入る必要はないと思うらしい。母にしてみれば、不治の病になったのは青天の霹靂。苦しい戦争を体験した世代。少しでも皆さんの手を煩わせないようにと頑張ってるのは、病人ではないと見えるらしい。まだ、入院して2週間位の頃、しっかりしてる母をみて、「高齢者の癌はなかなか進まないので、案外長く生きるんですよね。お母さんも元気そうだから、他の施設に移ることも考えた方が良いですよ・・・。」と言われ、前の病院では、2ヵ月位で食べ物が食べられなくなって、栄養不足になり衰弱すると・・・」言われてきたので、先の見通しは2ヵ月後と思っていたので、早くも転院を促されてガッカリするやら、無神経な言い方だなと・・・。勿論、長く生きて欲しいのは当然だが、初めて大病(だと思う)を患った母を心配する家族にもう少し配慮して言い方を考えて欲しいなと・・・。

 会える時間が限られて、ただでさえ、コロナで面会時間15分なのだから、心が揺らぎあとどのくらいかなと不安でいっぱいなのに・・・

 ひと月したら、軽症で、ナースセンターから一番離れた部屋になり、担当看護師は、ちょっと愚痴めいた言い方で、他に重症患者がいて長い話には付き合えないなど・・・。まあ、そうだろうなとは思ったが、日々の母の様子に無関心で、声かけすらなくなってきたと母。

重症患者がいるから忙しいんじゃないかしらと伝えたが、どうもそれだけでなく、つっけんどんな対応しかしてもらえなくなり、他の看護師さんが明るく親切に話に付き合ってくれ、声かけしてくれるのに比べると、何の反応もないと。

当の看護師は、母が不満ばかり言って騒ぐというのだが。その場を見てない私はひたすら「ご迷惑をお掛けします。宜しくお願いします。」と言う以外なのも出来ない。

母にそれとなく様子を探るように「困ったことはない?」と尋ねると「看護師さんたちがとても良くしてくれるから大丈夫」という。

 真偽の程がわからない。ある夜、突然、看護師から電話で、「母が、朝から騒音がすると騒いで夜勤の看護師を怒鳴りつけた。また、自分に何か不満があるらしく、話をしてくれないが理由がわからない。最後には、あなたが問題だから、他の重症のかたをみてあげて私のことは一切していただかなくて結構ですと」困っていると言う。

 たしかに、筋が通らないことや、自分に嫌なことをされたら、ハッキリ言う母だが、いきなり怒鳴りつけたりする事はないはず。

心配なので、母に「元気?」かを電話したら、どうやら一連の母に対する言動や無視する態度に嫌気がさし、思わず言ってしまったらしい。

母は人一倍思い入れが強いひとで、自分のことを身近で支える人には、思いを込めて頼り、更に、アレコレ出来る範囲で感謝の気持ちを表す。今回は、毛糸の帽子やレース編みセンターを一生懸命編んで差し上げ、この担当看護師には、特に多くあげたようだとわかった。

 それにしても、上手に言葉かけやあしらうことが出来ない方のようだ。更に、高齢者特有の性格を読めないらしく、ちょっと気に食わないと家族にも患者には問題があるとして、自分を正当化する方のようだ。

 しばらくして面会にいくと、ナースセンターで「お世話になります。ありがとうございます」といつものように声かけたら、その看護師だけ下を向いたまま、目も合わせず微動だにせず知らん振りで何も言わない。以前は、いち早く出てきて応対してたので、母との摩擦は家族にも波及するらしい。最初はたまたまかなと思ったが、毎回となると敢えてそのようにしてるのだとわかる。

それまで、最高のケアをしてもらえる素晴らしい病院とおもったが、この看護師の態度でスッカリ下がった!

もっとも、他の看護師さんはそれまでと変わらないので、やはり、この方の問題なんだと。

また、悲しいことにカトリック信者さん。兎に角、彼女と母の為に祈ろう!

 


2021年元旦

2021年01月26日 | 人生

富士山の裾野にある御殿場市神山からの写真

実家の母がお世話になっている病院。看護師さんも職員さんもとても温かく、細かいところまでケアが行き届いている。こんな良い病院他に見たことが無い。入院出来て幸せ。感謝でいっぱい。

昨年10月にそれまで大きな病気をしたこともなく、元気に暮らしていた母(92歳)が倒れた。地元のサークルにも積極的に参加して、好きなことをあれこれとチャレンジしていたので安心していたら、大きな病気が見つかった。

一時は、今日か明日か、1週間もたないだろうと言われていたが、今はかなり元気に、毎日短歌を詠み、スケッチをし、編み物をしてくらしている。

ただ、病気は治らないので、静かにその時を待つしかない。頭もはっきりしているので、できるだけ気持ちよく過ごしてもらえるようにと、実家にいる時は毎日面会に行き、差し入れをしている。

コロナ禍で、外出自粛と言われているが、東京の自宅も高齢の義母を主人が一人で見ていて放っておけないし・・・。新幹線で毎週行ったり来たり。都内の電車は、人が少ない時間を選んで乗車しているが、結構いるので気になりながら、消毒を度々しながら乗っている。新幹線は、1車両に10人足らず。ゆったりと自由席に1列独占して座って行ける。多くのボランティア活動が延期や停止、中止になっているので、じっくりと過ごせる。テレワークじゃないけれど、広報紙の編集(ボランティア)などの作業は、パソコンを運んでどこでもできるから支障はない。

今まで、何人もの高齢の方の見守りや最後の看取りまでのお手伝いをして得た知識が、本当に役に立つ。「情けは人のためならず」というけれど、母のことであまり焦らずに、先読みができる。知人の神父様、修道女、信徒、友人知人の多くの方々が、母の為にお祈り下さっていることにも感謝。

神様にも感謝。


Bach "H-Moll-Messe" -- Karl Richter -- Janowitz -- Töpper -- Laubenthal -- Prey 1969

2019年12月29日 | 人生

Bach "H-Moll-Messe" -- Karl Richter -- Janowitz -- Töpper -- Laubenthal -- Prey 1969

合唱団の演奏会が終わり、次の曲の練習に入りました。

バッハ作曲「ロ短調ミサ」

初めての曲です。とても有名で難しい曲だということは耳にしています。

この曲を歌う前に、女声全員の声を聴いてパート分けをし直すとのこと。

私個人としては、アレルギー性鼻炎の影響で高音が出にくくなっています。発声はソプラノに近いので、高音域のパートになると困るなと内心思っています。低音なら、テナーの音域まででますけど。


どんな生き方をしたいか?

2018年04月01日 | 人生

いつも考えていることです。

大好きだった父が47歳と若くして他界。 それ以来、父の生き方を振り返り、母をどのように支えていくかを考えて40年余り。

そして、先に亡くなった親しい人たちの生き方や考え方を思い起こし、出来るだけ良いと思える部分を学びとしてきました。

父が亡くなった時には、落胆しかなく、自分の人生が呪われているのかと思いましたが、今、還暦を過ぎてみると、全ての悲しみは喜びにつながっていると思えます。 多くの人の悲しみを気遣えるし、支えることが出来ます。 苦しみや悲しみを知っているからこそ、他の方のためにも祈り、心を分かち合えます。

今、教会の高齢信徒6人の方の見守りをさせて頂いています。

今までに、2名の帰天をされた方の見守りや葬儀~埋葬までもさせて頂きました。 高齢者施設もいくつか訪問して、知らなかったことが沢山あることに気づかされました。 また、実家の母や同居の義母のためにも役に立つ情報となりました。 得た知識は、今の見守りをしている方達にも役になっています。 さらに、新しいことを知るにつけ、見守りをしているということは、自分自身も(神様から)見守られていることを実感します。

自分の境遇や思うようにいかない身体の不調を嘆き悲しむことはたやすいことです。 しかし、自分が一体何を望んで今まで生きてきたのかを思い返してみると、今ある自分は、実は、自分が臨んだ(招いた)ものだったのかもしれないと思うようになりました。

「こうあるべきだ」とか、「あらねばならない」というような自分も他人も狭い世界に縛ってしまわないで、今あるがままを感謝し、”あったこと”を”なかったこと”よりも意味のあることだと思い、自然体で受け止めるようにしたいと思います。

人は全て同じ(考え方、生き方)ではないのです。

得意なこともあれば、不得手なこともある。

ある人にとって正しいことが、他の人にとっては正しくないこともある。

ただ、お互いに場を見ながら協力して現在をより良いものにする努力を惜しまないことも大切です。

人は一人では生きていけません。誰かに助けてもらって今の自分があります。勿 論、誰かを助けていることもありますね。 その助けてくれた誰かは、もしかすると傍にいなかったかもしれないと思ったら《感謝》する・・・ですよね。