Pescador de hombres | Música Católica
大好きな聖歌の一つです。
日本語では、「主は 水辺に立ちて」という題で、いくつかの訳詞でカトリック教会でよく歌われています。
Pescador de hombres | Música Católica
大好きな聖歌の一つです。
日本語では、「主は 水辺に立ちて」という題で、いくつかの訳詞でカトリック教会でよく歌われています。
今日は、葬儀のオルガン・聖歌隊奉仕をしました。帰天されたのは97歳の先輩信者さんでした。
葬儀の奉仕は、いままでで200件は軽く超えていると思います。 30代で、ミサのオルガン伴奏(演奏)を引き受けるようになって、年間平均6回程度。多い年は10件にもなりますし、以前は、通夜が必ずあることが通例でしたので、週に2回あると、主日ミサの聖歌隊やオルガン奉仕と合わせると、週5日も教会に赴くことになりました。 季節的に多く重なると、かなり疲労困憊。 そんなことが2週間も続いたりして、我が家の家事や所属団体の打合せ、習い事も半分、或いは、完全キャンセルすることが多いので、犠牲にしたことはかなりの負担になります。 ただの奉仕だけでは済まなくなります。 正直、負担だなと感じることもあります。
参列をすると、それぞれの帰天された方の人生の在り方、ご家族の関係などを深く知ると、いろんなことを考えさせられます。 良いお手本になる人生もあれば、こんな風には出来なかったのかなと悲しく思うことも。 人が死ぬ時には、全てが明らかにされてしまいます。
ところで、見守りしている超高齢の方の状態を、まさに実の親と同じように詳細まで知ると、体力の極度の低下とともに、知力や気力の低下、そして、精神的に大きな不安を感じているのがわかります。 「もしかしたら、自分のことを看てもらえなくなるのではないか?」、「もしかしたら、周りの皆がつながって画策し、自分を何処か判らない所にやってしまうのではないか?」、「身の回りの物がしばしば見当たらなくなる。誰かが隠すのではないか?」etc.
今日の葬儀の福音を聞いて、「そうだ、これが一番必要な事なんだ!」と感じたのです。 人生の本当に最後になって出来ること。
今度お見舞いに伺ったら、是非ともこれを伝えようと思います。
心を騒がせるな 聖書箇所 ヨハネ14章
心のともしび「マザー・テレサにきく」
マザーテレサの言葉を聞いていると、もっともっと心広く働かなければと思います。
日々、高齢の方の見守りをさせて頂いていますが、家族がいなくなった方、いてもあまり気を付けて見守って貰えてない方々の心情や、齢と共に衰える姿を目の当たりにして、段々と自分自身への引きこもりや、周辺の人々への懐疑的被害妄想に取りつかれていく心の動きにどのように上手に応えられるかなどと迷います。
私に出来ることと言ったら、ただただお話を聞き。ちょっと違っているんじゃないのかなと思いながら、「大丈夫だから、安心して周りを信じてください」と伝えるだけ。
生涯をかけて働かれたマザーのようにはいかないけれど、勇気づけられます。