マリアヨハンナさんのブログ

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人生の終わりに近づいたら…

2019年09月18日 | 信仰と祈り

 今日は、葬儀のオルガン・聖歌隊奉仕をしました。帰天されたのは97歳の先輩信者さんでした。 

 葬儀の奉仕は、いままでで200件は軽く超えていると思います。 30代で、ミサのオルガン伴奏(演奏)を引き受けるようになって、年間平均6回程度。多い年は10件にもなりますし、以前は、通夜が必ずあることが通例でしたので、週に2回あると、主日ミサの聖歌隊やオルガン奉仕と合わせると、週5日も教会に赴くことになりました。 季節的に多く重なると、かなり疲労困憊。 そんなことが2週間も続いたりして、我が家の家事や所属団体の打合せ、習い事も半分、或いは、完全キャンセルすることが多いので、犠牲にしたことはかなりの負担になります。 ただの奉仕だけでは済まなくなります。 正直、負担だなと感じることもあります。

 参列をすると、それぞれの帰天された方の人生の在り方、ご家族の関係などを深く知ると、いろんなことを考えさせられます。 良いお手本になる人生もあれば、こんな風には出来なかったのかなと悲しく思うことも。 人が死ぬ時には、全てが明らかにされてしまいます。

 ところで、見守りしている超高齢の方の状態を、まさに実の親と同じように詳細まで知ると、体力の極度の低下とともに、知力や気力の低下、そして、精神的に大きな不安を感じているのがわかります。 「もしかしたら、自分のことを看てもらえなくなるのではないか?」、「もしかしたら、周りの皆がつながって画策し、自分を何処か判らない所にやってしまうのではないか?」、「身の回りの物がしばしば見当たらなくなる。誰かが隠すのではないか?」etc.

 今日の葬儀の福音を聞いて、「そうだ、これが一番必要な事なんだ!」と感じたのです。 人生の本当に最後になって出来ること。

 今度お見舞いに伺ったら、是非ともこれを伝えようと思います。


心を騒がせるな  聖書箇所 ヨハネ14章

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」。
 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」。イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」。フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」。
 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」。
 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう」。

心のともしび「マザー・テレサにきく」

2019年09月10日 | 信仰と祈り

心のともしび「マザー・テレサにきく」

 マザーテレサの言葉を聞いていると、もっともっと心広く働かなければと思います。

 日々、高齢の方の見守りをさせて頂いていますが、家族がいなくなった方、いてもあまり気を付けて見守って貰えてない方々の心情や、齢と共に衰える姿を目の当たりにして、段々と自分自身への引きこもりや、周辺の人々への懐疑的被害妄想に取りつかれていく心の動きにどのように上手に応えられるかなどと迷います。

 私に出来ることと言ったら、ただただお話を聞き。ちょっと違っているんじゃないのかなと思いながら、「大丈夫だから、安心して周りを信じてください」と伝えるだけ。

 生涯をかけて働かれたマザーのようにはいかないけれど、勇気づけられます。