Pope Francis Holy Mass of the Christmas Vigil 2017-12-24
バチカンの《主の降誕》夜半ミサ
ラテン語の歌(グレゴリアン)は全世界共通です。
いつも思うのですが、各国で母国語での典礼が行われることはとても分かりやすくて良いと思うのですが、長い歴史を持っているカトリック教会の中で、母国語だけの典礼音楽だけしか選曲していないのは、どこか物足りない気がします。 わからない言葉だからこそ学ぶ意味がありますし、学ぶことによって改めて言葉の意味を確認し、信仰や祈る心を新たにすることができます。 私の所属する教会では、主なる典礼曲は日本語ですが、時々(祝祭日、葬祭)、ラテン語の曲を全体で選曲しています。 知らない言葉であっても何回も歌うことによって次第に覚えていきますし、言葉に興味も持ちます。
私自身、訳もわからずに小学生のころからラテン語のミサ曲をグレゴリオ聖歌で覚えて歌って来たのですけれど、大人になって(合唱団に所属して)初めて一つ一つの言葉の意味を考えたり、発音を確認したりする度に、最初から信仰を振り返って祈ろうという気になります。
「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」(カトリック中央協議会)の中にも
”41 グレゴリオ聖歌はローマ典礼に固有な歌として、他に同等のものがあれば首位を占めるべきである。他の種類の教会音楽、とくに多声音楽は、典礼行為の精神に合致し、信者全体の参加を促すものであるかぎり、決して排除されない。”とあります。
以前に聞いたことがあるのですが、日本語の典礼音楽が普及し始めた時に、それ以外の古い聖歌集の曲やラテン語の曲を排除しようとする運動があったそうです。 確かに昔のカトリック聖歌集の言葉は文語体で、意味が分からない言葉もあります。 またグレゴリアンは、更に言葉が判らないかもしれません。 しかし、それも長い歴史の現れなのだと思います。判りにくいからということで排除するのではなく、全てをそのまま受け止めることも重要な事のように思います。 また、新しい日本語の聖歌集の歌を普及させて、より身近なものとしていくことも同じく大切なことだと思います。しかし、どちらも安易に排除してはいけないと思います。
前にも書いた通り、知らないからこそ「最初から信仰を振り返って祈ろうという気になります」。それは、「ゆるしの秘跡」を頂くときに各自が”回心する”ことに似ていると思います。なんども、心の中で思いめぐらし、神への信仰を確認する作業の一助になると思います。
ところで、最近、聖歌隊がない教会が増えてきていると聞きます。原因は様々だと思いますが、指導者の個性が信徒全体に受け入れられなかったということもあるようです。 音楽大学で典礼音楽を専門にされた方の中には、非常に強い意見をお持ちで、何人かが集まるとお互いにぶつかり合うということがあるらしいです。とても残念なことだと思います。
私の所属する教会では、強い個性で音楽を引っ張ろうとする方は、以前は、聖歌隊の全体の雰囲気を崩すと判断されると、ご遠慮いただくようにしてきたと聞きます。 少なくとも、現状では、長い間にお互いに学び合って来た人同士が助け合って、それぞれが音大や大きな合唱団で学んだことを話し合い、知識や情報を互いに伝えあって練習しています。 残念ながら、声楽出身者も少なからずいらっしゃるのですが、皆様、専門分野でお仕事をされているため、あまりお手伝いいただけないことが多いのです。
このバチカンのミサは、いろんな意味で勉強になります。映像で見ることによって聖堂内部の様子も知ることが出来ます。 個人的には、聖歌隊席に固定譜面台が欲しいと思っています。楽譜(聖歌集)を持っていると指揮者に集中できず(下を向いて見てない方が多い)に、あまり合わせていただけないことが多いのです。