Adoro Te Devote - Catholic Hymns, Gregorian Chant
明日のミサで歌います。
Adoro Te Devote - Catholic Hymns, Gregorian Chant
明日のミサで歌います。
私が関わっているボランティアグループの主催の講演会です。
違った視点から、日本を見るのも良いかもしれませんね。
我が家の庭にもやっと花が・・・
ガーデンシクラメン。昨年夏から葉が茂って秋一番に咲き始め、そのあとず~っと細々に咲いて。
クリスマスローズ。毎年、何も世話しなくても咲いてくれるのでうれしい花です。
先週仕入れてきた花たち。
北玄関なので日陰でも頑張ってくれる花を選びました。 花というよりも葉の色で楽しむ感じです。 初めて見たものもあって・・・。
出来合いのミニ・ガーデニング2鉢
花と見ているとホッとします。 なんだか一緒に生かされているような気がします。 庭では枝に鳥がエサを探しにやってきます。
http://www.e-pov.or.jp/ クリスト・ロア宣教修道女会 HP
今年は、3月1日(水)の《灰の水曜日》から四旬節にはいりました。
私は、残念ながら20年ぶりにインフルエンザに罹ってしまい。家で高熱と体中関節と筋肉の痛みで布団の中でした。オルガンのお当番でしたが、前々日にこれはどうもただの風邪ではないと判断して、急きょオルガンの方達にご都合聞いて交代していただきました。 灰の式受けないのは久しぶりです。
今回は、オルガンのほかに、担当だった西東京市多文化共生センターの「くらしの情報」作成のカット入り版編集も出来ませんでした。いつもなら、随分前から用意しておくのですけれど。 お世話をして下さる方が、やはりインフルエンザで病院で偶然会って、もう一人の方と交代してもらったらとアドヴァイス。当初は、お仕事がお忙しいとのことでお断り受けたのですが、その間に直接私が交代の依頼メールをスマホで布団の中からお願いメールしたら、快く引き受けてくださり、たった1日(一晩)で素敵な編集になっていました。
1週間前に親しい高齢婦人が怪我をされ骨折したのをお見舞い、手術をするのでご本人のご希望もあって「病者の秘跡」を主任神父様にお願いし付き添い等々で、ご主人を亡くされたばかりだったこともあって、お気の毒で何とか今後良い方向に向かわないかと祈りつつ、お話相手と相談に4回病院に伺いました。 インフルはどうやらそこでもらった可能性が高いのです。実は、慌てて出かけたのでマスクを忘れたり、帰宅後の手洗い、うがい消毒をすっかりしなかったのです。
20年も罹らなかったのだからという甘い思いもあったかも。ちょっと寒かったのだけれど無理しちゃいました。 ただ、驚いたのは「タミフル」という最近有名な抗ウィルス薬の威力。ただひたすら寝て、お水呑んで、食事はほとんど喉を通らなかったけれども、2日後にはかなり症状が緩和。 医学の進歩にただ脱帽。
で、この寝ている間が良かったのは、色々なことを祈り、回心する機会に恵まれたこと。
教会の人たちのこと。共同体の運営のこと。それぞれの信仰の在り方の違い。・・・etc.
あと、家族に感謝。
主人が食事の事、買い物の事を気にして早く買って帰ってくれたり、88歳の主人の母がお惣菜や飲み込みやすいプリンや洋菓子などをまとめて買ってきてくれたこと。あまり食欲無くても食べれるものだったので、食事代わりに口に運んでました。 遠方の息子はメールに気づいてくれなかったのか、ほとんど治ったころに返事が来て「おばあちゃんにうつさないように」と一言。薬剤師らしいアドヴァイスがあるのかと期待して損しちゃった。 猫は、なんだか様子が判るらしくって、顔を覗き込んでとっても大人しくしてくれてました。もっとも。ごろっとソファで寝てたら、さらに上に乗っかってお腹の上で寝てました。でも、暖かかったので感謝。🐈フフフ…
な~んと! 三日後に主人がうつってしまいました。二人でゲッソリ。
(3月11日追記)
コンサートのご紹介をしたのに、私は、親しくしている隣家へ弔問に行くことになり伺えませんでした。楽しみにしていたので残念。お知らせを見て行ってくださった知り合いの皆さんごめんなさい。🙇
今日は、午前中に教会の生花当番を初めてするという方の補助に行きました。
前の週に「初めて当番がくるのですけれど、どうしたらいいのですか?」」と尋ねられたのでお手伝いを請け合いました。お花を活けたことも、フラワーアレンジをしたこともないというので、お花の下処理や生け方(日本風)の基本をお知らせして、ご本人にに活けていただきました。とても、素晴らしい感じに活けられました。
奉仕なので、どんな方でも参加して下さると嬉しいです。 お教えするのはいくらでもしますし・・・。 そうやって、今までの教会生花当番は始められ、続けてこられたと古い方から伺っています。 最近、そんな経緯を知らない方々が方式を皆で相談することなく、声も聴かずに変えてしまわれました。 新しい方のフォローも考えてらっしゃらず、当番日だけを振り分けて・・・。 教会の共同体は皆で知恵を出し合って、より良い方向にいくように確認しながらやっていくものではないのかなと思っています。 その意味で、一部の知識のない方が機械的に会社の事務分担のようにされることに疑問を持っています。 ”責任者”というのは決めずに、当番日の割り当てをする「世話人」と「会計」の係だけを持ち回りで相談して決めてやってきました。 それが、6年前にその両方を担当した方が、いつの間にか「責任者」になって、今まで毎年顔合わせをして意見交換をしていたのに、何も声掛けをしないままに勝手に運営方法を変えて決めてしまわれたのです。 事後報告だけを受けて質問には曖昧にしか答えてくださらなかったり。。。 みんなで一緒に奉仕を足並みそろえてやってきた連帯感が全く無くなりました。
古くからの奉仕当番の方は、皆さま疑問に思われて、昨年、やっと6年ぶりに話し合いがもたれました。しかし、平等なはずの信徒同士に上下関係(委員と一般信徒)が生まれていて、新たな提案は上部(委員)が決めるので信徒同士の話し合いで決めたことは一切受けませんというのです。 余程におかしな提案をしているのならわかりますが普通の話し合いをして提案されたことを受け付けてもらえない関係の教会委員会は無意味だなと思いました。 権力を握った少数の人のための教会になりつつあることに憂慮しています。 段々と小さな共同体になりつつあります。折角、開かれた教会共同体を目指していたのに、ひとつづつ奉仕のグループが無くなっています。 高齢化も関係があります。 しかし、ほかのグループの中でも同じような疑問が持たれています。 ただ、皆さん、ただでさえやっとの思いで奉仕を助け合ってやっているので、余計なエネルギーを使って揉めることを極力避けて、強い一方的に提示された方針に黙って従う方法を選んでいます。
何とかしたいけど何もできない歯がゆさ。 意見を相手の立場で聞いてもらう余裕のない委員の皆さん。これからどうなっていくのでしょうか?
奉仕に虚しさを感じ始めているのは私だけではないです。