自律訓練法
20代の頃にこれと同じような訓練法をしたことがあります。 1か月くらい毎日やりました。
その頃、仕事先の人間関係に疲れていました。 一緒に仕事をしていた方がとっても癖のある性格の方であったことが後で分かりましたけど。 (周りにいる他の方が客観的に見ていて教えてくれました。) 強気な姿勢で、人の弱さ(優しさや臆した心)に付け込んでくる方でした。 自分が絶対に正しくって、私(あなた)が「問題がある人間なんだ」と言って、仕事の間違いを探しては周りに聞こえるような大声で騒ぎたてました。
毎日、会社の建物が見えると胃が痛くなって、仕事場に行くのが嫌になって、胸が苦しくなりました。 休むことも多くなりました。 家に帰っても、どうしたらよいのか判らなくなって悩んでいました。 幸い、友人たちはとても良く理解してくれて、私を力づけてくれました。話も聞いてくれました。
そのうち・・・・・天の助けか!👼
学生時代にお世話になった学生寮の修道院のシスターに電話で話していたら、姪御さんが心理学の研究者だからと母校の大学研究室にいるので、相談してみるようにと言われました。
そこから、数か月間、四ツ谷にある母校のカウンセリングルームに通いました。
その時にしたのが、この自律訓練法でした。 驚くほどリラクゼーションの方法が身に着き、冷たかった身体がポカポカするようになって、ちょっとやそっとの事では迷ったり悩んだりしなくなりました。 同時に「心理学」の本をやたらに探しては読むようになりました。 仕事が暇だったんです。 暇だったから、そんな嫌な目にあったのかもしれません。 お気楽で、楽しそうにしている私が面白くなかったのかもね。
同時に使用していた機械がありました。 リラックスすると手を置いていた機械の電子音が徐々に小さくなって鳴りやんでいくんです。 なんでも、「うそ発見器」の原理と同じで、発汗作用が上がる=興奮している状態だそうです。
段々と気づいたのは、《”祈りを唱えている時”はリラックスできるということ》。
それから、子どもの頃からいつも唱えていた「主の祈り(昔の主梼文)」と「アヴェマリア(天使祝詞)」の祈りを唱えるとどんどん落ち着くので1日中心が痛むことがあると祈るようになったんです。 そこから、毎週、恩師の開催する「聖書研究会」に、同じ仕事場の後輩を誘って通うようになりました。 どんな時でも、苦しいことや悲しいことがあっても、神様だけは助けて見守って下さると実感できたんです。 そして、心や頭に浮かぶ言葉は、子どもの頃から習った「聖書」の言葉だったのです。 やっぱり、私はこの生き方しかないと悟りました。