マリアヨハンナさんのブログ

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下田喜昭様 令和2年1月21日帰天

2020年01月29日 | 信仰と祈り

 教会の先輩であり、キリスト教信仰者としての在り方について多くを学ばせて頂いた仲間・兄弟が帰天しました。

 高齢になって、ご夫妻とも身体に多くの支障が出来て、このままではどちらかが重い病気になったら共倒れになってしまうことを懸念し、また、それまでに見守りをした天国へと送ってきた信徒の方々の様子を見て、色々なことを感じて決断。 自宅を処分して高齢者施設への入居をすることにしました。

きっかけは、ご自身の脚の入院時に奥様が倒れて、自力で生活できないことが分かった為でした。

 前のブログにも書いた、見守りをしていた方ですが、ご本人も多くの方を見守りし、教会から足が遠のいた方へ少しでも戻れるきっかけになればという思いから、1軒ずつ回ってお声掛けし、聖体奉仕をしていました。 ご自身も洗礼を受けた二十歳のころから、病気の再発や仕事などの理由で暫く教会を離れていたのが、ご自分を支えて下さった人達が教会の人であったこと、また、戻れるきっかけも彼らの声掛けがあったからだったので、支えに感謝する意味も含めて、資料や広報紙を皆様のお宅にポスティングしていました。

 教会の人の中には、自宅まで押しかけられて迷惑と感じた方もいれば、すっかり教会から忘れ去られていたのに、届けて声を掛けて下さったことに嬉しいと思う方もいました。

 私はというと、聖歌隊の仲間の方で、大きな宗教曲を歌う合唱団にいたのだけれど、高齢になって辞めたからというので、地元のママさんコーラスに誘って15年ほど活動していた婦人が、難病で不自由になったので送迎やお見舞いをしていたところで彼に出会ったのです。 なんだか足がお悪いのに、肺にも支障があって酸素を吸っているのに、良くこんな遠くまで皆さんの所に行かれて「すごいなぁ」と言うのが感想でした。

 彼の家が自宅から50歩ほどの近さということもあり、そこから、一緒にお見舞いやら、他の見守りをしている方の所に行く送迎の手伝いをしていました。15年以上も前のことになります。

 彼に誘われるままに、あちらのお宅、こちらの病院へと伺いました。 そして、先の婦人を含めて何人かの方のお見送りもしました。 彼と一緒に葬儀の相談や準備もして・・・。 色々なケースがありました。 お子様がいらっしゃらない方、家族に信徒がいない方。 親子の関係が良くなくて葬儀はしないという方。

 当時、教会には福祉部という奉仕グループがあって、地域別に教会から離れている高齢者を尋ねて、聖体奉仕などや資料のポスティングをする活動が始まりました。 しかし、中には家族の理解が得られず、一切合わせてもらえなかったり、聖体奉仕に来ないで欲しいというお宅もあったりで、部員の方からはうまく行かないという声も聴かれました。

 一般的な話ですが、洗礼を受けてから、諸々の理由から暫くすると教会には足を運ばなくなるという人が少なからずいます。

 ◎体調を崩した

 ◎家族の理解が得られなくなった

 ◎家族の世話で忙しくなった

 ◎仕事が忙しくて余裕がなくなった

 ◎信徒の中に入って行けなくなった

 ◎主任司祭・共同体と考えが合わなくなった

 ◎年齢と共に衰えて教会までが遠く感じるようになった

 ◎雰囲気が自分の求める感じと違うから    等々

 

 何が良くて何が良くないなんて言えませんけれど、全てが神様から与えられた試練かなと思います。その試練をどのように乗り越えるかは、自分自身なのかなと感じます。

それでも、何かの糸口を求めて、信徒同士の宣教をしなくてはいけないと彼は考えて行動をしたのだと思います。

 彼とよく話したのは、

”人を批判するのは簡単です。でも、本当にその人(達)に問題があったから良くなかったのでしょうか? 自分自身には何も問題は無かったのでしょうか? 他の人を批判できるだけの確固たるものが本当に自分の中にあったのでしょうか? 案外、自分自身のことを棚に上げて他人ごとの様に自身の希望や期待を相手に求めているのではないか?”とか。

 お見舞いに老人ホームへと行く1時間半の道すがら、いろんな議論をしました。 ベテランの議員だった彼が、私の様に娘くらいの話を良く聞いてくれました。 感謝。


高齢者の見守り ~完璧な終活~

2020年01月24日 | 信仰と祈り

 見守りをしていた教会の高齢信徒の方「Sさん」が帰天された。90歳。

 一昨年の奥様(88歳)の帰天から1年半、長年の持病のせいもあってか、やっとの思いで体調を崩しながらも奥様を支えて天国へ送り出し、納骨も済ませたその後。

「私のやるべきことは全て終わりました。 何も目的がなくなりましたから、早くお迎えが来て欲しい。」

ただ、それだけを願って、1年半の間【引きこもり状態】になり、サービス付き高齢者住宅の自立棟から、奥様が最後の数か月いた介護棟に移り、3食を自室に運んでもらい、入浴介助をしてもらい、訪問医療(内科、歯科)を受けて、訪れる数人の親族と懇意にしていた知人、教会からは私とたまにつれていった別の知人信徒に会うだけ。

 見守りをしながら、色々なことを考えさせられた。

 半年くらい前から発症した「認知症」。その進み方の早いこと!! あれだけしっかりとされていた方なのに、此処までおかしくなってしまうのか!!

 

 5年半前に、自宅を処分して、教会にほど近いところに出来た「サ高住有料老人ホーム」に転居。

完璧な「終活スケジュールを立ててすべて実行」。

そして、すべてが多少のずれはあるものの「計画通りに」進んで終わりました。

 

 自宅処分を決め ⇒ 自立型有料老人ホーム(介護棟付き)を探し ⇒ 転居

同時に、

 遺言書を公証役場で作成*後見人事前契約を司法書士と結び ⇒ ご夫婦どちらが先に逝ってもいいようにされる。 ⇒ ご自身たちの体調の低下に伴って、財産管理契約、後見人契約 等をすすめる。

それには、それを見守る人は不可欠

 実は、10年以上前から、このご主人と一緒に教会の家族のいらっしゃらない高齢者を見守る役目をしていました。 それも、偶然のことから一緒にするように。

 ある一人暮らしの高齢婦人「Uさん」が自宅団地の階段から転倒し、教会に自力で来られなくなりました。 彼は、福祉部という奉仕グループに属していたので、お宅に訪問してご希望に沿って「ご聖体奉仕」をしていました。 私は、この婦人と地元のママさんコーラスに一緒に入っていて、自力では練習に来れないことから、車で送迎をするようになっていました。 もともと、同じ聖歌隊のメンバーでもあったので、私がママさんコーラスに誘ったのです。 次第に杖での歩行も困難を極め、車椅子で送迎していたものの、とうとう、部屋から階段5段くらいを降りさせて車椅子に移動させることが難しくなりました。 本当に申し訳なかったのですが、コーラスの練習には、責任をもって送迎できないと伝えて諦めて頂きました。 それで、月1回程度様子を見に行くことにしました。

 そこで、先のご主人と何回も出会うことになりました。

(つづきは次回)