去年の秋に突然倒れた母。
一時は、もうお別れかなと覚悟を決めて、コロナ禍で面会制限~面会禁止となり、最初に入院した病院で余後半年から1年と言われたので、色々と知る限りのことを医者や相談員に聞き、相談し、更に治療や投薬の事など尋ねる形で提案した。
本当は、対応に不満があり、先の見通しも、高齢者だから諦めてと言わんばかりに、手術など以外に手を尽くすことを考えないのかしらと、疑いも・・・。
プライドの高い人ほど、頭ごなしにアレコレたたみかけて揚げ足とったら、そっぽを向かれるだけだろうと、やんわり持ち上げるように、此方は、下手で話を進めた。
あとは祈るのみ。
当てにならない処置に、家族で出来る限り母にアドバイスし、栄養補給の飲料や食べ物などを差し入れて、毎日病院に通った。
面会禁止のときは、携帯電話で話し合い。つくづく、携帯を使えるようにしておいて良かったと思った。
多くの友人知人が、本当に良く祈って下さったお陰で、母の病状は良くなり、好きな編み物をし、短歌を詠み、花を生け、スケッチをし、とうとう、カメラを持って写真までとるようになった。昔ながらのフィルム・カメラだけど。
私達はと言うと、転院した病院が自然に囲まれた美しい所で、医者や看護師のケアが抜群によくて、安心して母を任せられ、面会の途上に見える富士山、箱根や伊豆連山の美しさに心が穏やかになった。
早くも3ヵ月半、ホスピスに居るには長くなったので、お約束の半年で暫く退院を考えなくてはならない。母は、とても気に入っているので残念だが。
私も、毎回、病院の玄関前の復活のキリスト像と聖マリア像に祈り、会えることを楽しみにしていたのだが・・・。
全て神様にお任せしよう。