マリアヨハンナさんのブログ

♪昨日は 今日のために・・・今日は 明日のために・・・♪
♪人々の愛、出逢い、支え合い、未来の平和と幸福を願って♪

カトリック 2022年度C年選曲作業資料

2021年12月01日 | 信仰と祈り

過去の選曲のお薦め案と所属教会の実際の選曲の資料をまとめてみました。

私の所属教会では、「カトリック聖歌集」、「典礼聖歌」、「カトリック典礼聖歌集」のほかに、ラテン語の名曲、新曲、子どものための曲など、出来うる限り広い範囲から選曲をしています。

選曲に迷っている教会の方々の助けになればと思います。

2022年C年選曲作業資料.pdf

 

Google Docs

 

 


神様のやさしさとお恵みを感じて

2021年09月04日 | 信仰と祈り

 神山復生病院(御殿場)の敷地に咲くササユリ・8月

 

本当に思わぬお恵みがありました。

ホスピスに入院している母は、思いのほか体調が良くなり、余命半年といわれていたのがうそのよう。しかし、病院の規定では、体調が改善した場合は一旦退院し、月1回の面談診療を受けることのなっていました。

しかし、退院と言われても、普通食を食べられない(おかゆ様の特別食だけ)上、脚が弱って外を歩けない母一人を自宅に連れて帰るわけにもいかず、自宅が県外の私達子どもが同居して世話するのも難しく、近所に高齢者施設を探すことになりました。

ところが、コロナ禍で施設の見学も面談もできない状態。あちこち探しても条件の合うところはなかなか見つからず、見つかっても家族が県外の人は即時断れてしまいました。

自宅でのヘルパーとか訪問看護なども考えましたが、一人でいる時間が多くなるうえ、段差だらけの築60年近い家にいて、万一転倒して骨折したらと思うと、それも無理だなと。

さんざん問い合わせ、ネットで探し、家族で相談し困り果てて、毎日、ただひたすら祈る日々。病院の玄関前のキリスト像とルルドの前で面会や差し入れに行く度に手を合わせて・・・

ところが、思わぬ提案が病院からありました。

”このまま病院にいてもいいですよ”と。病院長が代わったために対応が変更されたと。

 神に感謝。

ゴールデンウィークから、東京の新型コロナ蔓延防止条例発令から、県外からの面会者は面会禁止となった。

面会に代わって、差し入れをする日々。しかし、病室は1階の庭に面しているため、庭を囲む植木柵越しに母を見ながら携帯で話すことができます。

母は、大好きな編み物をして、手のしびれを忘れるようにしたり、時々、長年の華道教授だったので所狭しと植えられた庭からお花を切って差し入れると自分の病室だけでなく、病院ラウンジのテーブルにも飾ったり。短歌を詠み、スケッチをし・・・

40年以上、地元の高齢者施設のボランティアで、生け花やちぎり絵を教えてきた母に、神様からの大きなプレゼントだわと思っています。

病院から、かなり元気にはなったけれど、そう先は長くないと思われるから、外出したり外泊してもいいですよと言われて喜んでいましたが、再び緊急事態宣言が出て、面会禁止に。残念。

まだまだ、長生きして、自宅に時々連れて帰れるようになるといいなと願いつつ。

新型コロナの感染拡大も不安ですが、毎週帰省で乗る新幹線も1車両に5~10人程度とガラガラにすいていて、指定席のようにゆったりとできるし、普段の奉仕ボランティアも活動が中止か自粛で少し楽なのも、ある意味感謝。

病院の看護師さんも職員さんも明るく優しくよく見て下さる上、修道院のシスターが毎日のように母を訪ねて下さって、お話をしてくださると。なんて恵まれているのでしょう!

誕生日が8月7日でしたが、病院の皆さんがメッセージを書いたカードを作ってくださり、その時にいる看護師さん皆さんで♪Happy Birthday♪のコーラス(^^♪🎵をして下さり、シスター方から花束をいただき、生まれた初めてみんなでお祝いしてもらえたことを本当に喜んでいました。

この場所を知っていたこと、そして、入院できたことが、私ができた最高の親孝行になったかなと。

病院に行く度に、復活のキリストとルルドのマリア様に手を合わせ、ロザリオ一連することもいつものことに。

困ったことが起きても、どういうわけか助け船があるのも不思議。

主の愛を感じる毎日です。


《主の昇天》 祭壇生け花

2021年05月15日 | 信仰と祈り

お花屋さん(信徒)が用意してくださった立派なお花。

包みを開けてからどのように活けようかと思案。

ユリをキリストに見立て、淡いピンクとオレンジのバラを人々の祈りと愛に。

オンシジュームの黄色は輝きに。

付け足した実家の庭からのシュロガヤツリを人々(弟子達、信徒)の驚きと天に差し上げた手の平と心に見立ててみました。

祭壇のアクリルシールドボードに、聖堂後ろの信徒手作りのステンドグラス窓が映り、不思議な感じになりました。


母の病気を通して

2021年04月01日 | 信仰と祈り

去年の秋に突然倒れた母。

一時は、もうお別れかなと覚悟を決めて、コロナ禍で面会制限~面会禁止となり、最初に入院した病院で余後半年から1年と言われたので、色々と知る限りのことを医者や相談員に聞き、相談し、更に治療や投薬の事など尋ねる形で提案した。

本当は、対応に不満があり、先の見通しも、高齢者だから諦めてと言わんばかりに、手術など以外に手を尽くすことを考えないのかしらと、疑いも・・・。

プライドの高い人ほど、頭ごなしにアレコレたたみかけて揚げ足とったら、そっぽを向かれるだけだろうと、やんわり持ち上げるように、此方は、下手で話を進めた。

あとは祈るのみ。

当てにならない処置に、家族で出来る限り母にアドバイスし、栄養補給の飲料や食べ物などを差し入れて、毎日病院に通った。

面会禁止のときは、携帯電話で話し合い。つくづく、携帯を使えるようにしておいて良かったと思った。

多くの友人知人が、本当に良く祈って下さったお陰で、母の病状は良くなり、好きな編み物をし、短歌を詠み、花を生け、スケッチをし、とうとう、カメラを持って写真までとるようになった。昔ながらのフィルム・カメラだけど。

私達はと言うと、転院した病院が自然に囲まれた美しい所で、医者や看護師のケアが抜群によくて、安心して母を任せられ、面会の途上に見える富士山、箱根や伊豆連山の美しさに心が穏やかになった。

早くも3ヵ月半、ホスピスに居るには長くなったので、お約束の半年で暫く退院を考えなくてはならない。母は、とても気に入っているので残念だが。

私も、毎回、病院の玄関前の復活のキリスト像と聖マリア像に祈り、会えることを楽しみにしていたのだが・・・。

全て神様にお任せしよう。