青い空が深い色で。なんともいい感じです。
でも、暑いです。
暑いです。
汗が流れます。
先月、セントレアから飛行機で帰ってくる途中、空には積雲の柱がいくつも立っていて。
なんともアニメ的な風景が広がっていました。
天空の城、ラピュタのような。
東京から帰るルートとは違って、名古屋からだといつも自分が帰りに通る道の上を飛んでいたので、「あ、今の時間だったら真下を走っている頃だなあ。」なんて考えたりしながら。
今は、その時間に空を飛ぶ飛行機を見つけると、「あ、あの飛行機に乗っていたんだなあ」なんて思ってみたりして。
飛行機、というとまさに雲の上の存在で、私には関係ないなあ、なんて思ってましたが。
今はすっかり普通の交通機関として活用しております。
しかし、飛行機は何度乗っても楽しいですね。
落ちたら死にますが、あの浮遊感と加速感がいいです。
戦闘機のキャノピーみたいに、ガラス張りの旅客飛行機とかあると楽しそうですけどね。
この、空を見る感じ、風の流れる感じ、重力を感じる瞬間。そういうものが好きなので、私はバイクやオープンカーがすきなのかもしれません。
何か過去にあったのかもですね。それとも、人はもともと空にいる存在なので。自由な飛翔、空というものに懐かしさを感じるのかもしれません。これは海に潜るのも同じ感覚かな、とも思います。
水の中は故郷を感じ、空には自分の姿を見る。
パラグライダーとかもしてみたいですね。
それもとりあえず将来の夢ということで。
最近、ヘミシンクをゆっくり聞いてませんで。
寝るときメタミュージック。ガイドイラスト書きに時に流すメタミュージク。昼寝の時に聞くヒューマンプラス。
と、そういう「何かしながら聞き」がほとんどですね。
たまにはゆっくりとゲートウェイやら聞く時間も欲しいものです。
最近、御質問でたまに来るのは「何もヘミシンク的体験をしてないのですが。」というもの。
これ、「ヘミシンク探求大全」やら、私の過去のブログ、とみなが夢駆さんのブログなんかでもたびたび取り上げられていますが。
「ヘミシンク聞いているとき、あるいはその後に起こったことは、なんでもヘミシンク体験。」
だとおもう事ですね。
非物質的探索が出来ない、ならばヘミシンク体験ではない。
体外離脱ができない。これはヘミシンク体験ではない。
わけではないのですよね。
モンローさんは、「たまたま」体外離脱が得意だったので、ヘミシンクで体外離脱かんけいのレポートを書かれたりしているだけで。
私の場合は、「たまたま」想像力(妄想とも言う)が豊富だったので、イメージする能力がある程度強いだけであるわけですし。
単に、コレまでの生活で得ていた「技術」の延長でしかないのです。
本を書く人は、基本、イメージして文章にする能力にたしょうは長けています。
だから、ヘミシンク体験も似たようなものになる。
そういうものだと思いますよ。
でも、ヘミシンク体験、というのは
「自分のコレまでに習得してきた技術や力の延長」
であると理解しておくと、「なんも体験できんじゃん!」という事はなくなると思います。
たとえば、絵のかけない人に、「昨日の夢の絵、書いて。」と言うと、その人はすっごい大変な苦労をして、結局自分の表現したいものを書けないので「こんなのはイラストじゃない!」と言って諦めたりします。
一方、絵を描く素養のある方は、「まあ、だいたいこんな感じかなあ。」と半分イメージでもなんとかイラストをかけます。
それを見て、絵のかけない人は「あ、自分の書くのは「夢」の絵じゃないや。」と落ち込むわけです。
でも、「夢」の絵には決まりはないのですよね。自分なりに表現できてさえいれば、絵の上手下手は関係ないのです。夢に決まりはありませんからね。
遠近法がどうのこうのとか、色彩の奥ゆかしさがどうのこうのとか。そういう絵の基本は関係ありませんから。
何かを見たものを書けばいいのですよね。
宜保さんのイラスト、しょうこお姉さんのイラスト、見たことありますか?
かなりアレレなイラストですが、ちゃんと伝えたい事は盛り込まれていて、何が言いたいかは分かります。
絵のかけない人は、絵をかける人のイラストが「正しい夢の絵」と勘違いしてしまうのですよね。
そこで、その絵のかけない人は、いつまでたっても夢の絵がかけない。
自分の絵を否定しているからです。
そう、みんな必ず「夢」を見ているのに、自分でそれを拒否すると、それを表現できなくなる。
ヘミシンク体験でもそうですよ。
フォーカス10の音を聞いていれば必ずそこに意識は行きます。
そこで浮かんで来たイメージ、雑念、昨日見たテレビの映像、好きな女性の姿、なんでもその時に感じたものは全部ヘミシンクのフォーカス10での体験なんですよね。
私も、そこに気が付くまでは半年以上毎日聞いてもダメでしたからね。
そこにあるのは、自分の体験であり、自分が今までに得てきたもので、それを表現されているだけなんです。
前に、ゲゲゲの女房のワンシーンが出てきた話を書きましたが。それを単に「昨日見たからでしょう?」と片付けてただの雑念とするのか。そのシーンが今の自分にとって何を意味しているのか?と考える事ができるのか。
そこで、今後の体験の進み方が変化します。
最初は、というか私は今でもそういう雑念風のイメージをよく見ます。
でも、その意味合いを解釈する術を身につけたので(ガイド100人以上みたり、向こうの人と会ったり、過去生見たりして。)、今では雑念も大切な自分へのガイドメッセージだと受け止める事が出来ます。
空想をしてこなかった人が、いきなり「イメージを見ましょう」と言われても難しいのがあります。ヘミシンク体験は、コレまでの自分の人生で積み上げてきた経験の先にしか進んでいかないもの、とおもっていただけるといいと思いますけど。
お菓子一本の人は、見えるイメージもガイドもお菓子で表現されるかもしれません。
建築業の方は、そのイメージですべて表現されてくるかもです。
海外のヘミシンク体験者のガイドは、光の存在が多いですが。これは宗教的な理由もあると思います。
海外で、ヒト型のロボットを作るのに抵抗があるのはキリスト教の影響ですし。
日本人がヒト型のロボットを作るのが好きなのは、カラクリ人形、鉄腕アトム、ガンダムなどの影響ですし。
なんでも、自分のベースとなる経験以上のものを求めるとまず挫折します。
今までに精神的な追及や自己分析をしてこない方が「非物質体験で、体外離脱して、宇宙人と交信して、未来の情報をもらいたいのだ!」
というのは、
いきなり「大リーグで松井と対決して打たれないように投げてみろ。」といわれるようなものです。
野球のルールを知っていて、その世界が好きな人は、「松井を三振にするなんて無理だよ」と思いがちです。普通は、「無理じゃんこれ」とおもうのですが。
私だったら「打たれなきゃいいんでしょう?」ってことで、とりあえず暴投します。
フオァボールで塁に出てもらいますかね。
つまり、こういうことですよ。
自分の出来る範囲でしか、自分には対応できないのです。
目的に対して、人のやり方(三振をとるとか)では難しい場合もあるのです。何の経験もないのならば。
そのときは、自分でできる方法で、その目的を果たせばいいのです。
上の例の場合は、最終的に「未来の情報」が欲しいのですから。ならば、体外離脱しなくてもリモートビューイングで事足りますし。
ヘミシンク体験が出来ない。場合は、自分の得意な方向をまず探して見る事。体の感覚、視覚、聴覚。味覚、触覚、全てに意識を集中して、ヘミシンク音を聞いている時にどこが一番反応しているのかを、自分で理解していく。
これが重要かな、と思います。
俗に言う、ヘミシンク体験をしている人の特徴として。「自己分析がわりとできている」人が多いのではないかと。つまり、瞑想などで自分の内面と対峙して、自分の事を少しは理解できている人。
そういう人が多いような気がします。
でも、ヘミシンクを聞いて、体験しているうちに自己分析が進む方も多いですから。いままでしてなかったからと言って、ガッカリすることはありません。
私だってそうですから。
その過程が「クリックアウト」「寝オチ」というものになって、諦める人も多いかと。
その間は自己分析の時間なのだ。とおもってください。
パソコンで、スイッチを入れてウインドウズを(マックでもいいです)立ち上げるとき。やたらと時間のかかるものと、あっという間に立ち上がるものありますよね。
それはPCの性能ではなくて、最初に起動するプログラムの数の影響ですから。
スッキリとして、ウインドウズ起動時にはプログラムが動かないようにしておくと、すぐに立ち上がります。でも、最近のウインドウズでも画面やらステータスバーやらスタートバーやらにあるソフトのショートカットやら。ネットの接続やらを立ち上げ時にすべてやっているPCは、立ち上がるのにかなりの時間がかかります。
そのPC立ち上がりまでの時間が、クリックアウトのようなものだとおもってください。
非物質世界、というネットに接続したいのに、肝心のPCがなかなか立ち上がらないのです。
でも、ある程度時間はかかっても最終的には皆さんアクセスできますから。
待ちの時間が必要な場合もあります。
それは、コレまでの人生で積み重ねてきた「必要」とおもわれるプログラムのショートカットがやたらとそこにスタンバイしている状態になっているからです。
なので、そのスタンバイ状態になっている、不要なプログラムをそうならないようにしている人。そういう方はヘミシンク体験もスムーズに行くのだと思います。
そのために、「瞑想」やら「内観」することで、自分の思考を理解すること。
そこから始めると、ヘミシンクでの非物質体験も進みやすいかと。
そして、ヘミシンク体験はその聞いている間だけではありませんで。
これもあらゆる本を書いている人が書いていることですが。
「現実世界でのシンクロにシティの増加」
これもヘミシンク体験ともいえます。
脳が活性化しますので。今までに気が付かなかった事象に敏感に反応します。
「ぞろ目」に気付くのは基本ですね。
これまでの生活でも、ぞろ目はどこにでもありました。でも、右脳の認識力が活性化すると、コレまで脳に入っていたのにジャンク情報として捨てていた「ぞろ目」というキーワードに気が付くようになってきます。
そして、物事に関連性を見つけ、シンクロという現象を認識します。
人間は、現実世界で長く生きています。
ならば、まずは現実世界で起こる出来事に対して、認識力が開かれていくのが普通ですよね。
いろんなことに気がつくようになり、いろんなことに興味を持てるようになり。多くの人に対して優しくなれたり、相手の感情をおもう事が出来るようになったり。
そういうのも、ヘミシンクを聞いている後で起こったのならば、それは体験です。
現実世界で気付きが増えると、非物質世界での気付きも増えます。
すべてはバランスです。現実世界と非物質世界は天秤棒でつながったようなものです。
現実世界に多くの気付き、シンクロが乗っかってきた場合、天秤は傾きます。すると、そのバランスを取るために、ちゃんと反対側には非物質の体験が乗ってくるようになっているのです。
その体験に気が付くようになるには、今自分が現実世界で何をして何を考えているのか。を少し理解する必要があります。
そのために、記録を取るのです。日記でもいいですけど。
書くことで、そこには自分の思考が現れます。
絵でもイラストでも音楽でも、何か表現するものならなんでもいいと思います。
自分の世界を客観的に見る事のできる「形」に残すなにかをすることは大切ですね。
なぜに私がスプーン曲げを皆さんと共にするのか。
スプーンを曲げるのは、あくまで自分の腕力です。
なぜかと言うと、皆さんは宇宙のエナジーを受けて今まで生きているのですから。腕力も宇宙の力と同じなんですよね。今更「宇宙と一体化」してエネルギーを降ろさなくても大丈夫です。いつも使っているのですから。
つまり、今まで使っている力の延長上で、超能力じみた事ができるわけです。
だから、曲げた人は「あれ?これでいいんですか?」というくらいあっけなく曲がります。
超能力と言われるスプーン曲げも、自分の得てきた力の延長上で出来てしまう。
ならば、非物質世界の探索も同じですよね。自分のコレまで得てきた力を使ってするものなのですよ。
その一つのシンボル、形としてのものが、私のやる「スプーン曲げ」という現象であります。
あんなの、慣れれば簡単ですよ。
特別なもの、とおもうから、すぐに「トリックだ!」と反発する人もいますが。
タネも仕掛けも要りませんからね。
まあ、なんとなく書き連ねてきて、話しがずれてきているような気もしますが。
「ヘミシンク体験は自分の認識できる範囲から始まる」、ということです。
でも、暑いです。
暑いです。
汗が流れます。
先月、セントレアから飛行機で帰ってくる途中、空には積雲の柱がいくつも立っていて。
なんともアニメ的な風景が広がっていました。
天空の城、ラピュタのような。
東京から帰るルートとは違って、名古屋からだといつも自分が帰りに通る道の上を飛んでいたので、「あ、今の時間だったら真下を走っている頃だなあ。」なんて考えたりしながら。
今は、その時間に空を飛ぶ飛行機を見つけると、「あ、あの飛行機に乗っていたんだなあ」なんて思ってみたりして。
飛行機、というとまさに雲の上の存在で、私には関係ないなあ、なんて思ってましたが。
今はすっかり普通の交通機関として活用しております。
しかし、飛行機は何度乗っても楽しいですね。
落ちたら死にますが、あの浮遊感と加速感がいいです。
戦闘機のキャノピーみたいに、ガラス張りの旅客飛行機とかあると楽しそうですけどね。
この、空を見る感じ、風の流れる感じ、重力を感じる瞬間。そういうものが好きなので、私はバイクやオープンカーがすきなのかもしれません。
何か過去にあったのかもですね。それとも、人はもともと空にいる存在なので。自由な飛翔、空というものに懐かしさを感じるのかもしれません。これは海に潜るのも同じ感覚かな、とも思います。
水の中は故郷を感じ、空には自分の姿を見る。
パラグライダーとかもしてみたいですね。
それもとりあえず将来の夢ということで。
最近、ヘミシンクをゆっくり聞いてませんで。
寝るときメタミュージック。ガイドイラスト書きに時に流すメタミュージク。昼寝の時に聞くヒューマンプラス。
と、そういう「何かしながら聞き」がほとんどですね。
たまにはゆっくりとゲートウェイやら聞く時間も欲しいものです。
最近、御質問でたまに来るのは「何もヘミシンク的体験をしてないのですが。」というもの。
これ、「ヘミシンク探求大全」やら、私の過去のブログ、とみなが夢駆さんのブログなんかでもたびたび取り上げられていますが。
「ヘミシンク聞いているとき、あるいはその後に起こったことは、なんでもヘミシンク体験。」
だとおもう事ですね。
非物質的探索が出来ない、ならばヘミシンク体験ではない。
体外離脱ができない。これはヘミシンク体験ではない。
わけではないのですよね。
モンローさんは、「たまたま」体外離脱が得意だったので、ヘミシンクで体外離脱かんけいのレポートを書かれたりしているだけで。
私の場合は、「たまたま」想像力(妄想とも言う)が豊富だったので、イメージする能力がある程度強いだけであるわけですし。
単に、コレまでの生活で得ていた「技術」の延長でしかないのです。
本を書く人は、基本、イメージして文章にする能力にたしょうは長けています。
だから、ヘミシンク体験も似たようなものになる。
そういうものだと思いますよ。
でも、ヘミシンク体験、というのは
「自分のコレまでに習得してきた技術や力の延長」
であると理解しておくと、「なんも体験できんじゃん!」という事はなくなると思います。
たとえば、絵のかけない人に、「昨日の夢の絵、書いて。」と言うと、その人はすっごい大変な苦労をして、結局自分の表現したいものを書けないので「こんなのはイラストじゃない!」と言って諦めたりします。
一方、絵を描く素養のある方は、「まあ、だいたいこんな感じかなあ。」と半分イメージでもなんとかイラストをかけます。
それを見て、絵のかけない人は「あ、自分の書くのは「夢」の絵じゃないや。」と落ち込むわけです。
でも、「夢」の絵には決まりはないのですよね。自分なりに表現できてさえいれば、絵の上手下手は関係ないのです。夢に決まりはありませんからね。
遠近法がどうのこうのとか、色彩の奥ゆかしさがどうのこうのとか。そういう絵の基本は関係ありませんから。
何かを見たものを書けばいいのですよね。
宜保さんのイラスト、しょうこお姉さんのイラスト、見たことありますか?
かなりアレレなイラストですが、ちゃんと伝えたい事は盛り込まれていて、何が言いたいかは分かります。
絵のかけない人は、絵をかける人のイラストが「正しい夢の絵」と勘違いしてしまうのですよね。
そこで、その絵のかけない人は、いつまでたっても夢の絵がかけない。
自分の絵を否定しているからです。
そう、みんな必ず「夢」を見ているのに、自分でそれを拒否すると、それを表現できなくなる。
ヘミシンク体験でもそうですよ。
フォーカス10の音を聞いていれば必ずそこに意識は行きます。
そこで浮かんで来たイメージ、雑念、昨日見たテレビの映像、好きな女性の姿、なんでもその時に感じたものは全部ヘミシンクのフォーカス10での体験なんですよね。
私も、そこに気が付くまでは半年以上毎日聞いてもダメでしたからね。
そこにあるのは、自分の体験であり、自分が今までに得てきたもので、それを表現されているだけなんです。
前に、ゲゲゲの女房のワンシーンが出てきた話を書きましたが。それを単に「昨日見たからでしょう?」と片付けてただの雑念とするのか。そのシーンが今の自分にとって何を意味しているのか?と考える事ができるのか。
そこで、今後の体験の進み方が変化します。
最初は、というか私は今でもそういう雑念風のイメージをよく見ます。
でも、その意味合いを解釈する術を身につけたので(ガイド100人以上みたり、向こうの人と会ったり、過去生見たりして。)、今では雑念も大切な自分へのガイドメッセージだと受け止める事が出来ます。
空想をしてこなかった人が、いきなり「イメージを見ましょう」と言われても難しいのがあります。ヘミシンク体験は、コレまでの自分の人生で積み上げてきた経験の先にしか進んでいかないもの、とおもっていただけるといいと思いますけど。
お菓子一本の人は、見えるイメージもガイドもお菓子で表現されるかもしれません。
建築業の方は、そのイメージですべて表現されてくるかもです。
海外のヘミシンク体験者のガイドは、光の存在が多いですが。これは宗教的な理由もあると思います。
海外で、ヒト型のロボットを作るのに抵抗があるのはキリスト教の影響ですし。
日本人がヒト型のロボットを作るのが好きなのは、カラクリ人形、鉄腕アトム、ガンダムなどの影響ですし。
なんでも、自分のベースとなる経験以上のものを求めるとまず挫折します。
今までに精神的な追及や自己分析をしてこない方が「非物質体験で、体外離脱して、宇宙人と交信して、未来の情報をもらいたいのだ!」
というのは、
いきなり「大リーグで松井と対決して打たれないように投げてみろ。」といわれるようなものです。
野球のルールを知っていて、その世界が好きな人は、「松井を三振にするなんて無理だよ」と思いがちです。普通は、「無理じゃんこれ」とおもうのですが。
私だったら「打たれなきゃいいんでしょう?」ってことで、とりあえず暴投します。
フオァボールで塁に出てもらいますかね。
つまり、こういうことですよ。
自分の出来る範囲でしか、自分には対応できないのです。
目的に対して、人のやり方(三振をとるとか)では難しい場合もあるのです。何の経験もないのならば。
そのときは、自分でできる方法で、その目的を果たせばいいのです。
上の例の場合は、最終的に「未来の情報」が欲しいのですから。ならば、体外離脱しなくてもリモートビューイングで事足りますし。
ヘミシンク体験が出来ない。場合は、自分の得意な方向をまず探して見る事。体の感覚、視覚、聴覚。味覚、触覚、全てに意識を集中して、ヘミシンク音を聞いている時にどこが一番反応しているのかを、自分で理解していく。
これが重要かな、と思います。
俗に言う、ヘミシンク体験をしている人の特徴として。「自己分析がわりとできている」人が多いのではないかと。つまり、瞑想などで自分の内面と対峙して、自分の事を少しは理解できている人。
そういう人が多いような気がします。
でも、ヘミシンクを聞いて、体験しているうちに自己分析が進む方も多いですから。いままでしてなかったからと言って、ガッカリすることはありません。
私だってそうですから。
その過程が「クリックアウト」「寝オチ」というものになって、諦める人も多いかと。
その間は自己分析の時間なのだ。とおもってください。
パソコンで、スイッチを入れてウインドウズを(マックでもいいです)立ち上げるとき。やたらと時間のかかるものと、あっという間に立ち上がるものありますよね。
それはPCの性能ではなくて、最初に起動するプログラムの数の影響ですから。
スッキリとして、ウインドウズ起動時にはプログラムが動かないようにしておくと、すぐに立ち上がります。でも、最近のウインドウズでも画面やらステータスバーやらスタートバーやらにあるソフトのショートカットやら。ネットの接続やらを立ち上げ時にすべてやっているPCは、立ち上がるのにかなりの時間がかかります。
そのPC立ち上がりまでの時間が、クリックアウトのようなものだとおもってください。
非物質世界、というネットに接続したいのに、肝心のPCがなかなか立ち上がらないのです。
でも、ある程度時間はかかっても最終的には皆さんアクセスできますから。
待ちの時間が必要な場合もあります。
それは、コレまでの人生で積み重ねてきた「必要」とおもわれるプログラムのショートカットがやたらとそこにスタンバイしている状態になっているからです。
なので、そのスタンバイ状態になっている、不要なプログラムをそうならないようにしている人。そういう方はヘミシンク体験もスムーズに行くのだと思います。
そのために、「瞑想」やら「内観」することで、自分の思考を理解すること。
そこから始めると、ヘミシンクでの非物質体験も進みやすいかと。
そして、ヘミシンク体験はその聞いている間だけではありませんで。
これもあらゆる本を書いている人が書いていることですが。
「現実世界でのシンクロにシティの増加」
これもヘミシンク体験ともいえます。
脳が活性化しますので。今までに気が付かなかった事象に敏感に反応します。
「ぞろ目」に気付くのは基本ですね。
これまでの生活でも、ぞろ目はどこにでもありました。でも、右脳の認識力が活性化すると、コレまで脳に入っていたのにジャンク情報として捨てていた「ぞろ目」というキーワードに気が付くようになってきます。
そして、物事に関連性を見つけ、シンクロという現象を認識します。
人間は、現実世界で長く生きています。
ならば、まずは現実世界で起こる出来事に対して、認識力が開かれていくのが普通ですよね。
いろんなことに気がつくようになり、いろんなことに興味を持てるようになり。多くの人に対して優しくなれたり、相手の感情をおもう事が出来るようになったり。
そういうのも、ヘミシンクを聞いている後で起こったのならば、それは体験です。
現実世界で気付きが増えると、非物質世界での気付きも増えます。
すべてはバランスです。現実世界と非物質世界は天秤棒でつながったようなものです。
現実世界に多くの気付き、シンクロが乗っかってきた場合、天秤は傾きます。すると、そのバランスを取るために、ちゃんと反対側には非物質の体験が乗ってくるようになっているのです。
その体験に気が付くようになるには、今自分が現実世界で何をして何を考えているのか。を少し理解する必要があります。
そのために、記録を取るのです。日記でもいいですけど。
書くことで、そこには自分の思考が現れます。
絵でもイラストでも音楽でも、何か表現するものならなんでもいいと思います。
自分の世界を客観的に見る事のできる「形」に残すなにかをすることは大切ですね。
なぜに私がスプーン曲げを皆さんと共にするのか。
スプーンを曲げるのは、あくまで自分の腕力です。
なぜかと言うと、皆さんは宇宙のエナジーを受けて今まで生きているのですから。腕力も宇宙の力と同じなんですよね。今更「宇宙と一体化」してエネルギーを降ろさなくても大丈夫です。いつも使っているのですから。
つまり、今まで使っている力の延長上で、超能力じみた事ができるわけです。
だから、曲げた人は「あれ?これでいいんですか?」というくらいあっけなく曲がります。
超能力と言われるスプーン曲げも、自分の得てきた力の延長上で出来てしまう。
ならば、非物質世界の探索も同じですよね。自分のコレまで得てきた力を使ってするものなのですよ。
その一つのシンボル、形としてのものが、私のやる「スプーン曲げ」という現象であります。
あんなの、慣れれば簡単ですよ。
特別なもの、とおもうから、すぐに「トリックだ!」と反発する人もいますが。
タネも仕掛けも要りませんからね。
まあ、なんとなく書き連ねてきて、話しがずれてきているような気もしますが。
「ヘミシンク体験は自分の認識できる範囲から始まる」、ということです。
それを聞いて安心しました。
のんびりやっていこうと思います。
最初の頃は、何か体験できるかなと、興味津々でやるので、一生懸命聞きますね。
そのうち、マンネリになります。
そうすると、自分は、何も体験できない、能力がないのかなどど思い、やめてしまう人もいます。
ヘミシンクの面白いところは、普段の生活で、気づきがあるのです。
まるの日さんが、言うように、同じ数字が並んだり、私のように、家を追い出されて、マンションを探しに、ぶらりと不動産屋へ行ったら、住んでいた家から、ほんの30メートルのマンションが、偶然にも開いたり、ほんと、ちょっと、できすぎかなと思うことが、多々ありますよ。
なにごとも、行動するときに、私も、ガイドさんに、心の中で、お願いします。
そうすると、結構うまくいくんですね。
もちろん、行動しないと駄目ですよ。
引き寄せではないですが、後から考えると、うまくいきすぎだな、なんて、思わず笑ってしまうこともありますよ。
しかし、残念ながら、宝くじが当たりますようにとガイドにお願いしても、こればかりは、当たりませんね。
まるの日さんも、行っていますね。
人間欲があるとうまくいかないんですかね。
今、私も「ヘミシンクな日々」という、ブログをまるの日さんみたいに、毎日公開していますが、内容は、ただの日記になっています。
思いついたことを、そのまま、書いています。
内容的にも、ヘミシンクのへの字も、でてきません。
でも、書いて行くうちに、今日は、この話題を書こうとか、自然に頭に浮かぶんですね。
これも、わたしにとっては、ヘミシンク体験と思いますよ。
すみませんでした。
みなさん、そのへんは、正しい字に読み替えてくださいね。
体験を焦ったりする人には特に良い話ですね。と言える程、私も体験している訳ではありませんから、こういう話があると肩の力が抜けてゆっくり聞いて行こうと思えます。
しかし今日は暑いっす。家の中まだ32度くらいあるんですよ。明日寝不足にならない為に遂に冷房に手を出すか、またはベランダに打ち水して扇風機をリズムでかけて寝るか。ここまで冷房無で来ているので明日の寝不足を楽しんでやる位のつもりではいるんですが。まるの日さんも、コメントをされている方々も寝不足と夏バテにはお気をつけ下さい。
最近はF12の上級を聴いていますが、私の場合は体感が一番みたいです?次が視覚かな??
胸や喉、そして眉間のチャクラ辺りが反応します。肉体の感覚よりも非物質の体の感覚の割合が大きくて、気持ち良すぎて寝てしまいます。(-_-)zzz
あと、現実実世界で見えてしまう光は、最近ではなれっこになってしまって、勝手に「プーさん」と呼び名を付けてしまいました。一つのときも三つのときも全てプーさんですね?
ヘミシンクに対して過度の期待を持っていたり、自分の中の色眼鏡で見ていたりしていたことに気づきました。
体脱希望だったのですが、最近はそれもどうでもよくなってきて、体験に色を付けなくなってきました。些細な変化に敏感になってきたような感じがします。何もなかったと思うような毎日でも何かしら変わっていることがあります。
ま、ゆるゆると続けて行こうと思います。
もう一度ゆっくり読んで、理解を深めたいと思います。
まるの日さんとセミナーでお会いできてよかったです。
お会いする前以上にまるの日さんの言葉が理解できるような気がします。
なんか楽しいです♪
がんばって、一日一回ヘミシンクを続けておりますが、最近困るのが ヘッドフォン越しに
セミの声とヘミシンク音がかぶりまして、
(エアコンだめなので、日中は窓全開なのです)
どちらが本物なのか、同時に聞こえてても大丈夫だろうか?と思っていましたら
玄関のチャイムの映像と
「誰でもが 押せば聞こえる ベルの音」
そして、ピンポン、の文字がカタカナで浮かびました。
あ、ちゃんとヘミシンク出来てたみたいです!自分なりの体験や気付きって、こんな感じなのかもしれませんね。
繋がりをよくするというか、情報を受け取りやすくしたり引き出しやすくする、というか、ヒーリング効果などで、余分な感情を癒すことで見えてくるものが増えたりしますね。
「気になるもの」「気になる事」「何故か気に入って続けている事やドラマなど」とか、意味あるんだろうなあ、と思いながら、ここに至ってます(笑)
向こうの世界の探索とか、そういうのは、何かの時に遊び程度に、ちょっとみにいってみた、とかいう場合ありますし、何となくイメージしたりはありますが、込み入った話の場合や、ガイドさんとの対話の場合、ビジュアルはおまけだったり情報として必要最低限のみで、後は脳内会話や、本や文章のシンクロでわかれってかんじですから。
向いているやり方は、本当に人それぞれですよね。