まるの日<へミシンクとミディアムな暮らし> まるの日圭(真名圭史)の公式サイト

ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

バッテリーを外す時期か。

2010-11-30 19:41:33 | 彼との対話
最近は毎日車のガラス凍ってますけど。昨年はここまで寒くなかった気がしますね。
夏は暑くて、冬寒い。まあ、季節通りではありますが、その中間を楽しむ時間が短いのは困ったものですね。
またバイクのバッテリーを外す季節となりました。
これから、またバイクは冬眠になりそうですね。
年に数回しか乗らないので、もったいないものです。

さて、今日のヘミシンクですが。

久々、『彼』との対談
『彼』は「誰でもヘミシンク2」にはイラストかいてますし、以前のブログにもちらっと書いてますけど。普通に見ると『光の人』です。
俗に言う、高次の存在であり、いろいろな見方をすれば宗教的な存在の一つにも見えるかもしれませんが。
私にとっては、とりあえずの話し相手ですね。
話していると心地よいので、時間があれば会いたい人の一人ではあるのですが。
話し始めると、内容が深くなって、長くなるので時間のない昨今は会ってないところではありまして。
今日は運転中に疑問に思ったことがあったので、早速トークです。

「お久しぶりですね」
「私には時間は関係ない、さっき会ったような気もするし、未来の君とも対話していた気もする。」
「そのあたりの概念も一回聞いてみたいところですけど。今回はちょっと本質的なことを聞いてみようかと思いまして。」
「なんだい?」
「幸せな人、と不幸な人、がいて。がんばる人は良い結果を残せて。がんばれない人は人生でそれほど成功しない。そして、世の中はそのがんばった人の考えで動かされている。
これって、なんでこうなるんですかね?
世の中が上手くできているのなら、この差は発生しないのでは?」
「音の波長は見たことあるだろう?」
「あの、ナミナミした形ですね。」
「あれと同じように。幸福と不幸は波長のように繰り返すものだ。同じ数だけすべての人に平等に訪れている。」

そこで、イメージを見せられました。
緑色の波形グラフですが。
そこの中に一本の赤いラインが引いてあります。そのラインを上にもって行ったり、下に動かしたりしていますが。
これが意識の持って行きかたの例だといいます。
赤いラインが上にある時は、波のプラス波形しか見ていないので「自分の幸福な部分」だけを見ている常態になり、ラインが下にある時は、マイナスの波形を見ているので。自分の不幸な部分だけを見ている常態になる。そんな意味のあるイメージなのですが。
つまり、幸福と不幸は常にそこに同じくらい存在しているのに、自分の意識ラインをどのように持っていくかで、その感じ方が異なってくる。
そんな感じを受けました。


「そうですか?私はそれほど不幸自慢できるくらい不幸になった気はしないですけど。」
「その現象を、不幸、幸福、と決めるのは君たち次第。宝くじで3億円当ったことを幸運と言う人もいれば、その後に人生ぼろぼろになって、家族離散して、それは不幸な出来事の始まりだったという人もいるだろう。
そこに起こる同じ現象でも、それを受け入れられるかどうかによって、君たちのいう不幸に見える場合もある。」
「3億円で不幸ですか。」
「ただ、この場合はある一点を見て不幸と読んでいるだけかもしれない。
家族と離散したことで。気分一新、新天地へと向かったらそこで事業に成功して。3億円以上の収入を得られるようになっているのかもしれない。」
「時間軸も考えてみると、幸福も不幸も良く分からなくなりますね。」
「大きな流れから見ると、君たちの一生すらも一つの波の一部に過ぎないのだから。
大きな流れは、小さな流れの集まりでしか構成されない。
小さな集まりがスムーズに流れていないと、大きな流れはスムーズに流れない。
一人一人の流れを良くすることが、すべての流れを良くしていく。」
「でも、世の中では自分ばっかり不幸な出来事が連続すると思う人も多いでしょうに。」
「人の価値基準に縛られて判断しているとそうなりやすい。
親の価値観、社会の価値観、国の価値観、男と女の価値観。あらゆる価値観に君たちは縛られて生活している。その価値観の中だけでものを判断するのは、先ほどの波形グラフで言うと赤いラインの動きを自ら狭めているようなもの。」
「とはいえ、今生きているのはこの価値基準に縛られて生きる事を楽しむためでしょう?それで不幸と思えるのはなんだかなあ、と思いますけど。」
「他の価値基準で決める自分の幸福感ではないのだよ。自分の中にある、自分にしかない幸福感というものがそれぞれに存在しているはずだ。
それを見つけるために、あらゆる価値基準の中で生きているのだから。」
「その価値基準に埋もれてしまう場合もあるでしょうに。」
「それもまた、一つの生き方だよ。」
「それを不幸と呼ばないのですか?」
「君は伝統工芸を守る人達を見たことがあるだろう。あの人達は一つの価値基準を守るために生きている。その価値基準が正しいとか正しくないとかは別にして。
自分の中にある価値基準と、それが一つの世の中にある価値基準と合った場合は、それを突き詰めていくといい。その価値基準に埋もれてしまってもいいじゃないか?その姿を見て、君たちは共感するのだろう。」
「人殺しが価値基準のひとつである人達が居たら?その人達に殺されたらイヤですけど。」
「なら、抵抗すればいい。拒絶すればいい。」
「拒絶していいんですか?良く愛で対抗しなさい、とか言いますけど?」
「自分の価値基準を守るためであれば、拒絶も有りだよ。ただし、人の価値基準を否定はしないほうがいい。否定する心は、その対象が自分の中にもあるという事なのだから。
受け入れられない自分の一つの形、が目の前に現れた時に人は否定という感情を出してくる。
いずれ、その否定しているものを受け入れる必要があるのだから。」
「価値基準の拒絶と否定はニュアンスが違うのですか。」
「否定する対象は自分の中にある。拒絶する対象は、自分の外にある。」
「それ、良く分かるように説明なんかないですかね? 普通、そんなの考えてませんから。それに、拒絶すると愛の対処ではなんか違うように思えるんですけど。」
「たとえば、人を殺すことを仕事としている人と話しをしろと言われた場合、君はどうする?」
「とりあえず普通に話しますかね。仕事は仕事ですから。」
「君はこの場合、人を殺す事を認めているのかな?」
「認めてはいませんよ。ただその、人を殺す仕事をしている人の存在は認めています。でないと、話しにならないでしょう。最初から否定していたら喧嘩にしかなりませんよ。」
「なぜ、会話をしようと思った?最初から話すことを否定しても良かったのに。」
「私の体験していない事を体験している人の話は、自分にとって興味深いと思ったからですけど。」
「君はその『人』を受け入れた、しかし、仕事を『価値観』を受け入れた訳ではない。そう言えるのではないかな。」
「そうですね。その人の価値観は私と違いますからね。そういう価値基準があることを受け入れられても、その価値基準を受け入れるわけではないですね。」
「その場合、愛がないのだろうかね?」
「どうなんでしょう?」
「価値基準というのは、君たちが作り上げたものだ。しかし、人としてそこに存在している君たちは、今の君たちが作ったわけではない。」
「それは、今ではない私達が作り上げたと言いたいわけで?」
「君たちの意識は、時間と空間を飛び越えてそこに存在する。
『人』というのはそのあらゆる場所に存在する君たちの意識が、今の君たちの前に現れている姿だ。
価値基準は時代と共に変化する。しかし、本質である『その人』はどこの時代でも同じ『その人』でしかない。
人を愛し、受け入れる、というのはこの場合の『その人』の存在を認め、すべて時代に存在するの『その人』を受け入れる時に使うものだよ。」
「難しいですねぇ。時空を超えて目の前に存在する人を受け入れろと言う事ですか。」
「そう難しくないさ。ただ、本質を見ればいい。すべての、今ここにある価値基準を取り払って、自分の感じる心で判断すればいい。」
「それが出来ればいいでしょうけどね。」
「まずは、自分にある価値基準を受け入れて、それを愛することだ。そうすると、人の価値観も見えてくる。世界にある価値基準も見えてくる。」
「で、最初の話の幸せ、不幸せの話はどうなったんですかね?」
「自分の価値基準を受け入れられている人は幸せであり。人の価値基準だけを見ている人は不幸と感じる事が多いだろう。」
「結局、それを聞くために長々と話していた感じですね。」
「物事には流れというものがあるだろう?」
「高次の存在も、流れを重視するのですか。空気読まない人多そうですけど。アステカ仮面とか。」
「あれは特別。」

まあ、そんな感じで。
久々の彼との対話でしたが。根本的に自分を受け入れるかどうかなんでしょうかね。
心理学的にも同じ事言いますし。
しかし、人の概念があらゆる時空に存在している自分も入れてしまうとなると、かなりの認識が必要な気もしますね。
そんな広い範囲の自分を受け入れられるのかイな?って感じしますけど。
それが、いわゆるガイドとか過去生とかそういうモノになるのかな、と思います。




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6 コメント

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まるの日さん。こんばんわ。 (ホウラン)
2010-11-30 21:40:13
久しぶりの「彼」登場ですね。

自分の価値基準を受け入れる。ヘミシンクはそれを知る為のツールの1つでもあるんですかね?

高次の存在が会話の流れを気にしているとはおもいませんでしたw
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まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2010-11-30 22:26:12
 彼との対話、面白いですね。

 人間の人生は、幸不幸が皆同じだけくる。

 不幸の時も、考え方で、良くもなりますね。

 物は、考えようですね。

 よく、ノーベル賞受賞者の方は、失敗から新たな物を生み出していますね。

 失敗は、成功の素ですかね。
返信する
うーん。私も自分の中の譲れない「自分の価値基準」を持っていて、それを受け入れていますが (myu)
2010-11-30 23:36:15
その価値基準から外れた問題が起こるので、苦しいって感じるんですよね。

じゃあ、価値基準を変えろと言われても無理なので、どうしようもないですよね。
例えば、私は健康が一番というのは譲れない価値基準です。
目が見えなくなっても幸せ・・・とかは絶対思えない人間です。
「彼」は価値基準を変えれば幸せになると言いたいのか、価値基準はそのままでいても苦痛は同じだと思うんだけど・・
人によって問題の大小はあるわけで、価値基準さえ受け入れれば解決するもんじゃないと思うのですが・・
うーん、混乱してきました。
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Unknown (悩ケン)
2010-12-01 00:36:27
この世の中というのは、まだ本当の価値基準というものを見出していないんでしょうね。だから、頑張った人の考えで物事が進むのでしょうね。

今後、誰でもヘミシンクを利用して非物質界と交流する事が増えれば、人の価値基準にも変化がもたらされるのではないかとも思います。

そこから、どういう発見があるのか楽しみですね。

人というのは、大きな流れの一部分に位置している存在なのでしょうね。幸も不幸も、成功も失敗も 流れの一部分を体験しているにすぎないと。

だからこそ 否定をせずに 今を大切に生きなければならないのでしょうね。

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お疲れ様です。 (モサク)
2010-12-01 12:53:43
今日のお話読んで、ブルース・リーの武道哲学を思い出してしまいました。
休み時間中『死亡遊戯』のテーマ曲が脳内エンドレス(怪鳥音入り)です。
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皆様、コメントありがとうございます。 (marunohi)
2010-12-01 20:05:51
彼との問答は文章化するとちょっとニュアンスが違うようになってしまうので、難しいところではありますが。
彼は価値基準を変えると幸せになるような、そのような事を言っている訳ではないですよ。
自分の価値を受け入れてみると、他人の価値基準が見えてきて、その他人の価値基準を自分で理解できるようになれば、そここに不幸になる基準が1つ減る。そんな感じでしょうか。
基準をそれぞれに作って生活しているので、それはそれで必要だと思います。
ただ、成功者と言われる人の価値基準で世の中が動いているので、そこは注意して見ていないといけないと思います。
それが正しいわけでも間違っているわけでもないですが、そこで自分の価値基準を見失ってしまう場合がありますからね。
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