今日ラジオを聞いていて、「なるほどなあ。」と思わせられることありました。
人は言葉を食べている。という事。
そこで言われていたのが
「さしみ」はみなさんおいしく食べますが、「死んだ魚の生肉」と聞くとちょっと美味しさも激減します。それに同じものを指していても、まったく違う受け取りかたをされそうな感じ。
これって、良くあることですよね。
「シャコは美味しい」という方も多く、皆さん美味しく召しあがっていらっしゃいますが、あれは食べ物だと思うから美味しいのであって。
「ヘドロの中で生活している虫」と思うと、ちょっと食欲がなくなりそうです。
言葉で人はそのものを認識し、そのモノを見ていない場合も多いですよね。
「死んだ魚の肉を切り刻んだものを腐った豆の黒い汁に付けて食べる」のも「さしみを丸大豆しょうゆで頂く」のも同じ事なんですよね。
これは非物質世界だともっと顕著になると思います。
ある人は4次元だ、5次元だ、と言ったり。ある人はフォーカス21だ、35だと言ったり。
地獄天国、彼岸、バルハラ、阿頼耶識とかそういう表現もあったり。
同じものを見て、どういう認識でその人がいるのか。ただそれだけの違いなのだと思います。
そう考えると、生まれ変わりの有る無しなども「見え方の違いじゃ?」という事になりそうで。
スピリチュアルな人達が自分の信じる方向に深く入りすぎて、他の考え方、見え方を否定する場合もありますが、それは自分の信じるものを「さしみ」と受け取り、他の考え方を「すぐ死んだ魚の生肉」と捕らえているだけなのかもしれません。
こういうのも意識の捕われですよね。
向こうの世界で見えるものが限定される場合(怖いものしか見えないとか)は、まずは自分のこちらでの思考を良く見て見る事が重要なのではないかと思います。
「草食動物の死体を半生で食べる」のと「ステーキをレアで召し上がる」のが同じとして受け取れるようになってくると見える世界も広がってくるのかな、と思います。
そこにあるモノを見る事。
これは、ヘミシンク中の体験を「分析しない」「否定しない」という事でもあります。
ヘミシンクが上達していくとハートが開くとか、意識が開放される。というのは、実はこのエクササイズを通して自分でそこにある「モノ」を見る事を体験し学んでいく事で、多くの考え方、見え方を受け取れるようになり、それによって自分の思考が開けてくる。
そういう事もあるのかな、と思います。
広い世界を旅した若者は、同年代の若者よりも思考が開けています。「言葉」で見るのではなく、そこにある「モノ」を見て判断する事を無意識にやっているからで。
それと同じで、多く自分の意識を旅した人は、それだけ意識が開けていくのではないかと。
脳内体験も、実体験も実は同じなんですよね、「体験」という意味では。
私がある程度早いペースでヘミシンクを先に進められたのは幼少の頃よりの「引越し体験」が大きいのかもしれないな、とも思います。
屋久島で魚釣って生活してたかと思えば、福岡でゲーセンに行くような生活になったり。
そういう周りの環境の変化、言葉の変化(鹿児島の言葉と福岡は違うのです。熊本もそうですけど)そういうものを実際に体験していると、そこにある「言葉」で判断するのではなく、そこにある「モノ」を見て、自分で判断しないといけない状況になってしまいますので。
「あとぜき」「あいよー」「やっせんぼ」この意味分かりますか?
同じ九州でも方言で言葉がまったく違うものになる場合もあるのです。
ちなみに、「あとぜき」は熊本で「開けたら閉める!」という事。良く扉に貼って有ります。これ、大学生まで標準語だと思っていました。
「あいよー」「やっせんぼ」は屋久島で使っていた言葉で「やるせない」「軟弱モノ」のような意味合いがあります。あと大分にも住んでいたので、無意識にそこの方言使っていることあります。
そういう風に、日本でも言葉の壁があるモノなんですよ。
私の場合、引越しがあると友達も、いきなり関係が切れて、次の学年からは急に見知らぬ人々の間で生活しないといけないのです。
そうなると、人を頼りにできませんね。自分で考え、判断しないといけないわけでして。
その感覚が、私が非物質世界に意外と早くなじめた原因かな、と思います。
そこにあるモノを見ておく。
向こうの世界で体験を多くしたい場合は、こちらの世界で意識を開放しておく。
これも重要なのかもしれませんね。
ヘミシンクで非物質的な体験を多く行えるのは、何も特殊なエネルギーだけのせいではないのですよね。
ヘミシンクは、その意識を開放するエクササイズの「方法論」を教えてくれます。
だから、とっつきやすいですね。
スポーツでも「気合だぁ!根性で乗り切れ!」と言われてもモチベーションあがりませんが(私はですね)、理論的に方法論で来られると、納得してそれを試してみたくなります。
いままでのスピリチュアル系の話はその「気合だぁ!」の世界でしたので、私は「なんだかなあ。」と思っていましたが。
それを方法論で教えてくれるので、私はヘミシンクにはまったのだと思います。
それに、モンローさんの書籍を読んで単純にファンになった、というのもありますが。
生きていらっしゃったら、お金と時間作って会いに行きたかったものです。
まあ、こうやって実際に現実世界で会えないというのも何か意味があるのでしょうね。
逆に、この世にいないから好き勝手やっている、というのもあるかも(笑)
今のところ怒られてないのでいいのでしょうかね。
「ヘミシンクを聞き続けると、体験が出来るようになる」と良く言われるのはこういうことだと思います。
でも、「何年もやっているけど、ちっとも体験しないじゃん!」というかたもいらっしゃるかと。
いろんな場所に移動しても「空港」しか見ていなかったら変化を感じられないですよね。
羽田から熊本に行って。待合室だけ見て、そして、次の沖縄行きの飛行機に乗った場合。
「熊本って、羽田のちっちゃくなったようなもの?」
という感覚になったりするかもしれません。それか、熊本に居た感覚すらないのかも。
これが「クリックアウト」、とか「認識できない」、状態ではないかと思います。
ヘミシンクは、電車の旅というよりは飛行機の旅に似ています。
ひとっとびにそのエリアに誘導してもらいますので。
そこで、空港の中に留まっていたら同じ「空港」の体験しか出来ないわけでして。
「何年やっても、何も見えない」と言う方は、一度自分が見ているもののかすかな変化を良く探して見られるといいのかな、と思います。
私がメンタルツール使うことをおススメするのは、その空港から一歩先に足を踏み出すキッカケになれば、というところで勧めていますけどね。
モンロー研のプログラム、アクアビジョンのプログラム、アウトリーチトレーナーのプログラム、それらは「大手旅行代理店のおススメするツアー旅行」と考えて、私達独学でやる場合は「個人で旅行」だと思っていただけるといいと思います。
ツアー旅行は親切丁寧に説明もあって、分かりやすいで。まあ、でも旅行中に飲んだくれていれば、その説明も意味を成さなかったりしますが。
個人旅行の場合、自分で内容を組み立てないといけませんので、体験の方向性も様々だと思います。
自分が体験しているのは(音を聞いている間、必ず皆さんは何らかの体験をしていますから)、「空港の売店めぐり」なのか、「空港の外にあるコンビにめぐり」なのか、「空港から離れた、観光地めぐり」になっているのか。それを考えてみると、自分の体験を振り返るいい基準になるとおもいますので。
なるべく、観光地めぐりをしたいですよね。
はやく、空港の売店(クリックアウトとか)から脱出したいひとは、そこが「空港の売店」であることを自覚するとその次に進めるのだと思います。
そこから観光地に行くにはどうすればいいのか?
いろんな情報を得ましょう。非物質的にだけでなく、現実世界でも。
向こうの世界とこちらの世界はセットで一つだと思っています。なので、ヘミシンク体験というのはこちらの世界での体験でもあるんですよね。
向こうで何も体験できないひとは、案外こちらで体験していたりするものですので。
その小さな変化を少しずつ探していく。受け入れていく事が、独学の楽しみでもあり、迷うところでもありますね。
まあ、そういう方の少しでも助けになれば、ということで、このブログも3年目に入っておりますので。
お役に立てる限りは、情報発信していきたいと思います。
初期の頃の日記を読み返していて、そう思った次第です。
人は言葉を食べている。という事。
そこで言われていたのが
「さしみ」はみなさんおいしく食べますが、「死んだ魚の生肉」と聞くとちょっと美味しさも激減します。それに同じものを指していても、まったく違う受け取りかたをされそうな感じ。
これって、良くあることですよね。
「シャコは美味しい」という方も多く、皆さん美味しく召しあがっていらっしゃいますが、あれは食べ物だと思うから美味しいのであって。
「ヘドロの中で生活している虫」と思うと、ちょっと食欲がなくなりそうです。
言葉で人はそのものを認識し、そのモノを見ていない場合も多いですよね。
「死んだ魚の肉を切り刻んだものを腐った豆の黒い汁に付けて食べる」のも「さしみを丸大豆しょうゆで頂く」のも同じ事なんですよね。
これは非物質世界だともっと顕著になると思います。
ある人は4次元だ、5次元だ、と言ったり。ある人はフォーカス21だ、35だと言ったり。
地獄天国、彼岸、バルハラ、阿頼耶識とかそういう表現もあったり。
同じものを見て、どういう認識でその人がいるのか。ただそれだけの違いなのだと思います。
そう考えると、生まれ変わりの有る無しなども「見え方の違いじゃ?」という事になりそうで。
スピリチュアルな人達が自分の信じる方向に深く入りすぎて、他の考え方、見え方を否定する場合もありますが、それは自分の信じるものを「さしみ」と受け取り、他の考え方を「すぐ死んだ魚の生肉」と捕らえているだけなのかもしれません。
こういうのも意識の捕われですよね。
向こうの世界で見えるものが限定される場合(怖いものしか見えないとか)は、まずは自分のこちらでの思考を良く見て見る事が重要なのではないかと思います。
「草食動物の死体を半生で食べる」のと「ステーキをレアで召し上がる」のが同じとして受け取れるようになってくると見える世界も広がってくるのかな、と思います。
そこにあるモノを見る事。
これは、ヘミシンク中の体験を「分析しない」「否定しない」という事でもあります。
ヘミシンクが上達していくとハートが開くとか、意識が開放される。というのは、実はこのエクササイズを通して自分でそこにある「モノ」を見る事を体験し学んでいく事で、多くの考え方、見え方を受け取れるようになり、それによって自分の思考が開けてくる。
そういう事もあるのかな、と思います。
広い世界を旅した若者は、同年代の若者よりも思考が開けています。「言葉」で見るのではなく、そこにある「モノ」を見て判断する事を無意識にやっているからで。
それと同じで、多く自分の意識を旅した人は、それだけ意識が開けていくのではないかと。
脳内体験も、実体験も実は同じなんですよね、「体験」という意味では。
私がある程度早いペースでヘミシンクを先に進められたのは幼少の頃よりの「引越し体験」が大きいのかもしれないな、とも思います。
屋久島で魚釣って生活してたかと思えば、福岡でゲーセンに行くような生活になったり。
そういう周りの環境の変化、言葉の変化(鹿児島の言葉と福岡は違うのです。熊本もそうですけど)そういうものを実際に体験していると、そこにある「言葉」で判断するのではなく、そこにある「モノ」を見て、自分で判断しないといけない状況になってしまいますので。
「あとぜき」「あいよー」「やっせんぼ」この意味分かりますか?
同じ九州でも方言で言葉がまったく違うものになる場合もあるのです。
ちなみに、「あとぜき」は熊本で「開けたら閉める!」という事。良く扉に貼って有ります。これ、大学生まで標準語だと思っていました。
「あいよー」「やっせんぼ」は屋久島で使っていた言葉で「やるせない」「軟弱モノ」のような意味合いがあります。あと大分にも住んでいたので、無意識にそこの方言使っていることあります。
そういう風に、日本でも言葉の壁があるモノなんですよ。
私の場合、引越しがあると友達も、いきなり関係が切れて、次の学年からは急に見知らぬ人々の間で生活しないといけないのです。
そうなると、人を頼りにできませんね。自分で考え、判断しないといけないわけでして。
その感覚が、私が非物質世界に意外と早くなじめた原因かな、と思います。
そこにあるモノを見ておく。
向こうの世界で体験を多くしたい場合は、こちらの世界で意識を開放しておく。
これも重要なのかもしれませんね。
ヘミシンクで非物質的な体験を多く行えるのは、何も特殊なエネルギーだけのせいではないのですよね。
ヘミシンクは、その意識を開放するエクササイズの「方法論」を教えてくれます。
だから、とっつきやすいですね。
スポーツでも「気合だぁ!根性で乗り切れ!」と言われてもモチベーションあがりませんが(私はですね)、理論的に方法論で来られると、納得してそれを試してみたくなります。
いままでのスピリチュアル系の話はその「気合だぁ!」の世界でしたので、私は「なんだかなあ。」と思っていましたが。
それを方法論で教えてくれるので、私はヘミシンクにはまったのだと思います。
それに、モンローさんの書籍を読んで単純にファンになった、というのもありますが。
生きていらっしゃったら、お金と時間作って会いに行きたかったものです。
まあ、こうやって実際に現実世界で会えないというのも何か意味があるのでしょうね。
逆に、この世にいないから好き勝手やっている、というのもあるかも(笑)
今のところ怒られてないのでいいのでしょうかね。
「ヘミシンクを聞き続けると、体験が出来るようになる」と良く言われるのはこういうことだと思います。
でも、「何年もやっているけど、ちっとも体験しないじゃん!」というかたもいらっしゃるかと。
いろんな場所に移動しても「空港」しか見ていなかったら変化を感じられないですよね。
羽田から熊本に行って。待合室だけ見て、そして、次の沖縄行きの飛行機に乗った場合。
「熊本って、羽田のちっちゃくなったようなもの?」
という感覚になったりするかもしれません。それか、熊本に居た感覚すらないのかも。
これが「クリックアウト」、とか「認識できない」、状態ではないかと思います。
ヘミシンクは、電車の旅というよりは飛行機の旅に似ています。
ひとっとびにそのエリアに誘導してもらいますので。
そこで、空港の中に留まっていたら同じ「空港」の体験しか出来ないわけでして。
「何年やっても、何も見えない」と言う方は、一度自分が見ているもののかすかな変化を良く探して見られるといいのかな、と思います。
私がメンタルツール使うことをおススメするのは、その空港から一歩先に足を踏み出すキッカケになれば、というところで勧めていますけどね。
モンロー研のプログラム、アクアビジョンのプログラム、アウトリーチトレーナーのプログラム、それらは「大手旅行代理店のおススメするツアー旅行」と考えて、私達独学でやる場合は「個人で旅行」だと思っていただけるといいと思います。
ツアー旅行は親切丁寧に説明もあって、分かりやすいで。まあ、でも旅行中に飲んだくれていれば、その説明も意味を成さなかったりしますが。
個人旅行の場合、自分で内容を組み立てないといけませんので、体験の方向性も様々だと思います。
自分が体験しているのは(音を聞いている間、必ず皆さんは何らかの体験をしていますから)、「空港の売店めぐり」なのか、「空港の外にあるコンビにめぐり」なのか、「空港から離れた、観光地めぐり」になっているのか。それを考えてみると、自分の体験を振り返るいい基準になるとおもいますので。
なるべく、観光地めぐりをしたいですよね。
はやく、空港の売店(クリックアウトとか)から脱出したいひとは、そこが「空港の売店」であることを自覚するとその次に進めるのだと思います。
そこから観光地に行くにはどうすればいいのか?
いろんな情報を得ましょう。非物質的にだけでなく、現実世界でも。
向こうの世界とこちらの世界はセットで一つだと思っています。なので、ヘミシンク体験というのはこちらの世界での体験でもあるんですよね。
向こうで何も体験できないひとは、案外こちらで体験していたりするものですので。
その小さな変化を少しずつ探していく。受け入れていく事が、独学の楽しみでもあり、迷うところでもありますね。
まあ、そういう方の少しでも助けになれば、ということで、このブログも3年目に入っておりますので。
お役に立てる限りは、情報発信していきたいと思います。
初期の頃の日記を読み返していて、そう思った次第です。
長所はベクトルや作用の安定…でしょうか。
まあ…受け取り手の想像力や人格などが問われますよね。
ヘミシンクの捉え方も含めて…。
短所は直線的で固定されますね。
曲線的にも表現出来ない。
長所は…方向性や作用の安定…でしょうか。
御札なんかが良い例でしょうね。
まあ何にしても…受け取り手の想像力や人格などが問われますよね。
ヘミシンクの捉え方も含めて…。
今までは、確かに空港までですかね。
まずは、その先の、売店までいきたいですね。
何故か昨日は、頭の中やら両腕(二の腕が特に)エネルギーが強く、全身的にもマッサージをされてるような気持ち良さでした。毎日こうだといいのになぁと思います。体感的にはとても敏感だから、これは、プラスにもマイナスにも敏感です。頭痛も少なくなりましたね。
やっぱり まるの日圭さんはすごいです♪
まるの日圭さんに出逢えて ヘミシンクのすごさがわかりました
日常の生活も 寝ているときも すべてに意味があり 想い 言葉 行動 すべて意味があることがわかりました
日々学びですね
これからも まるの日圭さんのブログ楽しませていただきます
marunohiさんのブログを読んでいると、そういう生活的なことで共感するので、読んでいてうれしいです。
屋久島で生活できるというのも羨ましい。
かといって、ずっと屋久島では、福岡の都会にあこがれたでしょうし(笑)
モンローさん、わたしもファンで、生きていたら会いたいくらいです。
前世のお城と、モンロー研究所の形がそっくりとか…実際、行ってみたいです♪
でもヘミはサボってますので
F10を三カ月!!つづけないとっ!!ですね。
ちょっと、
プログ記事と関係ないことで申し訳ありませんが、
先日、夜 いつもの球磨焼酎を呑み仕事疲れで就寝しておりますと また、例の振動が わき上がって来ました。
そこで思ったことは「おいおい・・酔っ払っているのに体脱か?」ということ。
前に、フォーカス10フリーフロー聴いている時、突然 振動が わき上がってパニクッて躊躇した残念な経験があり、今回は絶対成功を・・と思い、
そこで振動を増幅させる行動にでたのですが酔っ払っているせいか どうも今一 中途半端で・・
宇宙戦艦ヤマトに例えれば、波動砲発射に際し エネルギー85%程度でトーンダウンしたような感じ。
「なんだかな~」という滅入る気持ちになりながら眠りに入ったのでした。
やはり、お酒は非物質世界にアクセスする妨げになるのでしょうか。
酔っ払っていては脳の回路が優柔不断になるとか?
宗教でも酒を禁じた宗教もありますよね。
それって やはり、非物質世界への妨げになるから・・?
圭さんは どう思います?
それから、
今後は、ハンドル名「悩めるケンちゃん」は めんどくさいので「悩ケン」にします。
ありがとうございました。
ヘミシンクは、目的地にいきなり連れて行ってくれるというとても便利なツールですが、その目的地が一見すると今いるこの世界で体験している事と同じ事であったりするので、そこが難しいですね。
空港から外に出ても、「ここはまだ空港だ!」と思い込んでいればその人にとってそこはまだ空港なわけですしね。
お酒の話題が出てますが、モンロー研的には禁止してないので大丈夫だと思いますよ。
飲んだくれて聞くと、意識がみょうなところに行く場合もあるかもしれませんが。
酒も適量なら薬、タバコもカフェインもそうですよね。なんでも、それに溺れなければ何しても大丈夫だと思いますよ。
それに依存したら、ちょっと危険ですけどね。
そういう私はカフェイン中毒気味ですが。
コーヒーいくら飲んでも眠れますし。