昨日はやっと分割手数料無しの、某たかたさんから購入した液晶テレビを設置しておりまして、それで更新が遅れたと言うオチあります。
早速初地デジ体験をして、アナログと画質の違いを体験しておりましたが。
かなり違うものですねぇ。びっくりです。
今まで高画質だと思っていたDVDの映像が荒く感じてしまうほど。
人間、いいもの見るとこれ以下のグレードに満足しなくなりそうで怖いものですね。
一応ブルーレイの録画機(こんな言い方今時しないでしょうけど)もセットでしたので、早速予約録画も設定して。
実は、ここ数年いや、6年以上「タイマー録画」というものをやっていない生活をしておりましたので妙に新鮮に感じておりました。
ビデオデッキのリモコン受光部が破損しているのか、リモコンが利かなくなりまして。それ以来新しいものを買うことも無く録画の無い生活をしてましたね。まさに今を生きる生活。
まあ、それくらい家計が逼迫していたようなもんです。
ヘミシンクをやって、自分の中にあるあらゆる捕われを開放していくうちに、今のように人並みの生活を送れるようになってきました。仕事は忙しいのですが、なんとか月に何度か日曜日に休みを取れるようにもなりましたし。
意外と他の人のせいにしている事も、自分の内面を変化させていくと上手く行くのではないかな、と思えるようになってきましたね。
自らの捕われを開放するには、今までやったことのないことにチャレンジしてみるのもいいかと思います。
私で言えば、ブログを書く、本を書く。というのは一つそういうチャレンジだったのだと思います。そして、そうやって行動するとどんどんとガイドの用意してくれる道が見えてくるのかもしれません。
さて、今日のヘミシンク
先日発覚した、ゲートウェイのバージョン違いの可能性。
フォーカス12のフリーフローに入っている「パァーン」という誘導音が私のCDには入っていないんですね。
それを確認するために、大音量でちゃんと聞いてみました。
・・・・・?・・・・・・・
やっぱり入っていません。エマニエル フォン フォーグラーの声で「導いてくれる音がします」と言われた後を、一生懸命聞いても何もありません。
以前、そういう音が聞こえると言う事を聞いていたことはあったのですが、私はそれは非物質的に聞こえる音でCDの音ではないとばかり思っていました。
しかし、このCDはなんでしょうね?ひょっとして、他のナレーションとかにも違いがあるのではないかと不安になってきましたよ。
今度ゲートウェイマスターをモンロープロダクツに注文しているので、一セットは自分の家用に確保しておこう、と思った次第です。もしかして、今持っているCDはバッタモノ?それともレアモノ?
マニアのコレクターズアイテムにはいいかもですね。
さて、今日は私の考察する阿蘇の意味合いというものを書いてみようかと思います。
先日の体験で、山に住む精霊的な存在とコンタクトをとったので、ちょっとそのあたりの話も含めて。
坂本さんが屋久島の意味合いを本に書かれているそうなので、私は阿蘇の話をいまのうちに書いときます。なぜかというと、「坂本さんが阿蘇に来て、その体験を本に書かれた後に私が本書いたりしたらマネっこしたと思われてしまう。」と思ったからというのは半分くらい冗談ですが。少しは本気です(笑)。
まあ、ブログで公開しておけば、いろんな考え方の人がいろいろと考察してくださるので、面白いかなあと思いまして。
あくまで、私の主観でしかない話なので参考程度に読んでくださいね。
以前も私が書きましたが、阿蘇の山の作りは陰陽マークに似ております。そして、その場のエネルギーにも明らかな違いがありまして、阿蘇山を貫通する「阿蘇登山道 吉田線」を通ると分かるのですが、阿蘇谷から南郷谷に向けて走ると、トンネルを抜けるまでの重苦しさから急に開放された感覚を受けることが良くあります。

阿蘇の衛星写真載せてみますが、中央の部分が阿蘇山と言われる中央火口丘。周りの山が外輪山ですね。左側が立野と呼ばれる場所で、ここだけ外輪山が切れていて熊本市内方面へとここから出たり入ったりしてます。
北側の谷が阿蘇谷。南側が南郷谷と呼ばれていますので。
ちなみに、TSTのある場所はこの写真の上の方。私の家は南郷谷にあります。
阿蘇谷には「阿蘇神社」、南郷谷には、それと対比するように「八坂神社」が配置され、それぞれのエネルギーバランスを取る役割を果たしているように見受けられます。
陰の気が強い地域には、陽のエネルギーを持った(火振り神事など火関係が多いです)「阿蘇神社」。陽の気が強い地域には、陰の気を持った(川の側に存在しています)「八坂神社」を配置する事で、人間はその土地のエネルギーを中和して生活しやすくしていたのかな、とも思ったりして。
陽の気が強いと日照りや干ばつで作物が作りにくくなりそうです。陰の気が強くても、雨ばかりで作物が取れにくそうですね。
そこで、古代の人々はそのバランスを取り、「ちょうどいい感じ」にするべく、阿蘇に神社郡を配置したのではないのかな、と思えたりします。
八坂神社の宮司さんが書かれた本を読むと、さらにその理解が増します。
阿蘇の火口からはアースコアに行くルートが設定されておりまして、阿蘇のエネルギーを調整する神殿のようなものがそこにあったりします(非物質的にですよ)。人によってはルート、道、架け橋、そういう感じにも見えるのかと。
地球内部のエネルギーを地上へと開放するポイント。まあ、いわゆるパワースポットですね。
それを外輪山(阿蘇谷、南郷谷を取り囲む山の事)内部で陰陽のバランスを取り、立野方面から開放していく。そんなイメージを受け取っています。
太古の阿蘇は陥没して水が溜まり、湖であったということでいわゆる水で「陰」ですね。その何万年か前は火山がばんばん噴火していたのですから火で「陽」です。
そのバランスを取っている姿が今の阿蘇という形ではないのかと思われます。
「火口の火・陽」。「旧火口の水(杵島岳などの山頂にあります)・陰」
阿蘇谷のほうは長らく湖であった影響で水田が発達しています。大地も平地が多いです。
一方、南郷谷のほうは早くから水が抜けていたので地上の浸食が激しく谷状になっております。日当たりもいい感じ。
このあたりの関係も陰と陽のエネルギーを感じます。
立野の付近には原生林が存在しているのですが、そこの山のエネルギーが半端ではありませんで。
たぶん、陰陽のエネルギーをここで受けて、流すポイントであるのかな、と思っています。
そのような視点で阿蘇近辺を見ていくと、いろいろと面白い感じになってくるかと。
幣立神宮、高千穂、そういう場所も近所ですしね。
で、どうしてこのような仕組みをここに作る必要があったのか?
アースマンにでも今度聞いてみましょうかね。
とりあえず、阿蘇はこういう感じで、いろいろなシステムが存在している可能性がありますね、というお話です。
阿蘇近辺を散策するだけでも面白いですしね。TSTでヘミシンク三昧という方法もありますし。
そういえば、幣立神宮のある山都町の商店街では、2月28日までコロッケフェア(祭り?)かなんかやっていて、スタンプ集めるとTシャツもらえるとの事。
興味のある方は幣立にくるついでにそちらの制覇もがんばってみてはいかがでしょう。
18店舗くらいなので、なんとか一日で回れるかとおもいますが。
私もコロッケ好きなので行きたいくらいですね。
詳しくは山都町のホームページか何かで見てみて下さい。商工会とかそういうところがやっているとおもいますよ。
早速初地デジ体験をして、アナログと画質の違いを体験しておりましたが。
かなり違うものですねぇ。びっくりです。
今まで高画質だと思っていたDVDの映像が荒く感じてしまうほど。
人間、いいもの見るとこれ以下のグレードに満足しなくなりそうで怖いものですね。
一応ブルーレイの録画機(こんな言い方今時しないでしょうけど)もセットでしたので、早速予約録画も設定して。
実は、ここ数年いや、6年以上「タイマー録画」というものをやっていない生活をしておりましたので妙に新鮮に感じておりました。
ビデオデッキのリモコン受光部が破損しているのか、リモコンが利かなくなりまして。それ以来新しいものを買うことも無く録画の無い生活をしてましたね。まさに今を生きる生活。
まあ、それくらい家計が逼迫していたようなもんです。
ヘミシンクをやって、自分の中にあるあらゆる捕われを開放していくうちに、今のように人並みの生活を送れるようになってきました。仕事は忙しいのですが、なんとか月に何度か日曜日に休みを取れるようにもなりましたし。
意外と他の人のせいにしている事も、自分の内面を変化させていくと上手く行くのではないかな、と思えるようになってきましたね。
自らの捕われを開放するには、今までやったことのないことにチャレンジしてみるのもいいかと思います。
私で言えば、ブログを書く、本を書く。というのは一つそういうチャレンジだったのだと思います。そして、そうやって行動するとどんどんとガイドの用意してくれる道が見えてくるのかもしれません。
さて、今日のヘミシンク
先日発覚した、ゲートウェイのバージョン違いの可能性。
フォーカス12のフリーフローに入っている「パァーン」という誘導音が私のCDには入っていないんですね。
それを確認するために、大音量でちゃんと聞いてみました。
・・・・・?・・・・・・・
やっぱり入っていません。エマニエル フォン フォーグラーの声で「導いてくれる音がします」と言われた後を、一生懸命聞いても何もありません。
以前、そういう音が聞こえると言う事を聞いていたことはあったのですが、私はそれは非物質的に聞こえる音でCDの音ではないとばかり思っていました。
しかし、このCDはなんでしょうね?ひょっとして、他のナレーションとかにも違いがあるのではないかと不安になってきましたよ。
今度ゲートウェイマスターをモンロープロダクツに注文しているので、一セットは自分の家用に確保しておこう、と思った次第です。もしかして、今持っているCDはバッタモノ?それともレアモノ?
マニアのコレクターズアイテムにはいいかもですね。
さて、今日は私の考察する阿蘇の意味合いというものを書いてみようかと思います。
先日の体験で、山に住む精霊的な存在とコンタクトをとったので、ちょっとそのあたりの話も含めて。
坂本さんが屋久島の意味合いを本に書かれているそうなので、私は阿蘇の話をいまのうちに書いときます。なぜかというと、「坂本さんが阿蘇に来て、その体験を本に書かれた後に私が本書いたりしたらマネっこしたと思われてしまう。」と思ったからというのは半分くらい冗談ですが。少しは本気です(笑)。
まあ、ブログで公開しておけば、いろんな考え方の人がいろいろと考察してくださるので、面白いかなあと思いまして。
あくまで、私の主観でしかない話なので参考程度に読んでくださいね。
以前も私が書きましたが、阿蘇の山の作りは陰陽マークに似ております。そして、その場のエネルギーにも明らかな違いがありまして、阿蘇山を貫通する「阿蘇登山道 吉田線」を通ると分かるのですが、阿蘇谷から南郷谷に向けて走ると、トンネルを抜けるまでの重苦しさから急に開放された感覚を受けることが良くあります。

阿蘇の衛星写真載せてみますが、中央の部分が阿蘇山と言われる中央火口丘。周りの山が外輪山ですね。左側が立野と呼ばれる場所で、ここだけ外輪山が切れていて熊本市内方面へとここから出たり入ったりしてます。
北側の谷が阿蘇谷。南側が南郷谷と呼ばれていますので。
ちなみに、TSTのある場所はこの写真の上の方。私の家は南郷谷にあります。
阿蘇谷には「阿蘇神社」、南郷谷には、それと対比するように「八坂神社」が配置され、それぞれのエネルギーバランスを取る役割を果たしているように見受けられます。
陰の気が強い地域には、陽のエネルギーを持った(火振り神事など火関係が多いです)「阿蘇神社」。陽の気が強い地域には、陰の気を持った(川の側に存在しています)「八坂神社」を配置する事で、人間はその土地のエネルギーを中和して生活しやすくしていたのかな、とも思ったりして。
陽の気が強いと日照りや干ばつで作物が作りにくくなりそうです。陰の気が強くても、雨ばかりで作物が取れにくそうですね。
そこで、古代の人々はそのバランスを取り、「ちょうどいい感じ」にするべく、阿蘇に神社郡を配置したのではないのかな、と思えたりします。
八坂神社の宮司さんが書かれた本を読むと、さらにその理解が増します。
阿蘇の火口からはアースコアに行くルートが設定されておりまして、阿蘇のエネルギーを調整する神殿のようなものがそこにあったりします(非物質的にですよ)。人によってはルート、道、架け橋、そういう感じにも見えるのかと。
地球内部のエネルギーを地上へと開放するポイント。まあ、いわゆるパワースポットですね。
それを外輪山(阿蘇谷、南郷谷を取り囲む山の事)内部で陰陽のバランスを取り、立野方面から開放していく。そんなイメージを受け取っています。
太古の阿蘇は陥没して水が溜まり、湖であったということでいわゆる水で「陰」ですね。その何万年か前は火山がばんばん噴火していたのですから火で「陽」です。
そのバランスを取っている姿が今の阿蘇という形ではないのかと思われます。
「火口の火・陽」。「旧火口の水(杵島岳などの山頂にあります)・陰」
阿蘇谷のほうは長らく湖であった影響で水田が発達しています。大地も平地が多いです。
一方、南郷谷のほうは早くから水が抜けていたので地上の浸食が激しく谷状になっております。日当たりもいい感じ。
このあたりの関係も陰と陽のエネルギーを感じます。
立野の付近には原生林が存在しているのですが、そこの山のエネルギーが半端ではありませんで。
たぶん、陰陽のエネルギーをここで受けて、流すポイントであるのかな、と思っています。
そのような視点で阿蘇近辺を見ていくと、いろいろと面白い感じになってくるかと。
幣立神宮、高千穂、そういう場所も近所ですしね。
で、どうしてこのような仕組みをここに作る必要があったのか?
アースマンにでも今度聞いてみましょうかね。
とりあえず、阿蘇はこういう感じで、いろいろなシステムが存在している可能性がありますね、というお話です。
阿蘇近辺を散策するだけでも面白いですしね。TSTでヘミシンク三昧という方法もありますし。
そういえば、幣立神宮のある山都町の商店街では、2月28日までコロッケフェア(祭り?)かなんかやっていて、スタンプ集めるとTシャツもらえるとの事。
興味のある方は幣立にくるついでにそちらの制覇もがんばってみてはいかがでしょう。
18店舗くらいなので、なんとか一日で回れるかとおもいますが。
私もコロッケ好きなので行きたいくらいですね。
詳しくは山都町のホームページか何かで見てみて下さい。商工会とかそういうところがやっているとおもいますよ。
私も、最初の頃は、とてもきれいなので、感動しました。
女子アナの肌まで見えてしまいます。驚きましたね。
そして、ブルーレイを買い、今は完璧なんですが、
見慣れてしまって、だんだん感動が薄れてしまいました。慣れって怖いですね。
きっと、ヘミシンクでも、始めて知覚して感動してなれてくると、その上を目指すのと、にていますね。
阿蘇は何かありますね。
ところで、ラドンは、いませんでしたか。
東宝の怪獣映画のラドンは、阿蘇から生まれて、阿蘇の噴火で死んでしまいます。
怪獣映画の大ファンなもので。
阿蘇のその仕組みについて、アースマンからの説明もとても興味あります。
昨夜はF15を聴きましたが、特に視覚的には何もなく、ただ、何故か急に右肩がかなり痛くなりました。
誰かと短い会話をした覚えはありますが、内容を覚えていません。
準備のプロセスはわかるんですがあのラッパみたいな音の意味がわからないまま聞いてました…
“導いてくれる音”だったんですねぇ…
まるさんのがこうしてブログに書いてくださったおかげで謎が解けました!
ありがとうございますp(^^)q
阿蘇、ますます興味深いですね。
九州には一度も行った事がないので次回の旅候補ナンバーワンです!!
その際にはネコオルにも行ってみたいですが、やっぱり車があった方が便利ですか??
緑がきれいな時期に、散歩したいですね?(*^^*)
それとは別に、CDのナレーションに間違いがありました。Wave V の1枚目のtrack 1 上級Focus12 です。「準備のあとフォーカス10でお待ちします」と言っているのですが、実際はフォーカス12です!最初聴いた時はあわててしまいましたね。しかし、聴くたびに間違いを忘れていて慌てるのです。最近は要領がわかってきて勝手にフォーカス12へ移動していますけれど…このナレーションの間違いは修正されているのかしら?
パワースポット的に・・。
ちなみに、私もコロッケ好きです。
関係ないですが(^^;)
それでヘミシンクに目をつけました。私は経済的な事情でCDを気軽に買うわけにもいかないので試したことがないんです。それなのに分かったような発言をしてすみませんでした。
真宗では地獄に落ちるイメージが浮かぶ、つまり、後生が苦にならないと信心が頂けないといいます。それは煩悩のしわざで、いくつになっても「自分が死ぬわけないじゃん。」と思っているからですね。
私がキリスト教を離脱した理由は性的なことが原因です。婚前交渉が禁止されており、風俗に行くことも大罪です。私は長い間、被害妄想で悩んでいました。障害を抱えていると恋愛は出来ないと思い込んでいました。そして、ある日、このまま女性を知らずに死にたくないと思い、風俗に行きましたら、優しく接してくれました。勿論、身体のことは聞かれましたが…。その時、私は今まで、なんて被害妄想の思い込みをしていたのだろう…と後悔の涙をこぼしました。それ以来、定期的に風俗に通っております。ですから、私にはキリスト教は信仰できません。
それと話は変わるのですが、安楽死の法整備を整えたいと思い、活動を依頼したことがありますが支援団体に逃げられてしまいました。そもそも、「生」が強制のようになっているのはおかしいと思うのです。どうにもならない事情(例えば、重労働の介護を強いられるなど)の場合、安楽死を許す。それも愛だと私は思います。
人生の目的などと偉そうなことをいいました。これはカルト団体・親鸞会の影響です。人生の目的なんて誰にも分からないですね。
今、私は聴聞に限界を感じています。信心なんて思い込みじゃないかと思うようになりました。まるさんのブログを読んでの感想は、何か、狐につつまれたような感じなのです。書いておられる内容が理解できない。私は地方ですが、九州じゃないので近くに教えを請えるところがありません。ヘミシンクをやってから、死ぬのも悪くないと思っています。「やれること、気になることすべて試してから」ですね。
世の中には様々な宗教があり、2035年までに宇宙人が来るという団体もあります。そこにも通っていたことがあります。しかし、実感がない。
マザーテレサは神との対話ができないことに悩んでいました。彼女の活動は聖書のマタイ25に従ってのことであり、私欲は一切なかったと思います。しかし、神の声を聞くことが出来ない。私も教会に通っていたとき、紙切れをキリストの身体といわれ、「はぁ?」と思ったものです。実感がない。もう、本当に実感できるものに対する渇望が強いですね。
余談ですが、仏様より、真宗の僧が僕の生い立ちを聞き、涙してくれた。そういうことの方が嬉しかったりする。仏様など架空の存在かもしれません…。
以上、つたない文章ではありますが思いつくままに経緯を書いてみました。
メタミュージックなら、2500円からありますので、そこから始められてもいいかも知れませんよ。
自分に合うCDがきっとあるはずですよ。
ぜひ”実践者”になってください。
貴方に会うなんて?
あ?れから何日経ったのかしら?少しはヘミシンクやる気になったでしょ?
身障者なんて気にすることないわ?。
世の中には音程の壊れたシネシネ団もいるからね。
スモール金なんか脚蹴りしたら、
ド?レ?ミ?フニャ?ソ?ラ?シ?イヒッ??みたいよ。
特に歯が抜けたような音もいるし、最悪なのはビリケツ!
キレは悪いし(なんの?)伸びはないし(どこが??)
「俺らは仲間?」言う割には、バランスがなってないわ!
だから、念仏者さんは気にせず頑張ってにゃ。
どれだけの言葉を交わしても、みな、それぞれに境遇が違うのですから、理解し合うのは不可能です。昨今の社会情勢を見て、私は自殺も尊重すべきだと思います。もし、それがいけないというなら、「なぜ、いけないか?」の答えがなければならないわけで。
あっ、それもガイドに聞いてみたいと思います。(笑)