昨晩から、いただいたドイツソーセージをたらふく食べています。あとはザワークラウトがあれば、幼き頃に「食べたいなあ」と夢に見ていたホッツエンプロッツメニューですよ。
やはり違いますね。ハーブの香りとか、使用している肉質とか。
向こうの大量生産品という事なのですが、日本で売られているソーセージ、製造されている手作りソーセージなどとも基本的に作り方の目指すところが違うような気がしました。
日本車とドイツ車の違いみたいなものでしょうか。
一般的に受ける『商品』としての日本車(特に、子供店長のいるT社)。『車』であることにこだわるドイツ車。そんなイメージでした。
何でも、体験しないと分かりにくいものですね。世界に色々な国があって、色々な考え方があるというのは、その小さな変化に気付いていくことを楽しむためにあるのかもしれませんね。
ということで、ドイツの車にも乗ってみたいものです。
さて、今日のヘミシンク。
昨晩から「体外離脱するサラリーマン」の影響で、体脱CD聞いて寝始めておりますが、良く眠れます。熟睡モードでした。「こんなんで体脱できるのか?」と思いましたが、まあ、気長にやってみます。
で、今日は久々にフォーカス10のフリーフロー、12のフリーフロー聞きました。
10ではリラックスをメインに聞いてみて、12では10との違いを感じてみるような、そのような感じでしたね。
なので、特に驚くような体験もなく。
様々なイメージが見えたのと、久しぶりに白昼夢的童話的ストーリーが見えました。
まあ、ベタなんですけどね。
ちょっとその話を書いてみます。見た後にすぐ、忘れないようにいきなり書いているのでストーリー的にはまとまっていないかもしれませんが。
私には、3Dの映画を見ているように、その世界に入り込んでその様子を見ているような感じです。
なので、見ている風景やら出てくる人物の関係、思考、何を考えてそういう行動に出たのか、とかそういう細かい設定も見えていたりして。
全部文章やイラストにすると何かの設定資料集並みに書けてしまいます。
でも、今回はブログですので、ちょっと童話風の語り口調で書いてみました。
まあ、「これ童話?」というような内容もありますけど、気楽に読んでみてください。
<森の妖怪と少女>
森には毛の長い大きな妖怪が住んでいました。
その妖怪は大人が森に入るといつも怖い顔をして怒って追い出そうとします。
だから、その森は怖い森と言われていました。
ある日、その森に女の子がやってきました。その子も森には妖怪がいることを知っていたのですが、野いちご摘みに夢中になって、この森まで入り込んできたのです。
その時、ガサッと音がして、大きな妖怪が現れました。
女の子はでも、怖くありません。妖怪はニコニコと笑っていたからです。
なぜか一緒に妖怪も野いちご摘みを手伝ってくれました。
それから、少女は森に良く行くようになりました。
妖怪はいつも少女に優しく、いつも森で楽しい事をして遊んでおりました。
美しい泉を見に行ったり、美味しい果物のなる木を教えてもらったり。
でも大人たちはその少女の行動を危険だと言って、いつもとめようとします。
でも少女は妖怪が優しい事を知っていたので、こっそりと会いにいっていました。
ある日、少女の家で、お父さんとお母さんが喧嘩をしました。その原因は、お父さんがお母さん以外の女の人と仲良くなって、家を出て行くと言い出したからです。
少女はものすごくショックを受けました。あんなに優しいお父さんが、いきなりそんな事を言い出すなんて。それに、私達よりも他の誰だかわからない人のところにいくだなんて。
少女は森に行きました。もう家族とも一緒に居るのもいやになりました。森で、妖怪と一緒に暮らそうと思ったのです。
森に行くと、妖怪は悲しそうな顔をして、そして、少女を抱えて森の奥へと入っていきました。
それに驚いたのはお母さんとお父さん、それに村の大人達。
皆は少女が妖怪にたぶらかされたのだ、と思い、猟師は鉄砲を片手に森に少女を探しに行きました。
妖怪は大人たちに吠えかかり、少女を優しく抱いて森の奥へと逃げていきます。
大人たちは猟犬をけしかけ、鉄砲を撃っておくヘと追い込んでいきます。
ついに滝のふもとで、妖怪は追い詰められました。少女をしっかりと胸に抱いて。
妖怪は少女を守ろうと必死に吼えます、抵抗します。
でも、猟師からついに銀の弾を打ち込まれて、死んでしまいました。
大人たちは泣き叫ぶ少女を無理やり引き離し、村へとつれて帰っていきました。
それから、何十年と言う時が過ぎました。
妖怪は、そのまま森の木となりました。滝のそばに立つ大きな楡の大木になって。
そこに、一人の老婆がやってきました。もう疲れ果てた様子が見て分かるくらいのおばあさんです。
そして、そこの大木の根元に腰をかけ、つぶやきました。
「もう、疲れたよ。人間の中で生きるのは、もう疲れた・・・。」
それを聞いて、楡の大木はそっと枝を震わせました。
おばあさんはそれを見上げていいました。
「そうだね、あんたにしよう。あんたは昔夢の中で会った妖怪とそっくりだ。」
そう言って、おばあさんは大木の枝に紐をかけ・・・・。
というような話です。
最期はかなりダークな感じになっておりますので、童話ではないですね。結構人間関係どろどろしていたりします。書いてないですけど。
これを読んで、かわいそうな事だと思うのかどうかは人次第でしょうけど、私はある意味妖怪的にはハッピーエンドなのかな、とも思いました。好きな女の子が一番苦しんでいる時に手を貸して上げられたのですから。
どの視点に立って物を見るかで、結構判断の分かれる物語のような気がしますね。
私はこの物語を見ているとき、妖怪の心も一緒に見えていたので、だんだん泣けてました。
ちなみに、この妖怪は何かというと、「人の期待していることをそのまま表してくれる存在。」という感じでしょうか。
なので、「怖い妖怪」と思う人がくると怖い姿で出てきて、森が好きな少女が来ると優しい姿ででてくる。少女が逃げたいと思えば一緒に逃げて、村人が少女を奪う妖怪だと思えば、本当に奪って逃げていく。
最期も、老婆の願いをかなえていますよね。
なので、この妖怪にはなんの善悪の判断も価値基準もなく、だた人の望むことをしていただけの存在。とそういう感じでしょうか。
「妖怪は人のために、村の人々の姿として、ただそこに居るのに。」
という感じで。
こういう話に弱いので、妖怪に感情移入してしまうのでしょう。
自分で白昼夢見て泣いてたら世話ないですね。
普通に読むと、「子供には見せられんなあ」と思いますけどね。
しかし、なんで、今こんな話が降りてきたのか良く分かりませんが。
詳細に書くと短編小説くらいになりますかね。でもオチが弱いのでたぶん送っても採用されないでしょう。
それに、内容的にも一般道徳てきにいかがなものか、という感じもあり。
ヘミシンクとかで向こうとつながると、こんな感じで話しが降りてくることがあります。
これを元に、いろいろと書き直すと童話になるのかな、と思ったりしますね。
宮沢賢治のように、お話が降ってくるというのは、こういう感じで向こうとつながった時に感じるものなのかもしれません。
苔むした森の木々、美しい泉の風景。妖怪の毛並み。
私の白昼夢は、その物語の風景に自分が入り込んで、そのなかで流れるストーリーを見ているような、そんな感じです。ヘミシンク体験とも夢とも違うものなんですよね。
「アバター」を見たとき、映像的に私にとってあまりインパクトが薄かったのは、この白昼夢体験がまさにあんな感じだったからです。
ヘミシンク体験とも体外離脱体験ともまた違う、「白昼夢」体験。ある意味これも体外離脱なんですかね?
マンガや小説のネタに困っている編集者や原作者の人にもヘミシンク、おススメです。ただし、下りてきた話が面白いかどうかまでは責任もてませんけどね。
やはり違いますね。ハーブの香りとか、使用している肉質とか。
向こうの大量生産品という事なのですが、日本で売られているソーセージ、製造されている手作りソーセージなどとも基本的に作り方の目指すところが違うような気がしました。
日本車とドイツ車の違いみたいなものでしょうか。
一般的に受ける『商品』としての日本車(特に、子供店長のいるT社)。『車』であることにこだわるドイツ車。そんなイメージでした。
何でも、体験しないと分かりにくいものですね。世界に色々な国があって、色々な考え方があるというのは、その小さな変化に気付いていくことを楽しむためにあるのかもしれませんね。
ということで、ドイツの車にも乗ってみたいものです。
さて、今日のヘミシンク。
昨晩から「体外離脱するサラリーマン」の影響で、体脱CD聞いて寝始めておりますが、良く眠れます。熟睡モードでした。「こんなんで体脱できるのか?」と思いましたが、まあ、気長にやってみます。
で、今日は久々にフォーカス10のフリーフロー、12のフリーフロー聞きました。
10ではリラックスをメインに聞いてみて、12では10との違いを感じてみるような、そのような感じでしたね。
なので、特に驚くような体験もなく。
様々なイメージが見えたのと、久しぶりに白昼夢的童話的ストーリーが見えました。
まあ、ベタなんですけどね。
ちょっとその話を書いてみます。見た後にすぐ、忘れないようにいきなり書いているのでストーリー的にはまとまっていないかもしれませんが。
私には、3Dの映画を見ているように、その世界に入り込んでその様子を見ているような感じです。
なので、見ている風景やら出てくる人物の関係、思考、何を考えてそういう行動に出たのか、とかそういう細かい設定も見えていたりして。
全部文章やイラストにすると何かの設定資料集並みに書けてしまいます。
でも、今回はブログですので、ちょっと童話風の語り口調で書いてみました。
まあ、「これ童話?」というような内容もありますけど、気楽に読んでみてください。
<森の妖怪と少女>
森には毛の長い大きな妖怪が住んでいました。
その妖怪は大人が森に入るといつも怖い顔をして怒って追い出そうとします。
だから、その森は怖い森と言われていました。
ある日、その森に女の子がやってきました。その子も森には妖怪がいることを知っていたのですが、野いちご摘みに夢中になって、この森まで入り込んできたのです。
その時、ガサッと音がして、大きな妖怪が現れました。
女の子はでも、怖くありません。妖怪はニコニコと笑っていたからです。
なぜか一緒に妖怪も野いちご摘みを手伝ってくれました。
それから、少女は森に良く行くようになりました。
妖怪はいつも少女に優しく、いつも森で楽しい事をして遊んでおりました。
美しい泉を見に行ったり、美味しい果物のなる木を教えてもらったり。
でも大人たちはその少女の行動を危険だと言って、いつもとめようとします。
でも少女は妖怪が優しい事を知っていたので、こっそりと会いにいっていました。
ある日、少女の家で、お父さんとお母さんが喧嘩をしました。その原因は、お父さんがお母さん以外の女の人と仲良くなって、家を出て行くと言い出したからです。
少女はものすごくショックを受けました。あんなに優しいお父さんが、いきなりそんな事を言い出すなんて。それに、私達よりも他の誰だかわからない人のところにいくだなんて。
少女は森に行きました。もう家族とも一緒に居るのもいやになりました。森で、妖怪と一緒に暮らそうと思ったのです。
森に行くと、妖怪は悲しそうな顔をして、そして、少女を抱えて森の奥へと入っていきました。
それに驚いたのはお母さんとお父さん、それに村の大人達。
皆は少女が妖怪にたぶらかされたのだ、と思い、猟師は鉄砲を片手に森に少女を探しに行きました。
妖怪は大人たちに吠えかかり、少女を優しく抱いて森の奥へと逃げていきます。
大人たちは猟犬をけしかけ、鉄砲を撃っておくヘと追い込んでいきます。
ついに滝のふもとで、妖怪は追い詰められました。少女をしっかりと胸に抱いて。
妖怪は少女を守ろうと必死に吼えます、抵抗します。
でも、猟師からついに銀の弾を打ち込まれて、死んでしまいました。
大人たちは泣き叫ぶ少女を無理やり引き離し、村へとつれて帰っていきました。
それから、何十年と言う時が過ぎました。
妖怪は、そのまま森の木となりました。滝のそばに立つ大きな楡の大木になって。
そこに、一人の老婆がやってきました。もう疲れ果てた様子が見て分かるくらいのおばあさんです。
そして、そこの大木の根元に腰をかけ、つぶやきました。
「もう、疲れたよ。人間の中で生きるのは、もう疲れた・・・。」
それを聞いて、楡の大木はそっと枝を震わせました。
おばあさんはそれを見上げていいました。
「そうだね、あんたにしよう。あんたは昔夢の中で会った妖怪とそっくりだ。」
そう言って、おばあさんは大木の枝に紐をかけ・・・・。
というような話です。
最期はかなりダークな感じになっておりますので、童話ではないですね。結構人間関係どろどろしていたりします。書いてないですけど。
これを読んで、かわいそうな事だと思うのかどうかは人次第でしょうけど、私はある意味妖怪的にはハッピーエンドなのかな、とも思いました。好きな女の子が一番苦しんでいる時に手を貸して上げられたのですから。
どの視点に立って物を見るかで、結構判断の分かれる物語のような気がしますね。
私はこの物語を見ているとき、妖怪の心も一緒に見えていたので、だんだん泣けてました。
ちなみに、この妖怪は何かというと、「人の期待していることをそのまま表してくれる存在。」という感じでしょうか。
なので、「怖い妖怪」と思う人がくると怖い姿で出てきて、森が好きな少女が来ると優しい姿ででてくる。少女が逃げたいと思えば一緒に逃げて、村人が少女を奪う妖怪だと思えば、本当に奪って逃げていく。
最期も、老婆の願いをかなえていますよね。
なので、この妖怪にはなんの善悪の判断も価値基準もなく、だた人の望むことをしていただけの存在。とそういう感じでしょうか。
「妖怪は人のために、村の人々の姿として、ただそこに居るのに。」
という感じで。
こういう話に弱いので、妖怪に感情移入してしまうのでしょう。
自分で白昼夢見て泣いてたら世話ないですね。
普通に読むと、「子供には見せられんなあ」と思いますけどね。
しかし、なんで、今こんな話が降りてきたのか良く分かりませんが。
詳細に書くと短編小説くらいになりますかね。でもオチが弱いのでたぶん送っても採用されないでしょう。
それに、内容的にも一般道徳てきにいかがなものか、という感じもあり。
ヘミシンクとかで向こうとつながると、こんな感じで話しが降りてくることがあります。
これを元に、いろいろと書き直すと童話になるのかな、と思ったりしますね。
宮沢賢治のように、お話が降ってくるというのは、こういう感じで向こうとつながった時に感じるものなのかもしれません。
苔むした森の木々、美しい泉の風景。妖怪の毛並み。
私の白昼夢は、その物語の風景に自分が入り込んで、そのなかで流れるストーリーを見ているような、そんな感じです。ヘミシンク体験とも夢とも違うものなんですよね。
「アバター」を見たとき、映像的に私にとってあまりインパクトが薄かったのは、この白昼夢体験がまさにあんな感じだったからです。
ヘミシンク体験とも体外離脱体験ともまた違う、「白昼夢」体験。ある意味これも体外離脱なんですかね?
マンガや小説のネタに困っている編集者や原作者の人にもヘミシンク、おススメです。ただし、下りてきた話が面白いかどうかまでは責任もてませんけどね。
まるさんは見事に私を泣かしました。こんな短いお話で。
これ本にして欲しいくらいです。
ムンクさんの本をさがしに本屋に行ったとき、「ライオンのクリスチャン」を立見して、「私もクリスチャンと戯れた?い。一緒に寝てみたい」と冗談抜きに思いました。一昨年テレビでも、少しだけ取り上げられてましたが、あの兄弟が羨ましくてたまりません。
姿形は違ってもお互いに愛が溢れていますよね。
金曜にテレビであった「もののけ姫」も似たような感じです。
あの山犬の母犬の声は美輪明宏さんじゃないですかね。マッチし過ぎと思う今日この頃。
さすが、まるの日さん、転んでもただでは起きませんね。白昼夢体験久しぶりですね。
宮沢賢治は、絶対、白昼夢体験をしていますね。
普通に考えれば、一人の人間が、あのように、多種多様な能力があるなんて、考えられませんね。
宮沢賢治研究だけで、一生を使っている評論家もいますしね。
一度私も体験してみたいです。
ちなみに、今日の妖怪の話、私は好きです。
やはり読経のような声、しかし、今回は短めでした。
以前、クゥ瞑想のとき、ふっと上がってきた情報を少し記入します。
学生時代に見た夢ですが、夢の中の私に「今夜行くから」みたいな情報があって、その通りに白い着物姿で、黒髪を長く伸ばした色白の女性。あまりの美しさで、立ってるだけなのに、逆に怖いんです。もう細かい内容は覚えていませんが、その夢に出られた女性は、多分、先祖のある女性だろうとその時は思い、私は母に一度だけ話しました。が、しかし、話し始めて直ぐに背中からザァーって感じに鳥肌が立ったので、話しは途中で止めることになったんですが、今年、そういえば、伊勢神宮に参拝したときにも、同じように鳥肌が立ちゃいましたから、あの女性は天照様の姿だったのかなぁと、何となく思いました。流れ的にですけどね。そして、出雲大社で写ったものが光なんですが、龍に感じれたのも、流れです。実際にはどうなのか分かりませんが、42年間生きてきて、掛け軸=ククリ姫=天照様だけでも、頭打たれてますから、私の体験として信じてますね。
「働き」には善も悪もなく、ただ作用があるということですね。
日本人は珍しいということで、昔、馬小屋に使っていた納屋にテーブルと椅子をしつらえてカフェテラスみたいにしてくれました。相撲取りのような体型の女主人でしたけど。(^^); 懐かしく思い出してしまいました。
今回の童話(?)面白いお話でした。
欧州の童話は、もともと日本で見るようなハッピーエンドのようなものは少なくて、もっと(一見)残酷な結末が多いという話をドイツを案内してくれた知り合いから聞いたことがあります。
正月2日にNHKで宮崎駿さんと養老猛さんの対談を放映していましたが、宮崎さんは、「今後どういう作品を作りたいですか」という質問に対して「人間の存在の奥底の方に潜む黒い深い部分に何かの形で触れるような映画を作らなければならない」と答えておられました。
まるの日さん、将来はジブリとコラボか?なんてね。
少し雰囲気が変化してきてるような(笑)
今日のお話も、なんと表現してよいのか、
心に響くお話ですね。
マザーグースも残酷なお話ばかりですが、
夢のような薔薇色世界だけでなく、
陰の事を描いた童話も大事なのでしょうね。
とても面白いと思いました。
いきなりF21とか聞いてみようかと無謀なことを考えていたのですが、思いとどまりました。
まずは地道に順番にやっていくことにします。
童話、意外な結末でビックリしました。でもリアリティーがありますね。
私も学生時代はよくファンタジー小説とか書いてました。なので、ストーリーが降りてくる感じ、わかります。ヘミシンクで面白いネタが集まったら、また書いてみようと思います。
と、思いました。
最近、この世(全ての次元)が消え去ることをかなり真剣に祈っていたので、それに対する答えを、ずどーん、と突き付けられたような感じでした。
テレビから流れて来る映画の予告ナレーション『それでも人間は必要なんだ』が耳に飛び込んで来ても、エネルギー(情報)を得るために必要なだけでしょ、だからやっぱり私は存在全ての消滅を願い続けることを変えはしない、と冷めた態度を取っていたら、
今日のまるの日さんのブログで、そんなこと願ってもそこに存在しちゃうもんはしかたないじゃーん、とパンチをくらった感じでした。
うむ?、まいった。
参りました。
何かのCMで言ってる
「この ろくでもない素晴らしき世界」…でしょうかね。
まぁ私は出来る事を1つ1つやるだけですね。
あと童話?ですが…
あれ意味深いですね!!