ここ数日の私の家でのファッションは
短パンにTシャツです。
昨日は初冠雪とか言いながら、その服装はなんだ?と思われそうですが。
薪ストーブを焚いているからそうなるのですよね。
「程よく暖める」という事をしていると、ストーブが傷むらしくて。
我が家のエンライトは「燃やす時は燃やす!」という男らしいやりかたをしないといけないようです。作りが複雑なので、テクニックも必要ですし。
なので、今年からはそれを実行しておりまして。
まだ外気温がマイナスまで下がっているわけではないので、室温が異常に上がる。という状態になっています。
その割りには、燃やし方も慣れてきたので効率の良い薪の使い方してまして。
薪の消費量は少なく済んでいます。
なんでも、効率よくやると煙突も汚れないし、ガラスも汚れないし、火持ちもいいし、イイコト尽くめですね。
『燃え上がれ~♪ 燃え上がれ~♪』
3年間独学で薪ストーブを使ってきて、だいたい使えるようになったかな、とおもっていましたが。まだまだ甘かったようですね。
ちゃんとした使い方を学ぶとそれ以上のいい結果を得られるようになる。
独学で、ある程度の積み重ねがあったから、使い方をちょこっと聞いただけでもマネできるようになってましたが。
より上を目指すのならば、ちゃんと勉強するのも重要なのですよね。
ヘミシンクでも同じかな、と思う次第。
なので、私も来年は勉強の年にしようかと計画をしてますが
まだまだ、先には未知の領域が転がってますから。それを得るには精進あるのみですね。
上を目指す事を忘れると、そこで停滞してしまいますので。
今度は何しようかな、と思うところです。
やりたい事はたくさんあれど、時間と頭がついていかないものですね。
ヘミシンクをやっていると。
向うの世界に行かれた方との接触を希望される方もいらっしゃいます。
このあたりの事は、私の3冊目の本「あの世の会いたい人に会える本」に書いてありますが。
通常の意識状態でも、実は向うの方とは接触できるものなんですよね。
今、現実世界で人と接触していますが。
これがメールのやり取りでも相手と共感して、友人のようになれる場合もあります。
相手の顔も、環境も分からなくても、相手のことを大切に思う事はできるようになります。
その場合、一度でも直接会っていると、さらに相手との距離も縮まります。
そこに、相手に自分の欲を向けて、それを見る事が普通になってしまうと面倒になったりもしますが。
向うの世界の方との接触も、似たような感じでして。
一度直接会った人とならば、向うの世界とこちらの世界と、互いの意識が主に存在する場所が分かれても、一回つながった関係は切断される事はないと思います。
そのつながりが強ければ強いほど。
コレは俗に言う良い関係だけではなく、悪い関係も相手に対して強く思っていればつながったままになってしまうという事ですね。
だから、亡くなった方を丁寧に敬って、先祖を大切にする意識というものも、人によっては重要なものとなってきます。
悪い関係をここで良い方向に転じるという感じで。
向うに行かれた方と会いたいなあ、と思った場合は、
ゆったりとした気持ちで、まずは良い関係のあった思い出を思い出して。
相手との、意識のつながりを感じた時の気持ちを思い出してみます。
共に笑った記憶、
共に歩いた記憶。
共に寄り添った思い出。
そして、豊かな気持ちになってから、
「今、どうして居るの?」
と聞いてみます。
すると、そこで相手の方が何らかの反応を示してくれるでしょう。
想像の範囲でいいのですよね。
「こういう風にあの人なら言うだろうなあ。」
という感じでいいと思います。
その言葉を受け入れて、そして豊かな気持ちになったならば。
それはもう向うの人とのつながりが出来た証拠ですので。
何も、特別な能力も何も必要ないのですよね。
普通でいいのですよね。いつものように接するだけで。
その時に、リラックスする音楽。もしくはヘミシンク音などの入ったCDを聞いていると、さらにつながりを感じやすくなったりします。
お互いが好きな音楽でもいいと思いますよ。
ということで、ゴーイングホームの「帰還」を聞きながら。ちょっと自分の祖父母にもたまには会いに行って見ますが。
もう今は取り壊されている、祖父の家にむかいます。フォーカス27にある祖父の家です。
すると、祖父は畑でにんじんを引っこ抜いていました。
「おぉ。よおきたなあ。一本どげんか?」
ということでにんじんを手渡されます。
今、にんじんの季節じゃあないでしょう?と言うと、ここでは季節は関係ない。と言われてしまいました。そりゃあそうです。
丸々と太った美味しそうなにんじんです。ちょっと齧ると、甘い風味が感じられます。
そのまま、祖父と畑を歩いて、今度は馬屋のほうへと進みます。
その途中で、ちょっと話しをしてましたが。その答えのような事を教えてくれるという事です。
馬屋の前には、大きな雄牛がつながれていました。
私の記憶にある限りでは、祖父の家にはもう牛はいなかったはずですが?
この雄牛は、種牛としていい牛だった、と祖父は言います。
それだけに、あらゆる子供を残したが早くに死んでしまった。とも言います。
なんで?と私が聞くと、
「人の期待が大きすぎた。たくさんの良い子牛を生むために働かせていたら。人の気持ちを受けすぎて早くに死んでしもうた。気持ちを受けすぎて、中に溜め込むといかんなぁ。」
なんていいながら、私を見ます。
「それって僕に対しての警告?」
「受け入れるのも程ほどにせんと、身が持たん。」
「そうは言いつつも、いろいろと責任もある立場だし。」
「仕事をすると、期待される。期待にこたえようとすると、相手の気持ちを中に溜め込んでしまう。相手の事はかんがえないで、自分のやりたい事を考えてみらんかい?」
「それって、自分勝手にならないの?」
「そういう事を言うから、ためこんで腹がでる。」
そう言って、祖父は笑いました。
ちょっとしたやり取りでしたが、祖父のメッセージは心地よくて。なんだかホッとしました。
死んだあとにできる事も多いけど、死ぬ前にしか出来ない事もたくさんある。
葛藤をかかえて悩んで選択して先に進むのも、それは生きている間だけしかできないのだから。それを楽しむようにすればいい。
という感じの事も言われて。
久々の『おじいちゃん家に行こう』は私にとって良いメッセージをもらいました。
その後、祖母にも会いまして、励まされてしまいまして。
朝から、なんだかほっとして安心した、そんな感じです。
私は、この感覚がある場合は「あ、つながれたのだなあ」と思えるのですよね。
これは、他の方と会う場合でも同じでして。
向うの世界は暖かく、心地よく、美しいです。
たまに行くと、しばらく向うに滞在したくもなりますが。
仕事がありますからね。
10分くらいの意識の旅という感じで。
生きている間は、生きている事を楽しむ事が必要なのでしょうね。
短パンにTシャツです。
昨日は初冠雪とか言いながら、その服装はなんだ?と思われそうですが。
薪ストーブを焚いているからそうなるのですよね。
「程よく暖める」という事をしていると、ストーブが傷むらしくて。
我が家のエンライトは「燃やす時は燃やす!」という男らしいやりかたをしないといけないようです。作りが複雑なので、テクニックも必要ですし。
なので、今年からはそれを実行しておりまして。
まだ外気温がマイナスまで下がっているわけではないので、室温が異常に上がる。という状態になっています。
その割りには、燃やし方も慣れてきたので効率の良い薪の使い方してまして。
薪の消費量は少なく済んでいます。
なんでも、効率よくやると煙突も汚れないし、ガラスも汚れないし、火持ちもいいし、イイコト尽くめですね。
『燃え上がれ~♪ 燃え上がれ~♪』
3年間独学で薪ストーブを使ってきて、だいたい使えるようになったかな、とおもっていましたが。まだまだ甘かったようですね。
ちゃんとした使い方を学ぶとそれ以上のいい結果を得られるようになる。
独学で、ある程度の積み重ねがあったから、使い方をちょこっと聞いただけでもマネできるようになってましたが。
より上を目指すのならば、ちゃんと勉強するのも重要なのですよね。
ヘミシンクでも同じかな、と思う次第。
なので、私も来年は勉強の年にしようかと計画をしてますが
まだまだ、先には未知の領域が転がってますから。それを得るには精進あるのみですね。
上を目指す事を忘れると、そこで停滞してしまいますので。
今度は何しようかな、と思うところです。
やりたい事はたくさんあれど、時間と頭がついていかないものですね。
ヘミシンクをやっていると。
向うの世界に行かれた方との接触を希望される方もいらっしゃいます。
このあたりの事は、私の3冊目の本「あの世の会いたい人に会える本」に書いてありますが。
通常の意識状態でも、実は向うの方とは接触できるものなんですよね。
今、現実世界で人と接触していますが。
これがメールのやり取りでも相手と共感して、友人のようになれる場合もあります。
相手の顔も、環境も分からなくても、相手のことを大切に思う事はできるようになります。
その場合、一度でも直接会っていると、さらに相手との距離も縮まります。
そこに、相手に自分の欲を向けて、それを見る事が普通になってしまうと面倒になったりもしますが。
向うの世界の方との接触も、似たような感じでして。
一度直接会った人とならば、向うの世界とこちらの世界と、互いの意識が主に存在する場所が分かれても、一回つながった関係は切断される事はないと思います。
そのつながりが強ければ強いほど。
コレは俗に言う良い関係だけではなく、悪い関係も相手に対して強く思っていればつながったままになってしまうという事ですね。
だから、亡くなった方を丁寧に敬って、先祖を大切にする意識というものも、人によっては重要なものとなってきます。
悪い関係をここで良い方向に転じるという感じで。
向うに行かれた方と会いたいなあ、と思った場合は、
ゆったりとした気持ちで、まずは良い関係のあった思い出を思い出して。
相手との、意識のつながりを感じた時の気持ちを思い出してみます。
共に笑った記憶、
共に歩いた記憶。
共に寄り添った思い出。
そして、豊かな気持ちになってから、
「今、どうして居るの?」
と聞いてみます。
すると、そこで相手の方が何らかの反応を示してくれるでしょう。
想像の範囲でいいのですよね。
「こういう風にあの人なら言うだろうなあ。」
という感じでいいと思います。
その言葉を受け入れて、そして豊かな気持ちになったならば。
それはもう向うの人とのつながりが出来た証拠ですので。
何も、特別な能力も何も必要ないのですよね。
普通でいいのですよね。いつものように接するだけで。
その時に、リラックスする音楽。もしくはヘミシンク音などの入ったCDを聞いていると、さらにつながりを感じやすくなったりします。
お互いが好きな音楽でもいいと思いますよ。
ということで、ゴーイングホームの「帰還」を聞きながら。ちょっと自分の祖父母にもたまには会いに行って見ますが。
もう今は取り壊されている、祖父の家にむかいます。フォーカス27にある祖父の家です。
すると、祖父は畑でにんじんを引っこ抜いていました。
「おぉ。よおきたなあ。一本どげんか?」
ということでにんじんを手渡されます。
今、にんじんの季節じゃあないでしょう?と言うと、ここでは季節は関係ない。と言われてしまいました。そりゃあそうです。
丸々と太った美味しそうなにんじんです。ちょっと齧ると、甘い風味が感じられます。
そのまま、祖父と畑を歩いて、今度は馬屋のほうへと進みます。
その途中で、ちょっと話しをしてましたが。その答えのような事を教えてくれるという事です。
馬屋の前には、大きな雄牛がつながれていました。
私の記憶にある限りでは、祖父の家にはもう牛はいなかったはずですが?
この雄牛は、種牛としていい牛だった、と祖父は言います。
それだけに、あらゆる子供を残したが早くに死んでしまった。とも言います。
なんで?と私が聞くと、
「人の期待が大きすぎた。たくさんの良い子牛を生むために働かせていたら。人の気持ちを受けすぎて早くに死んでしもうた。気持ちを受けすぎて、中に溜め込むといかんなぁ。」
なんていいながら、私を見ます。
「それって僕に対しての警告?」
「受け入れるのも程ほどにせんと、身が持たん。」
「そうは言いつつも、いろいろと責任もある立場だし。」
「仕事をすると、期待される。期待にこたえようとすると、相手の気持ちを中に溜め込んでしまう。相手の事はかんがえないで、自分のやりたい事を考えてみらんかい?」
「それって、自分勝手にならないの?」
「そういう事を言うから、ためこんで腹がでる。」
そう言って、祖父は笑いました。
ちょっとしたやり取りでしたが、祖父のメッセージは心地よくて。なんだかホッとしました。
死んだあとにできる事も多いけど、死ぬ前にしか出来ない事もたくさんある。
葛藤をかかえて悩んで選択して先に進むのも、それは生きている間だけしかできないのだから。それを楽しむようにすればいい。
という感じの事も言われて。
久々の『おじいちゃん家に行こう』は私にとって良いメッセージをもらいました。
その後、祖母にも会いまして、励まされてしまいまして。
朝から、なんだかほっとして安心した、そんな感じです。
私は、この感覚がある場合は「あ、つながれたのだなあ」と思えるのですよね。
これは、他の方と会う場合でも同じでして。
向うの世界は暖かく、心地よく、美しいです。
たまに行くと、しばらく向うに滞在したくもなりますが。
仕事がありますからね。
10分くらいの意識の旅という感じで。
生きている間は、生きている事を楽しむ事が必要なのでしょうね。
こんな感じで、会った気になってでも心が豊かになればそれでいいと思いますよ。
家の中で火が燃えるはいいものですよ。
とは言っても水で手洗い洗濯している私も、あまり冷たさを感じません。先程は洗っていて逆に懐かしささえ感じました。?
家の中は真っ暗闇ですが、気持ちはパルックボール?!なんちゃって?
圭さんの御記事には、たまに涙が出て来ますよ。
本当に教養になります。
深いですね・・『葛藤をかかえて悩んで選択して先に進むのも・・それを楽しむようにすればいい』ですか・・だれも そんなこと教えてくれませんね。
非物質世界を理解すれば人間の真理に目覚め 自然にその意味が分かるのでしょうね。
炎も、良い感じですね。
お祖父様との会話、肉親の愛があふれていますね。
でも、にこやかに生活して、良いですね。
この世も、そうなったらいいですね。