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1994年パレスチナのヤセル・アラファト議長 イスラエルのラビン首相
そして当時のイスラエル外務大臣のシモン・ぺレスの3人がノーベル平和賞を受賞した。
3人がノーベル平和賞に輝いたのは前年のオスロ合意によるユダヤとアラブ系イスラムの
確執に和平をもたらした事が双方共に評価されてのことだった。
多くの人がこの平和賞は、パレスチナのアラファト議長とイスラエルのラビン首相が
二人揃ってW受賞すると思っていたが、何故か3人目の受賞者として
イスラエル外務大臣のペレス氏の名前が上がったのは非常に意外だった。
本来ならば3つ目のノーベル平和賞は仲裁の立場を取った米国のビル・クリントン
大統領が受賞するはずだったのでは?と巷では実しやかに囁かれた。
その頃のビル・クリントンはモニカ・ルインスキーさんと不適切な関係が致命的な
スキャンダルになり、受賞者として相応しく無いと判断され、急遽として平和賞の
受賞が取り止めとなったのであろう。
ビルクリントンに代わって、棚から牡丹餅で余った3つ目の賞をイスラエルの外務大臣の
ペレス氏が3人目の受賞者として、平和賞をゲット出来たと解釈するのが妥当とされていた。
94年にタナボタでノーベル平和賞に輝いたペレス氏が 22年後2016年の
9月28日に死亡した。93歳の大往生だった。
3人の平和賞受賞者の内、イスラエルの首相のラビンは受賞の翌年1995年に和平反対派に
暗殺され、パレスチナのアラファト議長は2004年にフランスの病院で死亡したが、
こちらも暗殺説がある。残された唯一の生存者のペレス氏が亡くなった事で94年の
平和賞受賞者は全て居なくなってしまった。
テレビでこの訃報を聞いた時に何故か、ビル・クリントンの弔意の言葉も一緒になって
報道された。この組み合わせに、どこか意味深で、滑稽ささえ感じた。
ノーベル平和賞を攫われた形となっているビルには必ずしも面白い相手では無いはずだ。
受賞当時は表面的には平静を装うも心の中で舌打ちをしていたと思う。wwww
さてさて問題はもう少し踏み込んで、こうした外交努力により和平を結び、
政治家が平和賞の受賞にまで至るケースは他にもある。
2002年のジミー・カーター元米国大統領のノーベル平和賞受賞も中東地域をはじめとする
紛争地域に和平をもたらしたとして受賞になっている。
コチラの受賞は紛争の当事国同士が平和賞受賞の対象となった訳では無く、仲裁役を
務める第3国の米国大統領が受賞となっている。しかもカーター氏の受賞は大統領時代から
20年以上経過してのことである。
内容はビル・クリントンがオスロ合意の時にイスラエルとパレスチナの間に入って仲介した
外交と似たような活動ですが、20年前のカーターさんは受賞してビル・クリントンは
受賞できない。
やっぱりビル・クリントンにとってはノーベル賞は鬼門だ。面白く思わないだろう。
しかも2010年にはカーター政権時代から中東和平に活躍した高名な外交官で行動力の高さから
ブルトーザーとの異名を持つホルブルック氏が国務省内でヒラリーと面会の後に突如として
体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡している。
中東地域の和平が大嫌いになったのだろうか。あの男は・・・八つ当たりも良い所だ。
あの男が受賞出来ないのは女性問題やスキャンダルの為である。 自己を改めず、
怒り狂い、ちゃぶ台をひっくり返すように中東地域で紛争を起そうとするあの男。
全く周りが見えていない。『核なき世界』で平和賞を受賞したオバマ大統領にさえ
嫉妬心を燃やし、ゴシップで汚す。平和賞の歴史から今の情報操作における影なる存在を
垣間見ることが出来る。
ISの問題でユダヤも損害を受ける場合が現れ始めている。陰謀論により英国への
疑いは必ずしも正しくは無い。ISを必要としたのは米国の内部に住むモンスターであり
英国はISによって崩されない為に敢えて関与を強めなくてはいけない立場なのだ。