先日 「余滴ファイル」 の話をしましたが、
その余滴ファイルを使ってお仕事をしてしまいました。
昨年の暮れに現代カント研究第11巻 『判断力の問題圏』 を出版したことは書きましたね。
これはカント研究会に属する研究者たちによる共同研究だったわけですが、
共同研究を始めてから3年半もの歳月を費やした大プロジェクトでした。
それだけの時間をかけていると、余滴ファイルも相当な量になるわけです。
しかも、私ひとりの研究ではなく、共同研究ですから、
みんなの余滴ファイルがたまっていくわけです。
カント研究会というのは情け容赦のない研究会で、
執筆者が心底納得いく完全原稿を用意して、全員の前で意気揚々と発表していくのですが、
それをみんなで徹底的に叩いていくのです。
矢継ぎ早に繰り出される質問に、執筆者は次から次へと答えていきますが、
矢はどこから飛んでくるかわからず、
ひとつをかわしたと思ったら、後ろからブスッと刺されたりします。
また、自分でもそこは弱いところだよなあと思っていたところを、
誰かがたまたま射抜いたりすると、
ほかのみんなも一斉にそこを目がけて矢を放ってきます。
そうやってボコボコにされたあげく、
出席者全員がOKと言ってくれないかぎり論文は載せてもらえず、
やり直しを宣告されるのです。
したがって書き直した原稿は、元のものとは似ても似つかぬものになっていきます。
これはまさに 「余滴ファイル」 の出番で、
上書き保存なんてもったいないことをしてしまったら、
最初の努力は水泡に帰してしまいます。
もちろん、みんなから批判を受けたのですから、
書き直しをするのは当然のことですが、
元の原稿の中にも自分が言いたいことはいっぱい詰まっていたわけで、
それぞれの研究者の立場から批判すべき点があったとしても、
書き手としてはやはりそれなりの価値ある発見を含んでいたという思いは拭い去れないのです。
私もカント研究会に入会して長いので、
執筆者の皆さんがそういう思いをしているというのはわかっていましたし、
自分自身もそういう思いをしていましたので、
皆さんの余滴ファイルを集めて、第11巻とは別に冊子を作ることにしました。
今回の共同研究にあたっては科学研究費補助金というものを取っていましたので、
そのお金を使って、『研究成果報告書』 を作成したのです。
これはみんなの原稿を集めて簡易製本してレザックという厚紙の表紙をつけただけのもので、
公刊された著作という扱いにはなりませんが、
しかし 「科研が書けん」 で書いたように、
最近では、文科省も大学も科学研究費補助金を取って研究することを奨励していますので、
科研費による研究成果報告書というのはそれなりに重きが置かれるようになってきています。
それを、みんなの余滴ファイルを集めて作ってみたわけです。
集めてみると意外と立派な冊子になりました。
A4サイズで全150ページ。
現代カント研究第11巻とは別の意味で、
みんなの汗と涙の結晶です。
あのクレンメさんが来日して3回講演をしてくださったときのドイツ語の原稿も収めましたし、
第11巻には掲載されなかった2回の分の邦訳原稿も収めました。
もうずいぶん昔の気もしますが、
あの頃の記憶がよみがえってきます。
こうして出来上がったものを見てみると、
店頭に並んでいる第11巻の完成度は望むべくもないのですが、
これはこれで愛しい我が子に思えてきます。
余滴ファイルをちゃんと取っておいて本当によかったなと思います。
期せずして今日は2月12日、カントの祥月命日です。
カントの206回目の命日によい供養ができたのではないかと、自画自賛する今日この頃でした。
その余滴ファイルを使ってお仕事をしてしまいました。
昨年の暮れに現代カント研究第11巻 『判断力の問題圏』 を出版したことは書きましたね。
これはカント研究会に属する研究者たちによる共同研究だったわけですが、
共同研究を始めてから3年半もの歳月を費やした大プロジェクトでした。
それだけの時間をかけていると、余滴ファイルも相当な量になるわけです。
しかも、私ひとりの研究ではなく、共同研究ですから、
みんなの余滴ファイルがたまっていくわけです。
カント研究会というのは情け容赦のない研究会で、
執筆者が心底納得いく完全原稿を用意して、全員の前で意気揚々と発表していくのですが、
それをみんなで徹底的に叩いていくのです。
矢継ぎ早に繰り出される質問に、執筆者は次から次へと答えていきますが、
矢はどこから飛んでくるかわからず、
ひとつをかわしたと思ったら、後ろからブスッと刺されたりします。
また、自分でもそこは弱いところだよなあと思っていたところを、
誰かがたまたま射抜いたりすると、
ほかのみんなも一斉にそこを目がけて矢を放ってきます。
そうやってボコボコにされたあげく、
出席者全員がOKと言ってくれないかぎり論文は載せてもらえず、
やり直しを宣告されるのです。
したがって書き直した原稿は、元のものとは似ても似つかぬものになっていきます。
これはまさに 「余滴ファイル」 の出番で、
上書き保存なんてもったいないことをしてしまったら、
最初の努力は水泡に帰してしまいます。
もちろん、みんなから批判を受けたのですから、
書き直しをするのは当然のことですが、
元の原稿の中にも自分が言いたいことはいっぱい詰まっていたわけで、
それぞれの研究者の立場から批判すべき点があったとしても、
書き手としてはやはりそれなりの価値ある発見を含んでいたという思いは拭い去れないのです。
私もカント研究会に入会して長いので、
執筆者の皆さんがそういう思いをしているというのはわかっていましたし、
自分自身もそういう思いをしていましたので、
皆さんの余滴ファイルを集めて、第11巻とは別に冊子を作ることにしました。
今回の共同研究にあたっては科学研究費補助金というものを取っていましたので、
そのお金を使って、『研究成果報告書』 を作成したのです。
これはみんなの原稿を集めて簡易製本してレザックという厚紙の表紙をつけただけのもので、
公刊された著作という扱いにはなりませんが、
しかし 「科研が書けん」 で書いたように、
最近では、文科省も大学も科学研究費補助金を取って研究することを奨励していますので、
科研費による研究成果報告書というのはそれなりに重きが置かれるようになってきています。
それを、みんなの余滴ファイルを集めて作ってみたわけです。
集めてみると意外と立派な冊子になりました。
A4サイズで全150ページ。
現代カント研究第11巻とは別の意味で、
みんなの汗と涙の結晶です。
あのクレンメさんが来日して3回講演をしてくださったときのドイツ語の原稿も収めましたし、
第11巻には掲載されなかった2回の分の邦訳原稿も収めました。
もうずいぶん昔の気もしますが、
あの頃の記憶がよみがえってきます。
こうして出来上がったものを見てみると、
店頭に並んでいる第11巻の完成度は望むべくもないのですが、
これはこれで愛しい我が子に思えてきます。
余滴ファイルをちゃんと取っておいて本当によかったなと思います。
期せずして今日は2月12日、カントの祥月命日です。
カントの206回目の命日によい供養ができたのではないかと、自画自賛する今日この頃でした。