まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

死語の世界 ・ たぶんその1

2011-03-01 16:17:41 | 人間文化論
長らくエアコンが壊れていたために、冬場はうちで読書会をすることもできず、
会場をぢゅんちゃんの家に替えて開催したりしていたのですが、今日はそのときの話です。
前回ご紹介したようなメンバーでカント読書会を終えたあと、
恒例の (というか私にとってはこちらがメインの) 打ち上げにでかけることになりました。
ぢゅんちゃんちのドアから出ると、そこにぢゅんちゃんちの自転車が停めてあります。



これを見て、私と同い年の山川仙人さんはこうのたもうたのです。

「お、いい自転車だねぇ。これはメーカー品だね。」

私はこの一言を聞き逃しませんでした。
すぐさまツッコミを入れます。

「 『メーカー品』 って何だよ。そんな言葉使うのぼくらの親の世代くらいだよっ!」

皆さん、どうでしょう?
「メーカー品」 て言葉今でも使っていますか?
うちの母親とかはたしかに 「これはメーカー品だから」 とか言って有り難がったりしていました。
しかし、近年ではむしろ 「ブランド品」 と言うのではないでしょうか?
私は以前から母に対してもよくツッコんでいました。
「どんな商品だってメーカーが作ったに決まってるだろ。」
本来メーカーというのは maker ですから、
物を作っている会社、すなわち製造業者はすべてメーカーです。
したがってありとあらゆる製品はすべて 「メーカー品」 のはずなのです。
ただし、日本では外来語やカタカナ言葉が珍重されていた高度成長期の頃に、
「メーカー」 という言葉がある特別の意味をもって使われるようになったのは事実です。
小学館の 『大辞泉』 で 「メーカー」 を引いてみると、それがよくわかります。

「メーカー 【maker】 製造業者。製造元。特に、名の通った製造会社。
 物事をつくりだす人。 「ヒット―」
 ――ひん 【――品】 よく名前を知られた会社の製品。銘柄品。」

「メーカー」 という言葉にすでに 「有名なメーカー」 という意味が含まれているわけです。
ですから 「メーカー品」 という言葉も成り立つわけです。
私だってそれくらいの日本語事情はわきまえているのですが、
でももう 「メーカー品」 という言葉はすでに死語になっていると思うんですよね。
「ブランド」 という言葉ですら、それ単独では特別の意味をもちえなくなってしまって、
わざわざ 「一流ブランド」 とか 「有名ブランド」 と言わないと、
その良さをアピールできなくなってしまっている現在、
たんに 「メーカー」 とか 「メーカー品」 と言っただけではまったく特別感を表すことはできず、
だから誰もそんな言葉使わなくなっていると思うのです。
そんな言葉がぼくと同い年の人の口からスラッと出てきたので驚いてしまったわけです。 

まあ、山川仙人さんは国語の先生なので、
辞書に載っているような伝統的な言葉の意味を大切にされているのだ、
と好意的に解釈しておくことにいたしましょう。
でも彼は私と同い年とは思えないぐらい変わったところがいろいろありますので、
今後またレポートしていきたいと思います。


P.S.
今書いていて思ったのですが 「同い年」 ってもう死語ですか?
まだ若い人たちも使ってます?
なんで 「同じ年」 が 「同い年」 に音変化してしまったんだろう?