元ジャイアンツの桑田真澄氏が、大阪のバスケ部キャプテンが体罰により自殺した問題を受け、
取材に対し、自らの体罰反対論を展開していました。
NHKと朝日新聞のものを見つけましたが、重なる部分もありつつ、
別の論点にも触れているので、それぞれ引用しておきます。
まずはNHKから。
桑田真澄さん 体罰は安易な指導 (NHK NEWS WEB 1月11日 20時15分)
大阪の市立高校でバスケットボール部の顧問の教師から体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題について、元プロ野球選手の桑田真澄さんがインタビューに応じました。
桑田さんは、高校野球で2度の全国優勝を果たし、プロ野球の巨人などで活躍したあと、大学院でスポーツの精神主義の問題点などについて学びました。現在は、かつて自分も体罰を受けた経験を踏まえて、体罰による指導への反対を訴えながら全国で講演活動や子どもたちの指導に当たっています。
インタビューの中で、桑田さんは「体罰は安易な指導方法で決して強くならない」としたうえで、「今の時代にあった指導方法に変えていくべきだ」と訴えました。
“体罰には猛反対”
Q:大阪の市立高校で起きた体罰についてどう思いますか?
桑田:まず心が痛いです。ご両親や身内の方のことを思うと、本当に心が痛いとしか言いようがないです。残念な出来事です。
Q:体罰によって命が奪われる事態はあってはならない?
桑田:僕も当然(小中学生時代は)体罰を受けてきましたし、グラウンドに行って殴られない日がない、そういう時代でした。毎日、何発か殴られて、ほっぺたに手の跡をつけて帰ったり。ケツバットされてお尻にバットの跡が3本も5本もついて、自転車に乗って帰るんですけど、サドルに座れないぐらい腫れ上がったこともありました。
よく体罰は愛情だと言いますが、僕は殴られて愛情だと感じることはなかったですね。
僕は体罰には猛反対なんです。あるべきではないと思っています。体罰をすることで指導する方法って、僕はいちばん簡単だと思うんです。「なぜ、できないんだ」「気合を入れろよ」と体罰をするのではなくて、もう少し話をして、できなければできるように、いろんな角度から説明をする指導方法のほうがもっと難しいんですね。
手っ取り早い指導方法が体罰だと僕は思っています。いろんな考えがあるとは思いますけど、僕は体罰には反対ですね。
体罰を生む背景は
Q:桑田さん自身、厳しい指導があったから一流になれたという見方もありますが?
桑田:当時、体罰を受けていた選手が、全員、プロ野球選手になったかと言ったら、ならなかったわけじゃないですか。今は体罰は少なくなっているけど、プロ野球選手が出ていないかというと、出ているわけじゃないですか。
僕は高校1年生のときに3年生の試合とかに出ていましたので、上級生からプレーできないような体罰を受けたりとかしましたけど、どうしてそんな卑怯なことをするんだろう、スポーツマンがそんな卑怯なことをしたらだめじゃないかとずっと思っていました。
何だ偉そうに言っているなと思う人もいるかも知れないですけれど、僕は体罰をやられて嫌だったので、体罰はしなかったです。人がやっているのを見るのも嫌ですし、当然、自分はしたくないと思っています。
Q:体罰を生む背景は?
桑田:勝利ですね。「チームが勝ちたい」「自分が勝ちたい」ということですね。例えばチーム内であれば、自分がレギュラーになるために後輩をつぶしていかないと自分がレギュラーになれないとか、指導者は優勝しないと周りに対しての示しがつかないとか、首になるとかですね、勝利至上主義になってしまっているということですね。
本来、誰もが、子どもを育てる、選手を育てるという育成を目的にしているのにもかかわらず、実際にスポーツの現場で行われているのは勝利至上主義ですよね。僕はプロ野球は勝利至上主義でいいと思っているんです。でも、アマチュアは勝利至上主義よりも人材育成主義、育成主義ではないとダメだと思っています。
体罰をなくすためには
桑田:僕は体罰を受けたからといって、その人を恨んでいるかと言ったら、全く恨んでいないです。なぜかというと、その時代はそれが当たり前だったんですね。みんなが、それが正解だと思っていた時代なんですよ。当然、運動中には水を飲んではいけない時代でしたけど、今は水を飲みなさいという時代です。まったく反対ですよね。僕の時代、水を飲んだらばてるし、上手くならないと言われていたんですよね。ところが、今は15分か20分おきに水分を補給しなさいと言われる時代です。じゃあ、僕たちのあの時代は何だったのかと。それはスポーツ医科学がまだまだ解明されていなくて、その時代はそれが正解だったんですね。
指導方法も体罰は当たり前の時代だったんです。でも今は時代が違うということです。いろんなことが解明されてきて、指導するに当たってもビデオを使ったり、いろんな角度から指導できるわけじゃないですか。ですから指導方法も変わっていかないといけない。時代にあわせて指導方法も変えていかないといけないということを、みんなで共有して取り組んでいかないといけない時期に来ていると僕は思います。
Q:体罰をなくすために指導者には何が必要ですか?
桑田:われわれ指導者の勉強ですね。やっぱり、勉強が足りないと思います。
ちょっと指導者講習会に行ってライセンスを取ったのだけれど、俺は俺のやり方でという人が結構多いと思うんです。また、これは統計をとったわけではないですけれど、往々にして昔ながらの指導をしている人が結果を出しやすいのがスポーツ界なんです。
でも、勇気を持って今の時代にあった新しい指導方法を現場で実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたいです。そのために、僕も全国で指導者講習会を一回でも多く開いて、みんなに伝えていきたいと思います。
(引用終わり)
NHKのインタビューでは体罰を生む背景としての勝利至上主義について触れられていました。
そのなかで現状、体罰をする指導者のほうが手っ取り早く結果を出せているかもしれないが、
体罰というのは安易な指導法であり、今はもっと合理的な指導法がすでに開発されており、
時代に合わせて指導法も変えていく必要があることを論じています。
続いて朝日新聞です。
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」 桑田真澄さん経験踏まえ (朝日新聞デジタル 1月11日(金)20時51分配信)
【岡雄一郎】 体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
(引用終わり)
朝日新聞のほうではもう少し原理的に、なぜ体罰がいけないのか、
その根拠がいくつか指摘されていました。
第1に、体罰によって選手生命を失う人が出る可能性。
勝利の陰で多くの人がそのスポーツから離れていってしまったとしたらそれは大きな損失です。
ましてや今回のように生命そのものが失われてしまうなんてけっしてあってはならないことです。
第2に、絶対に仕返しされないという上下関係のなかで起きる卑怯な行為であるということ。
采配ミスをした監督が殴られることはないじゃないか、という喩えは絶妙でした。
体罰肯定論者は自分の主張が普遍化できるかどうかを考えてみる必要があるでしょう。
最後に最も重要なのは、体罰では自分で判断してプレーできるよい選手を育てられない、ということ。
何をしたら殴られないですむかという後ろ向きな思考ではいいプレーをできるようにはなりません。
今ではコミュニケーションを大事にした新たな指導法が開発され、
それはもうあらゆる分野で大きな成果を収めています。
先日紹介した伝説の名コーチ高畠導宏氏などはすでに30年以上前から、
その新しい指導方法を用いてプロの世界で多くの一流選手を育ててきました。
そうした別の選択肢があることをわかった上で、
第1や第2の問題を抱えている旧態依然とした指導法に頼るのは、
指導者の怠慢以外のなにものでもありません。
今日、今この瞬間から、すべての体罰は悪である、と教育者は胸に刻みつけましょう。
桑田真澄氏の体罰反対論、ひじょうに整理されていてとても感銘を受けました。
取材に対し、自らの体罰反対論を展開していました。
NHKと朝日新聞のものを見つけましたが、重なる部分もありつつ、
別の論点にも触れているので、それぞれ引用しておきます。
まずはNHKから。
桑田真澄さん 体罰は安易な指導 (NHK NEWS WEB 1月11日 20時15分)
大阪の市立高校でバスケットボール部の顧問の教師から体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題について、元プロ野球選手の桑田真澄さんがインタビューに応じました。
桑田さんは、高校野球で2度の全国優勝を果たし、プロ野球の巨人などで活躍したあと、大学院でスポーツの精神主義の問題点などについて学びました。現在は、かつて自分も体罰を受けた経験を踏まえて、体罰による指導への反対を訴えながら全国で講演活動や子どもたちの指導に当たっています。
インタビューの中で、桑田さんは「体罰は安易な指導方法で決して強くならない」としたうえで、「今の時代にあった指導方法に変えていくべきだ」と訴えました。
“体罰には猛反対”
Q:大阪の市立高校で起きた体罰についてどう思いますか?
桑田:まず心が痛いです。ご両親や身内の方のことを思うと、本当に心が痛いとしか言いようがないです。残念な出来事です。
Q:体罰によって命が奪われる事態はあってはならない?
桑田:僕も当然(小中学生時代は)体罰を受けてきましたし、グラウンドに行って殴られない日がない、そういう時代でした。毎日、何発か殴られて、ほっぺたに手の跡をつけて帰ったり。ケツバットされてお尻にバットの跡が3本も5本もついて、自転車に乗って帰るんですけど、サドルに座れないぐらい腫れ上がったこともありました。
よく体罰は愛情だと言いますが、僕は殴られて愛情だと感じることはなかったですね。
僕は体罰には猛反対なんです。あるべきではないと思っています。体罰をすることで指導する方法って、僕はいちばん簡単だと思うんです。「なぜ、できないんだ」「気合を入れろよ」と体罰をするのではなくて、もう少し話をして、できなければできるように、いろんな角度から説明をする指導方法のほうがもっと難しいんですね。
手っ取り早い指導方法が体罰だと僕は思っています。いろんな考えがあるとは思いますけど、僕は体罰には反対ですね。
体罰を生む背景は
Q:桑田さん自身、厳しい指導があったから一流になれたという見方もありますが?
桑田:当時、体罰を受けていた選手が、全員、プロ野球選手になったかと言ったら、ならなかったわけじゃないですか。今は体罰は少なくなっているけど、プロ野球選手が出ていないかというと、出ているわけじゃないですか。
僕は高校1年生のときに3年生の試合とかに出ていましたので、上級生からプレーできないような体罰を受けたりとかしましたけど、どうしてそんな卑怯なことをするんだろう、スポーツマンがそんな卑怯なことをしたらだめじゃないかとずっと思っていました。
何だ偉そうに言っているなと思う人もいるかも知れないですけれど、僕は体罰をやられて嫌だったので、体罰はしなかったです。人がやっているのを見るのも嫌ですし、当然、自分はしたくないと思っています。
Q:体罰を生む背景は?
桑田:勝利ですね。「チームが勝ちたい」「自分が勝ちたい」ということですね。例えばチーム内であれば、自分がレギュラーになるために後輩をつぶしていかないと自分がレギュラーになれないとか、指導者は優勝しないと周りに対しての示しがつかないとか、首になるとかですね、勝利至上主義になってしまっているということですね。
本来、誰もが、子どもを育てる、選手を育てるという育成を目的にしているのにもかかわらず、実際にスポーツの現場で行われているのは勝利至上主義ですよね。僕はプロ野球は勝利至上主義でいいと思っているんです。でも、アマチュアは勝利至上主義よりも人材育成主義、育成主義ではないとダメだと思っています。
体罰をなくすためには
桑田:僕は体罰を受けたからといって、その人を恨んでいるかと言ったら、全く恨んでいないです。なぜかというと、その時代はそれが当たり前だったんですね。みんなが、それが正解だと思っていた時代なんですよ。当然、運動中には水を飲んではいけない時代でしたけど、今は水を飲みなさいという時代です。まったく反対ですよね。僕の時代、水を飲んだらばてるし、上手くならないと言われていたんですよね。ところが、今は15分か20分おきに水分を補給しなさいと言われる時代です。じゃあ、僕たちのあの時代は何だったのかと。それはスポーツ医科学がまだまだ解明されていなくて、その時代はそれが正解だったんですね。
指導方法も体罰は当たり前の時代だったんです。でも今は時代が違うということです。いろんなことが解明されてきて、指導するに当たってもビデオを使ったり、いろんな角度から指導できるわけじゃないですか。ですから指導方法も変わっていかないといけない。時代にあわせて指導方法も変えていかないといけないということを、みんなで共有して取り組んでいかないといけない時期に来ていると僕は思います。
Q:体罰をなくすために指導者には何が必要ですか?
桑田:われわれ指導者の勉強ですね。やっぱり、勉強が足りないと思います。
ちょっと指導者講習会に行ってライセンスを取ったのだけれど、俺は俺のやり方でという人が結構多いと思うんです。また、これは統計をとったわけではないですけれど、往々にして昔ながらの指導をしている人が結果を出しやすいのがスポーツ界なんです。
でも、勇気を持って今の時代にあった新しい指導方法を現場で実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたいです。そのために、僕も全国で指導者講習会を一回でも多く開いて、みんなに伝えていきたいと思います。
(引用終わり)
NHKのインタビューでは体罰を生む背景としての勝利至上主義について触れられていました。
そのなかで現状、体罰をする指導者のほうが手っ取り早く結果を出せているかもしれないが、
体罰というのは安易な指導法であり、今はもっと合理的な指導法がすでに開発されており、
時代に合わせて指導法も変えていく必要があることを論じています。
続いて朝日新聞です。
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」 桑田真澄さん経験踏まえ (朝日新聞デジタル 1月11日(金)20時51分配信)
【岡雄一郎】 体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
(引用終わり)
朝日新聞のほうではもう少し原理的に、なぜ体罰がいけないのか、
その根拠がいくつか指摘されていました。
第1に、体罰によって選手生命を失う人が出る可能性。
勝利の陰で多くの人がそのスポーツから離れていってしまったとしたらそれは大きな損失です。
ましてや今回のように生命そのものが失われてしまうなんてけっしてあってはならないことです。
第2に、絶対に仕返しされないという上下関係のなかで起きる卑怯な行為であるということ。
采配ミスをした監督が殴られることはないじゃないか、という喩えは絶妙でした。
体罰肯定論者は自分の主張が普遍化できるかどうかを考えてみる必要があるでしょう。
最後に最も重要なのは、体罰では自分で判断してプレーできるよい選手を育てられない、ということ。
何をしたら殴られないですむかという後ろ向きな思考ではいいプレーをできるようにはなりません。
今ではコミュニケーションを大事にした新たな指導法が開発され、
それはもうあらゆる分野で大きな成果を収めています。
先日紹介した伝説の名コーチ高畠導宏氏などはすでに30年以上前から、
その新しい指導方法を用いてプロの世界で多くの一流選手を育ててきました。
そうした別の選択肢があることをわかった上で、
第1や第2の問題を抱えている旧態依然とした指導法に頼るのは、
指導者の怠慢以外のなにものでもありません。
今日、今この瞬間から、すべての体罰は悪である、と教育者は胸に刻みつけましょう。
桑田真澄氏の体罰反対論、ひじょうに整理されていてとても感銘を受けました。