昨日も父の話題で引っ張っていたところですが、
(昨日の記事に写真画像を貼り付けるのを忘れていました。先ほど貼っておきました
)
この週末、父の17回忌で九州に行ってきました。
知る人ぞ知るですが、私は九州男児です。
佐賀県の嬉野温泉というところで生まれました。
なので、そこに小野原家のお墓があるわけです。
とはいえ、父は私が1歳になる前に上京してしまいましたし、
祖父も祖母も、長男であった伯父もみんな亡くなってしまっていますので、
もう嬉野には親戚は誰もいません。
でもお墓はそこにあり続けていて、
1周忌、3回忌、7回忌、13回忌など節目の年には九州旅行を敢行しなければならないわけです。
今回は17回忌ということで、4年ぶりのルーツへの旅です。
羽田から福岡空港へ飛び、そこから高速バスで嬉野温泉へと向かいます。
佐賀県にも佐賀空港があるみたいですが、
福島空港同様、便数が少ないのと、空港から先のアクセスが不便なのとで、
もっぱら福岡空港経由です。
空港からは1時間半ほどで嬉野温泉に到着し、
時間の関係上、まずは法事の前にお墓参りに行きました。
墓地は軽い傾斜地に広がっています。
毎度のことですが、墓地に入っていくとわりと最初のほうの一等地に、
真新しい金文字入りの小野原の墓がすぐに見えてきます。
残念ながらこれはうちのお墓ではありません。
うちの親戚の墓でもありません。
(小野原の隣に書かれている姓もまったく知らない名前です。)
ルーツをずっとたどっていけばどこかで繋がっているのかもしれませんが、
お互いにまったく知らない同士の、ただのどこかの小野原さんのお墓です。
佐藤さんや渡辺さんにとって、見知らぬ佐藤さん、渡辺さんのお墓が、
同じ墓地のなかにあってもなんの関係もないのと同様です。
そこからほど近いところにアナザー小野原さんのお墓が見えてきますが、
これもうちとはなんの関係もありません。
墓地の中ほどにさしかかると、小野原スポットが現れました。
左の 「小野原」 の金文字はこの写真でも読み取れると思いますが、
右側の2つも小野原家のお墓です。
全部うちとは無関係です。
それにしても皆さん立派なお墓を立てていらっしゃいます。
どうせならこのうちのどれかでお墓参りをしていってしまおうかと思うくらいです。
しかしそうもいかないので、うちの父が眠る墓を目指して、
私たちはさらに奥深くへと分け入っていかなくてはなりません。
我が小野原家の墓は墓地のなかの奥のほう、
小高くなった丘の上に位置しています。
そこまでは細くて足場が斜めになった石造りの坂道を上っていかなくてはならず、
手すりにつかまりながら歩いていてもちょっと危険な感じです。
実際、うちの祖母は生前、お墓参りから帰る途中ここで転んで骨折してしまい、
それっきり自分ではお墓参りにいくのをやめてしまったというくらい、不便で危険なのです。
そこを、旅行カバンや花束や水の入ったヤカンなどを両手に抱えたまま、
そうっと上っていきました。
まるで綱渡りをしているような感覚です。
最後は10段くらいの階段を上って、やっと我が小野原家のお墓に到着です。
先の写真でもわかるとおり、うちのお墓は最も高台に位置しており、
その奥には鬱蒼と生い茂る木々がありますので、
いつもなら足の踏み場もないくらいの枯れ葉や落ち葉で覆われています。
今回は伯母が1週間前にわざわざ博多から来て、片づけておいてくれましたので、
清掃作業はとても楽ちんにすみました。
伯母はゴミ袋6袋分の落ち葉を撤去してくれたそうです。
こんなに一番奥まったところにあるのは、我が小野原家の歴史が長いからでしょうか。
それとも、価格が一番安かったからでしょうか。
たぶんその両方なのでしょう。
うちのお墓には、他の家のお墓よりも若干狭めの敷地のなかに、
3つの墓石がひしめくように立っていますが、
他の小野原家のお墓とはまったく見た感じが違う、年季の入ったお墓です。
この写真はなんだか小ぎれいに撮れていますが、
実際にはこちらの2つと同じくらい苔がむしてしまっていて、小野原の文字も読み取りにくいぐらいです。
むろん最初から金文字ではなかったのでしょう。
しかしながら、私の趣味としてはお墓というのはこれくらいが風情があっていいと思います。
それに落ち葉の掃除はたいへんですが、ここは木陰になるので、
先祖の供養をするためのゆったりとした時間を過ごせるのはたしかです。
みんなで順番に身体を入れ替えながら、花を手向け、線香を焚き、ビールを供え、
心ゆくまで手を合わせてお墓参りをすませました。
それにしてもこの一帯の小野原の多さはどういうことでしょう。
私はまだ自分たち親族以外の小野原さんに出会ったことがありませんが、
それは成長・活躍の場を、横浜、福島へと移してしまったからであって、
このへんに住んでいたら、同級生に小野原君や小野原さんがいたのかもしれません。
全国的には珍しい名前ですが (地名としては大阪にあるらしい…)、
この一帯ではよくある名前だったのでしょう。
知らない小野原さんに会ってみたいような、会ってみたくないような、
ヤフーとかで検索してみると、
私以外の 「小野原雅夫さん」 というゴルフ大会の常連さんがいらっしゃるようですが、
同姓同名とまではいかなくとも、同姓の方には死ぬまでに一度はお会いしてみたいものです。
もしもこのブログを読んでくださっている 「小野原さん」 がいらっしゃいましたら、
コメントをいただけるとありがたいです (おとうとさんは除く)。
(昨日の記事に写真画像を貼り付けるのを忘れていました。先ほど貼っておきました

この週末、父の17回忌で九州に行ってきました。
知る人ぞ知るですが、私は九州男児です。
佐賀県の嬉野温泉というところで生まれました。
なので、そこに小野原家のお墓があるわけです。
とはいえ、父は私が1歳になる前に上京してしまいましたし、
祖父も祖母も、長男であった伯父もみんな亡くなってしまっていますので、
もう嬉野には親戚は誰もいません。
でもお墓はそこにあり続けていて、
1周忌、3回忌、7回忌、13回忌など節目の年には九州旅行を敢行しなければならないわけです。
今回は17回忌ということで、4年ぶりのルーツへの旅です。
羽田から福岡空港へ飛び、そこから高速バスで嬉野温泉へと向かいます。
佐賀県にも佐賀空港があるみたいですが、
福島空港同様、便数が少ないのと、空港から先のアクセスが不便なのとで、
もっぱら福岡空港経由です。
空港からは1時間半ほどで嬉野温泉に到着し、
時間の関係上、まずは法事の前にお墓参りに行きました。
墓地は軽い傾斜地に広がっています。
毎度のことですが、墓地に入っていくとわりと最初のほうの一等地に、
真新しい金文字入りの小野原の墓がすぐに見えてきます。
残念ながらこれはうちのお墓ではありません。
うちの親戚の墓でもありません。
(小野原の隣に書かれている姓もまったく知らない名前です。)
ルーツをずっとたどっていけばどこかで繋がっているのかもしれませんが、
お互いにまったく知らない同士の、ただのどこかの小野原さんのお墓です。
佐藤さんや渡辺さんにとって、見知らぬ佐藤さん、渡辺さんのお墓が、
同じ墓地のなかにあってもなんの関係もないのと同様です。
そこからほど近いところにアナザー小野原さんのお墓が見えてきますが、
これもうちとはなんの関係もありません。
墓地の中ほどにさしかかると、小野原スポットが現れました。
左の 「小野原」 の金文字はこの写真でも読み取れると思いますが、
右側の2つも小野原家のお墓です。
全部うちとは無関係です。
それにしても皆さん立派なお墓を立てていらっしゃいます。
どうせならこのうちのどれかでお墓参りをしていってしまおうかと思うくらいです。
しかしそうもいかないので、うちの父が眠る墓を目指して、
私たちはさらに奥深くへと分け入っていかなくてはなりません。
我が小野原家の墓は墓地のなかの奥のほう、
小高くなった丘の上に位置しています。
そこまでは細くて足場が斜めになった石造りの坂道を上っていかなくてはならず、
手すりにつかまりながら歩いていてもちょっと危険な感じです。
実際、うちの祖母は生前、お墓参りから帰る途中ここで転んで骨折してしまい、
それっきり自分ではお墓参りにいくのをやめてしまったというくらい、不便で危険なのです。
そこを、旅行カバンや花束や水の入ったヤカンなどを両手に抱えたまま、
そうっと上っていきました。
まるで綱渡りをしているような感覚です。
最後は10段くらいの階段を上って、やっと我が小野原家のお墓に到着です。
先の写真でもわかるとおり、うちのお墓は最も高台に位置しており、
その奥には鬱蒼と生い茂る木々がありますので、
いつもなら足の踏み場もないくらいの枯れ葉や落ち葉で覆われています。
今回は伯母が1週間前にわざわざ博多から来て、片づけておいてくれましたので、
清掃作業はとても楽ちんにすみました。
伯母はゴミ袋6袋分の落ち葉を撤去してくれたそうです。
こんなに一番奥まったところにあるのは、我が小野原家の歴史が長いからでしょうか。
それとも、価格が一番安かったからでしょうか。
たぶんその両方なのでしょう。
うちのお墓には、他の家のお墓よりも若干狭めの敷地のなかに、
3つの墓石がひしめくように立っていますが、
他の小野原家のお墓とはまったく見た感じが違う、年季の入ったお墓です。
この写真はなんだか小ぎれいに撮れていますが、
実際にはこちらの2つと同じくらい苔がむしてしまっていて、小野原の文字も読み取りにくいぐらいです。
むろん最初から金文字ではなかったのでしょう。
しかしながら、私の趣味としてはお墓というのはこれくらいが風情があっていいと思います。
それに落ち葉の掃除はたいへんですが、ここは木陰になるので、
先祖の供養をするためのゆったりとした時間を過ごせるのはたしかです。
みんなで順番に身体を入れ替えながら、花を手向け、線香を焚き、ビールを供え、
心ゆくまで手を合わせてお墓参りをすませました。
それにしてもこの一帯の小野原の多さはどういうことでしょう。
私はまだ自分たち親族以外の小野原さんに出会ったことがありませんが、
それは成長・活躍の場を、横浜、福島へと移してしまったからであって、
このへんに住んでいたら、同級生に小野原君や小野原さんがいたのかもしれません。
全国的には珍しい名前ですが (地名としては大阪にあるらしい…)、
この一帯ではよくある名前だったのでしょう。
知らない小野原さんに会ってみたいような、会ってみたくないような、
ヤフーとかで検索してみると、
私以外の 「小野原雅夫さん」 というゴルフ大会の常連さんがいらっしゃるようですが、
同姓同名とまではいかなくとも、同姓の方には死ぬまでに一度はお会いしてみたいものです。
もしもこのブログを読んでくださっている 「小野原さん」 がいらっしゃいましたら、
コメントをいただけるとありがたいです (おとうとさんは除く)。
小野原って名字が少ないので、なんとなく検索してみて、このブログにヒットしました^^
わたしの父も九州出身です。
佐賀県にはたくさんの小野原さんがいらっしゃるのですね^^
ぜひ仲良くしてください!
コメントありがとうございます。
小野原って珍しい苗字ですよね。
佐賀県にはけっこういらっしゃるようなのですが、
一族以外の小野原さんにお会いしたことはありません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
関西には小野原という住所があるようですね。
以前に「小野原月間」という記事を書いたことがあるのですが↓。
http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/4e2e1cd0cc1ea149d262316a0ff9c909
小野原さんは、その大阪の小野原とはなにか関係があるのでしょうか?
大阪の箕面市というところに"小野原"という地名がありますね。わりと高級住宅街ですよ^^
大阪にいるとよく関係を聞かれますが、残念ながら、わたしには全く関係ありません^^;
わたしは不動産会社に勤めているのですが、最近2軒続けて「小野原」さんちが売りに出でいるのを見ました^^
最近、増えてきたのかもですね!
きっと、ずっと昔のどこかでは一族だったのかもしれないですね。
ところで、「最近2軒続けて「小野原」さんちが売りに出ている」 というのは気になりますね。
大阪にも小野原ズが増殖中と解釈するべきか、
せっかく大阪に入植した小野原ズが撤退して、九州に戻っていっていると解釈するべきか。
不動産ネットワークを駆使して、今後も小野原ズの動向を教えてください。
よろしくお願いいたします。
またご報告いたしま~す!
福島県にお住まいなのですね。
寒いでしょうね~。
体調に気を付けてくださいね!
父の実家の温泉湯豆腐を取り寄せようとしていたら偶然このブログがヒットしました。
父の実家もあの辺りで、父の里帰りの際、ホテル桜が建つ前の跡地に父の車を停めた記憶がうっすらとあります。
昔はうちも旅館だったという話を聞いたことがあるのであれ?あれあれあれっ?っと思っています。
もしかしたら、ちょっと遠い親戚でしょうか…。それとも、同じ小野原のライバル店?
ちなみにうちの豆腐屋は「亀」に関連のある名前です(笑)
私も大学で文化の勉強をしているのでまさおさまが文化のお話を書かれていてちょっとした戦慄を覚えました。
とにもかくにも、これからもまさおさまブログの愛読者としてよろしくお願いいたします!!
小野原さん (なんかヘンな感じだ) はお父様のご実家がまだ嬉野にあるのですね。
だとすると、うちの小野原とはたぶん関係ないだろうと思います。
ライバル店だったということでしょうか。
うちの亀屋旅館のすぐ裏手に実家があり、その隣に豆腐屋さんがあったのを覚えていますが、
その店の屋号とかはわからないですし、小野原さんが経営されていたのかもわかりません。
今はその豆腐屋さんもなくなってすべてホテル桜になっているのではないでしょうか。
ご実家のお豆腐屋さんから温泉湯豆腐をお取り寄せできるのですね。
私もぜひ注文してみたいと思います。
宣伝も兼ねてお店の情報をコメント欄に書き込んで頂けないでしょうか。
大学で文化の勉強をされているとのこと、大学生か大学院生でいらっしゃるのでしょうか?
今はどちらにお住まいなのでしょうか?
こんな奇遇もあるのですね。
今後ともよろしくお願いします。
どうやらちょっと前までは豆腐を旅館に出していてそこから買えたみたいなのですが、
作っていたのが私の祖母ということもあって、
今は大々的にはやっていないようです。
申し訳ありません。
豆腐屋さんをやっている家も結構あるので、
無くなってしまったという豆腐屋さんは別の豆腐屋さんかもしれないですね…。
うちは母屋の隣に立てた小屋の10畳ほどのスペースで作っていました。
あの辺りは小野原さん多いのでひょっとしたら、
その豆腐屋さんも小野原さんだったのかもしれません。
私は大学院生で今は京都に下宿していますが、実家は福岡です。
今回のことがきっかけで色々懐かしい気分を味わえました。
ありがとうございました。
これからもブログを楽しみにさせていただきます!!
父方の小野原の実家は、祐徳稲荷神社のすぐ近くで、そのあたりの家は、小野原と名のつくお店だらけなものですから、おそらく小野原は、ココが発祥の地ではないかと思っていますw
また新たな小野原さんですね。
このブログ記事を書いたおかげで、小野原の輪が広がりつつあります。
そして、その人脈の発祥の地を突き止めることができたら素晴らしいですね。
さらなる調査をよろしくお願いいたします。