この問いにきちんと答えるためには,
「哲学って何ですか?」 という根源的な問いに答えないといけないんですが,
それはまだ先に取っておくことにして,
ごくごく簡単にお答えすることにしましょう。
A-1.倫理学は哲学の中の1部門です。
現在では 「哲学」 には,広い意味での使い方と狭い意味での使い方があります。
広い意味での哲学は大きく2つに分けることができます。
理論哲学と実践哲学です。
読んで字のごとく理論哲学は理論的なことを扱います。
例えば,人間はどうやって真理を認識することができるのかとか,
世界はどうなっているのかとか,
時間とは何か,
神や霊魂は存在するのか,などなどです。
これに対して実践哲学は人間の行為 (実践) に関わることを扱います。
人間は何を為すべきか,
人はどう生きるべきか,
人間が従うべき規範 (ルールや法則) は何か,
善いこと悪いこととは何か,
正しいこと不正なこととは何か,
何が許され,何が許されないのか,
それらを判別する基準は何か,
そもそもなぜ善いことをしなければならないのか,
などなどについて考えていくのが実践哲学です。
このように広い意味での哲学には理論哲学と実践哲学が含まれているわけです。
そして狭い意味での哲学というのはこのうちの理論哲学のほうを指しています。
これに対して実践哲学のほうが倫理学になります。
(実践哲学=倫理学というのはちょっと怪しいところもありますが,
とりあえずはそう理解しておいてください。)
つまり,図にするとこんな感じです。
理論哲学 = (狭い意味での) 哲学
/
(広い意味での) 哲学
\
実践哲学 = 倫理学
このように整理してみると,先ほどの答え (A-1) は
倫理学と (広い意味での) 哲学との関係を述べていたということがわかりますね。
(狭い意味での) 哲学と倫理学との違いを述べるならばこうなるでしょう。
A-2.実証科学になれなかった学問の中で,
理論的な問題を扱うのが哲学で,実践的な問題を扱うのが倫理学です。
日本の大学の学科名称も広い意味の場合と狭い意味の場合があります。
東京大学や東北大学などは文学部の中に哲学科と倫理学科があります。
(東大の場合はさらに美学科も別に分かれています)
しかし多くの大学では倫理学科は存在せず,哲学科しかないという場合が一般的です。
私の個人的な意見を言いますと,
東大のように哲学科と倫理学科を分けてしまうのはいかがなものかという気がします。
というのも,実際の研究者たちを見てみると,
理論的なことだけを扱っている人や,実践的なことだけを扱っている人というのはまれで,
だいたい皆さん理論的なことと実践的なことどちらも研究しているからです。
だから 「あなたは哲学科に進みますか倫理学科に進みますか」 と選択を迫るのではなく,
みんな一緒に哲学科に進んでおいて,その中で理論的なことも実践的なことも学ぶ,
というのが理に適ってもいるし,現状に合ってもいるように思うのです。
以上のことを踏まえると,
倫理学だけを研究している倫理学者というのは意外と少ない,
ということがわかってもらえるでしょうか。
倫理学者と呼ばれている人たちは,実は 「倫理学もやってる哲学者」 なのです。
では私はというと,出身は哲学専攻ですが,
これまで書いたものを振り返ってみると,理論的な問題を扱った論文は皆無で,
ことごとく実践的な事柄ばかり問題にしてきていますので,
真の意味で倫理学者 (倫理学研究者) であると言えるでしょう。
これは仲間内ではあまり自慢できることではないのですが,
希少価値があるということは何にせよいいことだと思うので,
これからもこの路線でがんばっていきたいと思います。
「哲学って何ですか?」 という根源的な問いに答えないといけないんですが,
それはまだ先に取っておくことにして,
ごくごく簡単にお答えすることにしましょう。
A-1.倫理学は哲学の中の1部門です。
現在では 「哲学」 には,広い意味での使い方と狭い意味での使い方があります。
広い意味での哲学は大きく2つに分けることができます。
理論哲学と実践哲学です。
読んで字のごとく理論哲学は理論的なことを扱います。
例えば,人間はどうやって真理を認識することができるのかとか,
世界はどうなっているのかとか,
時間とは何か,
神や霊魂は存在するのか,などなどです。
これに対して実践哲学は人間の行為 (実践) に関わることを扱います。
人間は何を為すべきか,
人はどう生きるべきか,
人間が従うべき規範 (ルールや法則) は何か,
善いこと悪いこととは何か,
正しいこと不正なこととは何か,
何が許され,何が許されないのか,
それらを判別する基準は何か,
そもそもなぜ善いことをしなければならないのか,
などなどについて考えていくのが実践哲学です。
このように広い意味での哲学には理論哲学と実践哲学が含まれているわけです。
そして狭い意味での哲学というのはこのうちの理論哲学のほうを指しています。
これに対して実践哲学のほうが倫理学になります。
(実践哲学=倫理学というのはちょっと怪しいところもありますが,
とりあえずはそう理解しておいてください。)
つまり,図にするとこんな感じです。
理論哲学 = (狭い意味での) 哲学
/
(広い意味での) 哲学
\
実践哲学 = 倫理学
このように整理してみると,先ほどの答え (A-1) は
倫理学と (広い意味での) 哲学との関係を述べていたということがわかりますね。
(狭い意味での) 哲学と倫理学との違いを述べるならばこうなるでしょう。
A-2.実証科学になれなかった学問の中で,
理論的な問題を扱うのが哲学で,実践的な問題を扱うのが倫理学です。
日本の大学の学科名称も広い意味の場合と狭い意味の場合があります。
東京大学や東北大学などは文学部の中に哲学科と倫理学科があります。
(東大の場合はさらに美学科も別に分かれています)
しかし多くの大学では倫理学科は存在せず,哲学科しかないという場合が一般的です。
私の個人的な意見を言いますと,
東大のように哲学科と倫理学科を分けてしまうのはいかがなものかという気がします。
というのも,実際の研究者たちを見てみると,
理論的なことだけを扱っている人や,実践的なことだけを扱っている人というのはまれで,
だいたい皆さん理論的なことと実践的なことどちらも研究しているからです。
だから 「あなたは哲学科に進みますか倫理学科に進みますか」 と選択を迫るのではなく,
みんな一緒に哲学科に進んでおいて,その中で理論的なことも実践的なことも学ぶ,
というのが理に適ってもいるし,現状に合ってもいるように思うのです。
以上のことを踏まえると,
倫理学だけを研究している倫理学者というのは意外と少ない,
ということがわかってもらえるでしょうか。
倫理学者と呼ばれている人たちは,実は 「倫理学もやってる哲学者」 なのです。
では私はというと,出身は哲学専攻ですが,
これまで書いたものを振り返ってみると,理論的な問題を扱った論文は皆無で,
ことごとく実践的な事柄ばかり問題にしてきていますので,
真の意味で倫理学者 (倫理学研究者) であると言えるでしょう。
これは仲間内ではあまり自慢できることではないのですが,
希少価値があるということは何にせよいいことだと思うので,
これからもこの路線でがんばっていきたいと思います。
分かることと分からないことが分からない状態では
身動きがとれない
Tは実践派だ
なんだか分からなくても、どんどん進む
なんだか分からないまま、なんだか分からない話をし
なんだか分からないまま、なんだか分からない質問をし
周りの人から、なんだか分からない話をどんどん引き出す
Tがいると、Tを主軸にして、会話は盛り上がり、果てしなく続く
Tはわけ分からずとも
周りはなんとなく、分かるものを見つけるらしい
Tはピカ一の営業マンだ
私の救いは
私の理論がうやむやなところだ
おかげで今のところはまだ仕事にありついている
理論哲学と実践哲学という使い方は普通の使い方ではなかったかもしれません。
人間の行為に関わる事柄をすべて「実践」と呼び、
それ以外を「理論」と呼びました。
だから倫理学は実践哲学になるわけです。
きさらぎさんの言葉遣いはそういう区別ではなくて、
頭の中で考えられたものを「理論」と呼び、
実際に行動に移すこと(もちろん言動も含む)を
「実践」と呼んでおられますね。
こういう対のほうが一般的な意味での理論と実践だろうと思います。
例えばカントの倫理学は、人間の行為に関する哲学ですので実践哲学になるわけですが、
カントはその実践哲学(=倫理学)に関して壮大な「理論」を打ち立てたわけです。
カント研究者はその「理論」を熟知していますが、
ではそれをきちんと「実践」しているかどうかというと、
例えば「いかなる場合もウソをついてはならない」というカントの理論を
そのまま実践している人はそうそうざらにはいないでしょう。
ぼくなんか毎日ウソをつきまくっています。
カントの「実践」哲学の「理論」を理解しているけれど、
「実践」はしていないわけです。
そんな私は「実践」哲学に関する「理論派」ということになるでしょう。
わーい、きさらぎさんと同じだ。