これは看護教員養成講座の受講生の方からいただいた質問です。
正確には次のように聞かれました。
「Q.絵本の 『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えてほしいです。
今回の講義を聞いたら私にも分かるようになりますか?」
いかがだったでしょうか?
私の 「哲学」 の講義を聞き終わって、あれがどういう話なのかわかるようになったでしょうか?
たぶんならなかったでしょうね。
あれに直接関係するような話はしませんでしたからね。
というか、私だってあの物語がどういう話なのかよくわかっていません。
だいたいのあらすじくらいなら聞いたような覚えはありますが、
子どものころにあの絵本を持っていたような気はしないし、
だからそもそも 『青い鳥』 のお話をちゃんと読んだことってないんじゃないかな?
ざっくりまとめると、チルチルとミチルという兄妹が幸せの青い鳥を探しに旅に出かけたけれども、
まったく見つけられずに家に戻ってみたら、我が家で前から飼っていた鳥が実は青い鳥だった、
というお話ですよね。
そのあらすじだけから判断するに、人は幸福をどこか遠いところに求めたがるけれど、
実は気づいていなかっただけで、幸福というのは自分の身近なところにあるんだよ、
ということを訴えている物語のように思えます。
それだけだとするならば、これは私がこのブログ (特に 「幸せの倫理学」 のカテゴリー) のなかで
常日頃から唱えていることと軌を一にすると言ってもいいでしょう。
はたしてそういうことを訴えたかったお話だったのでしょうか?
ちゃんと読んだ記憶がないのでまずはちゃんと読んでみる必要がありますね。
さすがに絵本を注文はしませんでしたが、ネット時代は便利なもので調べてみれば出てくるものです。
こんなサイトを見つけました。
「青い鳥」
あの物語が相当詳しく載っています。
これがどの程度要約されているものなのか、
それとも元々の物語がそのまま載せられているのか私にはわかりません。
が、先ほどざっくりまとめたあらすじに比べるといろいろな要素が入っているように思います。
最後の2文はこんなふうにまとめられていましたね。
「こうしてチルチルとミチルは、幸福とは気がつかないだけでごく身の回りに潜んでいるもの。
しかも自分のためだけでなく、他人のために求めるとき、
それははかりしれなく大きくなることを知ったのです。」
私が覚えていたのは最初の1文だけでした。
幸福とは自分のためだけではなく、他人のために求めるときはかりしれなく大きくなる、
というのもこの物語のテーマだったということについては今回初めて知りました。
これについても私は 「まさおさまの幸福の倫理学」 という講演をするときにはよく話をしていますが、
『青い鳥』 との関連は考えたことがありませんでした。
今後は 「幸福の倫理学」 の講演をするときには 『青い鳥』 の話を例に出してもいいかもしれません。
ただまあ、たしかに最後の2文はあのようにまとめられていましたが、
あの物語をあの2文に収斂するように読まなければいけないというわけでもありません。
トマス・マンの 『魔の山』 の一節を皆さんに解釈してもらいましたが、
絵本や小説などは、たった1文だけでも無限の解釈の可能性を秘めています。
ましてや哲学は、唯一の正解を認めない (どんな答えも疑っていく) 学問ですので、
「『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えて」 あげられるほど、
確固たる解釈なんてたぶん存在しないでしょう。
というわけで今回のお答えは次のようになります。
A.『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えてあげられるほど、
確固たる解釈があるわけではないし、私の講義を聞いてもわかるようにはならないと思います。
何度も何度も自分で読んで、自分なりに考えていくしかないのではないでしょうか。
ちなみに私がやっている 「てつがくカフェ@ふくしま」 では、
ときどき 「本deてつがくカフェ」 というものをやっています。
これは課題図書を1冊決めてみんなで読んできて、
そこに含まれる哲学的/倫理学的テーマについて語り合う会です。
これをやってみると、同じ本を自分とはまったく違ったふうに読んでいる人がいて驚かされます。
ぜひ質問者の方も、いろんな人と一緒にこの 『青い鳥』 を読んでみるといいと思いますし、
そのうち 「本deてつがくカフェ」 でも 『青い鳥』 を取り上げてみたいなと思いました。
そのときにはぜひご参加ください
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