まさおさまの 何でも倫理学

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小説 『フィッシュストーリー』 における正義の味方

2013-07-04 16:00:02 | 哲学・倫理学ファック
先日、「映画 『フィッシュストーリー』 における正義の味方」 について論じ、

日本において 「正義の味方」 概念が誤用されていることに対し苦言を呈しました。

『フィッシュストーリー』 は映画しか見ておらず、

原作小説において伊坂幸太郎がどのように概念を用いているかを知らなかったので、

たまたま 「Book Off」 で見つけてさっそく読んでみました。

小説のほうも 「正義感」 や 「正義の味方」 概念が多用され、

「正義の味方」 をテーマとしていました。

売れなかった曲 「フィッシュストーリー」 が時空を越えて人々をつなぎ人類を救う、

という全体のプロットも変わりありません。

しかし、売れないバンドが 「フィッシュストーリー」 をレコーディングする時代の話以外は、

個々のエピソードは登場人物や話のスケールなどが、映画では相当変えられています。

最後のエピソードも小説では 「人類滅亡の危機から世界を救う」 というほど壮大ではありません。

しかし、ちょっとヤバイ危機から人類や世界を救った、というふうには言えるでしょう。

そして、伊坂幸太郎さすがです。

その最後のエピソードでは作者はまったく 「正義」 概念を用いていませんでした。

レイプ犯から女性を救ったり、ハイジャック犯 (映画ではシージャック) と戦ったりという場面では、

「正義感」 とか 「正義の味方」 という概念が使われますが、

世界規模の危機から人類を救うという場面においては 「正義」 概念は出て来ないのです。

作者がどこまで 「正義」 概念を意識的に用いたり用いなかったりしていたのかは不明です。

おそらく作家の日本語感覚がここで 「正義の味方」 概念を使ってはマズイと訴えかけたのでしょう。

とても面白い話なだけに、最後でも 「正義の味方」 が出て来ていたら、

ちょっと私は失望し、伊坂幸太郎批判のブログを書いていただろうと思います。

そうならずにすみ、おかげで、この小説 『フィッシュストーリー』 は短編集なのですが、

『ポテチ』 の原作も収録されていたのでそちらも一気に読むことができました。

『フィッシュストーリー』 は映画化にあたって原作のエピソードを大幅に変えて、

映画向きのスケールのデカイ話に変えてありましたが、

『ポテチ』 のほうはもともとそんなに壮大な話ではないにもかかわらず、

ほぼ原作に忠実に映画化されていたということがわかりました。

今回はいずれも映画 → 小説という順で、どちらも楽しむことができたわけですが、

おそらく小説 → 映画の順だったとしても、同様にどちらも楽しむことができたのではないでしょうか。

「原作優位派」 の私としてはちょっと新しい感覚です。

ひょっとすると宗旨替えを迫られるような経験になるかもしれません。

これはやはり監督の中村義洋の手柄なんだろうな。

今度はなにか本当に先に原作を読んでから、中村義洋監督による映画化作品を見てみたいな。


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