まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.このクラス(相馬14期生)の印象はどんな感じですか?

2016-04-15 10:23:43 | 性愛の倫理学
一昨日、「看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2016年版)」 をアップしました。

昨日の2回目の授業で前回のワークシートを返却し、

皆さんからいただいた質問を、(1)授業中にすでにお答えしたもの、(2)以前に書いたことのあるもの、

(3)今後ブログに書くかもしれないものに分類しておいたわけですが、

(2) に関してインデックスを利用して記事を探して読んでいただけたでしょうか?

あれを作るのもけっこう大変だったので (有り難いでしょ)、ぜひお読みいただければと思います。

今後は (3) に関して少しずつお答えしていきたいと思います。

今日は答えやすいところで、14期生のクラスの印象について書いておきます。

以前はこういう質問はまったくなかったのですが、

最近になってこの手の質問をよくいただくようになりました。

11期生では代表質問に選ばれていましたし、

12期生でも聞いてくれた人がいてこのブログ内でお答えしました

これも自己意識 (=外界ではなく自分のことを省みる意識) の表れなんでしょうか。

さて、14期生の場合は私の印象を待つまでもなく、誰の目にも明らかな客観的特徴があります。

それは38名中、男子学生が11名もいるということです (「哲学」 受講者のみでの集計)。

男子が2ケタもいるというのは相馬の看護学校史上初めてのことでしょう。

そんなクラスを見ての最初の印象はこうでした。

A-1.名前の覚えやすそうなクラスだなあ!

7行上でリンクを張っておいた先の記事でも書きましたが、

私は毎年、座席表を使って皆さんの名前を覚えるようにしています。

覚えていく際には特徴的な名前の人であったり、同姓とか同名の人たちとかがまず頭に入り、

そこと関連させてだんだんまわりの人の名前を覚えていくことになります。

そのなかでも多数派の女子に囲まれた男子というのは、名前を覚える際の重要な起点です。

その起点が今年は11名もいるのですから、きっと覚えやすいだろうなあと直観しました。

これ以上増えて半々ぐらいになってしまうともはや起点にはならず何の助けにもなりませんが、

4分の1ぐらいというのはいい感じじゃないだろうかと予想したのです。

その予想はみごとに当たりました。

これも毎年のことですが、2回目の授業に向かう車中で座席表を覚えていくのですが、

一度、端から順番に覚えていっただけで、ほぼ一発で暗記することができました。

例年だと窓側から順次覚えていって、廊下側まで来たときには窓側はもう忘れてしまっていて、

何回もやり直さないと覚えられないのですが、今年はひじょうにスムースに覚えられました。

ただし、今年の場合は完璧に覚えてやったぜという過信があったことと、

座席表で見た漢字だけから勝手に男子女子を判断していたのが、

実は男女が間違っていたという人が2人もいて、それで完全に調子が狂ってしまい、

ワークシートを返却するときに間違って渡してしまうというミスが何回か生じてしまいました。

逆にこんなに間違えたのは初めてじゃないかな。

名前を覚えやすそうという印象は当たっていましたが、

それと、正しく覚えられるかどうかというのは別問題なんだということを痛感させられました。


このクラスのもうひとつの印象。

これも男子が多いということに関連しているのですが、次のようなものです。

A-2.遠慮・礼節があるから、GWの答えが真面目!

一昨日のインデックスの冒頭にも書きましたが、

「哲学の先生に聞きたいこと」 のグループワークで出された代表質問が真面目なものばかりでした。

実はこの傾向は郡山の看護学校にもあって、

あそこは相馬の14期生なんかとは比べものにならないくらい男子比率が高く、

一般的には男子のほうが不真面目な学生が多いので (傾向としては確実にあります!)、

グループワークでも不真面目というか突飛な答えや質問が増えるかと思いきや、

むしろとっても真面目な答えや質問が多くなるという逆転 (?) 現象が生じるのです。

その原因を私は次のように理解しています。

けっきょくグループワークをリードするのは真面目な女子学生たちです。

その彼女たちがグループのなかにいる男子を意識すると遠慮や礼節が自ずと生まれ、

思ったことを何でも言える雰囲気にはならず、

その結果、真面目な答えに落ち着いていっているのではないかと思うのです。

(たまに真面目な男子学生がいて彼が議論をリードしたとしても同じことが起こるでしょう。)

それに対して男子が極端に少なかったり、女子だけという代はぶっ飛んだクラスになります。

代表質問が私のプライベートに関する質問や人生相談、恋愛相談ばかりになってしまったり、

第2回の、人間の特徴で最も重要な特徴は何かというGWでは、

セックスに関する特徴だけがずらりと並んだりということになってしまうのです。

女子ばかり集まって異性の目がなくなると遠慮も礼節も失われて本音が出るということなのでしょう。

予想通り、昨日の第2回の授業のGWでは、重要な特徴ばかりでなくユニークな特徴としても、

14期生からはセックスがらみの回答はひとつも出されませんでした。

性的特性が何ひとつ挙げられなかったのは相馬の看護学校創設以来初めてのことです。

やはり男子が多いというのは学びの内容にも大いに影響を及ぼしているのですね。

史上最多の男子を擁するこのクラスが今後どんな成果を出してくれるのか楽しみにしています。

看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2016年版)

2016-04-13 18:57:49 | 哲学・倫理学ファック
先週から相馬の看護学校の 「哲学」 の授業が始まりました。
第1回目の授業では、皆さんに 「哲学の先生に聞きたいこと」 を出してもらい、
授業内でその代表質問にお答えしました。
今年は珍しく真面目な質問が多かったので、けっこう詳しく哲学について語ることができました。
例年だと代表質問に選ばれるのは、プライベートに関する質問であったり、
恋愛相談、人生相談のような質問ばかりだったりして、なかなか哲学入門にならないのですが、
今年はいい感じで皆さんに 「哲学とは何か」 を理解していただけたのではないでしょうか。

代表質問に選ばれなかった質問に対しては、こちらのブログでお答えしていくつもりです。
ただし、皆さんからいただいた質問の多くは先輩たちも聞いてくれていたので、
すでにブログのなかに書いてあります。
ですのでよくある質問に関して、まずは過去ログを参照していただければと思います。
どこを見たらいいか、インデックスというか目次的なものを作っておきますので、
こちらからあちこちへ飛んでみてください。
そして、インデックスもすでに何度も作ったことがありますので、
まずは下記のインデックスを順番に見てみてください。
そのなかに自分の質問と同じか似たものが見つかるはずです。
もちろん自分がした質問でなくても興味があったらぜひ読んでみてください。
なお、私にとって 「倫理学」 と 「哲学」 は同義語ですので、
「哲学」 と書いてあるところは全部 「倫理学」 に置き換え可能ですので、
そのつもりで読みたい記事を探してみてください。
(哲学と倫理学の関係についてはこちらをご覧ください。)

以前のインデックス
  「倫理学の先生に聞きたいこと (インデックス版)」
  「哲学の先生に聞きたいこと (インデックス版2012)」
  「看護学校教員養成講座・インデックス2012」
  「倫理学FAQインデックス (2012年白河編)」
  「哲学FAQインデックス (2014年相馬編)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2014年版)」
  「哲学FAQインデックス (2015年相馬編)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2015年版)」

自分の質問と同じもの、似ているものは見つかったでしょうか?
これらのインデックスに載っていなくてすでに書いたことのあるものや、
載ってはいるけれど問い方が違っているから見つけにくいと思われるものは以下です。

Q.指輪はなんでしないんですか?
  「Q.先生のプライベートについて」

Q.ゲームはしますか?
  「Q.趣味はありますか?」
  「Q.FFシリーズではどれが一番好きですか?」

Q.大学ではどんな研究をしていますか?
  公式ウェブページの 「プロフィール」 のところを見てください。

Q.大学ではどんな講義をしているのですか?
  公式ウェブページの 「講義・演習」 のところを見てください。

Q.哲学の先生の1日のすごしかたは?
  「Q.倫理学者ってどうゆうことをする職業なんですか?」

Q.やっぱり先生は時間が空いていたりしたら哲学の本などを読んだりしているのですか?
Q.休日はどのように過ごしているんですか?
  「Q.大学の先生ってお休みはあるんですか?」
  「Q.休みの日は何をして過ごすんですか?」

Q.普段の生活の中で哲学を使うことはありますか?またそれはどういった場面の時ですか?
  「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか? (その2)」

Q.哲学以外の道は考えていましたか?
  「Q.哲学以外に好きな分野はありますか?」
  「Q.哲学と出会っていなかったら、今は何をしていると思いますか?」

Q.今まで生きてきてこの人の考え方はすごかったなと思った時のこと
  「Q.今まで話を聞いたり読んだりしてきたなかで、一番驚いたりなるほどと思ったことは何ですか?」

Q.書き留める=メモでいいのか?
  「Q.考えたことを書き留めるときの注意点は何ですか?」

Q.人間関係論の授業でも汝自身を知るということをやってきました。哲学とはどのように違うのでしょうか?
  「Q.哲学者は実験とかするんですか?」

こんなところでしょうか。
ワークシートに 「インデックス参照」 と書いてあったけど、
ここまでのインデックスを見てみても自分の質問の答えがどこに書いてあるかわからないという人は、
次回のワークシートの一番最後のところでまた質問してください。
「そのうちブログに書くかも」 と書いておいた質問にはそのうちお答えするかもしれません。
とはいえ答えにくい質問もたくさんあったので、授業期間中にお答えできなかった場合はご容赦ください。
それではこれから2ヶ月間、よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

腹痛ダイエット

2016-04-12 23:44:45 | がんばらないダイエット
先週の木曜日から相馬の看護学校の非常勤の授業が始まったわけですが、

毎年楽しみにしている相馬でのランチを、先週は食べないまま帰ってきてしまいました。

というのもその2日前、火曜日の夜になぜか、もうすぐ授業が始まっちゃうから飲みに行きましょう!

という意味不明のお誘いがあり、飲みに誘われたら断らないというのがモットーの私は、

ホイホイ飲みに行ってしまったからです。

しかし珍しいことに、その日は飲み始める前からあまり絶好調という感じではなく、

何となくビールも進まない感じでした。

それでも飲み進めるほどにだんだん調子が出てきて、けっきょく何軒かハシゴをし、

最後は一人で禁断の 「締めのラーメン」 まで食べてしまうという暴飲暴食を楽しんだのでした。

その翌日は朝から胃部膨満感に苛まれまったく食欲がありませんでした。

ものすごくお腹が重い感じです。

さらに腹部に軽く痛みを感じるような感じないような、なんかイヤな違和感。

その日は朝も昼も抜いて、夜に少しだけ食べましたが、食欲は回復しないままでした。

そして相馬に行く木曜日。

この日は朝から軽い腹痛がありました。

ドライブの最中も授業中もそれは感じていて、

看護学生の皆さんにも 「ちょっとお腹が痛い」 と弱音を吐いたぐらいです。

いつもだったらちょっとぐらい調子悪くても、

授業をやっているうちにだんだん回復してくるものなんですが、

その日はまったく回復の兆しは見えず、むしろ痛みが増してくる感じで授業を終えました。

そんなわけで相馬ランチは断念したわけです。

とはいえ、その日の朝も抜いていましたし、何も食べないわけにもいかないだろうと思い、

途中のコンビニでチョコレートとか買ってみました。

こういうやつ。



何かのバラエティ番組で、お医者さんがちょっとしたエネルギー補給にチョコを食べてると聞き、

身体にいいんじゃないかと思って、ふだんけっして買わないような買い物をしてみたわけです。

ところがこれを一粒だけ食べてみたら、腹痛はより強まってしまいました。

これのせいというわけではなく、お腹が痛くて食欲がないのなら、

素直に絶食していればよかったのに、ムリにお腹に食べ物を入れたからいけなかったのでしょう。

相馬から大学に戻ろうと運転していたわけですが、途中耐えきれなくなって、

コンビニの駐車場にクルマを停めて横になっていたりしました。

とにかくお腹が痛くて丸まっていたい感じです。

しかし車のなかではうまく丸まることもできず、これはもうヤバイと判断し、

大学に行くのはあきらめてまっすぐ病院に向かうことにしました。

ケータイで調べて、いつものかかりつけのお医者さんは午後はやってないことを確認し、

それではと、万が一のためにある物を置いてある内科医を検索したら、

うちのすぐそばにそういう病院があったのでそちらに向かいました。

初めて行った病院でしたが、「クリニック21」 なかなかいい病院でした。

問診のあとすぐにエコー検査をしてくれました。

お腹の特にどの辺が痛いんですかと聞かれ、全体が痛かったので特定は難しかったのですが、

一番はこの辺かなとお腹のわりと上のほうを指したところ、そこらへんは膵臓ですねと言われ、

膵臓に疾患とかあるとちょっとヤバイんじゃないのと、一瞬血の気が引きました。

しかし、エコーで見るかぎり膵臓にも膵管にも大きな疾患は見当たりませんと言われホッとしました。

胃や胆のうや腎臓にも大きな疾患は見当たらないそうです。

というわけでエコー検査では病因を特定することはできませんでした。

けっきょくその日は胃酸を抑える薬だけもらって帰ってきました。

その薬をのんでもしばらくは痛みが治まらず、その日の夜の7時から8時にかけてがピークでした。

ベッドの中で丸まろうが何しようが痛くてたまらず、腹を抱えてのたうちまわっていましたが、

9時頃になってやっと薬が効いてきたのか少し痛みが和らいできました。

そんなわけでその日はチョコ一粒食べただけで、あとは絶食でした。

翌日も胃部膨満感と軽い痛みは残っていましたが、前日よりはだいぶラクになっていました。

朝も昼も抜きましたが、夜には少しお腹も軽くなってきて湯豆腐を少しだけ食べられました。

土曜日のてつカフェも当初は一次会に出られるかを心配していたくらいでしたが、

一次会が終わる頃にはほぼ回復して、あまり飲まないよう抑えながらでしたが、

二次会にも三次会にも参加することができました。

日曜日には軽い違和感は残っていたものの食欲は完全回復して、

カップラーメンなどジャンキーなものも食べられるようになっていました。

謎の腹痛は全快したのか、たんに薬によって抑えられているだけなのかわかりませんが、

何とか峠を越すことができたようです。

この間の絶食で一気に2kg以上、体重を減らすことができました。

この腹痛以前、食欲が全開になり、ジャンキーな食べ物への欲求も強まって、

あれよあれよという間に65kgの壁を越えて、66kg台に乗っかってしまっていましたので、

この腹痛は天啓だったと言ってよいでしょう。

何とかまた63~64kg台にまで戻すことができました。

ちょっと痛かったですが、これくらい痛い目に合わないとあのまま突っ走っていたかもしれません。

以前にインフルエンザ・ダイエットとかもしたことありますが、

病気で痩せるというのは効果はてきめんですね。

とはいえやはり健康的ではありません。

というか病的です。

こんなダイエットはしないですむもんならしないですませたいところですが、

意志が弱い人間にはときどき神様がこういう機会を与えてくださるのでしょう。

これを機にもう一度自分の食生活を見直したいと思います。

そして、あの腹痛の真の原因が解明されるといいな。

それについては近々続報を書く予定です。

悪天候の相馬花見ドライブ&行きつけのお店たち

2016-04-08 08:42:23 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日からまた相馬の看護学校の授業がスタートしました。

(相馬の看護学生の皆さん、ブログ見てくれてる?

今年は暖かかったので、講義初日にちょうど桜が満開になりそうだと楽しみにしていましたが、

前日の快晴から一転、当日はあいにくの悪天候となりました。

朝、福島を出発したときは今にも降り出しそうな曇り空でした。

通り道の茶屋沼公園はたしかに満開でしたが、この曇天では今ひとつ映えません。



相馬に着く頃にはとうとう降り始めてしまいました。

出発するのが遅くなってしまったため、講義前に花見をすることはできず、

一仕事終えたあとに桜を見て回ることになりましたが、

その時間にはもう土砂降りになっていました。

A先生オススメの、相馬の川沿いの桜並木もキレイに咲き誇っていましたが、

傘をさしながらではゆっくり写真を撮ることもままなりません。



いつも撮影している、中村神社お堀沿いの桜も満開でしたが、

あんまり雨がひどいので外に出るのは諦めて、車のなかから撮影しました。



なのでお堀がきちんと写っておらず、いつもの撮影ポイントだということもわかりにくいかと思います。

うーん、残念。

昨日だったら快晴だったのになあ。

残念といえば、桜とは関係ありませんが、こんな風景にも出くわしました。



駅前にあった中華料理屋さんの 「李龍」 ですが、なんと閉店してしまっていました。

こちらの五目焼きそばとか好きで、毎年1回は食べに来ていたのに残念です。

あんなに流行っていたのになあ。

確認のため 「ばりお食堂」 にも行ってみました。

こんな感じでした。



閉店はしてないようですが、去年と同じ感じですね。

未だにお昼の営業はやっていないようです。

こうなるともう私には 「ふくしまや」「井戸端よしお」 しか残されていないのでしょうか

心配になったので、どちらのお店もちゃんと営業しているか確認しに行ってみたところ大丈夫でした。

今年はこの2店のヘヴィローテーションになりそうです。

で、昨日はどちらに行ったかというと、実はどちらにも行かなかったんですねぇ。

これはまた聞くも涙、語るも涙の物語なんですが、

この話はさらに長くなってしまいそうなので、またの機会にいたしましょう。

初めてのてつカフェ外注ポスター

2016-04-07 23:44:55 | 哲学・倫理学ファック
新年度のてつカフェが明後日に迫ってまいりました。

「てつがくカフェ@ふくしま」 は2011年の5月にスタートしましたので、

この4月で丸5年を迎えることになるわけです。

よくぞまあこんなに続いてきたものです。

思いもかけない長命を記念して、今回のテーマは 「わたしにとって 〈哲学〉 とは?」 にしました。

哲学カフェに集ってくださっている皆さまひとりひとりにとって、

哲学とはいかなる意味をもつのか、哲学カフェとはどのような場であるのかを語り合います。

こんなことを回顧できるぐらいの歴史をもってしまったんだなあ、てつカフェは。

さて、そんな次回のてつカフェですが、とっくの昔にポスターは完成し、

すでに各所に掲示していたのですが、ブログで公開するのを忘れていました。

しかも今回のポスターは初めての外注品です。

外注といってもプロに頼んだわけではなく、私の作るポスターを見てセンスがないと豪語した、

てつカフェの常連さん、自称 「てつカフェの壇蜜」 さんに、

そこまで言うなら作ってみてよとお願いして作っていただきました。

こちらです!



まあ、たしかに私よりはセンスがあるかもしれません。

しかもこれをエクセルで作っているというのだから驚きです。

今回のテーマに合わせて、これも初めてのことだと思いますが、

てつカフェ風景の写真を使っていただきました。

てつカフェの壇蜜さん、素敵なポスターをありがとうございました

今回もこの写真に写っている 「イヴのもり」 で開催いたします。

もちろん哲学カフェ初体験の方も大歓迎です。

自分にとって 〈哲学〉 とは何かをともに語り合いましょう


P.S.

5月のてつカフェはぢゅんちゃんが出版に携わった、

『わがままに生きる哲学―ソクラテスたちの人生相談―』 を課題図書として、

「本 de てつがくカフェ」 を開催します。

まだ発売開始されていないその本を明後日のてつカフェの場で先行販売しますので、

そちらもお楽しみに。

橘高校進路講演会 「まさおさまの幸福の倫理学」

2016-04-06 18:03:20 | 幸せの倫理学
もう先月のことになりますが、橘高校で進路講演会を行ってきました。

例のグダグダなゼミ送別会の翌日ですね。

というか進路講演会だったということもよく知らされておらず、

知り合いの先生 (仙人さん) から何でもいいから1年生に話してくださいと頼まれて、

前日までずーっと悩んでいました。

進路講演会だってわかっていたらいつもの 「人はなぜ学び、なぜ働くのか?」 でよかったのですが、

あの話ももうそろそろ手垢がついたというか、話しすぎてちょっと飽きてきてしまったので、

別の演目にすることにして、「まさおさまの幸福の倫理学」 を話すことにしました。

一昨年、学祭のときに話した内容ですね。

その演目で3月16日に講演を行い、無事に終了したのですが、

その報告をまだしておりませんでした。

今回は橘高校の1年生全員300名弱を相手にしての講演だったので、

感想用紙の集計がなかなか終わらなかったのです。

というか、枚数が多いので集計作業をする場所がなかったのでした。

先日やっと研究室を片づけて、エイプリルフールの日にテーブルの上に広げていたのが、

そのときに橘高生に書いてもらった感想用紙でした。



5段階評価の点数ごとに分類して枚数を数え、ブログに掲載するものを選別していたわけです。

集計の結果、満足度の平均値は4.03でした。

300人相手の巨大講演会ですから4.0を超えたのでよしとしましょうか。

選別した感想を評価ポイントごとに分けてご紹介していきましょう。


【評価1の人】 (記入者全員)

●話が長くて、理解するのに苦労した。とても疲れた。

●比較的恵まれた環境にある自分たちが幸せになった上で、他者を幸せにしていくべきなのだと思った。


【評価2の人】 (記入者全員)

●資料は良かったが、何を伝えたいのかあまりわかりませんでした。

●100人の村の話が印象に残りました。

●自分が幸せじゃないと人を幸せにできない、というのが印象に残りました。

●幸福について考えることができました。ありがとうございました。

●「幸せ」 という目に見えない実体の無いものに対して、ここまで深く考えることができるとは思ってなかった。

●幸福の向き合い方が分かった。質問を聞いていていろんな意見があるなと思った。

●おもしろい話が聴けて良かったです。この講演会だけでは、まだまだ幸福について説明できないと思います。自分の力で、幸福について追求できたらと思います。


【評価3の人】 (抜粋)

●幸福感の話が印象に残りました。もう少し簡潔だと理解しやすいです。まわりを幸せにすることを心がけたいと思いました。物事のとらえ方によって幸福感が得られるというのがためになりました。

●”幸福を感じた人が幸福”。幸せって自分で決めていいんだなと思いました。って考えると自分の幸せって案外小さいんだなと思いました。辛いときとか死にたいときとかあったけど、小さい嬉しいことで気持ちがリセットできたし、そんなものかあと改めて思いました。今日はありがとうございました。これからも頑張って下さい。

●毎日こうして学校に来れて、友達と生活していることがどんなに幸せなのかが分かった。今までそれは 「当たり前」 だと思っていたけれど、今日の講義で自分が 「幸せ」 なのだと感じることができた。

●人はめったに何もしてくれないから、何かしてくれたときにありがたいと感じるから、「ありがとう」 と言うんだよとおっしゃっていました。だから、これからはもっときちんと 「ありがとう」 と言えるようになりたいと思いました。一番印象に残ったのは、「幸せな人しか人を幸せにすることはできない」 という言葉です。一人でも幸せな人が増えるように、私たちが頑張っていかなければならないと思いました。

●幸せの定義について、「しか」 と考えるのか 「も」 で考えるかで生活が変わっていくことうを改めて理解できた。自分で欲求や欲望をコントロールすることによって、よりよい生活がおくれると思った。お話であったように、勝つことは難しいかもしれないが、試合で点が入ったり、前はできなかったことが出来るようになることも1つの幸せだと感じること、思うことで人生がより豊かになっていくと思った。

●言葉が幸福に大きくかかわっていてることがわかった。前向きな言葉をつかっていくことが、幸福を得ることにつながるとわかった。「小さな幸せ」、その積み重ねが幸福だと感じることにつながると思うから、小さな出来事への考え方を変えたいと思う。また、1つのことに対しても考え方1つでいろいろなとらえ方ができることを改めて知ることができた。日ごろの生活で、あたりまえだと思い込んでしまっていることが多くあった。あのひとつひとつを考えてみると、自分がとても幸せだと感じることができると思った。すべて 「ありがたい」 ことだと思う。人と人をつなぐあたたかい言葉 「ありがとう」、この言葉を胸に忘れることなくこれからの人生を歩んでいきたいと思う。


【評価4の人】 (抜粋)

●「試合に勝つこと」 に幸福を置かないことって難しいです。「あの技ができたのに…」 って絶対思います。私は勝負については考え方が固いので、他のことは柔らかく考えてみようと思います。「この服が着れてうれしい」、「この人と話せて楽しい」 とか日常生活の何気ないことの1つ1つに喜んでいきたいです。

●何でもない一日がどれだけ幸せか、話を聞いて自分は恵まれているんだなと思いました。幸せの定義が話の後と前で変わりました。話を聞いた後は人に幸せを分けることが自分の幸せにもつながるんだなと思いました。

●幸福について考えるのは難しいし、答えのない問題にもやもやすることもありました。でも、幸福は身近なところにあるのかなと思うことができました。人を幸せにすることが最大の喜びという言葉が印象に残りました。人を幸せにすることは難しいと思うし、他者の幸せはわからないけれど、それでも人を幸せに出来たと思えることが1度でいいから経験できたらいいなと思いました。

●自分はものすごく良い環境で育ってきたんだということを改めて実感した。お母さんが家事をするのは当たり前だと思っていたし、お父さんが働くのも当たり前だと思っていました。でもそうではないと気がつけたので、しっかり感謝を伝えたいと思いました。

●私は5年前の大震災で家の電気が止まったり水が出なかったりして不自由な生活をしていました。その時、今まで普通に過ごしてきた日常は当たり前のようで当たり前じゃないことに気付きました。なので今回の講義は共感する部分が多かったです。今回教わったことを忘れずに過ごしたいです。今日は本当にありがとうございました。

●親切にしてくれる人には、「めったにないことだ」 という意味で 「ありがとう」 と言うことを知ると、重みを感じながら感謝の気持ちを伝えられそうです。また、勉強をしていると、自分は大学に行く為だけにやっているのかと思ってしまうこともあるが、よく考えてみれば人の役に立たない仕事なんてこの世にないのであって、頑張ってやっていけば人の幸せに一役立てることがわかり、考えが変わりました。

●合格発表のことを思い出してみると、すごく夢と希望にあふれていたな…と思いました。実際入学してみると思い描いていたスクールライフではなく、勉強や部活との両立に追われる毎日でした。でも、大変だからこそ学べることもあると思うので、2・3年生も頑張らないといけないなと思いました。

●人間発達文化学類は答えのないものを追い求めると言ったが、「幸せ」 こそまさにそれなのだな、と思った。具体的に 「こういうこと」 が幸せ、というものはなく、様々な 「幸せ」 の形があるからこそ、幸せを探求する価値があり、得る価値があるのだな、と思った。ただ、自分のあだ名でもある 「まさお」 について色々言われたことは、少し気に食わなかった (えらそうですみません)。

●「幸福を感じられることが幸福」 という言葉を聞いて、確かにそうだなと思いました。病気の人や障がいをもっている人が体が悪いだけで幸せになれないなんてことがあるはずないですし、人それぞれに幸せを感じることが違うということを改めて感じることができました。「『してくれないのが当たり前』 と思うことで 『ありがとう』 と言える」。そんなことを考えたことがなかったので、とても新鮮でした。いつも 「感謝しなきゃいけない」 という思いで 「ありがとう」 と言っていましたが、これからは、心の底から思えるようになりそうです。


【評価5の人】 (抜粋)

●資料にのっていた「どんなに恐ろしい病気でも、『こころ』 までは絶対に奪えない」 の文を読んで、今までにそういうことを考えたことがなかったので衝撃をうけました。そして、よく考えたらそうだとも気づきました。それからの、今日の幸せに対しての話はとても興味深かったです。人にはそれぞれの幸せの価値観が違うことや、限界があるといった、現実的ではあるけれど、とても納得のできるものでした。おもしろかったです。

●幸福を感じたことが幸福であるということがとても印象に残っている。受け止め方によって、その事実が幸せとなるか不幸となるかが大きく変わってくることがよく分かった。そう考えてみると、自分の生活をふり返ったときに幸せだと感じる場面はたくさんあったということに気づいた。これから先、運命という言葉で片づけられないことがたくさんあると思うが、どんな事実も幸せと感じられる受け止め方をしたいと思った。

●自分の思う幸せが他人にとってはどううつるかなんて考えた事が無いけれど、この話を聞いて幸せの形は人それぞれで、それを他人が否定することはできないなと思いました。自分の状態が不幸だろうが幸せだろうが、他人の不幸を取りのぞいてあげたほうが自分の自信につながるかなと感じ、自分の事だけ考えればいいと思っていた考えを改善することができた。目の前の小さな幸せを見つけ、さらに上へと努力していける人間になりたいと思いました。

●私はときどき 「なんとなく毎日が物足りない、毎日がつまらない」 と思うときがあります。そこでよく考えてみると、両親、友達の顔が思い浮かび、私らしく生きられているから私は幸せだと、とふと気づきます。正直なところ、自分は何をしているときに ”楽しい” と感じるのかよくわかりません。だから 「毎日が物足りない、毎日がつまらない」 と思うことがあるのです。何が自分らしいのか、何をすれば楽しいのか、何が幸せなのか、これから見つけていきたいです。

●幸福は、その人の受けとり方によって幸福にもそうでないものにもなりうることがわかった。また、言葉は銃弾になりうるという言葉は、とても印象に残った。何げなく言ったことでも相手の受け取り方によっては幸福にも不幸にもなることが分かった。これからは相手のことを考えて言葉をいいたいと思う。先生のお話を聞いて、考えさせられることがたくさんあった。私には何が出来るのか、どうすればいいのかということをこれから考えていきたいと思う。

●幸せに対する考え方が変わった。幸せと感じる基準をかえれば、今まではたいしたことと思っていなかったことも、満足できるのだということが分かった。人と人の間の幸せに対する価値観が違うからこそ、争いが起こってしまうのだ。だけど、お互いに認め合うことで、本当の 「幸せ」 をつかむことができる。これからは、当たり前の日々の中から幸せを見つけていきたい。そして、その幸せをくれた人達に感謝して精いっぱい生きて行こうと思った。

●私は日本というめぐまれた国に生まれて、毎日美味しいご飯を食べたり、橘高校で学ぶことができたり、そういうことに慣れてしまっていることは問題だなと気づきました。この現状に危機感を持って、どうしたら世界中の人々が少しでも幸せになれるか、不安なことを取り除けるか、考えてみたいと思いました。

●幸福は客観的なものでなくて、自分自身が幸福に感じるよう努めることが大切なのだと分かりました。同様の事柄をプラスに受け取るかマイナスに受け取るかで大きな違いが生まれてくるのだと思います。また、私は自分を発信源に相手へ影響を与えて感情が伝染していってしまうと思っています。今回の講義をお聞きしたことでさらに、明るい未来を思い、良い方向へ考える思考を大切にしていきたいと思いました。(白馬の王子様はいないことも印象に残りました(笑)。) ありがとうございました。


いいことを書いてくれていたものはまだたくさんあったのですが、

さすがに全部は紹介しきれません。

橘高校の皆さん、私の話に最後までお付き合いくださりありがとうございました

講演会後にいただいた2つの質問も、とても的確ないい質問でした。

質問者ばかりでなく、他のみんなにとっても私の話をより深く理解するために重要な問いでした。

感想用紙のなかでさらに突っ込んだ質問を書いてくれた方もいらっしゃいましたので、

それについては近々お答えできればと思います。

新学期が始まってしまって大忙しですので、すぐには返事できないかもしれませんが、

いずれ私の気が向くときまで気長に待っていてください。

それではみんな、幸せの感受性を高めて幸福な人生を送ってください。

悲報・ノーベル建築デザインショーその後

2016-04-05 13:43:00 | お仕事のオキテ
先週、東京で見つけたノーベル建築デザインショーのことをお伝えしました。



東京理科大の壁面に刻まれたお祝いの文字ですね。

初めて見たとき、垂れ幕にしないで壁に直接書いてしまうなんて、

理科大はどれほど大村先生をリスペクトしているんだろう、

未来永劫、讃え続けるつもりなんだなとビックリしたものです。

ただし、その後コメント欄で以下のように補足訂正しておきました。


「肉眼で見たときにはわかりませんでしたが、写真をアップにしてよーく見てみると、

 文字が壁面に直接書き込まれたり刻まれたりしているわけではなく、

 文字の書かれた巨大なシートか何かが壁面に貼られているだけのようにも見えます。

 垂れ幕の新しい形なのかもしれませんね。

 いずれ近いうちにこの垂れ幕が撤去される時もくるのか、

 それとも次の受賞者が出るまでずっと張り出されたままなのか、

 今後も注意深くウォッチし続けたいと思います。」


というわけで、壁に直接書かれたり刻まれたりしたものではなく、

垂れ幕に代わる新しいテクノロジーだということが判明したわけで、

これはたぶん着脱可能なものなんでしょう。

ですので、垂れ幕と同様にいつかは撤去するつもりなのかもしれません。

それがいつくらいの時期になるのか、今後注意深く見守っていくつもりでした。

で、あれからまだ1週間くらいしか経っていなくて、

当然その後まだ東京に行く機会はなかったわけですが、

なんとぢゅんちゃんがおめでたいことにこの春から東京の大学に通うことになり、

たまたまあの界隈を歩いていて、あれを見かけて驚いたというので写真を送ってきてくれました。

どうしたんでしょう?

たった1週間で何か変化があったのでしょうか?

撤去可能な構造だとしても、次のノーベル賞受賞者が出るまでとはいかなくとも、

受験生確保のためニュースバリューがなくなるまでは張り出しておきたいだろうから、

撤去はもっとずーっと先のことと予想していたのです。

いくら何でもまだ撤去のタイミングとは思えません。

それともシートが剥がれちゃったとか?

最先端のテクノロジーに何か問題が生じてしまったのでしょうか?

あるいは逆に、文字がもっと増えてるとか?

「君も理科大で学んでノーベル賞を目指そう!」 みたいな。

ケータイに送ってもらった写真がサイズ超過のためかすぐに見ることができず、

パソコンに送り直してもらったりなどしているあいだ、

何が起こったのか頭のなかでグルグル想像し続けていたのですが、

やっとのことで開いてみると予想の斜め上を行く衝撃の現場が写し出されていました。

こちらです。





ワン





トゥー





スリー







あちゃー、そうなっちゃいましたか。

消えちゃうんですね。

雨降ってましたからねぇ。

赤く大書されていた の文字や 「先生」 の敬称は完全に消えてしまっています。

「ノーベル生理学賞」 のところも部分的に消えてしまっていて、

これでは 「ノーベル建築デザインショー」 ではなくて、

ヘルメット着用を促すために違反者をさらし者にするという春の交通安全キャンペーン、

「ノーヘル生き埋めショー」 みたいになってしまっています。

いやあそれにしても、壁に直接書かれているのであれ、

文字の書かれたシートが壁に貼ってあるだけであれ、

その文字を書いたインクだか何だかが水に弱いという可能性は想定していませんでした。

垂れ幕って水に弱くちゃダメですよね。

その点、古式ゆかしいうちの大学の垂れ幕は、3.11直後に張り出されて今もなお健在ですよ。



この右側の垂れ幕ですね。

長持ちです。

これに比べて理科大のほうは、たしかに最先端テクノロジーだったのかもしれませんが、

耐久性の検証がまだまだでしたね。

しかしながら科学というのはこういう失敗を積み重ねて少しずつ進歩していくものです。

理科大がこの失敗を踏まえて、この最新テクノロジーをどう進化させていくのか、

ゆっくり見守りたいと思います。

ぢゅんちゃん、引き続き観察とご報告の程よろしくお願い申し上げます。

初めての映像付き結婚式&ダンスカクテル披露宴

2016-04-04 10:50:30 | 性愛の倫理学
競技ダンス部 (旧社交ダンス部) の卒業生たちが結婚ラッシュの時期に入っているようです。

昨年も2件の結婚披露宴に招待されましたし、それとは別に1組結婚していました。

今年に入って先週末にまた招かれ、その後、私は招かれていないもののもう一回あるそうです。

職業柄、結婚式とか披露宴ってこれまでイヤというほど参列してきて、

もう知り尽くしたと自負しておりましたが、去年いろいろ新しい形の式に出会いました。

長い間ほとんど定型化して誰がどんな結婚式&披露宴をしたかまったく思い出せないくらいでしたが、

最近この分野にもイノベーションの波が押し寄せているようです。

先週末は仙台の結婚式場でしたが、また新しいスタイルに出会うことができました。

挙式にも参列させていただきましたが、定時になると照明が落とされました。



こんなことは初めてです。

そしてプロジェクターで様々な映像が会場中に映し出されました。

見とれてしまってほとんど撮影できませんでしたが、

これは最後のほうの映像です。



披露宴では最近フツーに見かけるようになりましたが、

結婚式のほうでもこんな演出が行われるようになったんですね。

このショーが終わって照明が戻り、新郎新婦が入場してきました。

今回はオーソドックスなキリスト教式神前結婚式ですが、

神父さん (?) は外国人の方で英語とカタコトの日本語を交えての挙式でした。



ところでニュースタイルなのはもうひとり外国人の方がいらっしゃったことです。

上の写真の左のほうに写っている方です。

小さくしか写っていないのでわかりにくいかもしれませんが、マイクを持って歌っています。

そうなんです、外国人男性シンガーなんですね。

彼が歌う 「アベ・マリア」 に乗って新郎新婦は入場してきました。

なかなか本格的な歌です。

その後の指輪交換や、



キスのときも、



「アメイジング・グレイス」 などの曲を歌い上げてくれていました。

こういうのは初めてでしたがなかなかよかったです。

もうひとつよかったのはキリスト教神前結婚式ってフツーはけっこう厳かに執り行われ、

ここで拍手してあげたいよなあというタイミングのときもおとなしくしていなければならないのですが、

今回の神父さん (?) は必要なときには 「お2人に盛大な拍手を」 といって盛り上げてくれたので、

昨年の人前結婚式のときのようにわりと気軽に式を楽しむことができました。

式の終了後は外に出て鐘を鳴らします。



こういうコテコテの鐘も今まであまり見かけたことはなかったような気がしますが、

そう思うのは私だけでしょうか?

こういうのどこにでもありましたっけ?

さて、外でのセレモニーを終えて披露宴会場に通されます。

ここでもビックリしたのは、開宴に先だってビールとか飲み始めてしまってよかった点です。

披露宴会場の手前のウェイティングルームでウェルカムドリンクなどを頂くということはありましたが、

披露宴会場に入ってから乾杯の前に飲み始めてしまえるのって初めてのことでよかったです。

しかもこの結婚式場も、昨年の巨大披露宴同様、

会場の一隅にバーコーナーが設けられており、バーテンダーがカクテルを作ってくれます。

そのカクテルのメニューが豊富でした。

こちらがその一部です。



それぞれがどんなカクテルなのかを説明する文が付された、とても詳しいメニューで、

ノンアルコール対応が可能なものにはそのように書かれています。

しかし、一番ご注目いただきたいのはカクテルの名前です。

耳馴染みのないカクテルが並んでいますが、

スローとかウィンナワルツとかクイックステップ、サンバ、よさこいなど、

ダンスにちなんだ名前のカクテルがずらりと勢揃いしていました。

他のページにはホールド、ルンバ、チャチャチャなどもありました。

もともとあるカシスオレンジやファジーネーブルなどのカクテルに、

そういう名前を付けてメニューに載っけているだけのようですが、

新郎新婦が元ダンス部ということでこうした趣向を凝らしてくれたのでしょう。

なかなかシャレた演出です。

私は今回もまた乾杯の音頭を頼まれていましたので、

せっかくの機会でしたが挨拶を終えるまではアルコールは控えることにして、

リード&フォロー (ダンスの基本です) をノンアルコールで注文してみました。



まあレゲエパンチなわけですが、フローズンピーチが入っていて本格的な味わいです。

このメニューの説明書きを読むまで、レゲエパンチが仙台発祥のカクテルとは知りませんでした。

こうしてワイワイ飲みながらのんびり開宴を待つことができました。

いよいよ新郎新婦の入場です。



披露宴会場内には階段が設けられており2階からの登場です。

昨年は書きませんでしたが、福島での巨大披露宴のときも会場内に階段がありました。

会場全体を見渡した写真は半分くらい階段を上って撮りました。)

私たちの頃はゴンドラとかが流行りましたが (私は実際には目にしたことがありませんが)、

最近は 「ミュージックステーション」 の影響なんでしょうか、階段を下りてくるのが流行りのようです。

乾杯の挨拶は、「結婚とはダンスのようなものである」 という話で短めにまとめ、

比較的いい出来だったのではないかと自負していましたが、

卒業生からは 「今回はしどろもどろでしたね」 とダメ出しを食らってしまいました。

そうだったのかあ、せっかくノンアルコールで臨んだのに…。

さて、今回の披露宴で何がよかったって、友人や親戚による余興的なものが一切なかったことです。

見ているほうが小っ恥ずかしくなるような余興ってよくあるじゃないですか。

特にダンス部のメンバーが指名されていると、こちらがヒヤヒヤして赤面してしまいます。

そうしたものが何ひとつなくて、その代わりに2次会とかでよくやるような、

新郎新婦や今日の結婚式に関するクイズの時間 (の真面目バージョン) みたいなものがあって、

それであっという間に時間は経っていきました。

最後は、感謝の手紙、花束贈呈、両家代表の挨拶、新郎挨拶とお決まりの手順を踏んで、

新郎新婦退場のあとエンドロールが流れて、披露宴はお開きとなりました。



それにしても、このところ立て続けにニュータイプの結婚式&披露宴に出会うことができ、

エイプリルフールの婚姻届提出というのもありましたね)

皆さん、私のブログのためにネタを提供してくださりありがとうございます。

また、ブログに掲載すること、写真を使用することもご快諾いただきありがとうございました。

これから結婚する皆さん、もしも私を招待し乾杯の音頭とか頼もうと思っているのなら、

私のブログでよく先行事例を研究した上で何か新機軸を打ち出すようにして、

私がブログに書きやすいようにご配慮くださいますようよろしくお願い申し上げます

新郎新婦のお2人、このたびは本当におめでとうございました

エイプリルフールの困惑

2016-04-02 10:00:00 | 人間文化論
昨日のブログで、一昨日のこの状態↓から



たった一日でこの惨状↓



と書きました。

もちろんそんなことありえるわけがなく、これはエイプリルフールネタでした。

この写真は実際に昨日撮ったものですが、テーブルの上はちょっと荒れたふうを演出したものの、

久しぶりにテーブルが空いたのでそこに感想用紙をいっぱいに広げて分類作業をしただけですし、

机の上に乱雑に並べられている書類の入った袋も、

机の中に収納していた昨年度の書類をキャビネットに移すために一時的に机の上に出しただけです。

その後、作業が終わったらすぐに元通りに戻ったのですが、

あたかももう崩壊が始まってしまったかのようなウソ記事にまとめてみたわけです。

ところが、このブログ上でも Facebook 上でもまったく誰からも何の反応もありませんでした。

3年前に 「長い間ありがとうございました」 という記事で、

著作権法に違反した責任を取ってブログをやめますというウソをついたときは、

皆さんコロコロ引っかかってくれて、たっくさんコメントを頂戴しました。

それに比べて今年は誰も何も言ってくれないというのはどういうことだったんでしょうか?

ひょっとして皆さん本当にもう崩壊しちゃったと信じちゃいました?

たった1日でそんなわけないでしょ。

これってみんなをダマせたと喜んでいいんでしょうか?

でも 「そんなまさか これってエイプリルフールネタですよね?」 とか、

「全然散らかってないじゃないですか。わざと雑然と並べただけでしょ?」

みたいな反応ほしいじゃないですか。

誰も何も疑いもせずそのまま受け入れられたとなると、みんなをダマせてうれしいというよりも、

なんだかものすごーくつまらないというか、困惑してしまうのです。

あまりにもありえそうなリアルなウソをつきすぎてしまったんでしょうか?


エイプリルフールの困惑といえば、去年 「クララが当たった」 という記事を書きました。

前年に応募していた科学研究費補助金の申請が受理されて、

科研費の交付が内定したという喜ばしいお話だったんですが、

その日本学術振興会からのお知らせが4月1日に届いたもので、

そんなれっきとした団体がこんな人を傷つけるようなウソをつくわけがないと思いつつも、

ひょっとするとエイプリルフールネタかもしれないという疑いが晴れず、

その日は素直に喜ぶことができませんでした。

けっきょくわざわざ事務方に確認し、

「エイプリルフールではございません」 という返信をもらってやっと信じることができたのでした。

これだけエイプリルフールが定着すると、4月1日に届く知らせはすべて疑ってかかってしまいます。

昨日は Facebook の 「ライフイベント」(自分の近況を Facebook 友達に知らせる機能) で、

うちの卒業生 (元院生幹事さん) の 「結婚しました」 という知らせが駆けめぐりました。

大変おめでたい話ですからすぐさまお祝いのコメントを送りたいところですが、

なんせ4月1日ですからどうしても疑ってかかってしまいます。

まさかこんなウソをつくわけないと思いつつも、あの2人ならやりかねないという疑念も晴れません。

そこで私が送ったのはこんなコメントでした。

「なぜ4月1日に おめでとうっっっ

クエスチョンマークが拭いきれないお祝いのコメントです。

いや本当、なぜ4月1日に結婚なんでしょうか?

エイプリルフールでさえなければ年度替わりのとてもキリのいい日ですが、

でももうエイプリルフールとして定着してしまっていますからねぇ。

そう思っていたところ、ご本人から 「本日、婚姻届を提出して参りました」 という記事も流れました。

誰それに証人になって頂きましたとか、今後ともご指導ご鞭撻をお願いしますという挨拶とともに、

こんな写真が添付されていました。



おお、これは間違いないでしょう。

これがエイプリルフールネタだとしたら、いくらなんでもやりすぎです。

これを読んでやっと結婚を確信できたので次のようなコメントを送りました。

「おおっ、さすがにここまで壮大な引っ掛けってことはないよね。

 本当におめでとうございます\(^o^)/

 この件、ブログに書いてもいい?」

ご本人からご承諾をいただき、写真使用の許可も得たので、

こうしてブログネタにさせていただいている次第です。


それにしてももうエイプリルフールってやめませんか。

4月1日に限らず世の中は十分ウソにまみれているじゃないですか。

詐欺師も政治家も東電も他の日にはゼッタイにウソはつかないというのなら、

1日くらいいくらでもウソついてもいい日があってもいいかもしれませんが、

私たちのまわりは365日ウソだらけなんですから、

もはやエイプリルフールの存在意義は失われていると思うのです。

エイプリルフールなんかがあるために、その日の通達やおめでたい知らせが半信半疑で扱われる、

なんていうのはとてもまともな風習とは思えません。

私だってあまりにリアルなウソをつきすぎてみんなスルーされるなんていう経験せずにすむでしょう。

エイプリルフール、要らないな。

どうです?

みんなでエイプリルフール廃止に向けて運動していきませんか?

さもなくば、逆にエイプリルフールには何ひとつ真実は語ってはならない、というくらい徹底しましょう。

官公庁も企業も学校もすべてお休み。

仕事にならないでしょうから。

だから婚姻届もその日には提出できないし、みんなに報告してもいけない。

うん、ここまで徹底してくれたら困惑せずにすむな。

もうどちらかに決めてほしいと心から願うのでした。


最後に、もうエイプリルフールは終わっているので今度は心から。

元院生幹事さん、ご結婚おめでとうございますっっっ

悲報・1日もたずに崩壊

2016-04-01 15:26:05 | お仕事のオキテ
あっという間に1年の4分の1が終わって、もう新年度に突入してしまいました

そしてさらに悲しいお知らせがあります。

こちらです。



昨日あんなにキレイにしたばっかりなのに、もうこんなありさまです。

たったの1日ももたずに崩壊ですか

いや、これはまだ何とかなるはず。

お仕事のために一次的に机やテーブルを使っただけなのだから、

仕事さえ終わればこれらはきちんと収まるべきところに収まってくれるはず…。

あ、でも去年も同じようなことを言っていた気が…。

まだ新学期も始まってなくて一度もゼミやってないというのに

私は 「片付けられない男」 なんですか

自分の研究室でゼミをやるなんていう、そんなちっぽけな望みも果たせない男なんですか

誰ですか、「やっぱり期待を裏切らない男だった」 とほくそ笑んでいる人は?

ウソだっ、こんなはずじゃなかったのにっ