一週間のご無沙汰です(^^)
… と 書きつつ、思い出したのが、この「 一週間のご無沙汰です。 司会の玉置 宏です」 これ なんのフレーズか分かりますか。
ちなみに 玉置浩二 の誤植じゃあ ありません。
たまおき ひろし と読みます(^^)
そう…今からだと四十年くらい前かも知れません。
軽快な口調に合わせて始まった 歌謡番組 の冒頭のフレーズです。
この当時 司会業 という職種がありました。
ここに紹介した 玉置宏 さんや 大橋 巨泉さんなど 俳優ではあるのでしょうが、専ら 司会業一筋で活躍されていました。。 この玉置宏さんの話すパターンは決まっていました。
ロッテ 歌のアルバム♪
次に 一週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です。~
ここから 始まる 歌のアルバム は当時流行った 歌番組の 定番中の定番でした。
私は 子ども心に この番組を憶えていましたが、印象は 難しい、華やかで、分からないちょっと自分等が立ち入る番組ではない… こんなイメージで 親が熱心に観ていたので 仕方なく 眺めていた^^;
のでした。
昭和の四十年代は テレビが国内に普及してしまい 映っている→観る…愉しい娯楽 に変貌を遂げていった時代でした。
又昭和は 色々 劇的に生活が変わった時代でもありました。
東京や大阪など大都市は 庶民的な娯楽施設寄席、映画、繁華街(レストラン・喫茶店・ビアホール・演劇・見世物・専門商店街)がありました。
しかし 都会を外れた田舎には な~んもありません。
都会で働く人は こざっぱりとした格好で会社に勤め 月給を貰い 日々 お金を使い愉しく 気楽に生活していました。
一方 田舎… 田舎にも 二種類ありました。 ほんとの農村と 地方の街でした。
私が住んでいた農村には 全くな~んもありませんでした。
集落…この形容詞も いまでは 死語になりましたが、百軒余りの集落がひとつの社会経済圏を形成していまして、大概の生活必需品は 集落ごとに ありました。
元々田舎は 自作自給の生活が主体で その生活基盤は自前で作り賄っていました。唯一自前で揃わないものは金銭にて購入しましたが、その金銭は年に一度、秋の採り入れ時期に限られていたのです。
ですから 秋の収穫期には米を売って頂いたお金で お正月に備えた 買い物を楽しんだのです(^^)
今なら 笑い話…いえ ちょっと信じられないかも知れませんが、おうどん がご馳走でした。
当時秋の収穫と言いましても 今より 遅くて 大体11月の終わりくらいに 農作業が終わりました。
その時期を見込んで 地方の中心にある商店街は12月に売り出しを行いました。
娯楽もなく 普段自給自足の質素な生活をしていた農民は年に一度の この時期に ドドッと街に出掛けました。
買い物の目的は 年越しの晴れ着や新しい衣服、家庭用品などです。
朝から 家族揃って家を出て商店街で買い物をして 食堂で おうどんや中華そばを食べる(^^)
これが至福の一日でした。
あ~懐かしい 何てつつましい 生活だったのでしょうか(^^)
今でも時々 思い出す素朴で愉しい昔話でした(^^)
… と 書きつつ、思い出したのが、この「 一週間のご無沙汰です。 司会の玉置 宏です」 これ なんのフレーズか分かりますか。
ちなみに 玉置浩二 の誤植じゃあ ありません。
たまおき ひろし と読みます(^^)
そう…今からだと四十年くらい前かも知れません。
軽快な口調に合わせて始まった 歌謡番組 の冒頭のフレーズです。
この当時 司会業 という職種がありました。
ここに紹介した 玉置宏 さんや 大橋 巨泉さんなど 俳優ではあるのでしょうが、専ら 司会業一筋で活躍されていました。。 この玉置宏さんの話すパターンは決まっていました。
ロッテ 歌のアルバム♪
次に 一週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です。~
ここから 始まる 歌のアルバム は当時流行った 歌番組の 定番中の定番でした。
私は 子ども心に この番組を憶えていましたが、印象は 難しい、華やかで、分からないちょっと自分等が立ち入る番組ではない… こんなイメージで 親が熱心に観ていたので 仕方なく 眺めていた^^;
のでした。
昭和の四十年代は テレビが国内に普及してしまい 映っている→観る…愉しい娯楽 に変貌を遂げていった時代でした。
又昭和は 色々 劇的に生活が変わった時代でもありました。
東京や大阪など大都市は 庶民的な娯楽施設寄席、映画、繁華街(レストラン・喫茶店・ビアホール・演劇・見世物・専門商店街)がありました。
しかし 都会を外れた田舎には な~んもありません。
都会で働く人は こざっぱりとした格好で会社に勤め 月給を貰い 日々 お金を使い愉しく 気楽に生活していました。
一方 田舎… 田舎にも 二種類ありました。 ほんとの農村と 地方の街でした。
私が住んでいた農村には 全くな~んもありませんでした。
集落…この形容詞も いまでは 死語になりましたが、百軒余りの集落がひとつの社会経済圏を形成していまして、大概の生活必需品は 集落ごとに ありました。
元々田舎は 自作自給の生活が主体で その生活基盤は自前で作り賄っていました。唯一自前で揃わないものは金銭にて購入しましたが、その金銭は年に一度、秋の採り入れ時期に限られていたのです。
ですから 秋の収穫期には米を売って頂いたお金で お正月に備えた 買い物を楽しんだのです(^^)
今なら 笑い話…いえ ちょっと信じられないかも知れませんが、おうどん がご馳走でした。
当時秋の収穫と言いましても 今より 遅くて 大体11月の終わりくらいに 農作業が終わりました。
その時期を見込んで 地方の中心にある商店街は12月に売り出しを行いました。
娯楽もなく 普段自給自足の質素な生活をしていた農民は年に一度の この時期に ドドッと街に出掛けました。
買い物の目的は 年越しの晴れ着や新しい衣服、家庭用品などです。
朝から 家族揃って家を出て商店街で買い物をして 食堂で おうどんや中華そばを食べる(^^)
これが至福の一日でした。
あ~懐かしい 何てつつましい 生活だったのでしょうか(^^)
今でも時々 思い出す素朴で愉しい昔話でした(^^)