【はじめに】
今回はミャンマーとロヒンギャの問題について書きます。
大戦後に国名を何回も変えましたが、現在の正式国名は『ミャンマー連邦共和国』です。首都はネピドーです。
子供の頃に竹山道雄の『ビルマの竪琴』を読み感動しました。ミャンマーは、昔はビルマと呼び、『緬(めん)』と言う漢字で表していました。
第15章 :ミャンマー
【ミャンマーの民主化を妨げる問題】
今年(2021年に)軍事クーデターが起こって、→民主化を要求するデモが始まり、→軍と警察がデモ隊に発砲して虐殺し、→民衆が武装闘争を初めています。
ミャンマーには次の❶~❻の問題が有るので、国民の多くが立ち上がったとしても、中国の支援を受けた軍隊を倒す事は出来ないと私は考えます。各問題の詳細は後で述べます。
❶ 2008年に改悪された憲法の問題
❷ 軍と中国の関係
❸ 武装した少数民族の問題
❹ 軍隊の問題
❺ ロヒンギャの問題
❻ 資源が豊富・・・中国が狙っている。
【ミャンマーの基礎データ】
ミャンマーは地下資源に恵まれ、降雨量が多いいので農林畜産業の可能性が高く、周辺の海は大陸棚で漁業の発展が期待出来る、夢の様な国です。
文民統制の効かないグータラ息子の様な軍隊が権力を握り、中国の一路一帯構想に組み込まれようとしています。 国民は自由を奪はれてしまうでしょうが、自然に恵まれた国ですから少しずつ豊かになるとと予想します。
★ 人口 :5,440万人(2020年)
★ 面積 :67.7万km2
★ 1人当たりのGDP :5,240ドル(2020年)・・・PPP
★ 多民族国家 :ビルマ族 68%、シャン族 9%、カレン族 7%、・・・
★ 宗教 :仏教徒(90%)
★ 公用語 :ビルマ語
★ 地下資源 :石油、天然ガス、銅、ニッケル、アンチモン、宝石
【イギリス領インド帝国】
現在のミャンマーとロヒンギヤの問題を考える時には、イギリス東インド会社のやった事を知って頂く必要が有ります。
イギリスのアジア進出は、イギリス東インド会社が担当しました。17世紀からインドの植民地化に着手して、1824年からビルマの植民地化を始めました。1886年には、ほぼビルマ全土を植民地にして、英領インドに併合しました。日本軍が侵攻した1941年までの半世紀間、ビルマはイギリスに搾取されたのです。
英領インドの最大版図には、❶インド、❷パキスタン、➌バングラデシュ、➍スリランカ、❺ネパール、❻ミャンマー、❼イラクが含まれていました。
★ 1498年 :ポルトガル人のヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに来た。
★ 1510年 :ポルトガルが『ゴア』を建設
★ 17世紀 :イギリス東インド会社がインドに進出
★ 17世紀後半 :フランス東インド会社がインドに進出
★ 1757年 :プラッシーの戦い・・・イギリス東インド会社がフランスを追い出した。
★ 1765年 :イギリス東インド会社がインドの3州を植民地化
★ 1815年 :オランダからセイロン島(現在のスリランカ)を取得
★ 1816年 :ネパールを保護国にした。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1858年 :インド帝国(英領インド)・・・1877年からイギリスの王がインド皇帝を兼任
イギリス東インド会社を解散して、イギリス政府が植民地を引き継いだ。
★ 1930年代~ :ビルマ独立運動
★ 1941年 :日本軍の侵攻
★ 1941年 :アメリカが航空部隊をビルマに派遣した。
★ 1947年 :英領インドの崩壊
★ 1948年 :ビルマの独立
(余談 :廃藩置県) 昔・英領インドについて勉強した時に、「封建制度による統治ではイギリスの侵略に対抗出来ない、日本を統一国家に変える必要が有ると誰が最初に考えたのか?」と言う疑問が湧いてきました。 島津斉彬は、「薩摩藩の富国強兵と殖産興業が必要だ」と悟りました。 坂本龍馬は船中八策で天皇中心の政治を唱えましたが、藩を廃止した統一国家の必要性には言及していません。
廃藩置県が実行されたのは明治4年(1871年)です。何故?明治政府は、殆ど抵抗なく廃藩置県を断行出来たのか? 答えは、「戊辰戦争で各藩は、金の掛かる近代的兵器を持たせた軍隊で無ければ意味がない」と気づき、一部の藩は軍隊を持ちましたが、藩の財政を圧迫して維持出来なかったのです。 それで、明治政府に軍隊を提出し、廃藩置県はやむを得ないと考える様になったのです。
【ミャンマーの歴史】
1824年にイギリスがビルマに侵攻しましたが、当時のビルマはコンバウン王朝が治めていました。コンバウン王朝はイギリスと3回戦って連敗し、結局1886年に滅亡して、ビルマ全土がイギリスの植民地になりました。
1941年に日本軍が侵攻しました。→→次の章の【日本軍とロヒンギヤの問題】で述べます。
ミャンマーの南部の農地の約半分は、インド人の地主達が所有し、ミャンマー人は小作人になっていました。日本軍が侵攻すると、地主達はインドに逃げたので、バー・モウ政権は小作人に土地を与えました。
第二次世界大戦後にイギリスは再植民地化しましたが、激しい独立運動を鎮圧出来なかったので撤退しました。1948年にビルマは悲願の独立を達成しました。その後、軍が力を握る様になって、ミャンマーの民主化は進まず、ドンドン異常な国になって行きました。 現在・中国の一路一帯構想に組み込まれようとしており、中国の既得権が益々拡大しようとしています。ミャンマーの民主化は『夢のまた夢』の様に私には思えます。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1852年 :第二次英緬戦争
★ 1885年 :第三次英緬戦争・・・ビルマ全土がイギリスに占領された。
★ 1886年 :ビルマ全土が英領インドに編入された。
★ 1941年 :日本軍がビルマに侵攻
★ 1942年 :アウンサンが率いるビルマ独立義勇軍と日本軍でイギリス軍を追い出した。
★ 1943年~45年 :ビルマ国(バー・モウ政権)
★ 1945年 :イギリスの再植民地化
★ 1948年~74年 :ビルマ連邦・・・独立国家
★ 1962年 :軍事クーデター・・・ビルマ民族中心主義→ロヒンギャ差別
★ 1974年~88年 :ビルマ連邦社会主義共和国
★ 1988年~89年 :ビルマ連邦(短期間・旧国名に戻った)
★ 1989年~2010年 :ミャンマー連邦
★ 2010年~現在 :ミャンマー連邦共和国
★ 2008年 :憲法改正・・・反民主主義的な内容!
★ 2016年 :アウンサンスーチー氏が国家顧問に就任
★ 2021年 :軍事クーデター
【憲法の問題】
ミャンマーでは2008年に、憲法を反民主主義的なトンデモナイ内容に改悪しました。
ミャンマーの国会は二院制で、議員の任期は5年です。人民院(人口割合で定員を配分;440名)、民族院(7 管区・7 州に同数の定員を配分;224名)の二院です。
ミャンマー憲法の最大の問題点は、『国軍司令官が両院議員の25%の軍人議員を任命する』事だと思われます。 一方、国家にとって重要な事項に関する憲法改正は、国会の75%以上の賛成が必要です。 従って、軍の既得権を侵害する様な憲法改正は出来無いのです。
① 副大統領の選出 :人民院、民族院、両院の軍人議員がそれぞれ副大統領を1名選びます。 従って、副大統領の一人は軍人が選ばれる事になります。
② 大統領の選出 :三人の副大統領の中から、議会が大統領を選びます。
③ 防衛大臣、内務大臣及び国境大臣の任命権は(大統領では無く)国軍総司令官に有ります。
④ ミャンマーの警察は軍の傘下に有ります。
(余談 :2021年の軍事クーデターと憲法) クーデターで軍が政権を握ると、憲法を停止するか/破棄しますが、軍は「2008年改正憲法の規定に乗った行動で有る」と主張して、憲法を擁護しています。逆に、国民民主連盟の方は2008年改正憲法を否定しています。
(余談 :スーチー氏) 2015年に行われた選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟が圧勝しました。 然し、憲法に親族に外国籍の人がいると大統領になれないと言う規定が有り、スーチー氏の夫は英国籍のために、国家顧問となって国政を行ったのです。(私は、国家顧問は憲法違反だと思います。)
【中国の問題】
中国は、❶中東から輸入する原油をミャンマーに陸揚げして、❷ミャンマーのラカイン州沖で産出する天然ガスを、(南シナ海を通さずに)パイプラインで中国に搬送する体制を構築しました。 ミャンマーをほぼ一路一帯構想に組み込んだのです。 この既得権を中国は、何が何でも守ろうとするでしょう!
パイプラインの起点は、ロヒンギャが住むラカイン州のチャオビューです。現在・ロヒンギャが騒動を起こすことは許されない状況になっています。
今年(21年5月)、パイプラインの警備員3名が何者かに殺害されましたが、山岳部に住む武装民族がパイプラインを攻撃したら、中国軍が警備に付く可能性が有ります。
ミャンマーの国民の多くは中国が嫌いな様ですが、ミャンマーは北朝鮮の様に中国に隷属する国になると私は予想しています。
★ 2013年 :天然ガスのパイプライン完成
★ 2017年 :原油のパイプライン完成
【少数民族の問題】
ウイキペディアによると、大きく8つの部族、全体で135に及ぶ民族が存在するそうです。それぞれの民族が言語と文化を持っている、日本人には理解不可能な国です。
10グループもの武装勢力が有ります。中国はワ州連合軍(UWSA)を支援していて、その兵力は25,000人も有ります。
【ミャンマーの軍隊】
ミャンマーには徴兵制が有ります。総兵力は40.6万人ですが、山岳部で民族闘争が発生するために、大半(37.5万人)が陸軍です。 昔から民兵組織と武装した少数民族の組織が存在しています。 現在でも、ミャンマー軍は一部の地域を支配出来ていません。
ミャンマー軍は、(憲法の規定で)文民統制が全く出来なくなっています。大統領には、ミャンマー軍だけで無く警察の人事権も無いのです。 現在、こんな制度を採用している国は他には無いと思います。
国軍司令官は両院の国会議員166人を任命する権限を持ち、副大統領1名と3人の大臣の任命権も持っています。軍隊だけで無く、警察トップの人事権も持っています。ミャンマーで出世したかったら職業軍人になるべきです!
ミャンマー軍は工場や商店を経営しており、『軍の経済財閥』と呼ぶそうです。その利益が軍の上層部を潤しています。クーデター後、『軍の経済財閥』をさらに拡大/発展させようとしています。 外国企業が今後、ミャンマーで商売する為には軍の承認/協力無しでは出来なくなると予想します。
【日本はどうすべきか?】
ミャンマーが憲法を改悪したのは2008年でしたが、日本は民主党政権の最後の年(2013年)に、「何を考え、何を狙ったのか?」ミャンマーへの政府開発援助(ODA)を急激に増やしました。その頃から日本企業の進出も増加しました。2019年迄のODAは1兆円を超えている様で、進出企業は400社以上になっています。
キリンホールディングス、フジタ、東京建物、KDDIはミャンマー軍と共同で事業展開して来ました。アウン・サン・スー・チー政権と日本企業が、多数合弁会社立ち上げましたが、クーデター後に政府側の役員は軍人に交代した様です。
ミャンマー軍がロヒンギャにした弾圧を欧米諸国は集団殺戮(ジェノサイド)だったと問題視しています。現在進めている民主化団体に対する弾圧も「ジェノサイドだ!」と非難されると予想します。 日本はODAを完全に停止しして、民間企業は出来るだけ早くミャンマーから撤退すべきだと考えます。
第16章 :ロヒンギャ
【ロヒンギャ流入の歴史】
現在のバングラデシュからイスラム教徒が、以下に述べる❶~➍の四つの時期に、仏教国のミャンマーに流入しました。
❶ ラカイン州には、イギリスが侵攻するずっと前(8世紀頃?)から、イスラム教徒(?)の商人が入って来て、一部がラカイン州に留まり、平和に暮らしていました。
❷ 17世紀にインドに進出したイギリス東インド会社は着々と支配地域を広げました。現在のバングラデシュを獲得した後、1824年からミャンマーの攻略に着手して、ラカイン州を獲得しました。ラカイン州のミャンマー人から土地を取り上げ、バングラデシュからイスラム教徒移住させました。 これが、ロヒンギャ問題の始まりです。1886年にはミャンマー全土を手中に収めて、ミャンマーを英領インドに加えたのです。
➌ 第二次世界大戦後、現在のバングラデシュで食糧不足が発生した時に、多量の難民がラカイン州に不法侵入して、一部は武装しました。
➍ 1971年に発生した第三次印パ戦争時にも、多量の難民がラカイン州に不法に流れ込んだ様です。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1886年 :ビルマ全土が英領インドに編入された。
★ 1941年~45年 :ビルマの戦い・・・日本軍がビルマに侵攻
★ 1945年:イギリスの再植民地化
★ 1948年 :ビルマの独立
連邦市民権法を制定;ロヒンギヤは国民と認め無かった→外国人身分証明書を発行
★ ?年 :バングラデシュが食糧難の時に難民が不法入国
★ 1971年 :第三次印パ戦争→バングラデシュの難民が不法入国
★ 1978年 :ロヒンギャ難民が発生
★ 1991年 :ロヒンギャ難民が発生
★ 2015年 :ロヒンギヤの選挙権と被選挙権が剥奪された。
★ 2017年 :ロヒンギヤが武力攻撃→ミャンマー軍が徹底弾圧→バングラデシュに75万人以上が逃げた。
【日本軍とロヒンギヤの問題】
第二次世界大戦では連合国(イギリス、アメリカ)はミャンマー経由で、多量の軍事物資を中国(蔣介石軍)に輸送していました。 それを阻止する為に日本軍は、1941年にミャンマーに侵攻して、ラカイン州に住む仏教徒の一部を武装さ/軍事訓練をして、ビルマ独立義勇軍(BIA)を組織してラカイン州の奪還を目論みました。
一方、イギリスはラカイン州のイスラム教徒(現在・ロヒンギヤと呼ばれている人達)を武装さ、日本軍とBIAに対抗させました。この事で、ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒が対立する様になりました。
日本軍とBIAは一緒に、イギリス軍、アメリカ軍及び蒋介石軍と戦い勝利して、ビルマ全土を制圧しました。BIAは勢力を拡大して、バー・モウ政権を樹立しました。 この時、BIAのトップがアウンサンスーチー氏の父(アウンサン将軍)です。アウンサン将軍は『建国の父』と呼ばれています。
(私の見方) 日本軍がBIAを作らなかったら、ミャンマーの独立は大幅に遅れたと思われます。 「ロヒンギヤがイギリス側に立って、BIAと戦わなかったらイスラム教徒への迫害は起こらなかった」と思います。 独立闘争に武力で抵抗したロヒンギヤが、ミャンマーでは嫌われているのです。
(アウンサン将軍のその後) 1944年に日本の敗色が濃厚になると、アウンサン将軍は連合国側に寝返りました。45年にアウンサン将軍はクーデターを起こしましたが、イギリスはミャンマーの独立を認めませんでした。そして、47年にアウンサン将軍は暗殺され、48年にビルマ(ミャンマー)は独立しました。
【ロヒンギャの分布】
ロヒンギャの数は正確には分かりません。ウイキペディアによると、総計で200万人程となっています。ミャンマー軍の弾圧で国外に沢山逃げて、ミャンマー以外の国に住む人の方が多いい様です。
バングラデシュの人達がミャンマーに入ってロヒンギャになった分けですが、逃げて来たロヒンギャには国籍を与えない、一時的な避難民として、隔離しています。バングラデシュは貧しい国で、失業率が40%程もあるので、ロヒンギャを受け入れたくても出来ないのだと思います。
日本にも230名ほどが来ていますが、ロヒンギャには国籍がない分けですから、パスポートを持っていないと思われます。多分、日本の難民認定制度では国籍不明の人間を難民と認定出来ないと思われます。然し、送り返す分けには行きません。日本政府は、子供を教育したり、それなりの対応をしている様です。
❶ ミャンマー ≒80万人
❷ バングラデシュ ≒40万人
❸ サウジアラビア ≒40万人
❹ パキスタン ≒20万人
❺ マレーシア ≒4 万人・・・就労目的で移住
❻ タイ ≒ 1万人
❼ インド ≒ 1.4万人
【ロヒンギャが迫害される原因】
❶ 第二次世界大戦中とその直後、ロヒンギャは武装してイギリス軍の独立運動鎮圧に加担しました。独立後、ロヒンギャは国民と認められず、国籍が与えられませんでした。
❷ その後も2回、バングラデシュから沢山の難民が、ラカイン州に不法入国しました。他国に不法入国したのですから、ビルマ語を学んで同化しようとする努力が必要ですが、彼らの一部は武装して、自分たちの文化を守ろうとしています。
➌ 2017年に武装したロヒンギャが多数の警察署を襲撃しました。それで、警察と軍が無慈悲に鎮圧し、多量の難民がバングラデシュなどに逃げたのです。
【ロヒンギャの要求】
ロヒンギャ達が要求しているいるのは、独立国家や自治州の建設では有りません。❶ロヒンギャと言う民族の承認と、❷ミャンマー国籍を要求しているだけです。
ロヒンギャを擁護する記事が沢山有りますが、ロヒンギャ側にも問題が有ります。例えば、ビルマ語を学ぶ人が少ない(ミャンマーに同化しようとしない)、一部が武装している・・・。
【ロヒンギャが受け入れられる為には】
ロヒンギャが住んでいるラカイン州は、天然ガスを産出し、中国へのパイプラインの起点が有るなど、ミャンマーに取っては極めて重要です。 現在・既に中国が影響力を高めているので、ロヒンギャが平和に暮らせる条件は非常に限られています。
私が考えた方策は、ロヒンギャがミャンマー軍に忠誠を誓って、パイプラインの警備/防衛を担当する事です。民主化闘争をしている国民の怒りを買うでしょうが、軍や警察による弾圧は回避出来ます。
今回はミャンマーとロヒンギャの問題について書きます。
大戦後に国名を何回も変えましたが、現在の正式国名は『ミャンマー連邦共和国』です。首都はネピドーです。
子供の頃に竹山道雄の『ビルマの竪琴』を読み感動しました。ミャンマーは、昔はビルマと呼び、『緬(めん)』と言う漢字で表していました。
第15章 :ミャンマー
【ミャンマーの民主化を妨げる問題】
今年(2021年に)軍事クーデターが起こって、→民主化を要求するデモが始まり、→軍と警察がデモ隊に発砲して虐殺し、→民衆が武装闘争を初めています。
ミャンマーには次の❶~❻の問題が有るので、国民の多くが立ち上がったとしても、中国の支援を受けた軍隊を倒す事は出来ないと私は考えます。各問題の詳細は後で述べます。
❶ 2008年に改悪された憲法の問題
❷ 軍と中国の関係
❸ 武装した少数民族の問題
❹ 軍隊の問題
❺ ロヒンギャの問題
❻ 資源が豊富・・・中国が狙っている。
【ミャンマーの基礎データ】
ミャンマーは地下資源に恵まれ、降雨量が多いいので農林畜産業の可能性が高く、周辺の海は大陸棚で漁業の発展が期待出来る、夢の様な国です。
文民統制の効かないグータラ息子の様な軍隊が権力を握り、中国の一路一帯構想に組み込まれようとしています。 国民は自由を奪はれてしまうでしょうが、自然に恵まれた国ですから少しずつ豊かになるとと予想します。
★ 人口 :5,440万人(2020年)
★ 面積 :67.7万km2
★ 1人当たりのGDP :5,240ドル(2020年)・・・PPP
★ 多民族国家 :ビルマ族 68%、シャン族 9%、カレン族 7%、・・・
★ 宗教 :仏教徒(90%)
★ 公用語 :ビルマ語
★ 地下資源 :石油、天然ガス、銅、ニッケル、アンチモン、宝石
【イギリス領インド帝国】
現在のミャンマーとロヒンギヤの問題を考える時には、イギリス東インド会社のやった事を知って頂く必要が有ります。
イギリスのアジア進出は、イギリス東インド会社が担当しました。17世紀からインドの植民地化に着手して、1824年からビルマの植民地化を始めました。1886年には、ほぼビルマ全土を植民地にして、英領インドに併合しました。日本軍が侵攻した1941年までの半世紀間、ビルマはイギリスに搾取されたのです。
英領インドの最大版図には、❶インド、❷パキスタン、➌バングラデシュ、➍スリランカ、❺ネパール、❻ミャンマー、❼イラクが含まれていました。
★ 1498年 :ポルトガル人のヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに来た。
★ 1510年 :ポルトガルが『ゴア』を建設
★ 17世紀 :イギリス東インド会社がインドに進出
★ 17世紀後半 :フランス東インド会社がインドに進出
★ 1757年 :プラッシーの戦い・・・イギリス東インド会社がフランスを追い出した。
★ 1765年 :イギリス東インド会社がインドの3州を植民地化
★ 1815年 :オランダからセイロン島(現在のスリランカ)を取得
★ 1816年 :ネパールを保護国にした。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1858年 :インド帝国(英領インド)・・・1877年からイギリスの王がインド皇帝を兼任
イギリス東インド会社を解散して、イギリス政府が植民地を引き継いだ。
★ 1930年代~ :ビルマ独立運動
★ 1941年 :日本軍の侵攻
★ 1941年 :アメリカが航空部隊をビルマに派遣した。
★ 1947年 :英領インドの崩壊
★ 1948年 :ビルマの独立
(余談 :廃藩置県) 昔・英領インドについて勉強した時に、「封建制度による統治ではイギリスの侵略に対抗出来ない、日本を統一国家に変える必要が有ると誰が最初に考えたのか?」と言う疑問が湧いてきました。 島津斉彬は、「薩摩藩の富国強兵と殖産興業が必要だ」と悟りました。 坂本龍馬は船中八策で天皇中心の政治を唱えましたが、藩を廃止した統一国家の必要性には言及していません。
廃藩置県が実行されたのは明治4年(1871年)です。何故?明治政府は、殆ど抵抗なく廃藩置県を断行出来たのか? 答えは、「戊辰戦争で各藩は、金の掛かる近代的兵器を持たせた軍隊で無ければ意味がない」と気づき、一部の藩は軍隊を持ちましたが、藩の財政を圧迫して維持出来なかったのです。 それで、明治政府に軍隊を提出し、廃藩置県はやむを得ないと考える様になったのです。
【ミャンマーの歴史】
1824年にイギリスがビルマに侵攻しましたが、当時のビルマはコンバウン王朝が治めていました。コンバウン王朝はイギリスと3回戦って連敗し、結局1886年に滅亡して、ビルマ全土がイギリスの植民地になりました。
1941年に日本軍が侵攻しました。→→次の章の【日本軍とロヒンギヤの問題】で述べます。
ミャンマーの南部の農地の約半分は、インド人の地主達が所有し、ミャンマー人は小作人になっていました。日本軍が侵攻すると、地主達はインドに逃げたので、バー・モウ政権は小作人に土地を与えました。
第二次世界大戦後にイギリスは再植民地化しましたが、激しい独立運動を鎮圧出来なかったので撤退しました。1948年にビルマは悲願の独立を達成しました。その後、軍が力を握る様になって、ミャンマーの民主化は進まず、ドンドン異常な国になって行きました。 現在・中国の一路一帯構想に組み込まれようとしており、中国の既得権が益々拡大しようとしています。ミャンマーの民主化は『夢のまた夢』の様に私には思えます。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1852年 :第二次英緬戦争
★ 1885年 :第三次英緬戦争・・・ビルマ全土がイギリスに占領された。
★ 1886年 :ビルマ全土が英領インドに編入された。
★ 1941年 :日本軍がビルマに侵攻
★ 1942年 :アウンサンが率いるビルマ独立義勇軍と日本軍でイギリス軍を追い出した。
★ 1943年~45年 :ビルマ国(バー・モウ政権)
★ 1945年 :イギリスの再植民地化
★ 1948年~74年 :ビルマ連邦・・・独立国家
★ 1962年 :軍事クーデター・・・ビルマ民族中心主義→ロヒンギャ差別
★ 1974年~88年 :ビルマ連邦社会主義共和国
★ 1988年~89年 :ビルマ連邦(短期間・旧国名に戻った)
★ 1989年~2010年 :ミャンマー連邦
★ 2010年~現在 :ミャンマー連邦共和国
★ 2008年 :憲法改正・・・反民主主義的な内容!
★ 2016年 :アウンサンスーチー氏が国家顧問に就任
★ 2021年 :軍事クーデター
【憲法の問題】
ミャンマーでは2008年に、憲法を反民主主義的なトンデモナイ内容に改悪しました。
ミャンマーの国会は二院制で、議員の任期は5年です。人民院(人口割合で定員を配分;440名)、民族院(7 管区・7 州に同数の定員を配分;224名)の二院です。
ミャンマー憲法の最大の問題点は、『国軍司令官が両院議員の25%の軍人議員を任命する』事だと思われます。 一方、国家にとって重要な事項に関する憲法改正は、国会の75%以上の賛成が必要です。 従って、軍の既得権を侵害する様な憲法改正は出来無いのです。
① 副大統領の選出 :人民院、民族院、両院の軍人議員がそれぞれ副大統領を1名選びます。 従って、副大統領の一人は軍人が選ばれる事になります。
② 大統領の選出 :三人の副大統領の中から、議会が大統領を選びます。
③ 防衛大臣、内務大臣及び国境大臣の任命権は(大統領では無く)国軍総司令官に有ります。
④ ミャンマーの警察は軍の傘下に有ります。
(余談 :2021年の軍事クーデターと憲法) クーデターで軍が政権を握ると、憲法を停止するか/破棄しますが、軍は「2008年改正憲法の規定に乗った行動で有る」と主張して、憲法を擁護しています。逆に、国民民主連盟の方は2008年改正憲法を否定しています。
(余談 :スーチー氏) 2015年に行われた選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟が圧勝しました。 然し、憲法に親族に外国籍の人がいると大統領になれないと言う規定が有り、スーチー氏の夫は英国籍のために、国家顧問となって国政を行ったのです。(私は、国家顧問は憲法違反だと思います。)
【中国の問題】
中国は、❶中東から輸入する原油をミャンマーに陸揚げして、❷ミャンマーのラカイン州沖で産出する天然ガスを、(南シナ海を通さずに)パイプラインで中国に搬送する体制を構築しました。 ミャンマーをほぼ一路一帯構想に組み込んだのです。 この既得権を中国は、何が何でも守ろうとするでしょう!
パイプラインの起点は、ロヒンギャが住むラカイン州のチャオビューです。現在・ロヒンギャが騒動を起こすことは許されない状況になっています。
今年(21年5月)、パイプラインの警備員3名が何者かに殺害されましたが、山岳部に住む武装民族がパイプラインを攻撃したら、中国軍が警備に付く可能性が有ります。
ミャンマーの国民の多くは中国が嫌いな様ですが、ミャンマーは北朝鮮の様に中国に隷属する国になると私は予想しています。
★ 2013年 :天然ガスのパイプライン完成
★ 2017年 :原油のパイプライン完成
【少数民族の問題】
ウイキペディアによると、大きく8つの部族、全体で135に及ぶ民族が存在するそうです。それぞれの民族が言語と文化を持っている、日本人には理解不可能な国です。
10グループもの武装勢力が有ります。中国はワ州連合軍(UWSA)を支援していて、その兵力は25,000人も有ります。
【ミャンマーの軍隊】
ミャンマーには徴兵制が有ります。総兵力は40.6万人ですが、山岳部で民族闘争が発生するために、大半(37.5万人)が陸軍です。 昔から民兵組織と武装した少数民族の組織が存在しています。 現在でも、ミャンマー軍は一部の地域を支配出来ていません。
ミャンマー軍は、(憲法の規定で)文民統制が全く出来なくなっています。大統領には、ミャンマー軍だけで無く警察の人事権も無いのです。 現在、こんな制度を採用している国は他には無いと思います。
国軍司令官は両院の国会議員166人を任命する権限を持ち、副大統領1名と3人の大臣の任命権も持っています。軍隊だけで無く、警察トップの人事権も持っています。ミャンマーで出世したかったら職業軍人になるべきです!
ミャンマー軍は工場や商店を経営しており、『軍の経済財閥』と呼ぶそうです。その利益が軍の上層部を潤しています。クーデター後、『軍の経済財閥』をさらに拡大/発展させようとしています。 外国企業が今後、ミャンマーで商売する為には軍の承認/協力無しでは出来なくなると予想します。
【日本はどうすべきか?】
ミャンマーが憲法を改悪したのは2008年でしたが、日本は民主党政権の最後の年(2013年)に、「何を考え、何を狙ったのか?」ミャンマーへの政府開発援助(ODA)を急激に増やしました。その頃から日本企業の進出も増加しました。2019年迄のODAは1兆円を超えている様で、進出企業は400社以上になっています。
キリンホールディングス、フジタ、東京建物、KDDIはミャンマー軍と共同で事業展開して来ました。アウン・サン・スー・チー政権と日本企業が、多数合弁会社立ち上げましたが、クーデター後に政府側の役員は軍人に交代した様です。
ミャンマー軍がロヒンギャにした弾圧を欧米諸国は集団殺戮(ジェノサイド)だったと問題視しています。現在進めている民主化団体に対する弾圧も「ジェノサイドだ!」と非難されると予想します。 日本はODAを完全に停止しして、民間企業は出来るだけ早くミャンマーから撤退すべきだと考えます。
第16章 :ロヒンギャ
【ロヒンギャ流入の歴史】
現在のバングラデシュからイスラム教徒が、以下に述べる❶~➍の四つの時期に、仏教国のミャンマーに流入しました。
❶ ラカイン州には、イギリスが侵攻するずっと前(8世紀頃?)から、イスラム教徒(?)の商人が入って来て、一部がラカイン州に留まり、平和に暮らしていました。
❷ 17世紀にインドに進出したイギリス東インド会社は着々と支配地域を広げました。現在のバングラデシュを獲得した後、1824年からミャンマーの攻略に着手して、ラカイン州を獲得しました。ラカイン州のミャンマー人から土地を取り上げ、バングラデシュからイスラム教徒移住させました。 これが、ロヒンギャ問題の始まりです。1886年にはミャンマー全土を手中に収めて、ミャンマーを英領インドに加えたのです。
➌ 第二次世界大戦後、現在のバングラデシュで食糧不足が発生した時に、多量の難民がラカイン州に不法侵入して、一部は武装しました。
➍ 1971年に発生した第三次印パ戦争時にも、多量の難民がラカイン州に不法に流れ込んだ様です。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1886年 :ビルマ全土が英領インドに編入された。
★ 1941年~45年 :ビルマの戦い・・・日本軍がビルマに侵攻
★ 1945年:イギリスの再植民地化
★ 1948年 :ビルマの独立
連邦市民権法を制定;ロヒンギヤは国民と認め無かった→外国人身分証明書を発行
★ ?年 :バングラデシュが食糧難の時に難民が不法入国
★ 1971年 :第三次印パ戦争→バングラデシュの難民が不法入国
★ 1978年 :ロヒンギャ難民が発生
★ 1991年 :ロヒンギャ難民が発生
★ 2015年 :ロヒンギヤの選挙権と被選挙権が剥奪された。
★ 2017年 :ロヒンギヤが武力攻撃→ミャンマー軍が徹底弾圧→バングラデシュに75万人以上が逃げた。
【日本軍とロヒンギヤの問題】
第二次世界大戦では連合国(イギリス、アメリカ)はミャンマー経由で、多量の軍事物資を中国(蔣介石軍)に輸送していました。 それを阻止する為に日本軍は、1941年にミャンマーに侵攻して、ラカイン州に住む仏教徒の一部を武装さ/軍事訓練をして、ビルマ独立義勇軍(BIA)を組織してラカイン州の奪還を目論みました。
一方、イギリスはラカイン州のイスラム教徒(現在・ロヒンギヤと呼ばれている人達)を武装さ、日本軍とBIAに対抗させました。この事で、ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒が対立する様になりました。
日本軍とBIAは一緒に、イギリス軍、アメリカ軍及び蒋介石軍と戦い勝利して、ビルマ全土を制圧しました。BIAは勢力を拡大して、バー・モウ政権を樹立しました。 この時、BIAのトップがアウンサンスーチー氏の父(アウンサン将軍)です。アウンサン将軍は『建国の父』と呼ばれています。
(私の見方) 日本軍がBIAを作らなかったら、ミャンマーの独立は大幅に遅れたと思われます。 「ロヒンギヤがイギリス側に立って、BIAと戦わなかったらイスラム教徒への迫害は起こらなかった」と思います。 独立闘争に武力で抵抗したロヒンギヤが、ミャンマーでは嫌われているのです。
(アウンサン将軍のその後) 1944年に日本の敗色が濃厚になると、アウンサン将軍は連合国側に寝返りました。45年にアウンサン将軍はクーデターを起こしましたが、イギリスはミャンマーの独立を認めませんでした。そして、47年にアウンサン将軍は暗殺され、48年にビルマ(ミャンマー)は独立しました。
【ロヒンギャの分布】
ロヒンギャの数は正確には分かりません。ウイキペディアによると、総計で200万人程となっています。ミャンマー軍の弾圧で国外に沢山逃げて、ミャンマー以外の国に住む人の方が多いい様です。
バングラデシュの人達がミャンマーに入ってロヒンギャになった分けですが、逃げて来たロヒンギャには国籍を与えない、一時的な避難民として、隔離しています。バングラデシュは貧しい国で、失業率が40%程もあるので、ロヒンギャを受け入れたくても出来ないのだと思います。
日本にも230名ほどが来ていますが、ロヒンギャには国籍がない分けですから、パスポートを持っていないと思われます。多分、日本の難民認定制度では国籍不明の人間を難民と認定出来ないと思われます。然し、送り返す分けには行きません。日本政府は、子供を教育したり、それなりの対応をしている様です。
❶ ミャンマー ≒80万人
❷ バングラデシュ ≒40万人
❸ サウジアラビア ≒40万人
❹ パキスタン ≒20万人
❺ マレーシア ≒4 万人・・・就労目的で移住
❻ タイ ≒ 1万人
❼ インド ≒ 1.4万人
【ロヒンギャが迫害される原因】
❶ 第二次世界大戦中とその直後、ロヒンギャは武装してイギリス軍の独立運動鎮圧に加担しました。独立後、ロヒンギャは国民と認められず、国籍が与えられませんでした。
❷ その後も2回、バングラデシュから沢山の難民が、ラカイン州に不法入国しました。他国に不法入国したのですから、ビルマ語を学んで同化しようとする努力が必要ですが、彼らの一部は武装して、自分たちの文化を守ろうとしています。
➌ 2017年に武装したロヒンギャが多数の警察署を襲撃しました。それで、警察と軍が無慈悲に鎮圧し、多量の難民がバングラデシュなどに逃げたのです。
【ロヒンギャの要求】
ロヒンギャ達が要求しているいるのは、独立国家や自治州の建設では有りません。❶ロヒンギャと言う民族の承認と、❷ミャンマー国籍を要求しているだけです。
ロヒンギャを擁護する記事が沢山有りますが、ロヒンギャ側にも問題が有ります。例えば、ビルマ語を学ぶ人が少ない(ミャンマーに同化しようとしない)、一部が武装している・・・。
【ロヒンギャが受け入れられる為には】
ロヒンギャが住んでいるラカイン州は、天然ガスを産出し、中国へのパイプラインの起点が有るなど、ミャンマーに取っては極めて重要です。 現在・既に中国が影響力を高めているので、ロヒンギャが平和に暮らせる条件は非常に限られています。
私が考えた方策は、ロヒンギャがミャンマー軍に忠誠を誓って、パイプラインの警備/防衛を担当する事です。民主化闘争をしている国民の怒りを買うでしょうが、軍や警察による弾圧は回避出来ます。