これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その4-2)

2021-09-25 08:26:27 | 民主主義
【はじめに】
 民主主義/自由主義が最も進んでいるイギリス、アメリカ、フランスの3か国を纏めて書く計画でしたが、この3か国に共通する植民地政策について書きたくなり、分量が多くなり過ぎたので2回に分けて投稿する事にしました。 先週投稿した(その4-1)も読んで下さい。

 この3か国の民主主義の歩みは、全く違っています。 「現時点で民主主義/自由主義が最も進んでいるのは、フランスだ!」と私は思いますが、皆さんはどう判断されますか?

第8章 :アメリカの民主化
【アメリカの歴史】


 イギリスは16世紀後半から、アメリカ大陸の植民地化を進めました。13州の入植した住民達が1775年にイギリスと戦争(独立戦争)を始め、1776年に独立宣言を公布しました。建国後100年ほどして、アメリカは植民地の獲得に動きました。

 西欧諸国には、「植民地政策(覇権主義)は悪である!」と言う認識が無かったので、植民地化を進め、維持してきたのです。 第二次世界大戦後に植民地で独立の機運が高まり、利得よりも維持費が大きくなって、アメリカを含めた各宗主国は植民地を手放しました。

 アメリカが独立宣言を公布したのは、245年前の1776年です。 比較的新しい国ですが、建国時に採用した制度の多くを、少しずつ修正しながら245年間も続けてきました。 18世紀の後半に出来た統治制度を今でも維持しているのです。 (江戸時代後半の制度を維持している事になり、私が時代遅れだと思う事が多々有ります。)

 建国時・13州でしたが、現在は50州になっています。 州の権利が現在でも尊重されており、軍隊(州防衛軍と州兵)と州法が存在します。アメリカの正式名は『 United States of America』ですが、『State』には『州』の意味が有りますから、『アメリカ合衆国』では無くて『アメリカ合州国』の方が良いと思います。

★ 大陸会議 :1774年 ・・・13州の代表者による会議で、上院の始まりです。
★ 独立戦争 :1775年~83年 (13州)・・・76年に独立宣言を公布しました。
★ 合衆国憲法 :1787年作成 ・・・各州に州憲法が有る。
★ 合衆国下院 :1789年
★ 第一回大統領選挙 :1792年 ・・・ジョージ・ワシントン大統領
★ 南北戦争 :1861年~65年
★ 奴隷解放 :1862年・・・人道主義思想で奴隷を解放したのでは決して無い!
★ 男子の普通選挙権 :1868年
★ 米西戦争 :1898年・・・アメリカとスペインの戦争/スペインの植民地を奪った。
★ フィリピンの植民地化 :1898年
★ 第一次世界大戦 :1917年にアメリカが参戦

◎◎◎ 1919年1月『職業としての政治』講演 ◎◎◎

★ 女性参政権 :1920年
★ 第二次世界大戦 :1939年~45年
★ 公民権運動 :1960年 ・・・男女平等の選挙権

【アメリカの植民地】
 イギリスの植民地だったアメリカは、独立後にスペインと戦争(米西戦争・1898年)を起こしてカリブ海と太平洋のスペインの植民地を獲得しました。そして、スペインから2,000万ドルでフィリピンを買い取りました。

 この戦争でキューバはアメリカと一緒に戦い、戦後はアメリカの支配下に入りました。1903年に独立する時に、グァンタナモの永久租借を認めたのです。

【非民主主義の象徴】
 1903年に共産党政権になる前のキューバから、116km2の土地を『4,000ドル/年』で永久租借の権利を得ました。カストロ政権になって一回だけ租借料を受け取りましたが、その後は受け取りを拒絶して基地の返却を要求しています。アメリカは交渉に応じていません。これが、『グァンタナモ米軍基地』です。 (普天間基地の面積は4.8km2です。)

 「租借地だから国内法も国際ルールも適用する必要が無い」とアメリカは主張して来ました。 基地の中に法律を適用しない『収容所』が有ります。 多分、CIAや軍隊が捕まえてきた人間を、裁判無しで放り込む施設だと想像します。 難民を収容した事も有ります。 ジャーナリストは立ち入り禁止だと思われるので、好き勝手に出来ます。

 オバマ氏が収容所の廃止を目論みましたが、反対が多くて実現しませんでした。バイデン大統領も閉鎖すると言っていますが、実現するでしょうか?

【他国への介入】
 第二次世界大戦後にアメリカ軍が参加した戦争を下に纏めて見ました。反共が正しいと考えたら、大戦後に『世界の警察』の役割を果たしたと言えます。貴方は、どう思われますか? 米軍の作戦の全ては否定はしませんが、「世界の平和には貢献し無かった」と私は思います。

★ ブリーガー作戦 :45年~49年 ;中国の河北省と山東省を占領しました。
★ フィリピンに駐留軍 :1945年~92年 ;左派ゲリラに対陣する政府軍を支援した。
★ レバノン危機 :58年 ;港と空港を占領した。
★ 朝鮮戦争 :50年~53年
★ ベトナム戦争 :60年~73年
★ ドミニカ内戦 :65年~66年 ;ドミニカ共和国を占領。
★ レバノン介入 :82年~84年
★ グレナダ侵攻 :83年 ;軍事独裁政権の打倒。
★ パナマ侵攻 :89年~90年 ;麻薬対策
★ 湾岸戦争 :90年~91年 ;クウェートに侵入したイラク軍を押し返した。
★ イラク :91年~2003年 ;イラクの飛行禁止区域施行作戦・・・イラク軍の武装解除が目的。
★ ソマリア内戦に介入 :1992年~95年
★ ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に介入 :1994年~95年
★ ハイチ介入 :1994年~95年
★ コソボ紛争 :1998年~99年
★ アフガニスタン紛争 :2001年~21年
★ イラク戦争 :2003年~11年
★ ソマリア内戦に介入 :2007年~現在
★ ソマリア海賊対策 :2009年~16年
★ リビアへの介入 :2011年 ;カダフィ政権の崩壊
★ ウガンダ :2011年~17年 ;テロ対策
★ イラクへの介入 :2014年~現在 ;イラクのイスラム国への攻撃
★ リビアへの介入 :2015年~19年 ;リビアのイスラム国への攻撃
★ シリア :14年~現在 ;シリアのイスラム国等への攻撃

【官僚/役人の交代制度】
 1792年に第一回大統領選挙が行われました。 初期のアメリカでは、大統領が変わると、上から下まで全ての役人が入れ代わった様です。総数は30万人~40万人ほどでした。 役人の人選権は上院が握っていた様ですから、上院議員には色々な役得が有ったのです。

 大統領が変わると、事務手続き等を担当する下っ端の役人まで、入れ替える制度では種々の問題が発生します。 それで、下の方から交代の制度が無くなって来ました。然し、現在でも大統領が交代すると役人のトップ・3,000人~4,000人が入れ代わっています。 民間で働いていた人が、担当部署の業務内容や問題点を十分把握しているとは思えません。 アメリカが、一貫性の無い、可笑しな政策をする原因の一つは『役人の交代制度』だと私は見ています。

【銃社会】
 2019年のアメリカでの殺人事件は『16,425件』も有りました。(日本は950件でした。)1日に45件も発生した事になります。 「自分の身は自分で守れ!」と言う、開拓時代の考え方を国民の多くが現在でも持ち続けている国です。1871年設立の『全米ライフル協会』の現在の会員数は400万人だそうです。 ピストルやライフル銃だけでなく、大砲や戦車の所有も許可される様です。

【麻薬の蔓延】
 昔からアメリカでは、麻薬が社会問題でしたが、近年は放置出来ない状態になっています。フェンタニルと呼ばれる強力な麻薬による死者が急増している様です。2020年・1年間の薬物の過剰摂取による死者が93,000人もいました。(1日に250人が死んだ事になります。)

 フェンタニルの原料は中国で製造され→メキシコで合成してフェンタニルを作り→アメリカに密輸されていると、アメリカ政府は主張しています。中国に対して「原料の製造停止」を要求しています。 米中貿易戦争の課題の一つになると予想します。

【人種の割合と差別】
 1862年にリンカーンが奴隷解放令を出しましたが、南北戦争を有利に進める為であって、決して人道主義的な配慮をした分けでは有りません。その後も、白人による黒人差別は続いています。

 1960年の白人の割合は89%でしたが、2014年には白人≒62%、2020年には58%まで低下しました。 2045年には白人の割合が50%以下になり、2060年には44%になると予想されています。ヒスパニックとアジア系が増加してきているのです。

 独断と偏見かも知れませんが、アジア系は勤勉/努力家/お互いに助け合う様に思うので、アメリカの政治及び経済の世界で、(現在のユダヤ人の様に)将来重要な存在になると私は予想しています。(現在、ユダヤ人の割合は、1.7%~2.2%です。)

 今後のアメリカの選挙では、白人以外の票を集める事が重要になって来ますから、アメリカの社会は種々の点で変わって来ると予想します。 差別と犯罪が減少して、安全な国になると思われますか?

★ 1960年 :白人≒89%
★ 2014年 :白人≒62.2%、ヒスパニック≒17.4%、黒人≒12.4%、アジア≒5.2%、その他≒2.9%
★ 2020年 :白人≒57.8%、ヒスパニック≒18.7%
★ 2060年 :白人≒43.6%、ヒスパニック≒28.6%、黒人≒13.0%、アジア≒9.1%、その他≒5.7

第9章 :フランスの民主化
【フランスの基礎データ】


 フランスの正式名は『フランス共和国』です。
 現在のフランスでは、人種、民族、宗教で差別する事が禁止されており、その情報を集める事も違法なので、各宗教の信者数に関するデーターを調べる事すら難しい様です。カトリック教徒が多いい事は確かです。

★ 人口 :6,281万人(2020年)  (日本≒12,536万人・・・2021年)
★ 面積 :55.1万km2 (日本≒37.8万km2)
★ 民族 :種々の民族と・その混血の国です。民族意識は非常に薄い様に思われます。
★ 宗教 :カトリック≒70%
★ 一人当たりのGDP :39,257ドル(2020年) (日本≒42,928ドル・・・2021年) ・・・MER

【フランスの歴史】
 中世以降のフランスの歴史を、民主主義の進歩と言う視点で年表に纏めてみました。

★ ブルボン王朝 :1589年~1792年
★ フランス革命 :1789年・・・農奴解放
★ 第一共和制 :1792年〜1804年
★ 第一帝政 :1804年~15年・・・ナポレオン・ボナパルト
★ ブルボン王朝 :1814年~30年
★ オルレアン王政 :1830年~48年
★ 第二共和制 :1848年〜52年
★ 第二帝政 :1851年~70年・・・ナポレオン3世
★ 第三共和制 :1870年〜1940年
★ 女性参政権 :1871年・・・短期間だけ
★ 第一次世界大戦 :1914年~18年

◎◎◎ 1919年1月『職業としての政治』講演 ◎◎◎

★ 第二次世界大戦 :1939年~45年
★ フランスの敗戦 :40年にドイツと休戦協定
★ ヴィシー政権 :40年~44年・・・親ヒットラー政権
★ フランス共和国臨時政府 :44年6月~46年・・・アルジェで発足
★ ノルマンディー上陸作戦 :44年6月6日
★ ドイツ降伏 :45年5月7日
★ 第四共和制 :46年〜58年・・・左派政権(共産党,人民共和運動,社会党)の時代
★ 女性参政権 :45年
★ 第五共和制 :58年~現在 ・・・ド=ゴール

【農奴解放】
 フランスも農奴制でしたが、1789年のフランス革命で農奴制度は廃止され、農民は無償で農地を手に入れました。 (イギリスが完全に農奴を解放したのは、200年も前の1574年でした。)

【王国→共和国→王国→】
(1789年~95年の)フランス革命までは王制でした。フランス革命では、①王制と封建制の廃止、②資本主義経済の発展(ブルジョア階級の台頭)、③農奴解放が行われました。 この革命は、世界の民主主義/自由主義の発展の礎だったと思います。

 その後・王制(または帝制)になり、→共和制になり、→・・・現在は第五共和制です。 現在は、国民議会(下院)と元老院(上院)の二院制です。 両院とも議員は選挙で選ばれます。議事堂は違う場所に有って、基本的には両院は独立して対等ですが、議決が一致しない場合は(憲法に関する事を除いて)国民議会の議決が優先されます。

(豆知識 :常任理事国) フランスは46年〜58年まで共産党が中心の左派政権で、国連の常任理事国でした。そして71年まで台湾政府が常任理事国でした。従って、当時はソビエト✙フランス⇔米英中の関係だったと思います。現在の常任理事国は、中国だけが共産主義国です。 「ソビエトが覇権主義を止めて西側諸国の様な国になれば、常任理事会は少しはまともに機能するのでは?」と期待しています。

【第二次世界大戦とフランス】
 第二次世界大戦が始まって直ぐ(40年6月)にフランスはドイツに敗れ、ヒットラーの思想に賛同したヴィシーが政権を握りました。ドイツはフランス国内の治安を維持する為に必要な最小限の軍隊を持つことを、ヴィシー政権に認めました。この軍隊は、フランスレジスタンスと共産党レジスタンスと戦いました。

 フランスが植民地に派遣していた軍隊(植民地支配軍)は、ヴィシー政権に従い、ヒットラーは削減を要求しませんでした。インドシナ(ベトナム)の植民地支配軍は、40年に日本の兵站基地の建設を認めました。 アフリカの植民地支配軍は、自由フランス軍と連合国軍と何回も交戦しました。

 「ダンケルクから脱出したフランス人達が自由フランス軍の中心になった」と誤解されている様に見えますが、自由フランス軍の多くは西アフリカ(≒65%)など、アフリカ人が主流でした。 そして、ドゴールが自由フランス軍のトップになったのは43年からです。自由フランス軍の装備は全て連合国から支給された物でした。

 44年6月にノルマンディー上陸作戦が敢行されましたが、自由フランス軍の海軍は参加しましたが、陸軍は参加しませんでした。自由フランス軍はフランスに上陸し後、規模を拡大し、終戦の頃には130万人になっていました。自由フランス軍はドイツにも侵攻しました。

 フランスの政府は、大戦中の大半の期間をヒットラー側に付いていたので、純粋な意味では戦勝国では有りません。 《イタリアは三つの軍が連合国と戦っていました。 ムッソリーニのイタリア社会共和国軍、王国軍、義勇軍の三つです。 43年7月に王国軍と義勇軍の一部がクーデターを起こして、ムッソリーニを拘束し、イタリア国内は内戦状態になりました。 それで、大戦後に王国軍は存続が認められて、準敗戦国の扱いを受けたのです。》

【フランスの少子化対策】
 大戦後にフランスでは、民主主義/自由主義思想が急激に広がり/進歩しました。その象徴的な成果は少子化対策に成功したことだと思います。

 少子化とは合計特殊出生率が『2.1』以下になる事です。殆どの先進国では少子化が進んでいます。 フランスには移民が多いいですが、移民は沢山子供を産むので、2020年の合計特殊出生率は『2.0』まで回復しています。

・・・ フランスと日本の合計特殊出生率の推移 ・・・
☆ フランス :1950年≒2.9、70年≒2.6、90年≒1.8、2000年≒1.8、 15年≒1.9、 20年≒2.0
☆ 日本   :1950年≒3.6、70年≒2.1、90年≒1.6、2000年≒1.3、 15年≒1.45、20年≒1.34

 少子化が進むと家族制度が変化して、我が国の右派の人達が理想とする家族制度が維持出来なくなります。少子化対策をすると、家族制度の変化を加速させます。 フランスの様に思い切った政策を進めると、20年程で合計特殊出生率は顕著に回復すると予想しますが、日本の家族制度は根本的に変わると思います。 対策をしなくても、何時かは家族制度は大幅に変わります。

 少子化対策について2020年9月に『令和維新のすゝめ(その3)と(その4)』で投稿しましたが、予想される問題点をより具体的に纏めて、後日投稿します。

【フランスの民主主義】
 女性に参政権が認められたのは1945年ですから、日本と殆ど同じ時期です。 何故か?未だに女性の大統領は登場していませんが、近年・下院の女性議員の割合は急激に増加して、2017年には40%近くになっています。 (日本の女性の衆議院議員は10%ほどです。)

・・・ フランスの下院と日本の衆議院の女性議員の推移 ・・・
フランス :1972年≒1.7、81年≒5.5、97年≒10.9、06年≒12.3、12年≒26.5、17年≒38.8
日本   :1972年≒1.4、81年≒1.8、97年≒ 4.6、06年≒ 9.0、 12年≒ 7.9、17年≒10.1

 年金や健康保険制度(国民皆保険制度)は日本と似ていますが、子供に関連する点ではフランスの方が格段に充実しています。 詳細を知りたい方には次の資料を推奨します。
● 海外で安心して暮らすために フランスと日本の社会福祉制度機関を詳しく知ろう
『 https://zaifutsunihonjinkai.fr/wp-content/uploads/2020/09/d1a263258f159974843e8814a3a099e3.pdf 』

 フランスの民主主義が日本よりも進んでいると思われる点を、以下に示します。(死刑の廃止が民主主義と関連するか?私には分かりません。)

★ 女性の社会進出
★ 死刑の廃止 :1981年
★ 同性婚法 :2013年
★ 選択的夫婦別姓 :法的規制が無い選択的夫婦別姓で、姓は何時でも変更できる。


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