(遊水地にて)
昨夜(2/4)Eテレで、福島第1原発事故により解放された人たちがいるという番組を放映していました。
原発近くの精神科病院に入院していた人たちが転院を余儀なくされ、その多くが転院先の病院で入院治療が必要ない病状の人たちと診断されたというものでした。
転院先の病院から退院して一人暮らしを始めた人、退院に向けて支援を受けている人、その人たちの家族の思いなどをていねいに取材した番組でした。
なぜ入院治療が必要ない人たちが入院を続けざるを得ないのか、この国の精神科医療への姿勢を歴史的にとらえることもまじえて伝えていた番組でした。
まちともは、30年余にわたって精神障害者支援に携わってきました。
その内容は、治療できるように支援することから、退院に向けた支援、地域生活を送る上での生活支援、就労に関する支援など、治療から生活支援まで多岐にわたるものです。
30年、40年と入院していた人たちが退院して生活できるように支援してきたケースはいくつもあります。
退院しても住む場所がなければ、グループホームを作る、昼間行く場所がなければ共同作業所を作る、というように支援のための資源作りも行ってきました。
その過程では、地域社会から設置反対の「抗議」を受けて断念せざるをえないこともありました。
そして、今まだ多くの人たちが入院の必要がないのに精神科病院の閉鎖された空間に置かれていることに怒りを感じます。
まちともは、仕事で精神科病院の閉鎖病棟や刑務所の中に入ることがありました。
どちらも構造は似たようなものです。
鉄格子と鍵で閉鎖された空間です。
さすがに精神科病院からは鉄格子が消えてきましたが、病棟に入るまでには複数回鍵を開けなければ入れないところが多くあります。
精神科病院で実習する学生の指導をする時に聞かれる感想は、鍵の開け閉めに衝撃を受けたというものがよくあります。
病気治療ということで、長期にわたって閉鎖された空間に置かれている人たちが多くいることを知ってほしいです。
どうしてこのような状況が生じているのか、要因は多々あります。
気になるのは、医療関係者の中に「いまさら社会に出て苦労するより、病院にいた方が楽だ」と考えている人がいること、「退院したいと訴えることを病気が治っていないから」ととらえることに何の躊躇も感じない人がいることです。
長期入院している人たちの中には、「社会に出て苦労するより、ここにいた方が良い」と思っている人もいます。長く一般社会から離れて、地域で生活することに不安を感じるのは当然のことです。
そこを理解し、不安をなくし、退院に向けたモチベーションを高めるのが医療関係者の役割ではないかと考えます。
実際に長期入院していた人が退院して良かったこととして言っているのは、「熱いラーメンが食べられてうれしい」というようなことです。
昨日は恵方巻を食べた方もいると思いますが、長期入院の人たちの中には、恵方巻を知らない人もいます。恵方巻が一般化したのは古いことではありませんから、10年、20年と入院している人の中にはそれを知らない人がいます。もちろん食べたことがない人は多いでしょう。
退院して良いと感じるのは、社会で当たり前にできていることが自分もできるということを実感できることではないでしょうか。
昨夜の番組を見て、このブログを読んでいただいている皆さんにもぜひ知っていただきたいとの思いから書きました。