大杉栄には何の興味もない私だが行きがかり上、彼の翻訳書についてメモをしておく。
民芸といっても大杉栄の意図したのは民衆芸術(民衆による民衆のための民衆が所有する芸術、演劇活動を念頭に置いたもの)。工芸品ではなかった。大正期には社会主義思想の流布の中で「平民・庶民」の文化芸能を再発見する動きがあったことは注目に値する。参考までにOn November 19, 1863, at the Soldiers' National Cemetery in Gettysburg, Pennsylvania, President Abraham Lincolnの言葉は”government of the people, by the people, for the people”だった。governmentをArtに置換すれば大杉の民衆芸術の定義そのもの
大杉栄は鼻っ柱つよい人物で、狂犬のような危険な無政府主義(クロポトキン研究者)」者という形でイメージ的には過剰に負のイメージが付与され、その存在が矮小化されて受け取られがちだが、やはり、それはちょっと?(半分真実で半分誤解)かな~、高楠順次郎が校長を兼務した東京外国語学校・フランス語専修卒のインテリ。大正5年11月8日 日陰茶屋事件で横向き布団に入っていた大杉の咽頭めがけて短刀て切りつけた神近市子によると「もって生まれた貴族趣味のため大衆の心を掴めなかった悲劇の人」で「そだちが良かったせいか、貧乏に耐えられず」、かつ「金銭には細かすぎるほど神経質だった」と述懐(『神近市子自伝』259頁)。
大杉の、したがってロマン・ロランの「民衆芸術」の精神は劇団「民藝」(=滝沢修、清水将夫、宇野重吉らによって「多くの人々の生きてゆく歓びと励ましになるような」民衆に根ざした演劇芸術をつくり出そうと旗あげされた)の方と繋がっている?。
なお、当時ウイリアム・モリスやロマン・ロラン流の民衆の芸術に関する著作の翻訳紹介が行われており、大杉のものはロマン・ロランの翻訳もの。ロマンは民衆芸術の政治的プロパガンダ性を示唆しているようだが、後日詳細についてチェック予定。
白樺同人ではなかった加藤一夫『民衆芸術論』、洛陽堂、大正8年というのもある。民衆芸術という用語は当時インテリ達の間では相当注目されていた事が判る。
柳宗悦の「民芸運動」だが、この民芸の語は一般民衆の生活の中から生まれた、素朴で郷土色 の強い実用的な工芸。民衆的工芸。大正末期、日常生活器具類に美的な価値を見出 そうと、いわゆる民芸運動を興した柳宗悦(やなぎむねよし)の造語、とされるが、大杉辺りの,いや白樺同人との交流のあった加藤一夫(明治学院出の元伝道師だが、クロポトキン・トルストイ研究者で詩人兼評論家)の「民衆芸術」を下敷きにしていたのだろうか。当時は民衆芸術という言葉はモリスやロマン・ロランそしてクロポトキン伝来のものだった。それを無政府主義者と俗称される社会主義者大杉栄と左翼的なキリスト者加藤らが翻訳紹介。柳は・・・・・?
言い方は違うが、モリス、ロマン・ロラン(したがって大杉栄)とは同じ認識論的な地平の上に「民芸」を構想し、それを柳流のやり方で実践したわけだ。
ウイリアム・モリス、堺利彦抄訳「理想郷」は発禁処分を受けていたので、モリスの「民衆の芸術」とかロマン・ロラン「民衆芸術」などは朝鮮に対する文化的な同化政策に対して批判的な立場を取っていた柳の場合は翻訳書に頼らず(頼ったかもしれないが・・・・)原書で目を通していた事だろ。まあ、この辺は蔵書などのチェックで要確認事項だが。柳はクロポトキンとかトルストイの文献は英訳本で目を通していたらしい。
白樺同人たちはロマンロランを盛んに翻訳紹介していたので、ロマンロランは柳にとって割と身近な存在であったかもしれない。
「柳宗悦 時代と思想」の著者でもある中見真理の『柳宗悦 - 「複合の美」の思想』(岩波新書)は柳のいう「民芸」が「主義者」の民衆芸術と同系だと考えている。
民芸=民衆的工芸、いかにも取ってつけたような説明だが、柳宗悦流の、王侯貴族の持った調度品の美を否定し、一方的に「下手の美」をめでる精神(社会主義的精神、階級的視点)に思想家柳の方向性やとキャパシティのあり様が示されていると言えようか。
民俗芸能もひょっとすると「民芸」? どうもロマン・ロランの言う民衆芸能の精神を換骨奪胎した(=政治力学的牙を抜いたも)のが民芸のようだ。
中見真理「柳宗悦ー時代と思想」、東大出版
洛陽堂(河本亀之助)は大杉とは関係なかったが、明治学院出身の加藤の著書を刊行した。評論と詩集だ。トルストイ・クロポトキンを研究していた時期には盛んに白樺同人の一部とは接触もあった。加藤の出した「科学と文芸」にはその発刊当時には小泉・武者小路・長与なども参加したようだが、いつのころからか、距離をおくようになったらしい。
加藤のアナクロニズムへの傾斜にはついていけなかったのだろ。こうした加藤の思想的流浪に対して明治学院の同窓生として丁寧に付き合ったのが、ダンテ研究家の中山だった。
大杉栄全集 第11巻 (民衆芸術論)
秋山清 等編
[目次]
目次
I 民衆芸術論
初版序文 / p3
再版序文 / p4
序論 平民と劇 / p7
第一編 過去の劇 / p13
一 古典喜劇 / p13
二 古典悲劇 / p17
三 浪漫劇 / p27
四 紳士劇 / p32
五 外国劇 / p35
六 劇と講談 / p41
七 劇壇三十年会 / p44
第二編 新劇 / p56
一 平民劇の先駆者 / p56
二 新劇場 / p87
三 メロドラマ / p106
四 史劇 / p111
五 平民劇の他の種類 / p117
第三編 劇以外に / p123
一 平民祭 / p123
二 結論 / p133
附録
一 フランス革命と平民劇および平民祭 / p137
二 ダヴィドの祭典案 / p156
三 トスカノの五月劇 / p165
四 ビュサンの平民劇場 / p167
五 『戯曲芸術評論』と平民劇 / p170
II 翻訳小説
釣鐘物語 / p181
クレンクビュ アナトール・フランス / p191
道ばたで オクタヴ・ミルボー / p225
石垣 アンドレエーフ / p228
オーソリテの話 ムルタトゥリ / p241
無知 ムルタトゥリ / p243
共和祭 ジャン・ジュリエン / p244
怪物 コロレンコ / p251
倉の中の男 オクタヴ・ミルボー / p260
労働者と白き手の人 ツルゲーネフ / p268
信者 アンドレエーフ / p270
解説(久保田芳太郎) / p302
大杉は民衆による民衆のための民衆が所有する芸術=民衆芸術。言い方としては単なるリンカーンの言葉の「芸術」への置換形
民衆芸術論
加藤一夫 著
[目次]
標題
目次
民衆藝術に關する考察
民衆は何處に在りや / 1
民衆運動即自省更正 / 14
民衆藝術の意義 / 22
民衆藝術の主張 / 36
民衆藝の精神 / 52
民衆藝術論の諸相 / 72
民衆藝術の永遠性 / 87
民衆藝術は苦惱の藝術である / 93
民衆藝術は解放の藝術である / 101
民衆藝術の出發點とその目標 / 111
民衆藝術は何うして起らぬ乎 / 127
民主思想に關する考察
民主思想の潮流 / 137
個人は一切である / 147
大なる過程 / 167
協同主義は個人主義の洗禮を受けねばならぬ / 173
生活に關する問題
回轉機に立てる徳富健次郎 / 183
新しき村に對する疑義 / 208
トルストイに關する斷片
トルストイと自分 / 223
トルストイの民主思想 / 242
衝きつめた人生 / 252
詩情斷片
春が來た / 263
私の衷に住む不思議な魂よ / 268
永遠 / 275
號いてる汽車 / 278
追はれて行く乞食の群 / 281
さあ兄弟たち / 283
プロパガンダ / 286
新らしい世界は近づいた / 290
徹底 / 293
空と雲 / 295
かうして凝乎と / 303
さらば土よ / 305
加藤一夫「クロポトキン芸術論」(昭和6)
本書には麻生義(ペンネーム)の「クロポトキンの芸術論」を掲載
麻生義輝さん(1901年7月10日~1938年10月11日)は、大分県玖珠郡南山田村出身。杵築中学校を経て大正13年文科乙類卒業。東京大学文学部哲学科卒業。美学・哲学史研究家。東京大学に在学中はペンネーム麻生義でアナーキズム理論を展開。社会運動家としても知られた。。
【主要な著書】世の救済者 戯曲集:ハアゼンクレエフェル著(翻訳本:1925;至上社)、文学の創生期ポケット・ライブラリイ(1925;慶文堂)、藝術の危機:ゲオルゲ・グロス著(翻訳本:1926;金星堂)、無産階級芸術論社会思想文芸叢書:ボグダノフ著(翻訳本:1926;人文会出版部)、独逸文学史:ロバアトソン著(翻訳本:1926;金星堂)、芸術の危機社会文芸叢書 評論:ゲオルゲ・グロス著(翻訳本:1926;金星堂)、サンヂカリズムとアナーキズム社会科学叢書:クロポトキン著(翻訳本:1927;金星堂)、社会思想全集第31巻 倫理学:クロポトキン著(翻訳本:1928;平凡社)、クロポトキン全集第8巻 近代科学とアナーキズム 近代国家論其他:クロポトキン著 (翻訳本:1928;春陽堂)、社會思想家としてのトルストイ(1929;春秋社)、社会思想全集第29巻 叛逆者の言葉:クロポトキン著(翻訳本:1929;平凡社)、社会思想全集第24巻 マルクス主義芸術論:ボグダノフ著(翻訳本:1929;平凡社)、社会思想全集 第28巻神と国家:エンリコ・マラテスタ著(翻訳本:1930;平凡社)世界大思想全集40心理の意味;バクーニン著(翻訳本:1931;春秋社)西周哲学著作集(1933;岩波書店)、楽記講義(1937;春陽堂書店)、人生のための美学(1939;教材社)、近世日本哲学史(1942;近藤書店・1974復刻;宗高書房)、正義と道徳;クロポトキン著(翻訳本:1972;黒色戦線社)
麻生義輝「近世日本哲学史」、2005,320P.
主義者として丸山鶴吉らからおもいっきり弾圧された堺利彦だが大正10年段階に「女性中心と同性愛」といったタイトルの書物を出している。やはり大杉栄のような人物は生まれる時代が1世紀早すぎたのだと思う。かれらは本当の意味で不運ではあったが、時代を変えるような素晴らしい感性と才能とを持った人たちだったように思う。
民芸といっても大杉栄の意図したのは民衆芸術(民衆による民衆のための民衆が所有する芸術、演劇活動を念頭に置いたもの)。工芸品ではなかった。大正期には社会主義思想の流布の中で「平民・庶民」の文化芸能を再発見する動きがあったことは注目に値する。参考までにOn November 19, 1863, at the Soldiers' National Cemetery in Gettysburg, Pennsylvania, President Abraham Lincolnの言葉は”government of the people, by the people, for the people”だった。governmentをArtに置換すれば大杉の民衆芸術の定義そのもの
大杉栄は鼻っ柱つよい人物で、狂犬のような危険な無政府主義(クロポトキン研究者)」者という形でイメージ的には過剰に負のイメージが付与され、その存在が矮小化されて受け取られがちだが、やはり、それはちょっと?(半分真実で半分誤解)かな~、高楠順次郎が校長を兼務した東京外国語学校・フランス語専修卒のインテリ。大正5年11月8日 日陰茶屋事件で横向き布団に入っていた大杉の咽頭めがけて短刀て切りつけた神近市子によると「もって生まれた貴族趣味のため大衆の心を掴めなかった悲劇の人」で「そだちが良かったせいか、貧乏に耐えられず」、かつ「金銭には細かすぎるほど神経質だった」と述懐(『神近市子自伝』259頁)。
大杉の、したがってロマン・ロランの「民衆芸術」の精神は劇団「民藝」(=滝沢修、清水将夫、宇野重吉らによって「多くの人々の生きてゆく歓びと励ましになるような」民衆に根ざした演劇芸術をつくり出そうと旗あげされた)の方と繋がっている?。
なお、当時ウイリアム・モリスやロマン・ロラン流の民衆の芸術に関する著作の翻訳紹介が行われており、大杉のものはロマン・ロランの翻訳もの。ロマンは民衆芸術の政治的プロパガンダ性を示唆しているようだが、後日詳細についてチェック予定。
白樺同人ではなかった加藤一夫『民衆芸術論』、洛陽堂、大正8年というのもある。民衆芸術という用語は当時インテリ達の間では相当注目されていた事が判る。
柳宗悦の「民芸運動」だが、この民芸の語は一般民衆の生活の中から生まれた、素朴で郷土色 の強い実用的な工芸。民衆的工芸。大正末期、日常生活器具類に美的な価値を見出 そうと、いわゆる民芸運動を興した柳宗悦(やなぎむねよし)の造語、とされるが、大杉辺りの,いや白樺同人との交流のあった加藤一夫(明治学院出の元伝道師だが、クロポトキン・トルストイ研究者で詩人兼評論家)の「民衆芸術」を下敷きにしていたのだろうか。当時は民衆芸術という言葉はモリスやロマン・ロランそしてクロポトキン伝来のものだった。それを無政府主義者と俗称される社会主義者大杉栄と左翼的なキリスト者加藤らが翻訳紹介。柳は・・・・・?
言い方は違うが、モリス、ロマン・ロラン(したがって大杉栄)とは同じ認識論的な地平の上に「民芸」を構想し、それを柳流のやり方で実践したわけだ。
ウイリアム・モリス、堺利彦抄訳「理想郷」は発禁処分を受けていたので、モリスの「民衆の芸術」とかロマン・ロラン「民衆芸術」などは朝鮮に対する文化的な同化政策に対して批判的な立場を取っていた柳の場合は翻訳書に頼らず(頼ったかもしれないが・・・・)原書で目を通していた事だろ。まあ、この辺は蔵書などのチェックで要確認事項だが。柳はクロポトキンとかトルストイの文献は英訳本で目を通していたらしい。
白樺同人たちはロマンロランを盛んに翻訳紹介していたので、ロマンロランは柳にとって割と身近な存在であったかもしれない。
「柳宗悦 時代と思想」の著者でもある中見真理の『柳宗悦 - 「複合の美」の思想』(岩波新書)は柳のいう「民芸」が「主義者」の民衆芸術と同系だと考えている。
民芸=民衆的工芸、いかにも取ってつけたような説明だが、柳宗悦流の、王侯貴族の持った調度品の美を否定し、一方的に「下手の美」をめでる精神(社会主義的精神、階級的視点)に思想家柳の方向性やとキャパシティのあり様が示されていると言えようか。
民俗芸能もひょっとすると「民芸」? どうもロマン・ロランの言う民衆芸能の精神を換骨奪胎した(=政治力学的牙を抜いたも)のが民芸のようだ。
中見真理「柳宗悦ー時代と思想」、東大出版
洛陽堂(河本亀之助)は大杉とは関係なかったが、明治学院出身の加藤の著書を刊行した。評論と詩集だ。トルストイ・クロポトキンを研究していた時期には盛んに白樺同人の一部とは接触もあった。加藤の出した「科学と文芸」にはその発刊当時には小泉・武者小路・長与なども参加したようだが、いつのころからか、距離をおくようになったらしい。
加藤のアナクロニズムへの傾斜にはついていけなかったのだろ。こうした加藤の思想的流浪に対して明治学院の同窓生として丁寧に付き合ったのが、ダンテ研究家の中山だった。
大杉栄全集 第11巻 (民衆芸術論)
秋山清 等編
[目次]
目次
I 民衆芸術論
初版序文 / p3
再版序文 / p4
序論 平民と劇 / p7
第一編 過去の劇 / p13
一 古典喜劇 / p13
二 古典悲劇 / p17
三 浪漫劇 / p27
四 紳士劇 / p32
五 外国劇 / p35
六 劇と講談 / p41
七 劇壇三十年会 / p44
第二編 新劇 / p56
一 平民劇の先駆者 / p56
二 新劇場 / p87
三 メロドラマ / p106
四 史劇 / p111
五 平民劇の他の種類 / p117
第三編 劇以外に / p123
一 平民祭 / p123
二 結論 / p133
附録
一 フランス革命と平民劇および平民祭 / p137
二 ダヴィドの祭典案 / p156
三 トスカノの五月劇 / p165
四 ビュサンの平民劇場 / p167
五 『戯曲芸術評論』と平民劇 / p170
II 翻訳小説
釣鐘物語 / p181
クレンクビュ アナトール・フランス / p191
道ばたで オクタヴ・ミルボー / p225
石垣 アンドレエーフ / p228
オーソリテの話 ムルタトゥリ / p241
無知 ムルタトゥリ / p243
共和祭 ジャン・ジュリエン / p244
怪物 コロレンコ / p251
倉の中の男 オクタヴ・ミルボー / p260
労働者と白き手の人 ツルゲーネフ / p268
信者 アンドレエーフ / p270
解説(久保田芳太郎) / p302
大杉は民衆による民衆のための民衆が所有する芸術=民衆芸術。言い方としては単なるリンカーンの言葉の「芸術」への置換形
民衆芸術論
加藤一夫 著
[目次]
標題
目次
民衆藝術に關する考察
民衆は何處に在りや / 1
民衆運動即自省更正 / 14
民衆藝術の意義 / 22
民衆藝術の主張 / 36
民衆藝の精神 / 52
民衆藝術論の諸相 / 72
民衆藝術の永遠性 / 87
民衆藝術は苦惱の藝術である / 93
民衆藝術は解放の藝術である / 101
民衆藝術の出發點とその目標 / 111
民衆藝術は何うして起らぬ乎 / 127
民主思想に關する考察
民主思想の潮流 / 137
個人は一切である / 147
大なる過程 / 167
協同主義は個人主義の洗禮を受けねばならぬ / 173
生活に關する問題
回轉機に立てる徳富健次郎 / 183
新しき村に對する疑義 / 208
トルストイに關する斷片
トルストイと自分 / 223
トルストイの民主思想 / 242
衝きつめた人生 / 252
詩情斷片
春が來た / 263
私の衷に住む不思議な魂よ / 268
永遠 / 275
號いてる汽車 / 278
追はれて行く乞食の群 / 281
さあ兄弟たち / 283
プロパガンダ / 286
新らしい世界は近づいた / 290
徹底 / 293
空と雲 / 295
かうして凝乎と / 303
さらば土よ / 305
加藤一夫「クロポトキン芸術論」(昭和6)
本書には麻生義(ペンネーム)の「クロポトキンの芸術論」を掲載
麻生義輝さん(1901年7月10日~1938年10月11日)は、大分県玖珠郡南山田村出身。杵築中学校を経て大正13年文科乙類卒業。東京大学文学部哲学科卒業。美学・哲学史研究家。東京大学に在学中はペンネーム麻生義でアナーキズム理論を展開。社会運動家としても知られた。。
【主要な著書】世の救済者 戯曲集:ハアゼンクレエフェル著(翻訳本:1925;至上社)、文学の創生期ポケット・ライブラリイ(1925;慶文堂)、藝術の危機:ゲオルゲ・グロス著(翻訳本:1926;金星堂)、無産階級芸術論社会思想文芸叢書:ボグダノフ著(翻訳本:1926;人文会出版部)、独逸文学史:ロバアトソン著(翻訳本:1926;金星堂)、芸術の危機社会文芸叢書 評論:ゲオルゲ・グロス著(翻訳本:1926;金星堂)、サンヂカリズムとアナーキズム社会科学叢書:クロポトキン著(翻訳本:1927;金星堂)、社会思想全集第31巻 倫理学:クロポトキン著(翻訳本:1928;平凡社)、クロポトキン全集第8巻 近代科学とアナーキズム 近代国家論其他:クロポトキン著 (翻訳本:1928;春陽堂)、社會思想家としてのトルストイ(1929;春秋社)、社会思想全集第29巻 叛逆者の言葉:クロポトキン著(翻訳本:1929;平凡社)、社会思想全集第24巻 マルクス主義芸術論:ボグダノフ著(翻訳本:1929;平凡社)、社会思想全集 第28巻神と国家:エンリコ・マラテスタ著(翻訳本:1930;平凡社)世界大思想全集40心理の意味;バクーニン著(翻訳本:1931;春秋社)西周哲学著作集(1933;岩波書店)、楽記講義(1937;春陽堂書店)、人生のための美学(1939;教材社)、近世日本哲学史(1942;近藤書店・1974復刻;宗高書房)、正義と道徳;クロポトキン著(翻訳本:1972;黒色戦線社)
麻生義輝「近世日本哲学史」、2005,320P.
主義者として丸山鶴吉らからおもいっきり弾圧された堺利彦だが大正10年段階に「女性中心と同性愛」といったタイトルの書物を出している。やはり大杉栄のような人物は生まれる時代が1世紀早すぎたのだと思う。かれらは本当の意味で不運ではあったが、時代を変えるような素晴らしい感性と才能とを持った人たちだったように思う。