東京洛陽堂(河本亀之助→河本俊三経営)の出版物を見ているといろんなことが読めてくる。ここでいう読めてくるというのは、状況証拠的にそのような結論が導き出せるという水準の話で、あくまでも解釈論上の問題だ。
現在天野藤男に関しては主著の「地方青年団体の現在及将来」「農村処女会の組織及指導」「農村の娯楽」「田園趣味」、「農村と娯楽」、「地主と小作人」(二松堂書店)、「四季の田園」、「故郷」、「英国の田園生活」の集書が完了した。「鎮守の森と盆踊」(文原堂書店)は国会図書館デジタル化資料で閲覧。
「英国の田園生活」は都会及農村編集部訳で原書はヘンリー・ハアボア”The rural England”(後で確認)。
天野の著書は全体として明治末から大正にかけての静岡県●郡の地域状況を理解するのに大変役立つ。
就中、「農村と娯楽」・「鎮守の森と盆踊り」は、今日いうところの、社会学あるいは民族学(民俗学)的成果としてもっと注目されてよいだろ。
東京洛陽堂は雑誌「良民」、雑誌「都会及農村」を刊行し、方や山本瀧之助に、もう一方は天野に編集を任せていたようだが、それは河本の善意の証ではあるが、河本にはそもそも企業家としての経営感覚といったものは無かったのではなかろうか。
高島平三郎が中心となって出していた雑誌「児童研究」の記事をまとめる形で出版された下沢瑞世「英俊青少年発展史 : 教育修養亀鑑」だが、河本は下沢に対して出版直後に都会の児童に焦点を当てた著書を出してみてはと進めている。それが「都会に於ける美的児童研究」明治45年刊だ。この辺の太っ腹というか、経営的な面での思慮のなさは河本亀之助の長所であり、短所であったろう。
完成度という面では大いに首をかしげたくなるような天野藤男の本を10冊近く刊行するなどといったところをみると、ジャンル的には山本瀧之助の対抗馬に対する支援の姿勢は明確だし、悪く言えば、情に流されがちの出版事業だったと思われるのである。
トルストイの翻訳者であった加藤一夫曰く、河本亀之助は・・・・・損得を超越して無名の士を紹介することを楽しみにするタイプの人。
生活に窮していた加藤は常に赤字続きであった洛陽堂からまともに印税を支払われたことわなかった、とも
。洛陽堂は加藤の翻訳書、文芸書を大正3~8年にかけて何冊も出している。翻訳書はトルストイとかロマン・ロランとかの英語翻訳書の日本語化したもので、かなり、誤解誤訳、誤字脱字満載の粗雑なもので、よくそんなものを出したものだと首を傾げるところだが・・・・・。ただ、『本然生活』、『土の叫び地の囁き 』、『民衆芸術論』など初期の作品はすべて洛陽堂刊。これらの作品は白樺同人に少なからず影響を与えたようだ。
現在天野藤男に関しては主著の「地方青年団体の現在及将来」「農村処女会の組織及指導」「農村の娯楽」「田園趣味」、「農村と娯楽」、「地主と小作人」(二松堂書店)、「四季の田園」、「故郷」、「英国の田園生活」の集書が完了した。「鎮守の森と盆踊」(文原堂書店)は国会図書館デジタル化資料で閲覧。
「英国の田園生活」は都会及農村編集部訳で原書はヘンリー・ハアボア”The rural England”(後で確認)。
天野の著書は全体として明治末から大正にかけての静岡県●郡の地域状況を理解するのに大変役立つ。
就中、「農村と娯楽」・「鎮守の森と盆踊り」は、今日いうところの、社会学あるいは民族学(民俗学)的成果としてもっと注目されてよいだろ。
東京洛陽堂は雑誌「良民」、雑誌「都会及農村」を刊行し、方や山本瀧之助に、もう一方は天野に編集を任せていたようだが、それは河本の善意の証ではあるが、河本にはそもそも企業家としての経営感覚といったものは無かったのではなかろうか。
高島平三郎が中心となって出していた雑誌「児童研究」の記事をまとめる形で出版された下沢瑞世「英俊青少年発展史 : 教育修養亀鑑」だが、河本は下沢に対して出版直後に都会の児童に焦点を当てた著書を出してみてはと進めている。それが「都会に於ける美的児童研究」明治45年刊だ。この辺の太っ腹というか、経営的な面での思慮のなさは河本亀之助の長所であり、短所であったろう。
完成度という面では大いに首をかしげたくなるような天野藤男の本を10冊近く刊行するなどといったところをみると、ジャンル的には山本瀧之助の対抗馬に対する支援の姿勢は明確だし、悪く言えば、情に流されがちの出版事業だったと思われるのである。
トルストイの翻訳者であった加藤一夫曰く、河本亀之助は・・・・・損得を超越して無名の士を紹介することを楽しみにするタイプの人。
生活に窮していた加藤は常に赤字続きであった洛陽堂からまともに印税を支払われたことわなかった、とも
。洛陽堂は加藤の翻訳書、文芸書を大正3~8年にかけて何冊も出している。翻訳書はトルストイとかロマン・ロランとかの英語翻訳書の日本語化したもので、かなり、誤解誤訳、誤字脱字満載の粗雑なもので、よくそんなものを出したものだと首を傾げるところだが・・・・・。ただ、『本然生活』、『土の叫び地の囁き 』、『民衆芸術論』など初期の作品はすべて洛陽堂刊。これらの作品は白樺同人に少なからず影響を与えたようだ。