- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

「民衆は何処に在りや・・・・加藤一夫(評論家・編集者。 1887.2.28 - 1951.1.25 )」

2014年01月21日 | 教養(Culture)
民衆は何処に在りや       加藤一夫 (以下、全文引用

 民衆藝術と云ふことが問題になつて居る。
 外国ではトルストイ、ケイ、ローラン等をその最も熱心なる主唱者とし、日本に於ては福田正夫、百田宗治、富田砕花等の詩人を初めとして、本間久雄、大杉栄、内藤濯等の評論家が此主張者の尤(ゆう)なるものである。さう云ふ自分も亦田舎の土百姓の息子に生れた真の民衆の一人として、民衆の心を歌ひ、民衆の心を伝へ、民衆そのものを表現せんとする熱心に於ては敢へて人後におちないつもりである。
 しかし、民衆藝術とは一体何を意味するのであるか。メルシかんばらありあけ 詩人 1876.3.15 - 1952.2.3 東京麹町に生まれる。 日本藝術院会員。、日本近代詩創始期の大きな存在。象徴詩の代表
作「智慧の相者は我を見て」は第四詩集『有明集』(明治四十一年一月 1908 )の巻頭を飾った。回想「『有明集』の前後」は昭和四年(1929)に書か
れている。講談社「日本文学全集22」に拠りつつ若干よみがなを加えた。エは平民によつて鼓吹せられ平民に見せる為めの平民劇と云つた様なことを云つたさうであるし、大杉君は民衆のためにする、民衆によつてつくられ、民衆の所有する藝術と云つた様なことを云つて居る。田中純氏の書いたものは見なかつたけれど、大杉君の文章で見ると田中純氏も同じ様なことを云つて居る様に見える。
 蓋(けだ)しこれは民衆藝術の精神を伝ふる言葉としては最上のものであらう。簡単にではあるが、民衆藝術の希望なり野心なり精神なりを十分に語つて居る。

 トルストイはその藝術論に於て、この様な言葉をつかはなかつたが、あの一篇の全精神は仍(やは)りこれをもつて貫いて居る。彼は先づ演劇なり音楽なり絵画なり小説なりが、夥しき労働者の労力の消費によつて製作され行はれることを注意し、而もそれ等の多くの藝術が何等の慰藉(ゐしゃ)をも力をも感情をもこれ等の労働者に分け與ふる事のないのを指摘して居る。そして藝術はかゝるものであつてはならない、単なる労働者の労力の消費であつてはならないと云ふことを云つて居る。そしてまた、真の藝術は、自分で少しも労働をしたことのない、ほんとの人間らしい生活をしたことのない、たゞ藝術を職業とした、所謂(いわゆる)藝術家なるものゝ所産であつてはならない。ほんとの藝術は、自分で食ふことのために働らき、ほんとの人間らしい生活をしたものが、自ら経験した感情を他人に伝へたい時にのみ存し得るものであるのを主張して居る。此精神も亦、民衆のために民衆によつてつくられたる民衆の藝術でなければならぬと云ふことに帰するものと云はねばならぬ。
 かうした主張の中には一つの溌溂(はつらつ)たる新興の精神もしくは生命の生動して居ることが容易に感じられる筈である。新しい民衆が今目ざめた(たとひそれが如何に少数であらうとも)その民衆は最早従来の多くの貴族的藝術では満足が出來ない。彼等は彼等自身の新しい生気ある藝術を要求する。否、啻(ただ)にそれを他より要求するに止まらず、自分で自分を藝術に表現しないでは居られない。それが此の新興人民の願ひであり欲求でありそして一つの新しい活動である。
 過去の藝術は四分の三以上死んだものである。これはフランス藝術にのみ特殊の事実ではない。一般の事実である。過去の藝術は生には何の役にも立たない。却つて往々生を害(そこな)ふ恐れすらある。とロマン・ロオランは云つて居る。そして彼は、容赦なく過去の劇をはねのけて、その中の僅ばかりを民衆のために採用して居る。同じ精神をもつて、トルストイは更に峻嚴なる批判をなし、過去の藝術の大部分を排斥して居る。
 自分の寡読は同じ権威をもつて過去の藝術を排斥するだけの資格を自分には與へない。しかしながら少くとも自分の読んだり見たりした数少ない藝術のうちにも真に満足する事の出來ないものは少なくない。殊に日本のものに於て一層そんな気がする。日本の藝術は確かに今、向上し、発展しつゝある。併(しか)し公平に見て、誰が今迄の藝術に十分の讃嘆を加へ得よう。
 さうだ、新しい生命が今、民衆の中にあつて(厳密に言つて少数の民衆のうちに在りて)人額の間に生れたのだ。それは最早従来の様な生気のない、生命の消耗しつくされた無気力な藝術には満足することが出來ない。また、民衆の苦しみを知らず悲しみを了解せず、そして生命に根柢を有してない、単なる独りよがりの藝術に一顧の注意を向ける必要もない。
 彼等は今、ほんとの人間を知つたのだ。人間のほんとの価値を知つたのだ。そして彼等自らがほんとの人間そのものになつたのだ。彼等は此の人間性を阻害するあらゆる障碍に向つて戦を挑む。彼等は此の人間性を害(そこな)はれた一切の病的な思想や神経を排する。その様なものを唯一の本質であるかの如くに思つて居る従来の貴族的な、又、弱々しい神経の、一切の藝術を排する。そして、此の過渡期に於ける復活の新生命として、かかる障碍や暴力や病的なる思想又は神経やと戦つて人間性の真郷土に帰らんとする努力を示したところの、また帰り得たところの、生命の高揚を歌へる新しい藝術を要求する。
 それ故に、真に目ざめたる民衆とは、真に人間となり、人間としての生活をなさうとする人民のことでなければならぬ。また民衆藝術とは真に人間とならうとする人間らしい感情と人間らしい意思や理性と、人間らしい生活とを具有する闘争の藝術でなければならぬ。人間の心の奥底に於て、誰にでもふれることの出来る、深い情味の豊かな藝術でなければならぬ。

 だが茲(ここ)に一つの問題がある。
 それでは、我々の社会の何処その民衆が存して居るかと云ふことである。今云つた様に目ざめた僅かばかりの人間は居る。しかし、そんな少数なものゝためにのみする藝術は果して民衆藝術であらうか。民衆藝術の影響すべき世界は、もつともつと広いものではなからうか。
 民衆藝術を論じたものは多い。しかしそのうちの殆んど誰もが、肝心のその民衆そのものに就いて語つたものはない。
 もつともこれは余りにわかりきつたことであるかも知れない。殆んど説明の必要のないものと思つて居るのかも知れない。かくて或る者はこれを単に平民と云ふ言葉でもつて表はし、或るものはこれを労働者と云ふ意味にとつて居る。勿論それであるのには違ひない。だが、それ等の平民なり、労働者なり、農民なりにして、ほんとによく此の人間を自覚した新興の生命を何処にもつて居るか。自分がさきに新しい民衆が目ざめたと云ひながら、極少数のとつけ加へざるを得なかつたのは此のためである。
 メルシエが平民と云つたときに、その平民とは誰を意味したのか自分は知らない。しかしトルストイが労働者と云つた時に、その労働者とは果して何人(なんぴと)を意味したのかを察する事は難(かた)くない。彼は朝から晩まで働きづめに働いて器械の様な単調無趣味な労作を繰返して居る人をもつて真の労働者であると思つたであらうか。もしさうであるとしたら、そんな労働者がそんなに高貴な藝術を製作し得ると考へたと云ふことになる。だが、何でトルストイともあらうものが、今日の労働者の状態を知らないで居られよう。彼の書いた殆んど何の本にでも此の悲惨な労働者の生活を語らないものはないと云つてもいゝ位である。あの様な小やみなき激労の後の疲れはてた肉体をもつて、あの様に無趣味な器械的動作にのみ用ひられる枯痩荒廃した精神をもつて、トルストイの云ふ様な高貴なる藝術の製作されないのは勿論、彼等のために提供されたる藝術を享楽する心の余裕をさへ有(も)ち得ないだらうと云ふことをトルストイが知らないで居る筈がない。トルストイがこゝで謂ふ労働者とは、人間がその本然性に従つて、また人間に本具した先天的義務に服従して、生活の為の適当なる労働をなし、そして人間としての本質的なる生活活動をなして居る人民のことであるのは云ふ迄もない。さう云ふ人間こそほんとの藝術を製作し得る。
 近頃はまた、戦争の一結果として、労働者なども大分景気がよくなつて、中には一日参圓五圓の儲けをするものも少なくない、彼等の生活は吾々のそれに比べて何れだけいゝかしれない。けれども、それで居て彼等は尚彼等の真の生活を創造する事が出來ない。彼等には自覚がない。まだ人間が生れない。
 然らば平民と云つても、労働者と云つても、それが直ちに、吾々の謂(いは)ゆる、真の意味の民衆ではあり得ない。
 それ故に、新しい民衆とは直ちに平民もしくは労働者を意味しない。それがほんとの民衆となるためには真に人間を自覚しなければならぬ。それ故にまた、新しい民衆とは全く上流階級もしくは知識階級に存しないと云ふのではない。誰が、トルストイやドストエフスキイやロマン・ロオランやなどを民衆でないと曰(い)はう。上流階級者も知識階級者も、ほんとに自分の位置をさとつて、自分の今の生活の不合理を感じて、そして、ほんとの人間にならうとする時に、又、なるために生活革命をなした時に、彼は最早貴族でない、富豪でない、彼は民衆の一人である。
 民衆とは即ちヒュウマニティーを遺憾なく生き得るもの、少くともヒュウマニティーに生きようと努力するもの、全人類をヒュゥマニティーの自由なる活動とせんとする者の謂(いひ)である。
然らば民衆は果して何処に居るのか。
 ロマン・ロオランが「諸君は平民藝術を欲するか。然らば先づ平民を持つ事から始めよ。その藝術をたのしむ事の出來る自由な精神をもつて居る平民を。そして容赦のない労働や貧窮に踏みにじられない閑暇のある平民を。凡ゆる迷信や、右党若(も)しくは左党の狂信に惑はされない平民を。自ら主人公たる、そして目下行はれつゝある闘争の勝利者たる平民を。ファウストは云つた『始めに行為あり』と」と云つたは真実である。
 真の民衆はまだ存しないと云つてよいのだ。吾々は先づ民衆を得なければならないのだ。目ざめたる民衆は人類の新なる魂だ。人類はこれに聴かねばならぬ。人類は此の魂の打ちならす鐘に耳を聳(そばだ)てねばならぬ。目ざめたる魂は常にその人間性を研(みが)いて不断にこれを表現せねばならぬ。それは人類に対しての義務だ。生命に対しての最高の奉仕だ。
 芽ばえかけた新らしい生命の幼木を踏みにじると云ふことは、生命に対する大なる罪だ。生命は民衆の出現によつてその自由なる世界を楽しまうとして居るでないか。そしてその世界の出現を目ざめたる民衆に托して居るでないか。そしてその努力と闘争との喜びを溢るゝばかりに若き心霊のうちに盛つて居るでないか。
 先づ自己のうちに平民を得よ。そしてまた人類のうちに平民を得よ。即ち人間性の真に徹せよ。人間性の絶対的価値を把握せよ。
 勇気と力と智恵と愛とは泉の様に湧いて来るであらう。そしてそこによき藝術は創造せられ、よき運動の波は打ちはじめられるであらう。
 吾々は自分の過去の罪障をも、現在の自分の弱いことをも無学であるのも凡てみなよく知つて居る。けれどそれがために新しい生活への進行を阻(はゞ)まれる事はない。吾々は最早、上手とか下手とか云つて居られない。技巧のことなんぞ云つては居られない。たゞ一途に人間性の開展をはからねばならない。人間性の深みを掘らねばならない。
 藝術は生の終るところから始まる。生が完成されたところには藝術はないと云つた藝術家の野心は大きい、深い。吾々の藝術は、徒(いたづ)らにこまやか(4字に、傍点)になつた繊弱な神経に夢魔のやうに悩まされおびやかされて居る、謂ゆる現代人と称するものゝ藝術でない。一時青年の間に、近代人とか現代人とかの理想が流布して、何かと云へば、あの男は新しいとか旧いとか、まるで人間界が此の新旧の二分野しかないかの如くに語られた。しかし今や新なる民衆には、その謂ゆる現代人の心すら廃れ行くべき性質のものとなつた。藝術は常に新しい生命を人類に持ち来すものでなければならぬのは云ふまでもない。しかし何でも新しいものならいゝと云ふ道理が何処にあるか。役にも立たぬ新らしさは呪ふべきである。役に立つ、ほんとの新らしさはたゞそれが人間性に適応して居るか居ないかによつてきまるのである。
 一つの力が人類の間に生れかゝつて居る。こゝに一つの新しい内発的な、自律的な、ムーブメントが起るべきである。そして、自分はそれの起ることを確信するものだ。

(大正七年一月「新潮」)

(かとう かずお  評論家・編集者。 1887.2.28 - 1951.1.25 和歌山県西牟婁郡に生まれる。 大正七年(1918)「新潮」一月号初出。)


農民芸術論(加藤一夫流のプロレタリア文学論)、昭和6、春秋社
農民芸術論

加藤一夫 著



[目次]
標題
目次
序文
農民文學論
一 農村の黎明 / 3
二 農村文學の要求 / 4
三 農民文學は存在理由を有するか / 10
四 農民文學の基調としての農民意識 / 23
五 農民文學の特質 / 41
六 農民文學とプロレタリア文學 / 58
七 農民文藝の正系 / 68
社會文藝論
一 序説 / 85
二 社會文藝の發生の意義 / 89
三 藝術とは何ぞや / 95
四 文藝の社會性 / 122
五 社會文藝とは何ぞや / 135
六 社會文藝の特質 / 140
七 社會文藝の内容 / 161
八 社會文藝の形式 / 170

発禁処分を受けた「土の叫び地の囁き
洛陽堂、大正7
[目次]
標題
目次
汎労働の思想及び生活
一 「竹」 小説 / 1
二 食糧労働と自我表現 / 33
三 現代文明の覊絆 / 52
四 人間であり度い / 67
五 人道主義に就いて / 83
六 芸術・芸術家・芸術の職業化 / 92
七 新しき芸術の泉 / 108
八 弥助爺の死 小説 / 127
九 石神井より / 138
トルストイ研究の断片
一 トルストイの宗教 / 161
二 宗教家としてトルストイ / 178
三 自然と人道 / 193
四 トルストイの自然生活論批判 / 203
五 トルストイとツルゲネエフ / 230
土の叫び
一 自然よ私はお前を知り度い / 233
二 九官鳥 / 236
三 雲雀の歌 / 239
四 新興の露西亜よ / 243
五 自然讚頌 / 246
六 孤独 / 252
七 自分の弱さに泣かうでないか / 255
八 偉なる太陽は沈むだ / 261
地の囁き
一 自由の解放 / 267
二 生きると云ふこと / 270
三 批評家と創作家 / 270
四 破壊の響き / 272
五 自信と排他 / 272
六 若き労働者 / 273
七 根と芽と / 277
八 愛と孤独 / 278
九 愛と知識 / 283
一〇 愛と喧嘩 / 284
一一 弱き故に強し / 286
一二 手におへぬ自分 / 288
一三 凡悩具足 / 290
一四 心の籬の取り除かれた時 / 291
一五 世界と云ふもの / 295
一六 本を読むこと / 297
一七 土と人間との親和 / 300
一八 二つの心 / 303
一九 「自然」の救 / 305
二〇 青年牧師の自殺 / 315
二一 無辺の愛 / 327
二二 愛に就いての対話 / 331
二三 生活と云ふこと / 340
二四 予言者と社会改良家 / 345
二五 真の偉大 / 346
二六 征服慾と愛慾 / 347
二七 怠ける時 / 348
二八 礼儀 / 348
二九 沓掛の温泉塲より / 349
本然の芸術
一 本然生活の芸術的表現 / 363
二 自由の憧憬と芸術 / 375
三 反逆の芸術 / 380
四 宗教と芸術 / 399

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『随感録』 パスカル著・加藤一夫訳,洛陽堂(T3)の問題点

2014年01月21日 | 教養(Culture)
『隋感録』 パスカル著・加藤一夫訳
pascal_zuikanroku.pdf (2,997,877 byte)


大正三年に翻訳されたパスカルの『パンセ』。
明らかな誤字・脱字は訂正し、本文中に引用されているフランス語・ラテン語の文や句は、
Pascal pense que...で公開中の『Pensees (Leo Brunschvicg 1897 edition)』PDF版と見比べて補訂。
難読漢字には適宜フリガナを追加。
PDFにフォントを埋め込み、旧字・旧仮名も底本のまま再現(今昔文字鏡を使用)。

入力していて気付いたのは、引用されているフランス語・ラテン語の綴りが、物凄くテキトーという事。
翻訳者も編集者もロクにスペルチェックしなかったとしか思えない。
日本語訳そのものにも意味不明な部分が多い。
これを読んで当時の読者がどれだけ理解できたか、かなり怪しいと思う。(全文引用先

洛陽堂刊行の加藤一夫(1887-1951)辺りの翻訳書は、もともと翻訳対象の書籍の誤字脱字が未チェックで、訳者による誤訳・翻訳本の誤字脱字を考えると、ちょっと資料としては慎重に扱う必要がありそうだ。
本文研究が前提となる?
木村庄八とか尾崎喜八らの翻訳なども要注意だ。当時の校正作業は神近市子のような英語学校の学生連中のアルバイト仕事だったようだが、・・・・・やれやれ。

加藤一夫はたくさんのトルストイの翻訳書をロシア語からではなく英文和訳という形で行ない、評論面では当時白樺同人らに大きな影響を与えた。
この人物の自伝がこちら「み前に斎く」、竜宿山房、昭和16年、218P.
[目次]
標題
目次
I 温床時代
一、 解散された中學生の思想團體 / 1
二、 神にか自己にか / 7
三、 キリストへの献身 / 12
四、 恩寵の生活 / 15
五、 自然主義文學の影響 / 17
六、 神學校卒業生の惱み / 21
七、 如何に生くべき? / 24
八、 私と自由基督教 / 29
II トルストイアン前後
一、 一學期間の女學校教師 / 35
二、 トルストイの「我等何を爲すべき乎」 / 39
三、 「科學と文藝」の創刊 / 43
四、 田園生活 / 45
五、 出版會社春秋社の創立 / 48
六、 世界大戰の結果 / 52
III 反省
一、 芦屋の生活 / 61
二、 夢 / 63
三、 アナアキズムより農本主義へ / 66
四、 不面目な農村生活 / 71
五、 農本塾の創設 / 79
六、 事業の蹉跌 / 83
七、 傳道への再出發 / 85
八、 されど我が神は / 89
IIII 魂の故郷よ
一、 我が神は玆に在り -天皇こそはわが神に坐す- / 91
二、 天皇は大御親なり / 106
三、 支那事變の勃發と日本教會 / 111
四、 日本信仰協會への飛躍 / 120
五、 天皇信仰の一兵卒 / 132
V 天皇信仰者、現代日本に與ふ
一、 天皇信仰の旗の下に / 137
二、 拜み合ひの社會組織 / 148
三、 禍を後世に貽す勿れ / 153
四、 天皇信仰と宗教 / 160
五、 便乘者團體の整理 / 176
六、 天皇信仰と救の問題 / 182
七、 宗教的天皇機關説 / 194
八、 宗教による國體の方向轉換運動を撃滅せよ / 201
九、 先づ懺悔せよ / 213

ふまじめというか場当たり的というか、思想的な変節の度合いも尋常ではないし、書いていることは誤訳新説の塊だと言う点において確信犯的な売文家だったと思うのだが、いまのところ得体のしれない、よく判らない御仁だ。こんな奴と洛陽堂(河本亀之助)はかなり太い接点を有していた。

最近まで早稲田大学(紅野敏郎)・慶応大学(小松隆二)辺りには加藤一夫研究者がいたようだ。
加藤の本はあきつ書店という古本屋がたくさん集めているが、ここは東京で一番高値販売する店なので、研究用だけなら国会図書館のデジタル資料を活用するのが得策。

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図書館より借りだした「花井卓蔵全伝・上下」

2014年01月18日 | 教養(Culture)
大物弁護士、衆議院副議長であった花井(1868-1931)


明治13年頃長谷川桜南塾に学ぶ。同年桜南の命名で卓蔵と改名。
高楠順次郎と花井卓蔵とは「土百姓」、「悪代官」と呼び合う仲だったようだ。ともに広島県平民だったが、花井は三原・浅野氏家臣の出身。

いろいろ学ぶべき点がある内容で、社会史の史料としても貴重だ。
明治10年代前半まで何故小学校に通いながらなおかつ漢学塾に行く必要があったのかといった点は現代のわれわれにはなかなか理解しがたいところだ。

ちょっと斜め読みしたところ、「刑事弁護の第一人者」の項で花井はこう述べている。
刑法の精神は無限の復讐というところにはなく、情状酌量規定が示す通り「刑を持って罪を打つにはあらずして、刑を持って汝を救うという保護の観念」に支えられたもの。
事件の真相を解明し、かかる法の精神を活用することを重視する必要がある、と。
論旨が明快で、感動的な立論のできる弁護士だったようだ。

浄土真宗の大善寺@三原市に花井のお墓がある。



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麻生義輝「近世日本哲学史 幕末から明治維新の啓蒙思想」昭和17年

2014年01月17日 | 教養(Culture)
全文引用
著者 麻生義輝
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書名 近世日本哲学史 幕末から明治維新の啓蒙思想
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刊行形態 A5判上製 320p 本体価格5500円 (消費税込定価5775円)
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刊行日 2008年7月30日
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ISBN 978-4-902854-48-0 C0010
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メモ
高島平三郎の心理学との出会いや、明治時代における心理学浸透の前史or周辺史をの一端を知る手掛かりが得られるかも・・・
著者紹介

麻生義輝 (あそう・よしてる)

1901(明治34)年、大分県生まれ。1938(昭和13)年、歿。美学者、日本哲学史家。東京帝国大学美学科卒業。クロポトキン主義のアナーキストとして、1927(昭和2)年、文芸解放社に参加。1930(昭和5)年、帝国音楽学校教授。1932(昭和7)年、帝国美術学校教授。日本における西洋哲学移入史を研究し、『西周哲学著作集』を編纂した。


目 次

総 説

第一編 序 論

第一章 西洋哲学渡来前史
第二章 新大学(蕃書調所)の設立
第三章 学徒の海外渡航

第二編 幕末に於ける哲学研究

第一章 文久二年(一八六二年)の哲学講義
第二章 オランダ哲学の東漸
第三章 慶応年間に於ける哲学
   一 江戸の諸学者の活動
   二 京都に於ける哲学研究
   三 諸外国との接触

第三編 明治維新直後の哲学研究

第一章 啓蒙思想の展開
   一 維新思想と復古思想
   二 四民平等思想の発生
   三 英仏哲学の隆行
第二章 研究機関の整備拡張
   一 諸学校の建設
   二 旧大学(昌平黌)の復活と閉鎖
   三 新大学(開成所)の復興と発展
第三章 哲学諸分野の研究
   一 明治四年の哲学草案
   二 御談話会の哲学史的意義
   三 社会哲学研究の萌芽

第四編 啓蒙哲学の構成

第一章 学会の組織
   一 洋学者の集団明六社
   二 洋々社と旧雨社
第二章 哲学研究の諸成果
   一 論理学の研究
   二 論理学の実際的応用
   三 心理学書の刊行(明治八年)
   四 政治哲学の全盛

第五編 啓蒙学派の分化

第一章 啓蒙哲学の内部的革進
   一 民権派哲学の擡頭
   二 修身学の構成
第二章 新哲学派の登場
   一 大学の進化論哲学
   二 西南の役と哲学思想の転換


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洛陽堂の出版事業について気づくこと

2014年01月14日 | 教養(Culture)
東京洛陽堂(河本亀之助→河本俊三経営)の出版物を見ているといろんなことが読めてくる。ここでいう読めてくるというのは、状況証拠的にそのような結論が導き出せるという水準の話で、あくまでも解釈論上の問題だ。

現在天野藤男に関しては主著の「地方青年団体の現在及将来」「農村処女会の組織及指導」「農村の娯楽」「田園趣味」、「農村と娯楽」、「地主と小作人」(二松堂書店)、「四季の田園」、「故郷」、「英国の田園生活」の集書が完了した。「鎮守の森と盆踊」(文原堂書店)は国会図書館デジタル化資料で閲覧。
英国の田園生活」は都会及農村編集部訳で原書はヘンリー・ハアボア”The rural England”(後で確認)。

天野の著書は全体として明治末から大正にかけての静岡県●郡の地域状況を理解するのに大変役立つ。
就中、「農村と娯楽」・「鎮守の森と盆踊り」は、今日いうところの、社会学あるいは民族学(民俗学)的成果としてもっと注目されてよいだろ。

東京洛陽堂は雑誌「良民」、雑誌「都会及農村」を刊行し、方や山本瀧之助に、もう一方は天野に編集を任せていたようだが、それは河本の善意の証ではあるが、河本にはそもそも企業家としての経営感覚といったものは無かったのではなかろうか。

高島平三郎が中心となって出していた雑誌「児童研究」の記事をまとめる形で出版された下沢瑞世「英俊青少年発展史 : 教育修養亀鑑」だが、河本は下沢に対して出版直後に都会の児童に焦点を当てた著書を出してみてはと進めている。それが「都会に於ける美的児童研究」明治45年刊だ。この辺の太っ腹というか、経営的な面での思慮のなさは河本亀之助の長所であり、短所であったろう。
完成度という面では大いに首をかしげたくなるような天野藤男の本を10冊近く刊行するなどといったところをみると、ジャンル的には山本瀧之助の対抗馬に対する支援の姿勢は明確だし、悪く言えば、情に流されがちの出版事業だったと思われるのである。


トルストイの翻訳者であった加藤一夫曰く、河本亀之助は・・・・・損得を超越して無名の士を紹介することを楽しみにするタイプの人。


生活に窮していた加藤は常に赤字続きであった洛陽堂からまともに印税を支払われたことわなかった、とも
。洛陽堂は加藤の翻訳書、文芸書を大正3~8年にかけて何冊も出している。翻訳書はトルストイとかロマン・ロランとかの英語翻訳書の日本語化したもので、かなり、誤解誤訳、誤字脱字満載の粗雑なもので、よくそんなものを出したものだと首を傾げるところだが・・・・・。ただ、『本然生活』、『土の叫び地の囁き 』、『民衆芸術論』など初期の作品はすべて洛陽堂刊。これらの作品は白樺同人に少なからず影響を与えたようだ。

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広谷俊之「高楠順次郎先生伝」伝記叢書133

2014年01月12日 | 教養(Culture)
高楠順次郎(広島県御調郡八幡村・字篝出身)は生涯に名前を何度か変更している。沢井梅太郎が幼名。その後(明治15、17歳)梅太郎を洵に改名。明治16頃小林洵と称する。幼少期には祖父精作(精斎)から漢籍の素読10歳時に終了、そのご詩経・唐詩の朗唱をし、弟の子守唄とする。
明治11年、13歳のときに宮内尋常小学校下等2級を卒業。教師は野村精作(長谷川恭平の弟)。翌年12年に下等一級を卒業し、三原の桜南舎(漢学塾)に入り、長谷川恭平(桜南)について漢学を修める。花井卓蔵・山科礼蔵と同学。
明治13年旧三原城内に設立された三原小学校で行われた小学校教員検定試験。政治に目覚め「竜山会」を結成。花井は自由党員、高楠は立憲政党員となる。










高楠順次郎の知人友人

そうそうたる人物の名前がリストアップされているが、その中には渡辺哲信・富士川游・花井卓蔵・浅野長武・常光得燃・徳富蘇峰・山科礼蔵・新村出・大谷光●ら真宗教団の最高幹部の名前が・・・。
旧福山藩主の家筋の人とか、竹原出身の永井潜・高島平三郎・和田英松の名前は無い。
高島平三郎は富士川游と接点をもっていた。










文部省教学局編 教学叢書2(昭和13)に西田幾多郎・高楠順次郎・佐々木信綱の論文が掲載されている。

一 學問的方法・西田幾多郎 / 1
二 佛教の全體性原理・高楠順次郎 / 15
三 萬葉學先哲の苦心に就いて・佐佐木信綱 / 35
など

佐々木は万葉集の研究に打ちこむことが、戦場で戦う若い兵士たちに対する学者の責任だという。それに対して高楠は仏教の考え方は当時の天皇制国家主義のベースにある全体主義と通底するというという形で軍国主義に積極的に加担。大東亜共栄圏構想に対しても肯定的論陣を張った。
西田の場合は単刀直入にいえばいい部分を持って回った言い方に終始し、相変わらず、多彩なレトリックの中に身をゆだね、戯れている。


タイトル

大東亜海の文化



著者

高楠, 順次郎, 1866-1945



著者

高楠順次郎 著



出版地

東京



出版社

中山文化研究所



出版年

1942



大きさ、容量等

134p ; 19cm



注記

付録: 南洋に関する文献130-134p


高楠順次郎全集
コメント

東京の古書店から「在庫便り」が届いた

2014年01月10日 | 教養(Culture)
あまり興味はなく、昨晩は何気なく見ていたのだが・・・・高島平三郎の最初期の著書(入手前なので書名は伏せておく)などを見つけた。検索にかけても出てこない書目で、国会図書館のデジタル化資料を使っていたのだが、ゲットできれば展示用には使えそう。

明治26年刊行の教科書だ。明治26年は高島28才時にあたる。当時は学習院の教師。東京帝大の元良勇次郎の下で心理学の勉強していた時代でもあった。


普及舎(教科書出版会社)。ここの社長が列車の座席に置き忘れたメモから教科書疑獄(1902年、明治35年に発覚した、学校の 教科書採用をめぐる教科書会社と教科書採用担当者との間の贈収賄事件である)が発覚。

これら2冊は『高島平三郎全集』第一巻に入れられている。
さらに、国会図書館のデジタル化資料の中でも公開されている。

高島平三郎に関して時期を見つけ、国会図書館の向こうを張って「近代日本人の肖像」:高島平三郎編でもやってみようか。国会図書館のものは蔵書の中の「肖像」写真をネットで展示するだけのものだから、わたしがやるときは少し知的で野心的な「肖像」論になるだろう。「風景」論的な切り口でこの人物を再構成するというのもありかな?!

校閲者の西村正三郎(1861-1896)については相続人:埼玉県杉戸町在住の堀江亀太郎がいる。高等小学校用の教科書や師範学校用の教科書の校閲をし、「教育学史」というタイトルの文学会講義筆記録を明治30年、敬業社より刊行している人物だ。明治29年に35歳で没している。それ以外は不詳。この本の中身は高島の「内国教育史要」とそっくりだ。この手の欧米留学経験者でない人物の著書は当時の学校教育の教科書面での水準を知る手掛かりにはなるが、内容的には江戸時代の延長というか、文明開化以前というか・・・・ぱっとしない 
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備忘録:ロマンロラン著/大杉栄訳「民衆芸術論」アルス、大正10年と大杉栄全集 第11巻 (民衆芸術論)

2014年01月05日 | 教養(Culture)
大杉栄には何の興味もない私だが行きがかり上、彼の翻訳書についてメモをしておく。
民芸といっても大杉栄の意図したのは民衆芸術(民衆による民衆のための民衆が所有する芸術、演劇活動を念頭に置いたもの)。工芸品ではなかった。大正期には社会主義思想の流布の中で「平民・庶民」の文化芸能を再発見する動きがあったことは注目に値する。参考までにOn November 19, 1863, at the Soldiers' National Cemetery in Gettysburg, Pennsylvania, President Abraham Lincolnの言葉は”government of the people, by the people, for the people”だった。governmentをArtに置換すれば大杉の民衆芸術の定義そのもの
大杉栄は鼻っ柱つよい人物で、狂犬のような危険な無政府主義(クロポトキン研究者)」者という形でイメージ的には過剰に負のイメージが付与され、その存在が矮小化されて受け取られがちだが、やはり、それはちょっと?(半分真実で半分誤解)かな~、高楠順次郎が校長を兼務した東京外国語学校・フランス語専修卒のインテリ。大正5年11月8日 日陰茶屋事件で横向き布団に入っていた大杉の咽頭めがけて短刀て切りつけた神近市子によると「もって生まれた貴族趣味のため大衆の心を掴めなかった悲劇の人」で「そだちが良かったせいか、貧乏に耐えられず」、かつ「金銭には細かすぎるほど神経質だった」と述懐(『神近市子自伝』259頁)。
大杉の、したがってロマン・ロランの「民衆芸術」の精神は劇団「民藝」(=滝沢修、清水将夫、宇野重吉らによって「多くの人々の生きてゆく歓びと励ましになるような」民衆に根ざした演劇芸術をつくり出そうと旗あげされた)の方と繋がっている?。

なお、当時ウイリアム・モリスやロマン・ロラン流の民衆の芸術に関する著作の翻訳紹介が行われており、大杉のものはロマン・ロランの翻訳もの。ロマンは民衆芸術の政治的プロパガンダ性を示唆しているようだが、後日詳細についてチェック予定。
白樺同人ではなかった加藤一夫『民衆芸術論』、洛陽堂、大正8年というのもある。民衆芸術という用語は当時インテリ達の間では相当注目されていた事が判る。

柳宗悦の「民芸運動」だが、この民芸の語は一般民衆の生活の中から生まれた、素朴で郷土色 の強い実用的な工芸。民衆的工芸。大正末期、日常生活器具類に美的な価値を見出 そうと、いわゆる民芸運動を興した柳宗悦(やなぎむねよし)の造語、とされるが、大杉辺りの,いや白樺同人との交流のあった加藤一夫(明治学院出の元伝道師だが、クロポトキン・トルストイ研究者で詩人兼評論家)の「術」を下敷きにしていたのだろうか。当時は民衆芸術という言葉はモリスやロマン・ロランそしてクロポトキン伝来のものだった。それを無政府主義者と俗称される社会主義者大杉栄と左翼的なキリスト者加藤らが翻訳紹介。柳は・・・・・?
言い方は違うが、モリス、ロマン・ロラン(したがって大杉栄)とは同じ認識論的な地平の上に「民芸」を構想し、それを柳流のやり方で実践したわけだ。
ウイリアム・モリス、堺利彦抄訳「理想郷」は発禁処分を受けていたので、モリスの「民衆の芸術」とかロマン・ロラン「民衆芸術」などは朝鮮に対する文化的な同化政策に対して批判的な立場を取っていた柳の場合は翻訳書に頼らず(頼ったかもしれないが・・・・)原書で目を通していた事だろ。まあ、この辺は蔵書などのチェックで要確認事項だが。柳はクロポトキンとかトルストイの文献は英訳本で目を通していたらしい。

白樺同人たちはロマンロランを盛んに翻訳紹介していたので、ロマンロランは柳にとって割と身近な存在であったかもしれない。
「柳宗悦 時代と思想」の著者でもある中見真理の『柳宗悦 - 「複合の美」の思想』(岩波新書)は柳のいう「民芸」が「主義者」の民衆芸術と同系だと考えている
民芸=民衆的工芸、いかにも取ってつけたような説明だが、柳宗悦流の、王侯貴族の持った調度品の美を否定し、一方的に「下手の美」をめでる精神(社会主義的精神、階級的視点)に思想家柳の方向性やとキャパシティのあり様が示されていると言えようか。

民俗芸能もひょっとすると「民芸」? どうもロマン・ロランの言う民衆芸能の精神を換骨奪胎した(=政治力学的牙を抜いたも)のが民芸のようだ。

中見真理「柳宗悦ー時代と思想」、東大出版
洛陽堂(河本亀之助)は大杉とは関係なかったが、明治学院出身の加藤の著書を刊行した。評論と詩集だ。トルストイ・クロポトキンを研究していた時期には盛んに白樺同人の一部とは接触もあった。加藤の出した「科学と文芸」にはその発刊当時には小泉・武者小路・長与なども参加したようだが、いつのころからか、距離をおくようになったらしい。
加藤のアナクロニズムへの傾斜にはついていけなかったのだろ。こうした加藤の思想的流浪に対して明治学院の同窓生として丁寧に付き合ったのが、ダンテ研究家の中山だった。

大杉栄全集 第11巻 (民衆芸術論)

秋山清 等編



[目次]
目次
I 民衆芸術論
初版序文 / p3
再版序文 / p4
序論 平民と劇 / p7
第一編 過去の劇 / p13
一 古典喜劇 / p13
二 古典悲劇 / p17
三 浪漫劇 / p27
四 紳士劇 / p32
五 外国劇 / p35
六 劇と講談 / p41
七 劇壇三十年会 / p44

第二編 新劇 / p56
一 平民劇の先駆者 / p56
二 新劇場 / p87
三 メロドラマ / p106
四 史劇 / p111
五 平民劇の他の種類 / p117
第三編 劇以外に / p123
一 平民祭 / p123
二 結論 / p133
附録
一 フランス革命と平民劇および平民祭 / p137
二 ダヴィドの祭典案 / p156
三 トスカノの五月劇 / p165
四 ビュサンの平民劇場 / p167
五 『戯曲芸術評論』と平民劇 / p170
II 翻訳小説
釣鐘物語 / p181
クレンクビュ アナトール・フランス / p191
道ばたで オクタヴ・ミルボー / p225
石垣 アンドレエーフ / p228
オーソリテの話 ムルタトゥリ / p241
無知 ムルタトゥリ / p243
共和祭 ジャン・ジュリエン / p244
怪物 コロレンコ / p251
倉の中の男 オクタヴ・ミルボー / p260
労働者と白き手の人 ツルゲーネフ / p268
信者 アンドレエーフ / p270
解説(久保田芳太郎) / p302

大杉は民衆による民衆のための民衆が所有する芸術=民衆芸術。言い方としては単なるリンカーンの言葉の「芸術」への置換形

民衆芸術論

加藤一夫



[目次]
標題
目次
民衆藝術に關する考察
民衆は何處に在りや / 1
民衆運動即自省更正 / 14
民衆藝術の意義 / 22
民衆藝術の主張 / 36
民衆藝の精神 / 52
民衆藝術論の諸相 / 72
民衆藝術の永遠性 / 87
民衆藝術は苦惱の藝術である / 93
民衆藝術は解放の藝術である / 101
民衆藝術の出發點とその目標 / 111
民衆藝術は何うして起らぬ乎 / 127
民主思想に關する考察
民主思想の潮流 / 137
個人は一切である / 147
大なる過程 / 167
協同主義は個人主義の洗禮を受けねばならぬ / 173
生活に關する問題
回轉機に立てる徳富健次郎 / 183
新しき村に對する疑義 / 208
トルストイに關する斷片
トルストイと自分 / 223
トルストイの民主思想 / 242
衝きつめた人生 / 252
詩情斷片
春が來た / 263
私の衷に住む不思議な魂よ / 268
永遠 / 275
號いてる汽車 / 278
追はれて行く乞食の群 / 281
さあ兄弟たち / 283
プロパガンダ / 286
新らしい世界は近づいた / 290
徹底 / 293
空と雲 / 295
かうして凝乎と / 303
さらば土よ / 305


加藤一夫「クロポトキン芸術論」(昭和6)
本書には麻生義(ペンネーム)の「クロポトキンの芸術論」を掲載
麻生義輝さん(1901年7月10日~1938年10月11日)は、大分県玖珠郡南山田村出身。杵築中学校を経て大正13年文科乙類卒業。東京大学文学部哲学科卒業。美学・哲学史研究家。東京大学に在学中はペンネーム麻生義でアナーキズム理論を展開。社会運動家としても知られた。。

【主要な著書】世の救済者 戯曲集:ハアゼンクレエフェル著(翻訳本:1925;至上社)、文学の創生期ポケット・ライブラリイ(1925;慶文堂)、藝術の危機:ゲオルゲ・グロス著(翻訳本:1926;金星堂)、無産階級芸術論社会思想文芸叢書:ボグダノフ著(翻訳本:1926;人文会出版部)、独逸文学史:ロバアトソン著(翻訳本:1926;金星堂)、芸術の危機社会文芸叢書 評論:ゲオルゲ・グロス著(翻訳本:1926;金星堂)、サンヂカリズムとアナーキズム社会科学叢書:クロポトキン著(翻訳本:1927;金星堂)、社会思想全集第31巻 倫理学:クロポトキン著(翻訳本:1928;平凡社)、クロポトキン全集第8巻 近代科学とアナーキズム 近代国家論其他:クロポトキン著 (翻訳本:1928;春陽堂)、社會思想家としてのトルストイ(1929;春秋社)、社会思想全集第29巻 叛逆者の言葉:クロポトキン著(翻訳本:1929;平凡社)、社会思想全集第24巻 マルクス主義芸術論:ボグダノフ著(翻訳本:1929;平凡社)、社会思想全集 第28巻神と国家:エンリコ・マラテスタ著(翻訳本:1930;平凡社)世界大思想全集40心理の意味;バクーニン著(翻訳本:1931;春秋社)西周哲学著作集(1933;岩波書店)、楽記講義(1937;春陽堂書店)、人生のための美学(1939;教材社)、近世日本哲学史(1942;近藤書店・1974復刻;宗高書房)、正義と道徳;クロポトキン著(翻訳本:1972;黒色戦線社)


麻生義輝「近世日本哲学史」、2005,320P.

主義者として丸山鶴吉らからおもいっきり弾圧された堺利彦だが大正10年段階に「女性中心と同性愛」といったタイトルの書物を出している。やはり大杉栄のような人物は生まれる時代が1世紀早すぎたのだと思う。かれらは本当の意味で不運ではあったが、時代を変えるような素晴らしい感性と才能とを持った人たちだったように思う。
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