高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

成沢未来さん

2006-11-17 09:25:16 | まゆみのつぶやき室
私が原稿用紙に向かうことは「生きる」ということです。何かを書き続けることは、両親に対する私のお礼です。ただ不自由なだけでは両親がかわいそう過ぎます。大きな意味はありませんが、今日の創作はこうして続けています。

自分自身に負けていつも泣いていたころ、私を励まし叱り付け、包み込んでくださいました両親を始め、いち早く私を拾い上げて下さり文学の本質を説かれた中嶋雅子先生。先生と共にこの喜びを分かち合いたいと思います。「先生オレあまり時間がないけれど、ここまで来る事ができました。本当にありがとうございました」
出版を機に後押し下さいました桜井左七先生。特に今日平和学の扉をお示し下さいましたこと、私の進むべき道を見極めた思いです。
これからも、原稿用紙に向かってまいります。そして何より尊い「いのち」を描き続けることをお約束いたします。両親が名付けた「未来、自由、希望」は私たち兄弟のテーマでもあります。

抑圧され、虐げられ、蔑まれる。あるいは優位に立つ。人は格差の中に安堵を求めた戦いの歴史の果てに今の平和があるなら、私たちは力を合わせ、命ある限りペンを握っていきます。それが、かの日ペンを置いて旅たたれた、無念の学徒兵に報いることだと思いました。

父ちゃんの言っていた、「ひとつのことを長く続けろ。結果は必ず付いて来る。」は本当でした。
母ちゃんの涙で育てた、ひ弱な未来も二十歳を迎えました。ありがとうございます。自由、希望ありがとう。


これは、先日、地元新聞の新毎選奨を受賞した時の成沢未来さんのその時の挨拶文だ。先月までパネル展でお世話になった、小布施の桜井甘精堂の社長、左七さんが送ってくれたものを書かせていただいた。
以前、何か印刷物でこういう方がいるんだ!と言う事は知っていたが、この挨拶文を読んだときに、目の前でご両親が涙ぐんでいる姿が目に浮かんだ。

成沢さんは今年二十歳になる男性だが、先天性脊髄髄膜瘤で脊髄の一部が欠損し、水頭症も併発した。小学校までに10回以上、体にメスを入れたが、下半身にまひが残った。
自身の障害や内面を見つめ、家族や周りの人への思いをつづったみずみずしい文章は、小学生の時から文芸コンクールで受賞を重ね、高校2年では全日本短歌大会で文部科学大臣奨励賞を受賞。そして今大学では平和学を学んでいるそうだ。
生まれた時、10歳まで命があるかどうか、と言われた。《一日も長く生きて》と母が名付けた「未来」の名のまま20歳の今を生きる。と紹介文で記されている。

じんわりと、心に入ってくる感動的な言葉だが、子供達がたった一つしかない命を自らたってしまうと言うニュースが流れる度思うのは、「もったいない」と言う事だ。こんなにもたくさんの可能性があるのに。夢や、希望を捨てて欲しくない。
「いじめ」は昔からあるし、大人の世界だって、たくさんある。
だけど、ずっとそこで止まっている訳じゃない。状況は変わって行くし、変える事も出来るのだから、逃げないで・・・!