以心伝心

書・旅・本などのメモ。

百人一首を書く13

2009年11月27日 | 
陽成院

つくばねの峯より落るみなの川

こひぞつもりて淵となりぬる

陽成天皇は清和天皇の皇子で母親は藤原高子である。
在位8年で退位を余儀なくされたという。
この歌は光孝天皇の皇女、釣殿の皇子に切ない恋心を訴えた歌のようです。

十六歳で退位され六十五年も生きて81歳で崩御された。
ぱっとしない人生だったかも知れない。純粋な人柄だったかもしれない。
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百人一首を書く12

2009年11月27日 | 
僧正遍昭(へんじょう)

あまつ風雲のかよひ路ふきとぢよ

乙女の姿しばしとどめむ

僧正遍阿昭は、桓武天皇の孫で俗名は良岑宗貞といった。
仁明天皇の崩御に会い、世をはかなんで出家したというが呑気な人柄だったようです。
小野小町が石上神社に参詣してそのことを知りこのように詠んで贈ったそうです。

いはの上に旅ねをすればいと寒し
苔の衣をわれにかさなむ


世をそむく苔の衣はただひとへ
かさねばうとしいざふたり寝む

衣は一つしかないからいっそのこと二人で寝ようよ。機知にとんで面白いですね。
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百人一首を書く11

2009年11月27日 | 
参議 笙(たかむら)

わたのはら八十島かけて漕ぎいでぬと

人にはつげよあまのつり舟

遣唐使の船に乗船しなかったため嵯峨天皇の勅勘をこうむり、隠岐の島に遠島になったときよんだ歌のようです。
時刻は夕暮れ。島影が遠ざかって行き、海人のいさり火が点々と海上に浮かぶ。
舟を漕ぐ櫓の音が静かに聞えてくる。
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百人一首を書く10

2009年11月27日 | 
蝉 丸

これやこの行くも帰るも別れては

知るも知らぬも逢坂の関

蝉丸は盲目の琵琶法師であったそうです。
萩原朔太郎は、「和歌の韻律について」という文章の中でこの歌をよむと逢坂の関所のあたりを東西に右往左往していた旅人の姿が慌ただしげに浮かんでくる。
「これやこの」というせきこんだ調子に始まり「行くも」「帰るも」「知るも」
「知らぬも」と各節ごとにmo音を重ねて脚韻していると評している。
白洲さんは、「慌ただしげ」に聞えるにも関わらず流麗で静逸なものを感じると仰っていますが私もこの歌の響きが好きです。
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