河原左大臣
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
乱れそめにし我ならなくに
河原左大臣は、源融(とおる)のことである。
嵯峨天皇の皇子に生まれ、六条河原の院に住み風流な生活を送ったので
「河原の大臣」と呼ばれた。
「しのぶもぢずり」については東北地方で、しのぶ草を布に摺った原始的な染め物のようです。
「しのぶの乱れ」「陸奥のしのぶ草」といったような詞は王朝の人々に愛された。
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
乱れそめにし我ならなくに
河原左大臣は、源融(とおる)のことである。
嵯峨天皇の皇子に生まれ、六条河原の院に住み風流な生活を送ったので
「河原の大臣」と呼ばれた。
「しのぶもぢずり」については東北地方で、しのぶ草を布に摺った原始的な染め物のようです。
「しのぶの乱れ」「陸奥のしのぶ草」といったような詞は王朝の人々に愛された。