Life Size

IT業界17年。60代になっても現役で頑張るおばちゃんがアレコレ綴ってるブログです。

気づけば10周年

2017-01-12 07:32:44 | Diary
さっき気づきました。
なんと・・・・本ブログ開設して今月で10年!!
すっごいわぁー よく続いたもんだ。

2007年の1月5日から始まったこのブログ。
(さっき確かめました)
10年ってホントあっという間でした。

思えば
この10年が私の人生の中で一番変化のあった10年だったかなぁ・・・。
一生このまま地元の街で行きていくのだと思っていたのが名古屋市民になり
IT業界に(10年前の春に転職している)チャレンジし
派遣ではあるけれど大学の講師を経験し
それが縁で派遣会社に就職し
(1年だけだったけどね(笑))

そして・・・・今は無職・・・・(泣)
ま、いっかその辺は(笑)


書き留めておく っていいことなんだぁってすごく思います。
だってね、この『ブログ』というアーカイブがあるから
「○○に旅行に行ったのは西暦何年!」
とか、記憶にも残りやすくなった気がする。

「あれっていつだっけ?」
「あの時って何食べたっけ?」
みたいな時もこのブログで確認できるし。

ブログを始めた頃、これほど続くとは夢にも思っていなかったなぁ。
すぐにネタが尽きちゃって尻すぼみで終わるんだろうと・・・ね。
周りのみんなが我も我もと始めたのに影響されてやり始めたのに
今となっては誰一人続いておらず・・・・。
(みんななんで続けてくれないん?)


私もね?
人気ブロガーになってアフェリとかで稼いでやるうぅうう
みたいな(笑)
そんなやらしい事を考えてた時期もありましたよ。
(すぐに諦めましたけどね(笑))
10年もやってんのに、どうやったら人気ブロガーになれるのかさっぱり分かりません。
てか、人気ブロガーになる気があんのか?って話なんですけどね(笑)

今のままのスタンスで
言いたいことを書きたい時に自由に書く
ってのが一番合ってる気がします。

この先も体力知力の続く限り続けていこうと思っています。
今後とも宜しくお願い致します。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

環境が人を変える

2017-01-12 04:12:30 | Diary
最近同世代のとあるブロガーさんのブログを見てるんですが、その中に思わずコメントしたい!と、初めて思った記事があった。

貧乏ネタを題材に日常の出来事を綴っているブログなのですが、同世代ってことと、私も昔超貧乏だった時代があるので共感できることも多い。

で・・・
私が思わずコメントしたくなった記事は
パート先にお弁当を持参するブロガーさん。
マイ箸を使って食べていると
「えー?今でも箸持参してるの?」
と、パート仲間に驚かれたそうだ。

パート仲間いわく、箸を持参するなんて面倒だし不衛生なので、今時は割り箸を使う人のほうが多い。
職場のコーヒーやウォーターサーバも備え付けの紙コップを使うのが当たり前。
誰もマイ箸マイコップなんて使わないと言われたらしい。
貧乏だとついついもったいないの思考が先に立ち、今時の常識もわからなくて恥ずかしかった・・・・。
みたいな記事だったんだけど
違う違うそうじゃないですよー!
そんなの職場環境によって変わるんですよぉー って伝えてあげたかったのですが、そのブロガーさんはコメントを受け付けてない仕様だったので伝えることが出来ずとても残念でした。


私が働いていたIT企業や、先日まで属していた会社では、フロアに設置されたウォーターサーバはマイタンブラーやマイカップで飲む・・・ってのが当たり前だった。
備え付けの紙コップは他の部署や支社から出張できた人や、もしくはお客様が使うもの・・・って感覚だった。
スタバのタンブラーにハマり、季節ごとにタンブラーを変える強者もいたりして
「へぇーおしゃれだねぇ」なんて言い合ったり。

箸にしたってそう。
コンビニ弁当や会社に売りに来る仕出し弁当を食べる人は別として、
お弁当を持参する人はみんな箸箱入りのマイ箸を使うのが当たり前で、使い捨ての割り箸を使う人なんていなかった。
マイタンブラーやマイカップ、マイ箸を使う人が多数で、持ってこない人たちの方がマイノリティーだったんだけどさ。

んと・・・
私がなにを言いたいかっていうと、今時の主流はどっち?とか
そんなことではなくて
(ていうか、むしろそんなことはどうでもいい)
置かれている環境によって、人は物事を見極める力を失ってしまうということが言いたいのです。

この、『職場におけるマイ箸、マイカップ問題』について言えば
多数派か少数派かって話であり、どっちが正しいなんて問題ではないのに、貧乏だから・・・という劣等感が物事の本質を見誤ってしまう。
私も経験者だから分かるんだけど、貧乏って自尊心を奪うのです。

ずっと昔、私が20歳位の頃。
貧乏で電気炊飯器が買えず、母親が嫁入り道具で持参した20年以上前のガス釜を使ってることがめちゃめちゃ恥ずかしかったんですよ。
だけどね、それって、
『美味しいご飯を食べたいからガスでご飯炊いてるんだよね』
ってのも全然アリなのに、当時の私はそれに気づけなかった。
電気炊飯器が主流の中、ガス釜で保温機能が付いていない(温かいご飯を常時食べれない)少数派である私は恥ずかしい・・・みたいなね(笑)
そう思ってしまうのは当時私の家が貧乏だったからに他ならない。


こんな事っておそらく誰しも日常的に起きていると思う。
自分の身に置き換えても溢れかえるほどあったりする。

結婚して間もない地元でパート主婦をしてた十数年前
(その当時もそこそこの貧乏だったんだけど(笑))
近くにコンビニも何もないので家からお弁当を持参するんだけど、お金がないから夜ご飯の余りで作ったおにぎりを1個持っていくだけ。
それがとても恥ずかしくて、休憩時間になると他のパートさんたちに見られないようコソコソ食べたり。
ガソリンを満タンに入れるなんて(お金がなくて)出来ないから、
店員さんに「・・・15リッターだけお願いします・・・」とビビりながら言ったり。

今なら
「ダイエット中なんだよね。おにぎり1個で十分!」
とか
「なんとなく今日は食べるのやーめよ」
みたいなことが平気で出来るのに、貧乏だとそういう返しが全くできなくなる。
冷静に考えたならば、よほど親しい間柄でない限り他人はその人が貧乏かどうかなんて分かんないんだよ。
ていうか、そんなとこまで見てないと思うんだよ。
だけどそんなことすら気づけない。
私がそうであったように・・・。

更に言えば、それが普通 ってのを口にする人ってめちゃめちゃ多いけど
普通ってなに? とも言える。
先に述べたように、多数派か少数派かってだけの場合がかなり多い気がするんですよ。
しかも環境によって多数派は入れ替わったりするしね。

己の常識が他人の非常識
他人の常識が己の非常識
なんてのは当たり前。
そういう風に世間や社会が成り立っているのだと理解することが必要なんだと思う。


あ・・・
なんか急に熱く語ってる私って・・・なんでやろ?(笑)
いやぁー たまには語りたくなりまして・・・すいません。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする